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第4話



 


「ピルカ。話がある」


 


私は朝の光が差し込むリビングで、コーヒー牛乳片手に静かに言った。

テーブルに腰かけ、目の前には丸型ピンクサングラス、そして愛しのジャガイモ。


向かいには、クッションの上でくつろぐピルカ。

彼はしっぽをくねらせながら、眠そうにまばたきしている。


 


「……うん? どうしたの?」


「授業を始めます」


「え?」


 


私は立ち上がると、棚から取り出したのは——


・使い古された石板(料理レシピの裏)

・細長い炭(暖炉から拾った)

・大きな白布テーブルクロス


 


「ここに教えてもらおうじゃないの、あなたの知ってる限りをね!」


「なにその昭和の小学校感」


「わたし、現状まったくの無知です!

この世界の地理も文化も、“最強の魔術師モルガン”の正体すらあやふや! どうして私がここにいて、なぜピンクのサングラスが似合いすぎるのか、それすらわかってません!」


「最後関係ないよね!? サングラスの件は君の顔面偏差値の問題でしょ!」


 


私はテーブルクロスをばさりと広げ、石板をコツンと置いた。

チョーク代わりの炭を握りしめ、厳かに言う。


 


「まず……モルガンについて。その正体は!? 何者!? 血液型は!? 好きな野菜はジャガイモですか!?」


「個人情報なのでお答えできません」


「社会人かおまえ!!」


「職場の守秘義務ってやつ。ほら、機密漏洩で人事から呼び出されるやつ」


 


社会人ムーブすぎてもう何も言えない。

というか、この世界に“人事”って存在してるの? 魔導師業界って意外とホワイトなの? 福利厚生あるの?


 


「……じゃあいいよ。モルガンについてはひとまず保留。次、この世界について。地図! 地理! 島の位置関係! 主要都市! 交通機関!」


「OK、そっちは話せるよ〜」


 


ピルカはテーブルクロスの中央にぽんと乗ると、前足の爪先でくるくると魔力を描いた。

すると、布の上に光の線で構成された世界地図が浮かび上がった。


 


「おぉぉぉ……魔法パワー……便利ぃ……」


「はい注目〜。まず、世界には五大陸があるよ。

北から順に、“ユーヴァ大陸”“カスティル大陸”“イランバ大陸”“フレグラント大陸”“リュミエール大陸”。そして、ここ——この小さな浮島みたいなところが、“モルガン邸がある孤島”。」


「浮島!? えっ、ここ……浮いてるの!?」


「地上からは見えない仕様だからね。ほら、一般人に“家の形してる雲”とか思われたら迷惑じゃん?」


 


その発想がすでに発想の次元を超えてる。


 


「ちなみに各大陸にはそれぞれ国家が存在していて、言語や種族文化もバラバラ。ただ、共通してるのは——“月の涙”に備えてるってこと」

  

「……つきの、なみだ?」


 

ぽかん、と口が開いた。


言葉の意味は知ってるけど、それがこの世界で何か特別なものを指しているなんて想像もしてなかった。

むしろ、なんかファンタジー系ポエムかなって思った。え、もしかして祭りの名前? 伝説のラブレター?(※違います)


 


「…まあ、説明すると長くなるんだけどね」


 


ピルカが困ったように頭を傾ける。


 


「だいたい、“月が泣く”ってどういうこと?

え、なに? 月に感情あるの? 満ち欠けだけじゃ飽き足らず、涙腺まで搭載してんの?」


「……ややこしいから、1から説明するよ」


 


ピルカは小さくうなずくと、再びしっぽでくるりとテーブルクロスの上をなぞった。

すると先ほどの地図に、ふわりと銀色の球体が浮かび上がる——月だ。


 


「“月の涙”っていうのは、この世界の最大級の天災であり、世界の記憶でもある。

ざっくり言えば——数十年に一度、空から“魔物”が降ってくる現象なんだ」


「魔物が……落ちてくる……?」


「うん。しかも、大量に、ドサァって。青白い液体に包まれて、空から降ってくるんだよ」


 


思わずジャガイモをぎゅっと握りしめた。想像以上にホラー寄りだった。


 


