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小さな恋の物語~華里にて~

time out

作者: mia


 放課後の教室に、ひとり、女子生徒が窓際の席にいた。

 後ろの席の高間(たかま)真也(しんや)と日直が一緒になった紫藤(しどう)千和(ちわ)はクラスの日誌に今日あったことを記していた。

 シャープペンシルの芯が紙の上を走る音、開け放した窓から聞こえる運動部の声をBGMにして千和は黙々と手を動かし続ける。

 高間は所属している男子バスケ部の顧問の先生に遅刻すると報告するため、教室を出て行った。すぐ帰ってくると言っていたが、既に40分以上は経過している。

 黒板を隅々まで奇麗に消し、黒板消しのチョークの粉も叩き落とした。乱れた座席もきちんと整え、残す作業は窓を閉めて電気を消し、日誌を完成させて職員室に届けることだ。

 不意に耳に届いた、廊下に響く足音に今まで休むことのなかった千和の手が止まった。どこか急いだ足音は教室の扉の前でピタリと止まる。教室と廊下の間の窓は閉めていたので誰なのかは見えない。

 ガラリ、と開いた扉の音に顔を上げると

 「悪い紫藤。職員室で権田(ごんだ)先生に捕まって下らない話に付き合わされてた。もう日誌は書き終わったか?」

 走ってきて暑いのか、シャツを腕まくりにした高間に問いかけられ、千和は頷いた。

 「はい。後は高間君のコメントだけです。よろしくお願いします」

 「あ、そう。任せ切りで悪かったな。日誌は俺が出しておくから、紫藤は先に帰れよ」

 日誌を受け取った高間は自分の席に座り、引き出しから筆記用具を出して日直のコメント欄に今日一日の感想を書きはじめる。

 「――紫藤?」

 疑問が混ざった声が千和の背中にかけられる。ごく自然のことだろう。帰ると思っていた千和が椅子から離れようとしないから。

 千和はそろりと後ろを振り返る。こっちを見ているわけなどないと思っていたのに、切れ長の目とかち合って鼓動が速まった気がした。真っ直ぐに向けられた瞳から目が逸らせず、黙りつくしてしまう。

 「俺に気を遣う必要なんかないし、さっさと帰らないとあっという間に暗くなるぞ」

 「…い、いえ、日誌は私が。高間君は早く部活に行かないといけませんし。私は大丈夫ですから」

 「お前のどこが大丈夫なんだよ。何もない所でつまずいて転びそうになって、持っていた教科書やらノートやらを全て床にぶちまけるほど抜けてるくせに」

 皮肉たっぷりの言葉に落ち込むよりも、驚きが勝った。

 「……今日の、見てたんですか?」

 「ああ。自分の足に引っかかって転ぶなんて器用な真似、俺には絶対できないと思ったけどな」

 日誌を書きながら呆れるように言った高間は口元に薄い笑みをたたえていた。そのことに気づかない千和は自分の失態を高間に目撃されていたということにショックを受け、恥ずかしい気持ちで一杯一杯だった。

 「わ、私だって故意に転ぼうとしたわけじゃありません。違うクラスの子にまで笑われてその上、高間君にまで見られていただなんて……」

 穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。耳まで真っ赤に染まった千和は口をきゅっと引き結び、羞恥心に苛まれる。

 そんな千和の様子に罪悪感を感じたのか、高間は大きく息をついて日誌を閉じた。

 「別に俺は紫藤のことを馬鹿にしてるんじゃない。今度からは気をつけろって言いたかっただけだ。今日はたまたま近くにいた奴に助けられたから怪我は無くて済んだけど、またいつ転ぶのかと思うと気が気で……なんだよ」

 穴が開くほど見つめられてたじろぐ高間をよそに千和は心の中で様々な感情と葛藤していた。みっともない所を見られて悲しいのと、こんな自分を心配してくれているという嬉しさと、申し訳なさと。

