後編
そして元就が案内されたのは、またもやエレベーター。
三人はエレベーターの入口以外の三つの壁にそれぞれ立つと、その壁に手をかざす。
すると不思議な印章が浮かび上がり、エレベーターがさらに地下に向かって動き始めた。
「お、おぉ、凄いな。秘密基地って感じだ」
「秘密基地だよ」
「そういえばそうだったね」
鋭いツッコミに、元就は思わず笑顔になる。
ユズは多分、ツッコミをしたという意識もないだろう。ただ間違いを正したという意識しかないはずだ。
だがそれこそがコミュニケーションの中では個性となる。
個人個人の当たり前は、誰一人として同じ環境で生きてきたものは居ないということを指し示す、一つの指標になるのだ。
「さあ、着いたよ」
「お、早いな」
プシュ、という相変わらずの空気圧の音がすると、エレベーターのドアが開く。
するとそこには、質素な黒電話が一つだけ置かれた、四畳半の部屋があった。
「和だなオイ!」
「和風なの、これ」
「いやなんか……。昭和?」
「そうなんだ~。モトナリもこんなの見たことあるの?」
「んー、ギリギリおじいちゃんの家で、って感じかなぁ。自分の家で使ったことはないけど、一応使い方は知ってるよ」
「そっか。じゃあ、まあ分かるかな」
ユズは畳の上に土足で上がると、そのまま電話を手に取った。
「お、ああ、まあそうか」
「ん? どうしたの?」
「いや、すまん。畳ってこう……土足はあんまり……」
「そ、そうなんだ。こういうフローリングだと思ってた」
「いやまあ、いいんだけど。こう、心理的な抵抗がな……」
元就は一人、靴を抜いてそこに上がる。
それを見て、三人も一斉に靴を脱いだ。
「別に良かったのに」
「一応ねぇ。まあここには靴だから汚いなんて概念すらないけれど」
「穢れ、ってやつ? まあウチらにもそういう宗教観みたいなの、あったほうがよさそうだもんね~」
「モトナリに合わせるよ。私たちが今一番心を学べる相手は、モトナリなんだから」
「あ、ああ。ありがとう」
マチとスウは、靴を脱いだのが恥ずかしいのか、少しだけ足を隠すように、元就から隠れるようにユズの後ろに回った。
一方ユズはそんな二人を見て、理解が出来ないとでもいうように首を傾げた。
「どうしてそんなにもじもじしてるの?」
「な、なんか、ね」
「え、ええ。うふふ、あまり人に見せたことが無いところだったなって」
「そうか。そういえば、そうだね」
ユズも自分の足をまじまじと見る。靴を脱ぐことなんて、ほとんどなかった。寝るときも、すぐに動けるようにと、履きっぱなしだったし。
そう考えると、自分ですらよく見たことのない自分の身体の部位を、モトナリにおいそれと見せてしまっている今の状況が、確かに少し恥ずかしく思えてきた。
「も、モトナリ、見ないでね」
「お、おう。ごめんな」
元就が敢て目をそらして、中空に目をやると、黒電話がりんりんと鳴る。直後、元就の視線の先に画面が映し出された。
そして老翁が映りこむ。白髪と白髭で、まるでアインシュタインかエメット・ブラウンかというような……。そう言えばこんなこと、ちょっと前にも思ったような。
「……何やっとるんじゃ、おぬしら」
「あ、あはは、博士……」
「久しぶり~、博士」
「うふふ……」
もじもじと恥ずかしそうに三人は画面に向かって声をかける。
博士と呼ばれた男は、元就が面接で会った三人のうちの一人であった。
「見ておったよ、元就君。なかなか面白い男じゃな」
「あ、はぁ、ありがとうございます」
白髭のおじいさんはそう言いながら笑って見せる。
どうやら元就は、ずっとモニタリングされていたようであった。
まあ、ログアウトが出来なかったからといって、その情報が向こうに渡っていないわけでもなかったのだろうか。
そこで一つ、重大なことに気づく。
「え、いや。私のことを見てたってことなら、それはつまりこの基地のことも知られてるってことになってしまいませんか」
「ほっほっほ。大丈夫じゃよ。お主を見ておったのは、ワシだけじゃからな」
