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3 稽古

1


 森の深部 魔女の館




 ブンブン


 素振りの音が聞こえる。


「あらあら、元気なことはいいけど、また肩を痛めるよ」


「ウォン、ウォン」


 木人が呆れながらいい、犬のホクトも同意する。


 デニッシュがダイアン迷宮でブラックロータスから撤退して数日が経った。デニッシュの脱臼した右腕は固定されており、しばらくは動かすことができない。打撲などの傷はジュエルの《回復》で治った。しかし、脱臼は別物であった。肩関節脱臼は肩甲骨と上腕骨骨頭が接触を失った状態で、関節を密着している筋肉以外の関節包や関節包にも炎症を受けている状態である。肩関節は元より、主となる回旋筋腱板という四つの筋の他にも大小様々な筋肉がバランス良く重なって複雑で自由度の高い動きを可能としている。


 下手に《治癒》や《回復》でくっ付けてしまうとアライメントが崩れて元の可動域を阻害してしまう恐れがあるからだ。


 魔術があるこの世界でも基本的には、固定期間と修復期間を経て動きを見ながら、適度な《治癒》を数回に渡り期間を置いて治療していくのが一般的である。




「これは、木人殿、ずっと寝ていると体が鈍ってしまいます。それに、脱臼した右腕は固定されているので左手で型稽古みたいなものですから」


 ブンブン


 デニッシュはどこ吹く風と止める気配はない。


「ふぅー、全く、しょうがないね。それは、それはそうと、利き手ではないけど、上手いもんだねぇ。綺麗な剣筋だ」


「私の剣術指導をしていたものが編み出した訓練方なのです。利き手ではない方での、訓練は頭の刺激になるようで、改めて動作を反復することで、さらに動きの理解を深めるようです。まあ、正直、私には身になっているのかどうか分からないのですが」


「漠然と訓練するよりは、目的があるのはいいことだよ」


 木人が感心しながらデニッシュの剣筋を眺める。




「おばば様、今、戻りました。アッ! また、殿下は無茶して! 」


そこに、軍に物資を補給しに行っていたジュエルと護衛のジョルジにハンチングが帰ってきた。


「ああ、皆帰って来たか」


 デニッシュが素振りをしながらいう。


「お嬢ちゃんや、この王子様にもっと言っておやりよ。確かに、脱臼した右腕は固定しているけど、あまり激しい動きは関節に良くないんだけどねぇ」


「おばば様、殿下はこう見えてかなりの負けず嫌いなんです。ダイアン迷宮で牛さんにやられたのが相当悔しいみたいですね」


「いや、私は、自分だけ気を失って皆に迷惑をかけたと……」


「殿下、おそれながら進言しますが、あの門番、漆黒魔牛は強かったです。私達も、四十階層と油断していましたが、大迷宮主並みの強さでした。ジョルジの判断の速さと、ハンチングの足止めによって難を逃れましたが、心構えが中途半端だったのは認めなくてはなりません。私たちは、三十九階層まで順調過ぎて慢心がありました。今回のことは、殿下だけでなく『銀狼』パーティーとして大いに反省すべきです」


 ジュエルの言葉に盾役のジョルジと射手のハンチングも頷いた。


「確かにジュエルのいう通りだ。ならば、その慢心した心を鍛えるためにも更に精進が必要だな」


 デニッシュの加速は止まらない。


「はぁ~、この王子様には何を言っても駄目だねぇ。どうだい、王子様、なんなら私が稽古をつけてあげようかい」


 木人が袖から指揮棒に似た杖を取り出した。


「おばば様! このような森でおばば様が魔術をお使いになれば、自然が壊れますよ。それに殿下はこう見えて剣に関しては『剣王』と呼ばれている実力者です」


 ジュエルが老体の木人を労わるようにいう。師である木人の魔術の腕は一級品であるが、ジュエルは木人の戦闘を見たことがない。弟子であるジュエルの認識では木人は、博識な癖のある老魔術師といった認識なのだ。


「ほう、それはちと老体には酷だねぇ。大丈夫さ。私も自分の庭を荒らしたくはないしねぇ。魔術は使わないであげるよ。その代わり、負けたら大人しく寝ててもらうよ。正直、余所者には早く完治して帰って欲しいんだからね。いつまでも、居座られたらたまったもんじゃないからねぇ」


 この物言いに普通であれば怒るだろう。


 だが、デニッシュに怒りはなかった。デニッシュには、分かっていたのだ。木人は魔力や気配を限りなく普通の老婆のように感じさせているが、強者特有の匂いは消せない。


「是非とも、ご指導願いたい」 


 手負いの狼は目を輝かせながら牙を出した。

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