第5話: 冒険者ギルドと世界の『診断』
騒然とする市場の大通り。
その中心で、エレナは額に浮かんだ汗を優雅に拭った。
「ふぅ。少し運動不足でしたでしょうか。関節の動きが硬かったですね」
瓦礫の山と化した廃屋の側には、白目を剥いてピクリとも動かない巨大なオーガが転がっている。
その光景を目の当たりにしたマッスルヘイムの住人たちは、恐怖ではなく、純粋な畏敬の念を抱いて震えていた。
「すげぇ……あんなデカブツを素手で……」
「あの姉ちゃん、何者だ? 聖女の服を着たバーサーカーか?」
ひそひそと囁かれる称賛(誤解)の声に、エレナは嬉しそうに微笑み、リックの方を振り返る。
「リックさん、見てください。皆さん、健康への関心がとても高いようです! 私の施術に興味津々ですね」
「……いや、あれは絶対に関心じゃなくてドン引きしてるだけだと思うぞ。あと施術じゃなくて『制圧』な」
リックは深い溜息をつきながら、頭を抱えた。
しかし、事態は収束した。
このまま路上で立ち話をしていても仕方がない。
「とりあえず、ここを離れるぞ。ギルドへ報告に行かないと、お前も報酬がもらえないからな」
「はい! 開業資金は大切ですからね!」
二人は熱狂する群衆をかき分け、都市の中心部にある『冒険者ギルド・マッスルヘイム支部』へと向かった。
辿り着いたギルドの建物は、エレナの想像するような洗練された場所ではなかった。
石と鉄で組まれた武骨な要塞のような外観。
扉を開けると、鼻をつくような汗と鉄錆、そして安酒の匂いが充満している。
「うわぁ……男臭ぇ……」
リックが顔をしかめる横で、エレナは目を輝かせた。
「あら、活気がありますね! 皆さん、筋肉の仕上がりも素晴らしいです」
エレナが足を踏み入れると、騒がしかったギルド内が一瞬で静まり返った。
市場での噂は既に広まっているらしい。
荒くれ者の冒険者たちが、道を空けるように左右に退く。
その最奥、一段高いカウンターの奥から、巨岩のような男が姿を現した。
「お前が、例の『拳で治す』聖女か」
低く響く声。
顔の左半分に大きな古傷を持つその男は、この支部のギルドマスター、ガロンだった。
彼は鋭い眼光でエレナを見定める。
「は、はい! エレナ・サンフォースと申します。現在はフリーの『物理治療家』をしております!」
エレナはスカートの裾を摘み、優雅にカーテシーを行う。
ガロンは数秒沈黙した後、口の端をニヤリと歪めた。
「面白い。オーガを単独で沈めた手腕、しかと報告は受けている。だが嬢ちゃん、状況はもっと深刻だぞ」
ガロンはカウンターの上に一枚の地図を広げた。
指し示されたのは、マッスルヘイムの北に広がる広大な森林地帯だ。
「最近、北の『黒の森』で魔物の暴走が頻発している。
今日のオーガも、そこから溢れてきた一匹に過ぎん」
「溢れてきた……?」
「ああ。森の奥で『何か』が起きている。
古の封印が解けかけているのか、あるいはもっと凶悪な上位種が目覚めたのか……。
とにかく、森全体が瘴気に覆われつつあるんだ」
リックが息を呑む。
「おいおい、マジかよ。黒の森って言えば、国境防衛の要だろ? そこがヤバいってことは……」
「ああ。この都市も、いずれ飲み込まれるかもしれん」
ギルド全体に重苦しい空気が流れる。
世界の危機、未知なる脅威。
誰もが沈痛な面持ちになる中、エレナだけが真剣な顔で地図を覗き込み、そして顔を上げた。
「大変です……!」
「ああ、そうだろ? だから俺たちは戦力を――」
「これは、大規模な『集団感染』の予兆ですね!」
「……は?」
ガロンの目が点になる。
「森全体が悪い気に覆われているということは、生態系の『気』の流れが滞っている証拠。
つまり、森そのものが深刻な『凝り』と『血行不良』を起こしているのです!」
エレナはミスリルナックル『聖女の鉄拳』を胸の前で握り締め、決意に満ちた瞳で宣言した。
「放置すれば、症状は都市にも伝染します。私が現地へ向かい、森のツボを直接刺激して、根本治療(物理)しなければなりません!」
「……おい、リック。こいつは何を言ってるんだ?」
「気にしないでくださいマスター。こいつの中では『世界を救う』のと『マッサージ』が同義なんです」
リックは諦めの境地で首を振った。
「とにかく、嬢ちゃんの腕は確かだ。その『治療』とやらで森の異変を解決できるなら、ギルドとして正式に依頼を出そう。
……頼めるか?」
「お任せください! どのような頑固な症状も、私の拳でほぐしてみせます!」
こうして、エレナの活動範囲は都市を越え、未知なる脅威が潜む『黒の森』へと広がることになった。
彼女にとっては、ただの『往診』に過ぎないのだが。
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【登場人物】
- ガロン: マッスルヘイム支部のギルドマスター。顔に傷を持つ巨漢で、実力主義者。
【場所】
- 冒険者ギルド・マッスルヘイム支部: 汗と鉄の匂いが漂う、武骨な石造りの建物。荒くれ者たちのたまり場。
- 黒の森: 都市の北に広がる広大な森林地帯。瘴気に覆われ、強力な魔物が生息する危険地帯。
【アイテム・用語】
- 集団感染: エレナ語録。魔物の大量発生や瘴気の拡散を、彼女は「病気の流行」として認識している。
- 往診: エレナ語録。危険地帯への遠征任務のこと。




