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篠原第二中学校バドミントン部(短編版)

作者: 六野みさお

 前方の歩行者用青信号が点滅を始め、鹿島照人かしまてるとは前を走る野々村哲郎ののむらてつろうに続いて自転車のスピードを上げた。横断歩道を渡りながら振り向くと、後方から濃い灰色の雨雲が追いかけてきている。照人と哲郎は住宅街の向こうに目的地の体育館を見つけて、顔を見合わせて互いに微笑し、雨が降り始める前に着くことを確信した。ここからは少なくとも反対向きの交通量が多いポイントはないので、哲郎はわざと減速して照人に並んだ。


 人口五万人ほどの小さな市の中心部であるこのあたりだが、決して都会というにはほど遠く、体育館のまわりにある市民公園と銘打った大きなスペースは市の緩やかな衰退が進行していることを示している。照人と哲郎は少なくとも自転車で来れる距離の生徒たちには十分なスペースがある駐輪場に自転車を置き、バックパックに突っ込んだラケットを揺らしながら体育館に入った。外履きを体育館シューズに履き替え、ロビーを抜けて階段を上り、二階の観客席のいつもの場所に向かうと、部長がいつものようにストレッチをしているところが見えた。


「おはようございます、七瀬ななせ部長。今日も気合いが入ってますね」


 照人が二人を代表して挨拶すると、七瀬は待ち望んでいたように振り返った。


「おっ、我らがエースのお出ましだな。前の大会でシングルス県ベスト4に入った鹿島がいれば、少なくとも市大会では団体戦の優勝は間違いなしだ。よろしく頼むぞ」

「やめてくださいよ部長。僕たちの普段の対戦成績は拮抗しているじゃないですか。三年生なのですし、部長がわが部のエースですよ。部長は前の大会では当たりが悪かっただけです」

「当たりの悪さも実力のうちなんだよ。それに鹿島は前の大会ではちゃんとシードを倒してのベスト4じゃないか。俺もシードを倒せばベスト4になれていたのだから、それができなかった俺が悪いんだ」

「あのシードを倒すのは無理ですよ部長。なにしろ、第一シードの橋本はしもとは二年生にして全国ベスト8の強豪なのですから。わが県の中学バドミントン界隈でこれ以上の不運はないですよ」

「そうだといいんだが。俺はこの総体で引退なのだから、最後になんとかベスト4以上に行きたいのだけどな。まあいい、次期部長の鹿島、一緒に一年生が練習しているのでも観察しようぜ。どうだい、有望なのはいるかい?」


 七瀬と照人は観客席の最前列の手すりにもたれて、ちょうど下のコートで練習している一年生たちの観察を始めた。


「やはり高岡たかおかが頭一つ抜けていますね。スピード、スイングの滑らかさ、そして何より敵の裏をかく配球がうまい」

「だな、あいつの勝負への嗅覚は天性のものがある。やはり小学一年生からバドミントンをやっているだけあるな」

「部長が団体戦のメンバーに選んだのも納得です。市大会のうちに一回は実戦に出して、経験を積ませるべきでしょう」

「まったくだ。特に一年のうちは、小学校からの経験者しか現実的には使い物にならないからな。もちろん二年生以降は、野々村のようにかなり強くなるのも出てくるが」


 七瀬と照人の後ろに立っていた哲郎は、急に自分について触れられて少し戸惑ったようだったが、すぐに気を取り直して「ありがとうございます。それでも僕は二人に比べるとまだまだですが」と謙遜した。


「いやいや、野々村は自分の伸びを過小評価しているよ。いわゆる中学組が前の大会で県大会に進むとは、なかなかない快挙だぜ。今はまだ経験者たちには及ばないかもしれないが、真面目に頑張れば県大会上位も夢じゃないぞ……おーい一年たち、そろそろ交代するぞ!」


 照人と哲郎は七瀬に続いて階段を下り、一年生たちと交代して自分たちに割り当てられたコートへと向かう。


「鹿島、市内の他の中学で有望な一年生を知っているか?」

「一中の北島きたじまくらいでしょう。あとはこの春から始めたか、小学校時代はうだつが上がらなかった奴ばかりです。すぐに県大会への枠を脅かすレベルはいないかと」

「うん、俺もそう思っていたところだ。それなら我々二中はダブルス・シングルスともに過半数の枠は固い。我々は今年も市大会において支配的であれそうだ」

「何を当たり前のことを言っているのですか。篠原二中は県内でも有数の強豪校でしょう、これくらいは当然のことです」

「まったく、鹿島は自信家だな。他の中学が聞いたらどれだけ嫉妬することか……伏兵にジャイキリを食らうなよ?」


 七瀬はコートに転がっていた羽根シャトルを拾うと、大きく振りかぶってネットの向こうに回った照人にロングサーブを打ち出した。照人は軽く七瀬の後方に打ち返し、しばらくウォーミングアップ代わりの清算打クリアーの応酬が続く。この大会のためだけに提供された新品の羽根が、高い軌道を描いて二人の間を往復する。


「いくぞ!」


 七瀬は掛け声とともに背中を大きくのけぞらせ、スマッシュを打ち込んだ。照人は簡単にレシーブし、再び後方に七瀬を下がらせる。練習効率のため七瀬と照人はコートの半分しか使わずにやっているから、この打ち合いはどうしても守備側が有利になる。羽根が往復すること十回余り、ついに七瀬のスマッシュがネットに掛かった。