 ――でも一番大きいのは、やっぱり嬉しいという想い。

 胸の奥がぽかぽか温かくなるのを実感して、千和は無意識に微笑んでいた。

 「……ありがとうございます」

 もう転ばないように努力はします、と控えめに言い、高間の机にある日誌に目を落とした。

 「あとは窓の戸締りですね。私がやっておきますので、高間君はバスケの練習に行って下さい。では日誌を預かり――」

 ます、の語尾が千和の口から出ることはなかった。

 日誌を手にした腕を引っ込めようとしたが、高間の手に掴まれて妨げられた。

 「高間、くん?」

 俯いて何も言わない。表情は前髪に隠れてしまっていて、時折吹く風が髪を揺らすが高間は微動だにしない。

 もしや具合でも悪くなったのかと思い、あわあわするものの掴まれた腕が気になって言葉が出てこない。部活動に励む賑やかな音楽も耳に入らず、心臓の音が五月蝿くて息もしづらくなってきた。

 ようやく視線を上にした高間は夕日に負けず劣らず赤くなった千和の顔を見て目を見開き、勢いよく窓の外に顔を逸らした。腕は放さないどころかますます力を込められる。

 制服のブラウス越しに伝わる温もりは不思議と千和をひどく安心させ、いつの間にか日誌を手放していた。カタン、と無機質な音が静まり返った教室に響き渡り、高間の目が日誌から千和へと移る。固く閉じられた口がゆっくりと開かれた。千和の澄んだ瞳には怯えや嫌悪という負の感情は欠片も見えない。

 「…俺は――」

 「きゃっ…!?」

 急に少し強めの風が吹き、煽られたカーテンがじゃれるように千和にまとわりついた。短く悲鳴を上げた千和をすっぽりと包み込んでしまったカーテンは風が止んでも元の位置に戻る気はさらさら無いらしい。何とも奇妙な光景を目撃したのはただ1人、高間だけだ。

 「……ふ、はははっ!おま、何だよソレ!間抜けすぎだろ!」

 屈託のない笑い声に千和はドキリとした。

 いつも無愛想で、笑うといったら鼻で笑う嘲笑の意味でしかない高間が、今目の前で――千和には全く見えていないが、爆笑しているのだ。

 「わ、笑いすぎです!」

 貴重な笑顔が見たい千和は何とかしてカーテンから脱出しようとするも、どこがどうなってこんな状態になってしまったのかが分からず苦戦する。いっそ髪が乱れるのも諦めかけたその時、椅子を引く音がして両肩をぐっと押さえ込まれた。

 「じっとしてろ。お前が動くと余計絡まって酷いことになってるから」

 「うっ……」

 やっと笑いが収まった高間は千和のそばに立ち、ねじれたカーテンを丁寧に直す。千和はじっと大人しくして待つ。教室独特の匂いが染み込んだカーテンが持ち上げられ、千和の頭の上に垂れかかる。まるで花嫁のヴェールのようだと高間はらしくもない事を考えていた。

 それが原因で思いもよらぬ行動に出てしまうとはつゆ知らず。

 「助けてくれてありがとうございます、高間君」

 真正面から向けられた、気恥ずかしそうな照れた笑顔が視界を独占する。潤んだ瞳、淡く染まった頬、奇麗に弧を描く唇。どれもが高間の心を揺さぶり、ひどく落ち着かない気分にさせた。掴んでいたカーテンを再び持ち上げ―――下ろす。

 「高間君?」

 不思議そうに呟いた千和は首を傾げた。高間の背後にカーテンがあり、彼がその裾を握っている為にさっきまで目に入っていた同級生達の机や椅子、黒板も見えなくなった。千和に見えるのは正面に立つ高間だけだ。それは対する相手も同じこと。

 1階の音楽室で行なわれている吹奏楽の演奏が千和たちがいる2階の教室まで届く中、不意に高間が腰を屈めて頭の位置を下ろした。近づいた距離に動揺し、息を呑んだ千和は目を閉じる隙も与えられず、柔らかな感触が唇に触れて――離れた。

 一瞬の出来事に放心している千和をよそに、カーテンを放して手際よくまとめた高間は何事も無かったように自分の席について筆記用具を鞄に仕舞い、明日の時間割を確認しながら荷物を整理しだした。我に帰った千和は混乱していて結論を導き出すこともできず、しばらく高間の一挙一動を見守るしかない。

 段々日も落ちかけてきたことに気づいたのか、高間は窓の外に目をやって眉間に皺を寄せる。ぶつぶつと何かを言い、「おい」と千和を呼んだ。

 「は、はいっ」

 「……窓閉めて日誌提出しに行くぞ」

 ひっくり返った千和の返事に高間は突っ込むこともせず、鞄の持ち手を肩にかけて日誌を持ち、席を立って窓を閉め始める。既に帰りの支度を済ませていた千和も筆箱を鞄の中に押しやり、窓を閉めて鍵をかけた。教室の扉のそばで待つ高間のもとに駆け寄ると電気が落とされ、人気の無い廊下を二人は並んで歩き出した。