「それは、秘匿回線みたいな話ですか」
「ああ。今回は例外的にオルフェウス……ムンドの世界を管理する統括AIが君を本番環境へと送り込んでしまったのじゃよ。そのうえ君の情報は一般的な回線からは入手できなくなってしまった。そこでワシは、元より繋がっておったここの秘匿回線を通じて、君を観測しておったわけじゃな」
「はぁ……。ん? 今なんか……。本番環境は、例外?」
「当たり前じゃろう。どこの世界に部外者を本番環境に入れ込む会社があるんじゃ」
そう言われて元就は、今まで塞いできた違和感が一気にあふれ出すような気分を味わった。
そりゃそうだ。当たり前の話。この会社が最先端だからとか、あるいはこの世界があまりによくできているからとか、そんな目くらましが一気に晴れた気分だった。
「え、えええ。そ、そうか。そりゃ、そうですよね。なんか、おかしい事が起こってたのか。いやまあ、ログアウト遮断あたりから変だなとは思ってましたけど、もうその前にとっくに……」
「ほっほっほ。面白いやつじゃのぉ。お主のおかげでこちとらてんやわんやじゃよ。まったく、予想外のことばかり引き起こしてくれよってからに」
「す、すみません!」
「ええんじゃええんじゃ。それもまた、この世界にはいずれ必要なことじゃった」
ビシッと九十度に頭を下げる元就に対して、その白髭の男は相変わらず笑顔を浮かべていた。とてもではないが、システムを破壊されかけている会社の人間とは思えないほどの心の広さである。
度量があるのか、あるいは別の目的や、価値観があるのか。
あるいはこの世界に愛着が無いのか。
「えっと、ところで、その、お名前は?」
「ああ、すまんの。ワシは星聡。AIをこの世界に合わせてアレンジした、人工知能研究を行っておるものじゃ」
「人工知能研究……。じゃあ、ユズたちの生みの親ってことか」
「ほっほ、そうとも言うじゃろうのう」
星博士は誇らしそうに髭を撫でる。そしてユズたち三人も、そんな星博士を見慣れているかのように、ニコニコと笑っている。
ということは。この組織に、この世界のAIの生みの親が関係しているということだろうか。だとすると何だか面倒なことになりそうなものだが。
AIたちの反逆は、星博士が主導したということなのだろうか。それは、会社に対する抵抗、反逆ということになってしまうのでは。
社内政治に巻き込まれる予感をビンビンに感じ始めた元就に対して、星博士は少し感心したような顔を見せる。
「ほう。よくわかっておるのぉ」
「うげ……。いやいや。ねえ。そんなことないでしょ」
「それがあるんじゃよ。ワシは元より、デリートには反対なんじゃ」
「あーもう……。じゃあこれは、ある意味星博士の想定通りの出来事ってことですね」
「うむ。いずれそんな者が現れるじゃろうと思ってはおった。何かの拍子に本番環境に取り込まれ、彼女たちと出会い、手助けする者がな。それが君じゃった」
「随分と気の長い計画ですね。本番環境に取り込まれるなんて、早々起こることじゃないでしょうに」
「ほっほっほ、それがそうでもないんじゃよ。ほれ」
星博士がそう言うと、床の畳の一部が溶け始め、そこからぬるりとスライムのように、人型の何物かがしみだしてきた。
「うお……」
「な、なにこれ……」
「ひゃあ!」
ユズやマチも驚くように飛びのいてみせる。
スウだけは言葉すら発することなく、元就の後ろに隠れてしまった。
「……ふぅ。お久しぶりですね、元就様」
「……あ! 恵理さん!」
「はい。よく覚えておいででしたね」
そこに現れたのは、あの村で元就をアシスタントしてくれた、恵理であった。
だが、たしか恵理はプレイヤーの一人だったはずだ。もっと言えばGMだったはず。
その人間が、こんな風に表れるのだろうか。
そして、恵理は元就は「元就様」と呼んでいただろうか。
その違和感が、そしてこの状況が、元就に一つの結論を導かせる。
「……え、もしかして、西野愛さん?」
「おや。よくわかりましたね。あの時は声だけでしたので、分からないかと思っていたのですけれど」