「さすがだな、攻守交代だ!」


 七瀬は次は照人を攻めさせようとロングサーブを打とうとしたが、まさに七瀬の手から羽根が離れようとしたその瞬間、七瀬は石化されたかのように固まってしまった。


「嘘だろ……なんで、あいつが、そんな……そんなわけがない……」

「……? どうしましたか部長?」

「照人、あれを見ろ!」

「あっ、あいつは!?」


 照人が七瀬が呆然と見つめる先を振り向くと、そこには篠原市にはまずいるわけがない人物がいたのである。


橋本翔羽はしもとかける……どうしてここに!?」


 二年生にして全国ベスト8に入った県覇者・橋本翔羽は篠原市とは遠い西部の市の中学校に所属していたはずであり、間違っても篠原市大会に現れるはずがない。それなのに、橋本翔羽は確かにそこにいた。県大会で何度もその実力を目の当たりにしてきた七瀬と照人が見間違えるわけがない。


「なあ鹿島、俺は夢を見てるんじゃないだろうな?」

「頬でもつねってみればどうですか……確かに現実ですよ、これは。でも、僕も意味が分かりません。なぜ橋本翔羽が篠原市に……しかも大野中学なんかに?」

「そこだよ。まったく意味が理解できない。あいつがわざわざ大野中なんかに来て、何のメリットがあるというんだ?」


 大野中は一学年が男女合わせて二十人に満たないような田舎の小規模校であり、団体戦のメンバーが揃っていることが不思議なほどである。特に腕の立つ者がいるというわけでもなく、残念ながら篠原市で最も弱いといっても過言ではない。


「ちょっと、何見とれてんのよ男子!」


 上の観客席から甲高い声が飛んできた。


「待ってくれ木曾きそ、これは緊急事態なんだ!」


 七瀬が慌てて叫び返す。木曾叶きそかなえは篠原二中バドミントン部の女子部長である。彼女もまた県大会で上位を争う実力者である。


「あんたらが突っ立ってる間に時間は過ぎていくのよ。何もしないなら早くコートを明け渡してちょうだい」

「わかった、俺たちも早くそうしたいと思っていたところだ。さあ、お前ら、撤収!」


 七瀬と照人がコートを離れ、他の部員たちもそれに続いた。なお、照人がちらりと見たとき、篠原二中にまともに打ち合っている部員はおらず、全員が本当に橋本翔羽を眺めていた。他のコートを見ても、自分の練習に集中している生徒はほぼおらず、橋本翔羽は全方位から大注目を受けていた。七瀬たちが階段にさしかかったとき、ちょうど階段を下りてくる木曾とその後ろに続く女子部員たちと鉢合わせた。


「大変なことになってしまったようね」

「おい木曾、なんだよその落ち着きようは。……まさか、何か知っているのか?」


 いくら女子だからとはいえ橋本翔羽が突然大野中生になったことの重大さを知らないわけがない木曾が意外と平然としているのを見て、七瀬は疑惑の目を向ける。


「私も特に聞いているわけではないけど……でも、ひとつ言えるとすれば、橋本の父親が見当たらないわね」

「確かに橋本の父親は現役時代はよく知られた強豪で、橋本翔羽が小さい頃から精力的に指導していて、試合となれば必ず応援に来ていたものだが……それがどうしたというんだ?」

「まさにそこよ。なぜ橋本があえて転校し、弱小校でバドミントンをすることになっているのかを考えてみなさい。おおかた家庭の事情しか考えられないでしょう?」

「まさか、親が離婚でもしたというのか? だが、あれだけ橋本翔羽の育成に力を注いでいた橋本父が、橋本の親権を手放すわけがないぞ」

「おおかた橋本父は不倫でもしたのでしょう。七瀬、これはチャンスよ」

「何がだよ」

「橋本翔羽は家庭的問題でメンタルをやられているわ。今なら勝てるかもしれないでしょ」

「俺と橋本の差はそんなことでは埋まらないって。というか木曾、お前もそんな不謹慎な想像をするのはやめろ」

「ふーん、いい線行ってると思うけどなぁ。ま、大野中の知り合いに話は聞いておくわ。とにかく、橋本一人では大野中が団体戦でこちらに勝つことはできないのだから、安心していいわ。ダブルスも橋本でない方を集中攻撃すれば大丈夫よ。シングルスは……諦めなさい」

「それしかないな。どうも驚きすぎたよ、取り乱してごめんな、木曾」

「いいのよ。私も県大会覇者が急にここに現れたらああなるはずだから。でも七瀬、せめて21点のうち10点くらいは取りなさいよ!」

「無理だああああああ!」


 照人たちは木曾たちと別れて観客席に着いたが、橋本翔羽はもうコートにはおらず、大野中部長と話しながら自分たちの観客席に帰っていくところだった。拍子抜けした照人は特にすることもなくなり、なんとなく後ろの窓を見た。道で見た濃い灰色の雨雲はすでに体育館の上空に到達し、雨粒がやや古薄汚れた窓ガラスを叩き始めていた。照人は窓の外から実体のない恐怖が侵入してくるように感じた。橋本翔羽の登場は照人たちの立場を天気のように急速に不安定にさせていた。隣の哲郎が唾を飲み込む音が生徒たちの掛け声を縫って照人に届き、続いて重厚な雷鳴が照人の腹部を不吉に振動させた。

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