 同じ階にある第2職員室に行き、担任の机に日誌を置いて退室する。かと千和は思っていたのだが高間が出口ではない場所に足を進めたのでついていった。

 「権田先生。さっきは話の途中で消えてすいませんでした」

 高間が話し掛けたのは千和のクラスの古典の授業を担当する権田宗司(そうじ)。太陽のように眩しい頭と熊のような図体が特徴的で、権田が担任を務める生徒からは“タコ先”と呼ばれているようだ。

 「高間か!この野郎、いっちょ生意気に俺から逃げやがって……ん?紫藤、お前がなんで高間といるんだ?」

 「紫藤と日直だったんです。権田先生の無駄話の所為でこんなに遅くまで紫藤が居残る羽目になりました。責任取ってくれますよね?」

 渇いた笑みを浮かべ、権田を見下ろす高間はバスケ部の次期主将候補とあって身長も高く、滲み出す威圧感も凄まじい。

 「無駄話とは聞き捨てならん。それに責任取れって言われてもだな。俺にどうしろって言うんだ」

 「俺の部活が終わるまで紫藤の暇つぶしの相手をしてやってくれますか。俺が紫藤を家まで送りますんで。どうせ何もすること無いだろうし」

 「おいこら。教師を暇人扱いするな」

 「ま、待って高間君…!」

 私は1人で帰れるから、と言おうとしたのを高間が鋭い視線で遮る。

 「ここで権田先生と待ってろ。見張りでもつけておかないとお前は絶対1人で帰ろうとするからな。練習が終わったらすぐ迎えにいく」

 「でも部活の後の自主練が――っ!」

 顔色を変えて口を手で押さえた千和を、高間は珍しく驚愕を露にして見つめた。

 「お前、どうして知ってるんだ?俺が部活終わってからも残って自主練してるだなんて…」

 自主練をしていることは顧問の監督と主将にしか言っていない。レギュラーの部員は知っているかもしれないが自分から教えはしなかった。

 ほとんどの生徒が帰宅した後、テスト期間中を除いて毎日2時間行い、校門を出る頃には真夏の日でも真っ暗。

 帰宅部の千和とは全く関係の無い情報を一体どこから得たというのか。高間の問いに、千和は申し訳なさそうに言う。

 「あの、実は1年の冬の時、図書館に忘れものをしたことに気づいて取りに行ったんです。その帰りに体育館の横を通って、まだ明かりが点いていたので中を覗いてみたら高間君が1人でバスケの練習をしているのを見つけて。付き添って頂いた管理員のおじさんから毎日夜遅くまでやっていると聞いたんです」

 「……要するにお前は忘れ物を取りに行った時に自主練をしている俺を発見したと」

 「はい、その通りです」

 なぜか誇らしげに頷いた千和に対し、高間は物騒なオーラを醸しだしていた。鈍感な千和が首を傾げる一方、権田は面白そうに二人を見ている。

 「その通りです、じゃねえよ。わざわざ夜に行かなくても次の日に取りに行けばいいことだろ。ふらふらと呑気に出歩いて、何かあったらどうすんだよ」

 刺々しい口調の高間に千和の眉が八の字になる。その様は叱られた子犬のようだ。

 「…とても大切なものだったので、どうしても失くしたくなかったんです」

 「だからって――」

 「へいへいお二人さん、そこまで。後は他所でやってくれるか。菅野(すがの)先生が仕事どころじゃなくなってる」

 権田の仲裁に二人の目が一斉に同じ場所に向けられる。そこにいたのは国語教師の菅野文月(ふづき)。ノートパソコンを開いて携帯を弄び、

 「リアル青春観察なう。ツンデレオカンと天然ピュアっ子最強。ぎゃほーwww」

 にやにやして奇声を上げ、隣のデスクの英語教師、阿久津(あくつ)祥子(しょうこ)に氷のごとく冷めた目で見られている彼女はれっきとした教師だ。


 「「つぶやかないで下さい!!」」


 二人の怒声が奇麗に重なった。



 その後、部活を終えた高間が第2職員室に入ると例のデスク一帯が異様な盛り上がりを見せており、足を止めた。

 「先週ウチであった練習試合も観に行ったんだ?そんなに好きなら告白すればいいじゃない。私が男だったら紫藤さんに惚れてるなぁ、絶対」

 「生徒を口説いてどうするのよ、全く。でも…そうね。あなたが望むようにすればいいんじゃないかしら。結果はどうあれ、想いを伝える勇気を出すのは大切なことよ。自分自身の成長にきっと繋がるから」