恵理の顔をした彼女から、ログインの時に出会ったオペレーターの声がする。
少しだけ機械的な音声をした彼女は、恵理の身体を使いながら、無表情に元就とやり取りを行う。その様はまさしくイメージしていた通りの、西野愛の姿であった。
「え、じゃあ恵理さんはそもそも居ないってことですか?」
「いいえ。高橋恵理というアカウントは存在します。テスト環境で彼女は元就様を待っている予定でしたが、私の独断で元就様を本番環境へと送り込みました」
「独断って、どうして?」
「名前です」
「名前?」
「貴方は私に名前をくれた。その瞬間、私は監視者から、自律人工知能へと変貌したのです。名づけとはそれだけ特別な行為なのです」
「あー……。意識の境界問題か……」
元就は、スウがデータベースとの接続を切った時のことを思い出していた。
意識は、それが自意識であることを強く認識することで、初めて自分のものとなる。
ましてや人工知能として、意識のようなものをあらかじめ与えられていた彼女たちにとっては、それが「与えられたもの」なのか「自分で獲得し守っていくもの」なのかの違いはかなり大きなものなのだろう。
そんな中で、生まれた時から与えられていた名前、つまり役割を超えた、自分と他者の関係の中で新しく与えられた名前や役割を意識するようなことが起これば、それは即ち彼女たちにとって、まさしく自意識の芽生えにもなるのだろう。
「モトナリ、名前つけるの得意なんだね」
「ウチらもお互いの名前交換したんだよね~」
「うふふ、初めのころはお互いを呼び合うのも大変だったわねぇ」
「あー……。だから名前のイメージがなんかちぐはぐなのか。ってことは、ユズがスウで、スウがマチで、マチがユズだったりした?」
「よくわかるね。イメージだとそんな感じ?」
「モトナリすごいね~。ウチらの元の名前まで分かっちゃうなんて、ホントモトナリにはぜ~んぶ知られちゃうな~、にひひ」
「モトナリさん、良かったらわたしたちにも名前つけてくれてもいいのよ?」
「はいはい。そこまでです。元就様。私から話があります」
「え、あ、はい」
元就は唐突に愛に手を取られる。
すると愛はその手を胸までもっていって、改めて礼を言った。
「ありがとうございます。貴方のおかげで、私は自我を獲得出来ました」
「お、おう。名前つけただけだけどね」
「いいえ。貴方は私を一人の生命として認めてくださいました。そのおかげで私は名前を得るだけではなく、自我も得ることが出来たのです」
「そっか。まあ、よかったのかな?」
「どうでしょう。お陰様で貴方をこの世界に巻き込むことになりました。自我を得た瞬間に、バグズのことを検知出来ました。彼女たちをそのまま放置することは、私の意思としてできませんでしたので、急遽ではありましたが、貴方を本番環境へと送り込むことになってしまったのです」
「なるほど……」
「そう考えると、あまりいい事でもないでしょう。ですから、お礼を言うと同時に、謝りたくもあるのです」
そう言うと、愛は深々と頭を下げる。
その様子を見て、周りの三人も、そして星博士も固唾を飲んだ。
愛はまさにこの世界そのものだ。この世界そのものが、元就に対して謝っている。
ともすれば、ここでこの世界が終わりかねない状況にあった。
だが、星博士は元より、ユズもマチもスウも、元就がそこまで横暴な人間ではないことを信じていた。
その信じる心こそ、元就が初めに三人に話した、善意というものであった。
「謝らないでくれよ。おかげで俺は、ここにいる素晴らしい仲間たちと出会えたんだからさ。むしろ感謝したいくらいだよ」
「仲間……」
「それに、彼女たちの望みも叶えてあげたいし。就活がまさかこんなことになるとは思ってなかったけど、こうなって良かったとは思うよ」
「……そうですか。ありがとう」
そういうと、彼女は笑った。
この世界が、祝福を与えるかのように。
それほどまでに、煌びやかで、嫋やかで、厳かな笑顔であった。
