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第8話




「じゃあ、そろそろ帰るか……!」



市場でのお買い物を大満足で終えた翠は、ほくほくの笑顔で路地裏へと滑り込んだ。


背中に鍬、両手に種、そして胸に秘めたるこの情熱。


もう、あとは畑を耕すだけだ。


 


「……それで、帰るには?」



翠は買い込んだ種と鍬をぎゅうぎゅうに抱きかかえながら、人気の少ない路地にひょこっと立っていた。


周囲には誰もいない。石畳の向こうで猫が昼寝しているくらいだ。


ピルカに言われた通り人目のつかない場所に来て、“帰る方法”についてを今一度尋ねる。




「帰るときはね、家に繋がる“固有座標コード”が自動で記録されてるから、呪文を唱えれば一瞬で戻れるよ」


「呪文!? でた、ファンタジーっぽい……! なんて唱えるの?」


 


ピルカはぽそっと囁いた。


 


「“我が魂の帰りし場所よ、門を開けたまえ”」


「…え、長くない? もっと“ピヨン!”とか“ルーラ!”とかじゃないの?」


「そこはモルガン様の美学だから」


「美学、ね。……どうせならかっこよくしたいんだけど?」


「じゃあ好きにアレンジしてもいいよ。“アトリエ・モルガン・リターンズ”とか、“我が城よ、迎えたまえ”とか。語尾に“フンヌ!”とかつけてもいいし」


「わかった、決めた!」


 


翠は一歩前に出て、背筋をしゃんと伸ばした。

あたりには誰もいないと確認し、顔を少し赤らめながら深呼吸する。

 


「……じゃ、いくよ」


 


翠は目を瞑ると、鍬をぎゅっと握りしめ、腹に思いっきり力を入れた。


 


「我が魂の帰りし場所よーーー門を! 開けたまえぇぇえッ!!」


「結局!?」


 


ビビるほどの大声で叫んだ直後、世界がひゅんと逆さまになった。


そして次の瞬間——。




\ドォン!/


 


勢いよく空間がぐにゃりとねじれ、視界がひっくり返る。

洗濯機の中にでも頭を突っ込んだかのような眩暈が走馬灯のように駆け抜けた後、ふかふかの草が足元を撫でていた。


見慣れた風景。帰ってきた。丘の上の“あの家”に。


 


「……こっ、これはクセになるっ……!」


 


帰宅用呪文に謎の高揚感を得た翠は、両手の種袋を掲げながら森の空気を思いきり吸い込んだ。



 


「……ただいま!!」


 


大の字になりながら傾けた視線の先にあったのは、丘の下に広がる大草原と、モルガンの家の庭だった。


 


「すっごい叫んでたね」


「いや、…なんか恥ずかしかったしさ?…どうせならと思って、つい」


 


翠は息を整えながら、荷物を置き、改めて鍬を握りしめた。


 


「よし、じゃあいくか。いよいよ畑を耕すよ……!!」


 


眼前に広がるは、どこまでも続くようなふかふかの大地。

モルガンの結界が張られた庭は、広さも土質も理想的すぎて、もはや“農耕マスターに用意された最終ステージ”の様相すら漂う。


 


「まずは準備運動。そして、最も大切な儀式だね」

 

「儀式?」


「そう、鍬の命名式!」


 


ピルカが「そこ!?」という顔をするのを尻目に、翠は鍬を頭の上に掲げる。




「――さあ、始めようか。名付けの儀を!」


「……まだ畑すらないけど」


 


ピルカの冷静な突っ込みを華麗に無視しつつ、翠は鍬を胸の前に構え、ゆっくりと目を閉じた。



「おまえは……そうだな……うん、ちょっとガサツだけど芯があって、豪快で頼もしくて、でも刃の形がちょっと丸っこくてかわいげがある……よし、決めた」


 


翠はぐっと鍬を空に掲げ、声を張り上げた。

 


効果音:ドドン!


