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第7話





 


「……おっも」


 


そう呟く翠に振り向きながら、通りすがりの子どもが物珍しそうに彼女の後ろ姿を眺めていた。


少女。

ピンクサングラス。

両手に一振りの鍬。


筋肉店主が無償で譲った“原初の鍬”を握りしめたまま、翠は街の通りをふらふらと歩いていた。


 


「……いや、重くはないのよ? 重さにはもう慣れてるの。ほら、農業高校でいろいろ担いでたし……ただ……」


「うん?」


「精神的に重いんだよね、この鍬」


「なんで?」


「だってこれ、“伝説”って言われてたんだよ?!別にそんな大層なものを手に入れるつもりはなかったんだけど、“お前にこの鍬を託す!!”的な感じで気合十分に引き渡されても……」


 


しょんぼりしながら鍬の柄を撫でる翠。

だがその表情は、確実に数時間前よりも晴れやかだった。


鍬に“命名”でもしてやろうかと思うくらいには。


 


「……でもさ、やっぱり思ったんだよね」


「なにを?」


「農業って、土と向き合ってる時間が一番“自分”になれるというか。なんか、落ち着くんだよね。変化はゆっくりだし、力を入れてもすぐには答えが返ってこない。だけど、それが逆にいいんだよ」

 

「…ふーん」


「で、耕すだけ耕して、ジャガイモ植えて、放置して、芽が出て、茎が伸びて、花が咲いて、枯れて、掘って、ゴロッと出てきたら“勝ち”。これがいい。たまんないよ」

 

 


そんな翠の熱量を横目に、ピルカ(※正しくは魂)は尾をふわふわ揺らしながら説明を始めた。


 


「テルファル郊外って呼ばれてるこの辺りはね、もともと“魔力汚染”を避けて暮らしてきた人々の土地だったんだ」


「魔力汚染?」


「大陸によっては、魔力を使いすぎて地盤が崩壊しかけてる地域もあるから……このあたりは、そういう影響を嫌って、“自然派”の人が多いんだよ。機械も少ないし、魔術式の道具も控えめ」


「うわ、めちゃくちゃ私向き」


「で、君が使ってる“ピンクキャット・ミミー”って名義。

これはもともとこの地方に拠点を持つギルド“スレイアンズ”に所属してる名前なんだけど……」


「スレイアンズ……?」


「魔獣討伐を専門にしてる、戦闘職系ギルド。テルファルの南にある“トルス自治区”が本部で、国際ライセンスもある大手。まぁ、ミミー名義で登録されてる情報は“単独で魔王の使いを討った”とか、“片手で山を崩した”とか色々あるけど、そこはフィクションだよねきっと」


「フィクションじゃなかったら困る」


 


道を歩きながら、街の景観が少しずつ変わっていく。


石畳の道は苔むして、ところどころに花の鉢が並ぶ。

民家の窓からはパンの香ばしい香りが漂い、物干し竿にかかった洗濯物が風に揺れていた。


 


「……あ、あれ、見て。屋根の上、猫……じゃない」


「ああ、あれは“モミィル”っていう種族。耳と尻尾は猫だけど、空を歩けるの。

軽い重力魔法をかけてるから、屋根の上が一番風通しが良いんだって」


「ええええ、空中お昼寝種族……羨ましすぎる……!」


 


人々の服装は民族調と近代風が混ざっていて、色とりどりの刺繍が施されている。

魔法を使える種族と使えない種族が、当たり前のように共存している様子が印象的だった。


 


翠は、まるで旅先の市場を歩いている観光客のように、目をきょろきょろさせながら歩く。


 


「建物が全部、絵本みたい……」


「でしょ? しかも建物の中には“世界の見聞録”とか“世界貴族の収集品”が隠されてる場所も多いんだよ。ギルド公認の“記録収集家”もこの街には多いし」


「ギルドって戦闘だけじゃないんだね」


「うん。地域の発展や、魔物の調査、文化財の保護も仕事のひとつ。農業もその対象になりうるよ」


「農業が文化財に格上げされる世界って、好きすぎるんだけど……」


 


そんな話をしているうちに、目の前に広がったのは、市場だった。


 


広場には、色とりどりのテントが張られ、果物、野菜、布地、香辛料、乾物、干し肉、薬草、木工品、占いの店にペット販売所まで、ありとあらゆるものが溢れていた。


 


「わぁ……!」


「ここがテルファルの“サン・マルシェ”。この地方最大の市。週に一度、東方から西方の商人まで集まってくるよ」


「うわああ、これ、なんか“世界”って感じする!」


 