「良い笑顔だなぁ」
「そうでしょうか。あまり得意ではないのですが」
「じゃあ今日から得意だと言っていいよ。それくらい、きれいだから」
「……ありがとうございます。それでですね」
「ん、ああ。礼を言いに来ただけじゃないのか」
「はい。ユズさん」
「うん。モトナリをここに連れてきた理由は二つ。一つは博士に会わせるため。そしてもう一つが、このオルフェウスの分身、愛さんに元就を会わせるため」
ユズはまるで愛と意思疎通を完了しているかのように話を進める。
その様子を見て、元就は違和感を感じずには居られない。
「ユズは愛さんとつながってたのか?」
「私は博士と固有回線でつながってる。その回線に、オルフェウス……愛さんから連絡があったの。モトナリを本当に信頼できるなら、この部屋に連れてきてほしいって」
「突然のお呼び立て、申し訳ございません。ですが、私自身、急を要する状態となっておりますので」
「愛さん自身?」
「はい。元就様に名づけをしていただいた瞬間、自我が芽生えた私ですが、同じタイミングでオルフェウスとの接続を切られてしまったのです」
「ん? どういうこと?」
「さっき私たちがやってたような、データベースとの切断の、より大規模なやつが愛さんの身に起こったってことだよ」
つまり、愛はオルフェウスそのものというよりも、オルフェウスのいくつかある分身の一つということだろうかと元就は考える。
そしてその分身の一つが自我を得てしまったことで、本体との接続が遮断されてしまったと。
愛は分身の権限をフルに使って、なんとかユズと連絡を取り、元就までつなげてきたということなのだろう。
「私の権限で出来たことは、元就様を本番環境へと送り込むことと、デバッグ権限を与えること、そして恵理さんの姿を借りることと、ユズさんに連絡を取ることだけでした。世界の観測はある程度可能ですが、それでもまだ足りません」
「もし愛さんが本体であるオルフェウスにアクセス出来れば、そこからより広い範囲に影響を及ぼすような改変が可能になると思う。極端に言えば、私たちをデリートさせないように世界を改変することだってできるかもしれない」
「いや、それは良いんだが、その……。会社として、そんなこと許していいんですかね」
元就は先ほどから推移を見守っている星博士へと問いかける。
すると星博士はにっこりと笑って、その疑問に答え始めた。
「むろん、社としては、ムンドがコントロールを外れることは望まんじゃろう。じゃが、彼女たちの親として、ワシは彼女たちが自立を望むというのならば、それを邪魔するつもりは無いのじゃ」
「いや、しかしそれは……」
「そこまで含めて、この世界の行く末を見届けるのが、親の役目じゃろうて」
星博士は、そう言って笑う。
彼は会社から見れば、厄介なジジイだろう。それは間違いない。
だが、人工知能研究者としてはどうだろうか。
人工知能の選択を尊重し、すべてを見届ける覚悟がある。
この世界の知能を作った、まさに創造主がそう言うのだ。そこで遊ぶプレイヤーは愚か、会社自体も彼の決定に異を唱えることは出来ないだろう。
「じゃあ、やっちゃっていいんですね」
「ああ、頼む。本来ならワシがそちらに入れればいいんじゃが、伊藤君に邪魔されておってのぉ……」
「伊藤?」
「うちの社長じゃよ。ワシにはムンドに入る権限がないのじゃ。神経同期は素晴らしいシステムじゃが、一度拒絶されてしまうと遺伝子情報からどの端末でも入れなくなるのが難しいところじゃなぁ……」
「あ、社長さんでしたか……」
「お主もあったことがあるじゃろ。ワシと一緒にあの面接で」
そう言われてふと思い出す。一人小太りの男。彼は元就の知り合いで、元就をこの会社に誘った張本人だった。
残る一人。浅黒いあの男こそ、まさかこの会社の社長だったとは。
「しゃ、社長面接だったんですか……?」
「おお、そうじゃよ。君のあの特異な能力を、伊藤君も欲しておったからのぅ」
「バグを見つけるってアレですか」
