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第6話



 


「……うわ、ホントにあった。農具屋が……」


 


翠は思わず感嘆の声を上げた。

目の前に立っていたのは、朽ちかけた木製の看板。その表面にはでかでかと、《農耕戦士ギルマンの店》と書かれている。


ピルカは“思念体“として彼女の後についてきていた。


思念体というと変に聞こえるかも知れないが、ようするに”ガイド”だ。


ピルカとモルガンはどんなに離れていても意識レベルで通信が可能。つまりいちいち本体がついていかなくても、24時間常にそばにいることができる“ガイド兼パートナー=歩くWiFi”になれるのだ!(※ピルカ談)


 


「字面からして、すでに農具に命を懸けてる感じあるね……」 


「ちなみに、あの店主、戦時中に鍬でドラゴンを倒した伝説があるよ」

 

「鍬の武勇伝がもう意味不明なんよ!!」


 


そう、ここは農具と農業知識の聖地《テルファル郊外》。

鍬の切れ味が神話級で、鍬一本で傭兵を撃退した村人が実在する異常空間。


 


そしてそんな場所に今、翠はジャガイモ片手に突入しようとしていた——が。


 


「……ん? ねえ、ピルカ」 


「ん〜?」


「……この世界って、“お金”とかいる?」


「…………」


 


ピルカはしばし沈黙し、ゆっくりと口を開いた。


 


「もしかして……持ってきてない?」


「しっまったあああああああ!!!!!」


 


翠はジャガイモを抱きしめたまま、地面にひっくり返った。

サングラスは斜め、口は「3」の字、髪の毛は若干ボサついている。


 


「私ったらこの世界で生活していく覚悟を決めたわりに、サバイバル要素ゼロだった!!」 


「……いや、でもまあ、一応モルガン様の名義で“経済的な準備”はしてあるよ?」


「えっ、どういうこと?」


 


ピルカはしっぽで器用にポーチを開けると、中から一枚のカードを取り出した。

薄桃色の金属製で、表面にはこう書かれていた。


 


 


【冒険者ギルドカード】

名義:ピンクキャット・ミミー

等級:SS級

職業:ソードマスター(たぶん)

顔写真:ピンク髪の猫耳付きモルガン(ドヤ顔)


 


 


「……待って。なんか……情報がカオスなんだけど?」


「いや、これもモルガン様の活動記録のひとつ。“世界各地に百の名義を持つ者”っていうあだ名まであるし。

ちなみにこの“ピンクキャット・ミミー”って名義では、5年前に北方の国境を一人で守り抜いた戦士って伝説になってる」


「いやそれはそれでスゴすぎて困るけど、名前がダサすぎる!! どうして誰も止めなかったの!?」


「だって……モルガン様が“かわいい名前でいきたい”って……」


「※ギルドの伝説級戦士にふさわしくありません※」


 


ピルカは気まずそうにそっぽを向いたが、カードは本物らしく、裏面にはちゃんとしたステータスとマークが刻まれていた。

ギルドマスター承認印、指紋認証、魔力認識、そして“購入上限なし”という文字。


 


「……これ、何に使えるの?」


「ギルド系列の店舗、指定市街地、国家認定商会では全部使えるよ。“信用と実績が保証された購入権限”ってやつ。戦闘実績や魔力供給能力がSS級であることの証明でもあるから、逆に一部の王族より通用する場合もあるよ」 


「…………普通にすごくない?」


 


翠は顔を引きつらせながら、カードを見つめた。

この世界の貨幣は、金貨、銀貨、銅貨を基準にする古典的な硬貨制度らしいが、ギルドカードは別枠だ。


いわばクレジットカード、通称 《ギルカ》。

しかもこの“ピンクキャット・ミミー”名義のギルカは、国家級案件に対する報酬履歴も残っており、使用限度額がほぼ無制限だという。


 


「……え、これで農具買っていいの?」 


「うん。“ドラゴンの群れを片手で殲滅した伝説のソードマスター”の名義で」


「その人、農業好きすぎて鍬でドラゴン倒しそうなんだけど!!」


 


翠はついに観念した。


自分が引き継いだこの体は、やはり只者ではない。

ピンクキャットだろうがソードマスターだろうが、もう気にしてる場合じゃない。


 


「……よし。なら、この名義を借りてでも、最高の農具を揃えてやろうじゃないの」


 


サングラスをくいっと上げ、カードを懐にしまい込む。


 


「私が“ピンクキャット・ミミー”だ」 


「……やだ、めちゃくちゃ似合ってる……!」 


「似合ってないわ!!」


 


ドタバタしつつも、翠は覚悟を決めた。

本格的な農業スローライフは、まず農具から。


世界最強の魔力を持ち、ギルド最高ランクの名義を持ち、

そして今日、人生で初めて“鍬”を買いに来た最強魔術師。


最強なのか変人なのか、もうなんだかよく分からない。


 


「さあ行こう。……農具屋、突撃だ!!」





 


ガチャリ。


 


音を立てて開いたドアの先には、ひとつの小さな宇宙が広がっていた。


 


いや、宇宙というより——筋肉。


 