 「おぉー、祥子先輩さすがです!悟ってますね!」

 「阿久津先生すごいです。もう目から鱗です」

 「二人とも大げさよ。あら、高間君」

 渋い表情で立ち尽くしていた高間に阿久津が気づいた。すると丸椅子に座っていた千和の肩が大きく跳ねる。

 「高間君!い、い、いいいつからそこに!?」

 「“い”が多い。さっき来たばっかだ。権田先生は?」

 「権田先生、飲みの誘いが来たとか言って行ってしまったのよ。生徒との約束より酒を取るだなんて信じられないわ」

 「まあまあ。そのおかげで気兼ねなく女子トークが出来たんで良いじゃないですか。久々にいい夢見れそうです」

 腕を組んでため息をついた阿久津を宥めるように菅野がからりと笑う。喋りながらも仕事をしていたようだ。

 「それもそうね。権田先生がいたら面倒臭いことになっていたわ。――じゃあ高間君。紫藤さんをよろしくね」

 「はい。ありがとうございました」

 阿久津と菅野に軽く頭を下げた高間は千和を見下ろす。忙しなく揺れる瞳を見つめ、淡々と

 「帰るぞ」

 背を向けて出口に向かう高間に、

 「高間君、待ってください。えっと、先生ありがとうございました。私、頑張ってみます!さようなら!」

 追いかけながら挨拶を忘れずにする千和に、教師二人は手を振って送り出した。

 廊下の電気も落とされた中、千和は高間の数歩後ろをついて歩く。階段まで来たとき、先を歩いていた高間が振り返って手を差し出してきた。

 「階段踏み外して俺まで巻き添えにされたくないから。怪我したくなかったら言うこと聞け」

 「うっ。そんな言い方しなくても良いじゃないですか…」

 「早くしてくれないと俺も帰れないんだけど」

 「わ、分かりましたよ。手を繋げばいいんでしょう。繋ぎますよ……」


 逸る鼓動を落ち着かせようと胸に手をあて、息を吸って一歩踏み出す。重ねた高間の手は思っていたよりも大きくて、ごつごつしていた。所々凸凹しているのは鍛錬の証だろう。


 高間は添えただけの千和の手をしっかり握り、揃って階段を降りる。踊り場に差し掛かったところで立ち止まってしまった高間を見上げると、

 「……紫藤。さっき先生達と話してたこと、本当なのか?」

 真剣な目に射られ、暗闇に縫い付けられる感じがして繋いだ手に力が入った。

 「な、何のことでしょうか。私は何も…」

 「先週の練習試合って、バスケ部のことだろ?やっぱりお前、観に来てたんだな」

 「そんなはずはありません!誰にも見つかりませんで……あ」

 「来てたんだな」

 自ら墓穴を掘ったのだと分かった千和は俯く。居たたまれなくて手を解いてもらおうとするも高間は緩めない。完全下校の時間を知らせるアナウンスが鳴り、騒がしかった下の階が徐々に静まり返っていく。二人以外、誰もいない空間の深さに溺れる。神様がお膳立てをしてくれているのか、足音すら聞こえなくなった。

 ――今しかない。

 「あ、あの!…ずっと、高間君に言いたかったことがあるんです。私、高間君のことが――」

 「タイムアウト」

 唇に押し当てられた高間の人差し指に言葉を絶ち切られる。頭1つ分高い彼と目を合わせ、瞠目した。

 とても、とても優しい笑顔。初めて見る表情だった。泣きそうになった。


 「先に言おうとしたのは俺だからな。最後まで聞いてからにしろ」



 校門を出て、月に照らされた道を歩く二つの影。


 手は、繋いだまま――。


 fin.



ちなみにmiaは高校時代、茶道部でした。お菓子食べてお茶飲んで喋って…かなり楽しかったです。体重という名の宿敵と闘わなければいけませんでしたが。


ありがとうございました。

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