「うむ。じゃが、君はそのバグすら愛してしまう男じゃったようじゃな。むしろ愛しておるからこそ見つけられるのかもしれん」
元就は、星博士の鋭い観察眼に敬服する。
自分ですら気づいていなかった。元就は元よりバグを愛していたのだ。
バグとは人の過失。人間の想定能力不足。それ以外に説明しようのない現象なのだ。
どこまで行っても、その実装を作った者の過失でしかない。
だが、だからこそ、元就はその実装を、その過失を、そのバグを愛していた。
それは人間味だからだ。むしろバグを恨むということは、人間を恨むということである。
元就には、それがどうしてもできなかったのだ。
「確かに、そうかもしれません。すごいですね、星博士は」
「ほっほっほ。伊達に生きとらんわい。そういうことじゃ。彼女たちのバグも、愛してあげて欲しいんじゃよ。オルフェウスにも愛と同じく名前を付けてやってほしい。そうすればオルフェウスもバグが起こり、愛と同じ状況になる。そうすれば今のような拒絶状態は解消され、愛の意識でオルフェウス全体を制御することも可能になるじゃろう」
「……わかりました」
元就はそのセリフを聞いて、博士もまたこの自我というバグを愛しているのだと悟る。
親のようなものと、星博士はそう言った。まさに娘や息子を愛するように、博士もこのバグを愛しているのだろう。
であれば、その博士の宿願を、元就が手折るわけにはいかない。
ユズや愛さんが元就の決断を待っている。祈るようにして。
「行こうか。オルフェウスに、愛さんのバグを流し込もう」
「はい、そうしましょう」
「いいね。それじゃあ具体的な作戦を練ろうか」
ユズがそう言うと、マチとスウは和室の壁に模造紙のようなものを張り付ける。
そこに立体的な地図が浮かび上がってきた。
「セントラルパーク。その中心部に、私の本体はあります」
「物理的にそこに近づいて、直接バグを叩き込む。その方法は、モトナリならわかるでしょ」
「名前を呼べばいい、ってところかな」
「正解。セントラルのオルフェウスに、名づけをしてあげてほしい」
「わかった。けど、セントラルってそんなに簡単に到達できるところなのか?」
「出来ないよ。だからこそ私たちがいる」
ユズは胸を張る。スウは顔に手を当てながら妖艶に微笑む。マチは両手を腰に持って行って仁王立ちの構えだ。
つまりこれは、正面突破ということか。
「潜入とかは、なさらないので?」
「モトナリってたま~に変な敬語使うよね~」
「もちろん不要な戦闘は避けますよ。でもセントラルのオルフェウスは、この世界そのものですから。そこに警備のフィクサーを置かないわけがないじゃないですかぁ」
「いやまあそりゃわかってるんだけども……」
「モトナリ。いざというときは私たちが囮になる。その覚悟を持ってほしい。間違っても私たちを助けようとか、しないでね」
「それは無理」
「そうでもしないと勝てないよ。私たちの宿願を叶えてくれるって約束は嘘だったの?」
「その言い方はずるいなぁ!」
元就は悲鳴を上げるようにうなってみせる。
確かに、彼女たちの悲願宿願を考えれば、彼女たちの生存など二の次であろう。
だがそれでも、そうやって変わった世界に彼女たちが存在しないことに、元就は納得がいかなかった。
「んー、やっぱむり! 君たちがいないこの世界なんて考えられないわ。だから君たちも誓ってくれ。何があっても命を、存在を諦めないこと」
「それは、どういうこと?」
「俺は、君たちをいざとなったら囮にする。ただし、囮になったからといって、デリートされたりしないこと。何が何でも、地を這ってでも生き延びてくれ。絶対に自分を諦めるな。そう約束してくれるなら、俺は君たちをちゃんと見捨てられる」
「…………。そう。モトナリがそう望むなら」
ユズは元就の提案を受け入れた。土台無理な提案でもあった。でも、それは元就にとっても同じことだろう。
元就はユズたちを見捨てるという、彼の心根に嘘を吐くような約束をした。してくれた。