 


「君の名は……“くわ之助(仮)”!!」


「即決!?」


「命名理由:ノリ。あと語感の可愛さ。あとこう、土を耕しながら“よいしょ、くわ之助!”って言いたくなる」


「完全にペット感覚……ってか「仮」って何!?」


「いや正式名はもうちょっと考えさせて! でもとりあえずくわ之助って呼ぶ!」


 


翠は丘の下に広がる広場のようなスペースへと降り立った。


ふかふかの土。しっとりとした湿度。


この土地は、間違いなく肥沃だ。




「……さて。形から入るのが私の信条だからね」




翠は額にバンダナを巻き、農業用の作業服(モルガンの家の倉庫で見つけたもの)に着替えると、腰にタオルをぶら下げた。


 


「よし、完璧。じゃあ次は——」


「まだ何かあるの!?」


「正座して大地に感謝を捧げます」


「前置きが長い!!!」


 


ピルカがツッコむのも気にせず、翠は正座し、手を合わせた。


 


「天の恵み、地の恵み、すべての命に感謝を……」

 

「…えーっと、もしもし??」


「これは日本の農業精神の象徴……“いただきます”の先駆け……“土にありがとうございます”なんだよ……」


「なんだそのラジカルな宗教……」


「静粛に。これは“地鎮式”です」

 

「そういうの日本式って言い張ると全部許されると思ってる?」


 


感謝の儀を終えた翠は、ついに鍬を地面へと振り下ろした。


 


「さあ、くわ之助!! 行くよッ!!!」


 


ずしん。


 


土が、見事に持ち上がった。


ふかふかの黒土が、空気を含んで軽やかに返る。

瑞々しい空気の匂いと、降り注ぐ太陽の光。


その全てが通り過ぎる中、翠の顔に満面の笑みが広がった。


 


「っっっしゃああああああ!! 掘ったぞおおおおおお!!!」


「お、おめでとう……?」


「これだよ……これが農業だよ……! 魔法でも戦闘でもない、地に足のついた営み……!!

戦わなくても、生きていけるって証明だよ!!」 


「……うん、たぶん間違ってはないけど、テンションが違う」


 


翠はその後も、「掘りッ!」「くわ之助、そこだッ!」「逆風も吹いてないのにテンションだけ逆風ッ!」などと謎の掛け声を連発しながら畑を開墾し続けた。




そして気づけば、夕方だった。


 


「……やば。ちょっと夢中になりすぎた」

 

「いや、すごいよ。正直、耕しスピードが尋常じゃなかった。

あれだね、魔力抑制してても“農力”は抑えきれてないね」


「農力って何!?」


 


耕された畑の中央に立ち尽くす少女と、ふよふよと浮かぶピルカ。


オレンジ色の夕日が差し込み、大地が静かに彼女の労力を受け入れていた。


そしてその中央には、誇らしげに突き立てられた――くわ之助(仮)。




「はー……明日は種まきだね。ピルカ、やることいっぱいだよ!」


「うん、がんばろうね……とりあえず仮はもう取ろうか?」


 



 


「――というわけで!」


 


翠は、両手に持ったジャガイモの種芋を高々と掲げた。


背後には、整然と並ぶ畝たち。

朝からせっせと鍬を振るい、まるでマシンのような手際で整地を済ませた彼女の姿は、もはや“農の神”である。


 


「いま、ここにっ! 我が魂の結晶、“第一期いもっこたち”を召喚するぅ!!」


「……相変わらず名付けのセンスが独特だよね」


 


ピルカがもふっとしっぽを揺らしながら、少し距離をとって見守っている。


それもそのはず。


翠のテンションが朝からずっとMAXなのだ。

テンションメーターがとっくに振り切れ、針が逆側に突き抜けている。常人が近づくにはやや危険なフェーズに突入している。


 


「いもっこ一号、着地ポイント確認……OK!」


 