「それが“月の涙”。正確な周期はまだ誰にも分かってないけど、およそ五十年〜七十年に一度、突如発生するって言われてる。

空に異変が起きて、巨大な月がうっすらと青く輝き始めて……そして夜空が裂ける」


「……裂けるって、物理的に?」


「そう。バリィィって。世界中の空に、“光の筋”みたいな裂け目が出現して、そこから魔物がびゅーんって落ちてくるの」


「びゅーんって軽いな!? もうちょっと絶望感出してよ!」


 


ピルカはしっぽで魔法図形を描くように回転させながら、説明を続けた。


 


「昔の記録によると、“月の涙”が一度起きただけで、一大陸がまるごと壊滅したこともあるらしい。

だからどの国も、どの種族も、“備え”だけは怠らない。そうやって数百年かけて、ようやく今の平和があるわけ」


「魔物って、どんなのが降ってくるの?」 


「それがまた……バラバラなんだよね。

巨大なものもいれば、目に見えない霧状のやつもいるし、まれに言葉をしゃべる“知性体”もいるって報告がある。

共通してるのは、“すごく強くて、すごく嫌われる”ってことくらいかな」


 


翠は軽く頭を抱えた。

もう少しで「うちのクラスにもいたわ、そういうやつ」って言いそうだった。


 


「あと、降ってきた魔物が地表にぶつかると、巨大なクレーターができる。

さっき見たでしょ? あの丘の向こうに、でっかいやつ」 


「あれ、月の涙の……跡?」


「そう。数十年前のやつ。正式名称は《ノアの口》。

この島には一部しか降ってこなかったけど、それでも落下の衝撃波が凄くて、地形がゆがんだくらいにはヤバかったっていう話」


 


翠は改めて窓の外を見た。

遠くに広がる大地の、その奥にぽっかりと空いた、黒く深い穴。


あれはただの自然現象じゃなくて、世界の歴史が刻まれた“爪痕”だったのだ。


 


「……え、ちょっと待って? それってつまり……そのうちまた降ってくるってこと……?」


「そうだね。今は沈黙の時代だけど、あと数十年か、数年後か——明日かもしれない」


「明日ぉ!?」


 


翠はジャガイモをダイレクトに口に運びかけた。

(落ち着け私、ここで取り乱すな。芋の素朴さで己を鎮めろ……!)


 


「でも、今はそこまで心配しなくてもいいよ。君には“モルガン様の体”がある。

この世界でそれを脅かす存在は、そう簡単には現れない」


「それってつまり、私がこの世界最強ってこと!?」


「ま、正確に言えば、“地形レベルでぶっ壊せる力を持った農業希望女子”ってことだけどね」


「説明文に破壊神混ざってるぅぅ!!」


 


翠は絶叫しながら、ついにジャガイモをむしゃむしゃかじり始めた。

泣きながら味わう芋は、どうしてこんなにも素朴で、そしておいしいのか。


 


月が泣こうと、空が裂けようと、このジャガイモがある限り、私は大丈夫な気がした——


……たぶん。




「よし……もう一回、卵焼きで現実に帰ってこよう」



翠は決意したように立ち上がった。

両手には未完食のジャガイモ。心の中は未消化の「月の涙」。


 


空が裂けて魔物が降ってくる?

クレーターが世界各地に開いてる?

それを数十年おきにみんなで「うん、またか〜」って迎えてる??


 


「そんなの、わたしの知ってる日常じゃない……!」


 


目の前のピルカは「ふーん」と言いながら毛づくろい中。

いや、君が悪いわけじゃないけども、ちょっとくらいパニックになってくれてもいいんじゃない?!