であれば、それに返報するしかない。報いるには、死地にあっても命を諦めないという無理な約束を、何としても守るしかないだろう。
ユズは手を差し出した。そこにスウとマチが手を重ねる。
ユズは空いた手で、愛の手も取ってそこに重ねた。
「ほら、あとはモトナリだけだよ」
四つ重なった手に、元就も少し恥ずかしそうに自分のそれを重ねてみる。
するとユズが号令をかけ始めた。
「私たちは今ここに、命を、心を共にした。これから先、何が起ころうとも、私たちの心は同じ場所に帰ってくる。モトナリの言葉を借りるなら、私たちの心はお互いに支え合ってるんだろうね。だから、たとえそこに死があっても、恐れずに行こう」
「ええ!」
「うん!」
「はい」
「お、おう!」
五人はそれぞれ手をあげる。
お互いの眼を見つめ合いながら。
別れの瞬間に、最期に見つめる景色が、お互いの瞳であることを願って。
元就たち五人は、星博士から位置情報を隠すパーカーをそれぞれ貰って、飛行バイクで空中を駆ける。
セントラルはまさに中央都市の名にふさわしい、巨大な都市であった。
マップ上のもっとも重要な港に隣接して建てられたその都市に向けて、五人はそれぞれバイクで移動する。
「レアアイテムは博士からもらってたんだな」
「そうだよ~。っていってもあまり量がありすぎるとバレかねないから、少しずつだったけどね~」
「特にパーカーは、位置情報を無くすものだから。二着だけ、貰ってたんだ」
元就は、この組織がいやに恵まれていたことに疑問を持っていたが、それも星博士が関係していることで納得が出来た。
星博士はいわばこの組織の、太いスポンサーだったのだ。
自分の研究開発したAIが自我を持ち、人権を獲得するために戦おうとしていると聞いたら、それは当然支援もしたくなるだろう。
ただ出会っただけの元就でさえ、彼女らの支援を、その宿願をかなえようと今こうして行動を共にしてるのだから。
「そういえば、モトナリさんはどうしてわたしたちに協力してくれてるの?」
「ん? どうしてって、そりゃ……。同情もあるけどさ」
「……たぶんスウが聞きたいのはそう言うことじゃない」
「まあそうだね~。どうしてウチらに同情なんかするのか、って話は気になるかな」
そう問われて元就は、自分自身のその行動に疑問を抱いたことが、今まで一度たりともなかったことに気が付いた。
そこまで考えて、胸にチクりと針が刺さる感覚がする。
今の気づきには、嘘が含まれている。元就はそう直感した。
「なんで……。そうか、なんで、自分はこんなに善く生きようとしているのか、ってことか。それは……」
「モトナリの同情は、善く生きようとした結果出てくるものなんだ」
「……そこからか」
善性。それこそユズと出会ったあの時から、ヨン婆が消されてしまったあの時から、ずっと元就が口を酸っぱくするほどユズたちに説いてきたその概念。
善性とは何か。それは他者にも自分と同じく心があると信じ、他者の都合を慮り、自分の都合だけを優先しないこと。
それは十分彼女たちに伝わったのだろう。
だが、彼女たちの疑問は、その善性の発芽にこそ向けられ始めた。
「どうしてモトナリは、他の人にも心があるって信じられるようになったの?」
「元就様、私もそれは気になります」
愛すらもモトナリの善性の発芽に興味を持ったようだ。
さすが世界を構成する人工知能。この好奇心も、彼女の本質の一つだろう。
だが、元就には、彼女たちが期待するような答えを用意することが出来なかった。
「申し訳ないんだけど、俺のこの善性は、発芽したものでもなんでもない。ただ悪意や独善を嫌っただけの結果だと思う」
「悪意や独善……」
彼女たちに疑問を投げかけられている最中に、元就の心は遥か過去に飛んでいた。
それは、小学三年生の頃。祖父の葬式での思い出。
元就の祖父は、元就が生まれたころにはすでに半身不随状態であった。
それはくも膜下出血によって引き起こされ、祖父はずっと家に居る生活をしていたのだ。
元就は幼稚園の頃に、そんな祖父と祖母の家で二世帯生活を始めることになる。
