第2話 聖女の拳、危機を粉砕する(物理)
路地裏に、男の悲鳴とも歓喜ともつかない奇妙な声が響いてから数分後。
盗賊のリックは、信じられない面持ちで自分の腹部をさすっていた。
内臓破裂寸前だったはずの激痛は消え失せ、代わりに全身の細胞が強制的に叩き起こされたような、熱く痺れる感覚だけが残っている。
「あの、お姉さん……あんた一体? 俺、確かに死にかけてたよな?」
「あら、まだ混乱していますか? 自己紹介が遅れましたね。私はエレナ・サンフォース。職を求めてこの街へ来た、しがない聖女です」
慈愛に満ちた微笑みを浮かべるエレナだが、その手には未だ白銀に輝くナックルダスターが握られている。
「聖女……? いや、今の治療、どう見ても殴ってただけだろ!? 『ボグッ』って音したぞ!?」
「失礼ですね。あれは『物理回復』です。
あなたの細胞に気合を注入し、根性を叩き直して活性化させたのです。
ちょっと骨がきしむ音がするのは副作用ですよ」
「副作用のレベル超えてるだろ……」
リックがツッコミを入れたその時、街の大通りから轟音と人々の悲鳴が上がった。
「きゃあああ! 魔物が! 魔物が入り込んだぞ!」
「ギルドの連中は何してやがる! 防衛線を突破された!」
二人が路地から飛び出すと、そこには阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。
体長三メートルはあろうかという巨大なオーガが、市場の露店をなぎ倒しながら暴れまわっているのだ。
太い腕の一撃を受けた冒険者たちが、木の葉のように吹き飛ばされていく。
「ぐああっ!」
一人の若い剣士が、オーガの棍棒をまともに受けて壁に叩きつけられた。
鎧はひしゃげ、口から大量の血を吐き出している。
「おい、まずいぞ! あいつ、息がねぇ!」
リックが顔を青くする。
マッスルヘイムは武闘派の街だ。
ゆえに、繊細な回復魔法を使える治癒士が極端に不足している。
このままでは、あの剣士の命はない。
「逃げるぞエレナ! 聖女サマでも、あんな化け物は相手にでき――」
リックがエレナの腕を引こうとした、その瞬間。
「……あら。重症患者発見です」
エレナの声から、ふわりとした甘さが消えていた。
彼女は純白の聖女服の袖をまくり上げ、両手の『聖女の鉄拳』をカチャンと打ち鳴らす。
その瞳には、獲物を前にした猛獣のような、あるいは慈愛という名の狂気が宿っていた。
「え?」
「あのままでは死んでしまいます。私の拳が必要です」
「いや、今必要なのは回復であって、追撃じゃねぇよ!?」
「大丈夫です。魔物を排除し、ついでにあの患者さんも治療します。そうすれば……」
エレナは一歩、力強く大地を踏みしめた。
「私のこの『技術』がこの街で通用すると証明できる。
そうすれば、生活費も稼げますから!」
彼女の目的は定まった。
生き残るために、そしてご飯を食べるために。
エレナは迷うことなく、暴走するオーガと瀕死の重傷者に向かって疾走を開始した。
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【登場人物】
- 暴走オーガ: 敵対者
- 若い剣士: 負傷者(次の患者候補)
【場所】
- 市場の大通り: マッスルヘイムのメインストリート。露店が並ぶが、現在はオーガによって破壊されている。