 


「こういう時は……卵焼きだ。家庭料理ナンバーワンの座に君臨するあの黄金色のスクランブル……じゃない方!」


 


卵焼き。それは日常。安定。庶民のヒーリング。

カオスな世界で心を整えるための儀式——そう、心のインフラだ。


 


「ということで、台所、借りるよ!!」


「ごゆっくり〜」


 


リビングを出て廊下を曲がると、すぐに広めのキッチンスペースが現れた。

想像以上に……いや、異世界にしては驚くほど“生活感”がある。


 


「え、これ、普通に……戸棚!? 調味料!? あれ、シンク!? てかこの換気扇っぽいやつ、なに!?」


「それ、風属性の魔法換気器。回せば空気が上昇してくよ。あ、火使うときは点火石忘れずにね」


「あぁぁ、火は魔法じゃないのか……!」


 


目の前に並んだ鍋や包丁は、どれも少し独特な形状をしていた。

曲がってるものもあれば、刃が二重になっている包丁も。火口は“炎石”と呼ばれるマナを蓄積した石のスロット付きで、点火するとジワッと熱が広がっていく仕組みらしい。


 


「この……なんだろう。“文明レベルがチグハグ”な感じ、すごく懐かしいというか……中学の技術家庭の授業を思い出すなあ……」


「モルガン様、魔法だけの生活が不便すぎて、ちょくちょく異世界に出張してたからね。

そのたびに色んな便利道具を“お持ち帰り”して、ここに集めてたの」


「え、それ……立派な密輸では?」


「いや、むしろ次元間民芸品コレクターって言ってた。本人談だけど」


 


テーブルの上には、明らかにアジア圏っぽい陶器と、北欧っぽいランチョンマット、横にはアメリカン・ダイナーに置いてありそうなケチャップ瓶が並んでいる。

なんなんだこの空間……ミュージアムカフェの裏ルート感がすごい。


 


「まあ、そんな経緯で、この家の台所はどの世界の料理にも対応できるようになってるんだよね」


「それ……便利だけど、同時にちょっと混沌を感じるよ?」


 


翠は卵が入った籠を見つけると、そっと2つ手に取った。

形も色も地球の卵とほぼ同じで、香りも違和感はない。魔物の卵とかじゃないよね?と念のため確認。


 


「それ、“アヴァリア鶏”の卵。高原地帯でのびのび育った有機魔力鶏だよ。栄養価バッチリ」


「有機魔力鶏ってなに!? 名前だけ聞くと強そう!」


 


とりあえず卵を割って、小鉢でよく溶き、少量の砂糖と出汁(らしき液体)を加える。

火口に“炎石”をカチンとセットして火を点けると、柔らかく橙色の炎が灯った。


 


「おぉ〜〜〜……なんか焚き火みたいで、ちょっと落ち着くなぁ……」


 


玉子焼き用の角フライパンは、少し古びた青銅製。

ピルカが「それ、“モルガン様が異世界の京都で買ったやつ”って言ってた」と誇らしげに語る。


 


「異世界の京都て……もしかして、うちの世界じゃない?」


「地球ではないよ。でも、そういった方がわかりやすいでしょ?宇宙には地球の文化と似たような星がたくさんあるんだ。モルガン様はつい最近まで、カリオストロっていう星の“喫茶文化”と“だし文化”にハマってたんだ。家庭的な料理をマスターするとかなんとか言ってたよ?そういう意味じゃ、君と意外と気が合うかもね」


「いやだから勝手に体交換したんだろうけど!?」


 


じゅわああ……という香ばしい音とともに、卵液がフライパンで静かに広がる。

慎重に巻いていきながら、翠は心のなかで何度も深呼吸した。


 


月の涙。魔物。魔術師モルガン。結界。浮島。ドアでワープ。カリオストロ。


 


どれも現実感のない単語ばかりだけど、この卵焼きの匂いと、ジュウジュウいう音だけは間違いなく“日常”の記憶に繋がっている。


 


「……できた」


 


翠はお皿に盛り付けると、にっこりと笑った。

黄金色の層が、ふんわりと重なって、ふっくらとした卵焼き。


 


「さあて、世界の理はよく分かんないけど、今日も私は朝ごはんから始めよう」


「よっ、大魔術師のスローライフ!」


「その二語、組み合わせたらいけないと思うんだ……!」


 


食卓に並んだ朝食は、異世界製の器に盛られた卵焼きと、魔法で湧いた湧き水を使ったスープ。

そこにジャガイモの素揚げ(もはや中毒)が添えられている。


 


世界がどうであれ、このひとときがある限り、翠の心はまだ大丈夫だった。


 


——たぶん、ね。

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