「……え?」


 


天井からぶら下がるのは鉄製の鎖。壁には年代物の工具と、刃物らしき農具がずらり。

所狭しと並んだ陳列棚には、鍬、スコップ、鎌、唐鍬、魔力式の播種機(?)まで、どれもこれもとにかく無骨。どれもこれもゴツい。

そして店の奥からは、異様に太い腕のような何かが、にゅっと現れた。


 


「……いらっしゃい」


 


出てきたのは、胸板だけで農具棚を破壊しそうな、スキンヘッドの男。

エプロンのロゴは《鋼鉄魂農具店》。前掛けに焼印された“筋肉肥料推奨”の文字が、ただただ恐ろしい。


 


「…………え、ここ鍛冶屋じゃないの?」


「ちがう。農具屋」


「農具屋がなんでそんなグラディエーターみたいな体してるの?」


「農具振るには体幹が要る」


「プロ意識重すぎんか!?」


 


翠はうっすら涙目になりながら、店内を歩き始めた。

とにかく鍬を、普通の鍬を買う。それだけのために来たんだ。深呼吸。サングラスを整える。


 


(大丈夫、相手はただの農具屋……見た目がゴリラにしか見えないだけ……!)


 


棚に並んだ鍬の数々は、一見どれも鍬っぽい……のだが、よく見ると異常なデザインのオンパレードだった。


 


・柄の先に宝石が埋め込まれ、触れると“炎属性”に切り替わる鍬

・土に刺すと自動で土壌分析を開始し、光と音で通知する鍬

・背後からレーザーサイトが展開し、耕すべき地表ラインを自動で表示する鍬

・地面に刺すと近くのミミズが“土壌評価コメント”を囁いてくる鍬(恐怖)


 


「なんでこんな中二病みたいな農具しかないの!?」


「中二ではない。中級魔術対応農機だ」


「魔術対応するな!! もっと普通の鍬でいいの!!」


 


翠はついに店主に向き直る。震える声で、しかし強く言った。


 


「……すみません、“魔力を使わない、普通の鍬”って……ありますか?」


 


その瞬間だった。


 


ごう、と空気の流れが変わった。


店主の目がギラリと光る。


 


「……君、今なんて言った?」


「え?」


「“魔力を使わない鍬”が欲しいと、そう言ったのか?」


「え、あ、はい、あの、農業高校出身なので、できれば手作業ベースでやりたくてですね……」


 


沈黙。重たい空気。

翠は背筋をピンと伸ばし、両手を前で組んだ。なぜか体育会系の自己紹介が脳内に流れる。


 


(こんにちは! 畑と汗が好きです!! 体力には自信がありません!!)


 


「……ふ、ふふ……ふははははは!!」


 


突然、店主が笑い出した。


天井が揺れるかというほどの爆笑。


そして——。


 


「気に入った!!」


 


バァンッ!!


 


彼は棚を一発で吹き飛ばした。いや、棚じゃなくて“隠し扉”だったらしい。

そこから現れたのは、しんと静まり返った、小さなショーケース。


 


中にはただ一振りの鍬。


柄は木製、刃も鉄製。どこからどう見ても、ただの“ふつうの鍬”。


 


「これは“原初の鍬”……伝説の職人が、魔法も文明もなかった時代に、ただ土を耕すためだけに作ったという、真の農具だ」


「……それ、ちょっと盛ってない!?」


「安心しろ。盛ってない。伝説級だが、ただの鍬だ」


「伝説級なのにただの鍬……?」


「そう。だがこの鍬は、鍬の理想形を極めた一振り。魔力に頼らず、己の腕と信念だけで畑を拓こうとする者にだけ、その柄を預ける。つまり——」


「つまり……?」


「——気合で掘れ」


「説明が根性論すぎるわ!!」


 


翠は思わず頭を抱えた。


それでも、彼女の手に握られたその鍬は、なんとも手になじんだ。

柄の滑らかさ、重心のバランス、鉄の質感。どれも完璧だった。


 


「……これ、ください」


「値段はつけられん。だが、その“志”に応じて譲る」 


「……え、値段、タダ?」

 

「“ギルドカード”を見せろ」


 


翠は迷いながら、ポケットから“ピンクキャット・ミミー”のカードを取り出す。


 


店主の目が点になる。


そして。


 


「……あんた、もしかしてあの伝説の“ミミー様”なのか!?」 


「え、ちが、これはその、身内の名前でして!! 本人じゃないです!! 本人だったらサングラスじゃ済んでないです!!」


「そうか……でも、そのカードを持ってるってことは、本物の推薦を受けてるってことだ。なら……この鍬、譲るしかねえな」

 

「すごい展開だな、これ!?」


 


こうして、翠は鍬を手に入れた。


異世界に転生してから、初めて自分の手で選び、自分の意志で掴み取ったもの。


魔法も剣も使わず、ただ地面を耕すための、ひと振りの鍬。


 


「よーし、次は種だね!行くよー!」


「いや、ちょっと待ってピルカ!? 鍬だけじゃなくてスコップとかも見ていきたいし!!」


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