翠は鍬を片手に、すでに目を輝かせていた。


これから始まる、異世界の買い出し。

だが、ただのショッピングに終わらないのがこの物語。


次に出会うのは、ちょっとクセの強すぎる種売り。

そして、鍬に名前をつけるという、“人生で一番どうでもよさそうで尊い瞬間”が、いま始まろうとしていた——。





 


「やだぁ……見てぇ……見てこれぇ……にんじんが丸いのぉ……!」


「……さっきから誰に話してるの、君?」


「ピルカだよッ!? どう見てもピルカ以外いないでしょ!? というかちょっと聞いてこれ見て、ラディッシュ! 世界が認めた赤! まんまるフォルムにピンクがかったグラデーション、愛おしすぎて泣きそうなんだけど!!」


 


――というわけで。


 


「いったい何が起きてるのかよくわからない」とピルカが言い出すくらいには、翠はテンションの針が振り切れていた。


まるでゾンビが新鮮な脳みそを見つけたかのような眼差しで、野菜コーナーを徘徊している。


 


「ほら、これはカリフラワーの“ドラゴン種”! 火山地帯でも育つんだって!

こっちは“タマタマトマト”。実が4つ連なってるの、わかる!? 小学校の家庭菜園で育てたことあるんだよね。あ、もちろん似てるだけだよ??私の世界では”プチトマト“って言うんだけどね?……あぁ、懐かしすぎて逆に泣きそう!」


「君の感情、ジェットコースターすぎない?」


 


翠の心は、完全に“地球の畑モード”に突入していた。


目当ての野菜は、夏野菜たち。ジャガイモ、トマト、きゅうり、なす、ししとう、そしてズッキーニ。

さらには紫蘇に枝豆、もはやおばあちゃん家の畑である。


 


「いいか、ピルカ。畑というのは魂だ。風土に根ざした食文化の交差点であり、人と自然の対話の場なのだ」


「語りが急に教科書的……?」


「見てくれよこの種袋のデザイン! 紙製だよ!? 魔法で光るとか、そういうトリック一切なし! この世界にもまだこんな……こんな地に足の着いたアナログが残ってたなんて……ッ!」


「それ褒めてるの? ディスってるの?」


 


興奮冷めやらぬ翠の隣で、ピルカはどこか浮かない表情だった。


 


「……でもさ、せっかく違う世界に来てるんだし、もっと面白い種とか買ってみたらどう?」


「……たとえば?」


「これなんてどう?」


 


ピルカがひょいと持ってきた種袋には、“ドゥルル草”と書かれていた。

説明書きには、「生育速度は遅いが、育てると周囲三十メートルを完全に包み込むほどの大樹に変化。根は十年生き、枝からは光を吸収して空気を清浄化する」とある。


 


「いや、近所迷惑!!」


「じゃあこれは? “メテオ瓜”。実ると空から隕石みたいに大きな瓜が落ちてくるよ」

 

「何の災害だよ!? しかも“隕石みたい”って何!? ……もちろん比喩だよね?そうだよね??」


 


ピルカはどこからか「凶暴化するサボテン」や「人語を話すセロリ」、「歩くニラ(しかも夜行性)」などを次々と差し出してきた。


 


翠はツッコミ疲れて、とうとう膝から崩れ落ちる。


 


「お願い……普通のジャガイモに戻ってきて……」


「あ、あるよ。あそこ。すごく地味なコーナーに追いやられてるけど」


 


指差す先にあったのは、“庶民のための野菜シリーズ”と書かれた棚。

そこにはジャガイモ、にんじん、大根、たまねぎ、白菜、えんどう豆、あとはごく普通の野菜たちが、きちんと並んでいた。


 


――そして、そこにあった。


 


「……この……このフォルム……!」


 


目にした瞬間、翠は息を呑んだ。


艶やかな皮。ややふっくらした体型。

そっと手にとって裏面を見れば、種芋は栄養たっぷりの培養土に包まれており、明らかに丁寧に育てられているのがわかる。


 


「……これだよ。私が探してたのは……これなんだよ……!」


「すごい感動してるけど、たぶん誰も理解できないと思う」


「ピルカ、これは“人生”だよ」


「もうなに言ってるのかわかんないよ君」


 


翠は、その種芋の袋を抱きしめるように胸にぎゅっと押し当てた。


まるで恋人に出会ったかのような表情で、ひとこと呟く。


 


「やっぱりジャガイモ……最高だね……」


 


こうして、ジャガイモの種をはじめ、懐かしの野菜たちをひと通り購入した翠。


市場のざわめきの中、ひとりだけ季節外れの夏を抱きしめる少女がいた。


 


鍬は背中に。種は両手に。サングラスは、輝くピンク。


世界一オーバースペックな魔術師による、地味で派手な農業生活は、着々と前に進んでいるのであった。

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