短編その① 変な家
男は子供の頃、今思えば変な家に住んでいた。
新築から十六年住んだ、男が生まれた時に同時に建てられた二階建ての見た目は普通の家だった。
変な、というのは昼でも夜でもその家に居ると、変わった事が起こるのだ。
外から玄関を開けて家の中へ入ると、薄っすらとだが常に何か変な匂いがした。例えるなら海の磯臭い匂い。それに混ざって、カブト虫やクワガタ虫を飼っている虫かごのような変に土臭い匂い。
勿論、玄関を見渡してもそんな匂いを発するものは一つも置いてはいない。思えば今でも嫌な匂いだ。
一階と二階を繫ぐ階段でも変な事が良くあった。階段の丁度中間地点に大きな二枠の窓があって、一年中ジジジジジジ、と大きな音が鳴っていた。昼でも、夜でも気がつくと鳴っていた。
夜、男が二階の自室で寝ていると、その階段から良く音がした。窓が出す音に混じって、トン、トン、と何かボールのような物が弾む音がした。
二階の廊下でも、変な事が良く起きていたのを思い出す。
二階には部屋が三つあって、その他にシャワールーム付きのトイレが一つあった。階段を登りきった右手にあったそのトイレには、廊下を全て映すような位置に大きな鏡があった。
トイレの扉は引き戸タイプで、不思議な事に閉めても閉めても、いつも全開になっていた。二階に上がった時、自室から出てきた時。ふと顔を上げるとその大きな鏡が見えた。
何故だか、男はその鏡が怖かった。トイレを使う時でもわざわざ一階のトイレを使うほど、怖かった。
それと、理由は分からないが虫がとにかく多かった。周りに家は沢山建っているのに、男の家だけが異様に虫が発生していた。
特段、家の中が汚れていた訳でも無く、ゴミなどが放置されていた訳でも無い。特別清潔だと言える程では無くても、家の整頓状況は一般的ではあったと思う。
夜、一人で寝ている時も変な事があった。男は良く夢を見た。夢の中で、会ったことも見たこともない知らない女が近距離でこちらをジッと見てくる夢を。
幼い頃、その夢を堪らなく恐ろしく感じた。大きくなるにつれ気にはならなくなったが、今でも偶に夢に見る。
男が十六になった時、両親が離婚した。
男は母親に連れられ、その家を出る事になった。
引っ越しが決まり、荷物を新居に移して遂に明日引っ越すとなったその夜。男はその家での最後の夜を自室で過ごしていた。
ベッドの上で寝転び色んな事があったなぁ、と幼い頃を懐かしんでいるといつしか眠りについていた。
眠っていたら、ドアを開けて誰かが部屋に入ってくる気配で目が覚める。
家族の誰かだろう、と思ってドアの方へ目線だけを向ける。しかしそこには誰もおらず、不思議に思いながらも寝直す事にした。
目を閉じた瞬間、誰かが体の上にずしんと乗ってきた。誰だ?と体を捩ろうとしたら全く動かなかった。金縛りだった。
初めての経験で恐ろしくなった男はギュッと目を閉じて、早く朝になれ、早く朝になれ、と念じながらいつしか気を失った。
朝になり、二階の一番奥にあった両親の部屋へ急いで向かう。
両親の部屋のドアを開けた瞬間、左半身だけが異様に冷たく感じるような不思議な感覚がした。
そのまま母親に今までの話をしたところ、母親はこの家に来てからというもの、毎日の様に金縛りに遭っていたのだと言う。
寝ていると、奥にあるウォークインクローゼットから這い出てくる女に毎日足を引っ張られるのだとか。
そのままその日、男は予定通り引っ越した。
後から詳しく母親に聞くと、何度か霊媒師の類に相談した事すらあったほどそういう体験をあの家でしていたらしい。
霊媒師曰く、外から家を見ただけでも分かるそうだ。二階の両親の部屋に、女が居る事が。
正直男は恐ろしく思ったが、もう行く事も無いのでその内に全て忘れていった。
しかし今、男は久しぶりに育った家の前に来ていた。
親戚に会いに来たついでに懐かしく思い、家を見に行こうと思った。
今まで話したこの家で起こった不思議な事は、男がこの家に住んでいた頃は変とすら思わなかった。
全て日常に起こる事であり、気にした事も無かった。
思い出してしまったのだ。
窓という窓全てに映る、目を弓にしたあの女の顔を見て。
了