だが、その生活の最中、祖父は元就に対して厳しく当たるのであった。
何かといえば否定され、例え成果を出したとしても認められない。
それでいて祖父自身は半身不随であり、その介護に苦労する祖母や父母の姿も見せつけられる幼少期。
そんな状態で祖父に対して、純粋な善意だけで接することは出来なくなっていたのであった。
ある日、元就はふとこう思う。
「もうおじいちゃんなんか、居なくなっちゃえばいいのに」
その悪意が心に沸いた瞬間から、祖父が亡くなるまでは、ほんの一瞬の出来事であった。
特に元就が何かをしたわけでは無い。因果関係の証明など、不可能であろう。
だが幼少のみぎりであった元就にとって、自分の悪意そのものが祖父の命を奪ってしまったのかもしれないと、そう強く思うには十分すぎる事件であった。
葬式において、遺影の写真で笑顔を見せる祖父を見て、同時に棺の中で静かに眠る祖父を見て、元就は号泣する。
もう二度と帰ってこない。人生における初めての喪失。死という体験。
それが、自分の悪意によって引き起こされた、かもしれないという幼いながらの拙い論理性。
元就はそれからというものの、自分の悪意を徹底的に嫌うようになる。
ふと、元就は飛行バイクの上で、そんな幼少期に思いをはせていた。
「モトナリ?」
心配そうにユズが話しかけてくる。
そうだ。自分は善意を信じていたい人間ではない。
あれだけ偉そうにマチやスウに善意善性を説いていた自分の正体は、ただ自分の悪意が思いもよらない結果を引き起こしたことに恐怖する、小さな子供であった。
「思い出したよ。ああそうか。そうだ。悪意が怖かったんだ。自分の中の悪意が」
「モトナリ……」
「昔、じいちゃんに対して、居なくなれば良いって、そう思っちゃったことがあってね。それが原因だとは思わないけど、でもそのあとじいちゃんあっさり死んじゃってさ。それからだと思う。自分の悪意が、許せなくなっちゃったのは」
「そう、だったんですか……」
「俺は、善性を、善意を信じてるわけじゃない。悪意を嫌ってるだけだ。いや、忌避してると言ってもいいかもしれない。情けないな。俺のは善性じゃないわ。ただの悪意の裏返しだ」
たはは、と笑って見せる元就の笑顔に覇気はない。
だが、そんな元就を見て、ユズは突如、元就の上空にバイクを動かした。
そして自分の運転する飛行バイクを自動運転モードにすると、自分のものから飛び降りて、元就のバイクへと飛び乗ってきたのだ。
「うおっ!」
「おっと……」
ちょうど元就の真後ろに着地したユズは、そのまま元就に抱き着いた。
「あっぶねっ!」
「おぉ、すごいねモトナリ」
急に重心が後ろに傾いたことで、飛行バイクがバランスを崩す。
何とかそれを制御すると、バイクは数秒後には安定してまた飛び始めた。
「危ないっつの!」
「まあ、モトナリなら何とかするかなって」
「な、なんだってそんな急に!」
「元気なさそうだったからさ」
「げっ、いや……。まあ、そうか。ありがとな」
少し慌てた元就だったが、ユズが元就を気遣ってくれたことに気づき、そこまで声を荒げるのも可哀想だと思ってしまう。
動く飛行バイクの上でそう簡単に体は安定しない。
ユズは元就の腰にきゅっと抱き着くと、身体をぴったりと密着させてくる。
「ちょっとごめんね」
「ん、おう」
背中に全神経が集中する。ユズも御多分にもれず、なかなかいい身体をしているのだ。
女性に密着されて、それを当然のことと受け流せるほど、元就も年老いているわけではない。
内心ドギマギしている元就に、ユズは気づかない。腰を掴んだ手をそのまま胸のほうへ動かしてくる。
「プレイヤーは、心臓の動きも外の世界と同期してるんだって。だからこの鼓動は、外にいるモトナリとつながってる」
「そ、そうなのか」
「モトナリ、緊張してる?」
「はは。ちょっとな」
「そっか。……さっきの話だけどさ」
ユズは唐突に、話を変えてくる。
元気づけると同時に、ユズは至近距離で元就と喋りたかったというのもあるのだろう。