ひとつひとつの種芋を、まるで爆弾処理のように慎重に植えていく翠。

指の先でそっと土をかぶせ、手のひらで愛情を込めて“なでなで”と土を整える。


 


「……それ、いちいちやる必要あるの?」


「あるに決まってるでしょ!? 土ってのは“触れた人の心”を記憶するんだから。あったかい気持ちで包んであげなきゃ、いい芽は出ないんだよ?」


「科学なのか宗教なのか情熱なのか判断に困るよ、その理論」


 


翠はそんなピルカの突っ込みをスルーして、ふわっと土の匂いを嗅ぎながら、続けざまに芋を植えていく。


その手つきはあまりに慣れていて、まるで農家の娘そのものだ。


 


「……ねえ、君ってほんとに、なんでそんなに農作業が好きなの?」


 


ふと、ピルカが尋ねた。


翠は一瞬手を止め、にっこりと笑って空を見上げた。


 


「うーん、たぶんね――原風景、ってやつ?」


「原風景?」


「私、大阪の梅田ってところで育ったの。超都会。ビルの谷間、アスファルトの地面、どこもかしこも人工物ばっかり。土なんて、花壇の端っこにちょっとあるくらい」


 


淡々と語りながらも、その目には確かな情熱が灯っている。


 


「でも、年に何回かだけ。お盆とかお正月とかに、京都の実家に帰ることがあってね。

そこはすっごい田舎でさ。空気が澄んでて、虫の声が聞こえて、夜は星が見えて……なにより、畑が広がってるの」


 


翠の声が、ほんの少し柔らかくなった。


 


「その畑で、おじいちゃんと一緒にジャガイモ掘ったのが、すっごく楽しくて。

あったかい土の感触も、土の下から出てくる芋の“こんにちは”感も、全部が、なんだか、こう……」


 


彼女は、胸に手を当てた。


 


「“ああ、私、生きてる”って、そう思えたの。わかるでしょ???」


「……うん。全然わかんない」


「そこは黙って“わかるよ”って言ってよ!」


「いや、そもそも“こんにちは感”ってなに……?」


 


ピルカは軽く首をかしげながらも、どこか優しげな目で翠を見ていた。


 


「それでね、中学出たら絶対農業高校に行くって決めてたの。

みんなは“えー女子なのにー”とか言ってたけど、私は本気だった。野菜育てて、スローライフして、畑のそばで寝転がって、たまに麦茶飲んで、そういう毎日を送りたくて……」


 


そこで翠は、ふっと笑った。


 


「まあ……起きたら異世界だったんだけどね!」


「いやほんとに、なんでそんなに楽しそうなの……」


「だって見てよ、この空! この土! 魔法で作られた土地じゃなくて、ちゃんと風が吹いてて、太陽の光が差してて。……最高じゃん?」


 


その目はまっすぐだった。

魔力で地形を変えられるほどの力を持っていながら、彼女の理想は“地に足の着いた、泥まみれの生活”だという。


 


「私さ、この世界でもやってみたいんだ。畑で野菜を育てて、スローライフして……でも、ちょっとずつでいいから、この世界のこと、知っていきたい。どんな土があって、どんな作物が育ってて、どんな人がいて――」


 


翠は、まるで宣言するように、最後の芋を優しく植えた。


 


「その上で、私の“理想の畑”を作る。絶対に!」


「……なんかもう、すごいっていうか……」


「なに、惚れちゃった?」 


「いや、引いた」


 


バッサリである。


 


だが翠は、その冷たい返答にもまったく堪えた様子もなく、満面の笑みを浮かべた。


 


「ふふっ。夢ってね、誰かの胸に引かれるくらいじゃないと、本物になんてならないんだよ」


「なんか名言っぽくまとめたけど、全然響いてこないからね、それ……」


 


そうして、芋の畝の間にしゃがみ込み、翠はそっと手を合わせた。


 


「いもっこたち、がんばって芽を出してね。世界で一番おいしいポテトサラダにしてあげるから!」


(…大丈夫かなこの人…)




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