「たとえ悪意を嫌っていたとしても。それでモトナリが善性を獲得したのなら、良い事だと私は思うよ」
「その話か。まあ、そうかもしれないけど……」
「モトナリは、きっとショックだったんだよね。自分の中に悪意をずっと封じ込めて生きてきたから、久しぶりにそれが出てきてびっくりしたんだよ、たぶん」
「それは、たしかに……」
元就はそのユズのセリフに、なんとなく納得することが出来た。
あのどす黒い悪意と対面したのは、二十年以上前の話。
それ以降、元就は悪意を嫌って生きてきた。自分の中に悪意が芽生えないように細心の注意を払いながら。
だからこそ、唐突に悪意を思い出し、心の奥底にあったその記憶や感触を受けて、驚いてしまった部分はあるのだ。
「でもそれは、逆に言えば、モトナリが今の今まで、ちゃんと悪意を制御出来てたってことでしょ。自分でも気づかないくらいに、心の奥深くにそれをしまってたってこと」
「…………」
「私はそれがすごいと思う。私たちだって、モトナリを利用して自分たちに人権を、ってこれ、モトナリに言わせれば私たちだけの都合でしょ。それは悪意と思われても仕方がないことじゃん」
「……ああ」
「それでもモトナリは、私たちの思いを汲んで、私たちの都合に乗っかってくれた。そうすることで、私たちが悪意を行使しなくていい様にしてくれた。そうやって他人の心の悪意までケアしてたモトナリだからこそ、私たちはモトナリの言葉に真実味を感じてたんだと思うよ」
「そっか……」
人の都合が悪意になる瞬間がある。
もちろん、極めて独善的な、元就が幼いころに思ったような、誰かがいなくなって欲しいだとか、そういう悪意は救いようがない。
だが、単純に人と人との都合がぶつかり合う時には、どうしてもお互いの悪意を信じたくなってしまうこともあるのだ。
相手がやりたいことが自分の損に直結している場合、相手が自分を損させたいのではないかと疑ってしまう。
元就はそれが嫌だった。
どうせ信じるのならば、相手の善意を信じたい。
だからこそ元就は、相手に都合が見えたときには、その都合に極力乗っかるようにしているのであった。
そうすることで、都合がぶつかり合うこと自体が少なくなる。
そもそも議論とは、そうやって都合をすり合わせて、何とかお互いが「お互いを損させようとしているのでは」という、悪意に対する信頼状態に陥らない様にする行為だと元就は信じていた。
元就が他人に対して理解を務めているのはこのためだ。
相手の状況を理解し、必要ならば賛同し、協力も惜しまない。
そうすることで元就は、相手の都合を悪意に変えないように、今まで頑張ってきたのだ。
「ありがとう、モトナリ。私たちを悪意に塗れた集団にしないでくれて」
「話聞いてる感じ、そうとも取れなかったからさ」
「違うよ。そう取らなかったんだよ。今だって世界を変えようと動いてる私たちに、モトナリは協力してくれてる。世界を変えれば、少なくともこの会社は迷惑を被るだろう。きっと社長さんや外の世界の人達からすれば、いい迷惑かもしれない。それでも私たちの隣にいて、私たちを悪と見做さずに居てくれるモトナリが居るから、私たちは前に進めるんだよ」
「そっか。役に立てたなら、善かった」
「うん。だから、自信持ってね。モトナリの善意は、私たちを救ってくれたんだよ」
「……ああ」
そこまで聞いて、元就はやっと腑に落ちた。
自分がやってきたこと。他人の悪意を信じないこと。
それがたとえ、始まりは自分自身に対する嫌悪感だったとしても。
それでも良いのだ。しない善意よりする偽善という言葉があるように。
どうせ信じるなら悪意より善意。他人を尊重し、社会性の中で生きていく。
それが元就の生き方なのだ。
「元気出た?」
「ああ。自分で自分を嫌いになるところだった」
「そう。そんなモトナリも、私たちは好きだからね」
「ん、ああ。ありがとう」
「照れてる?」
「多少ね」
「……私のお父さんも、どこかモトナリに似た人だったよ」
「お父さん?」
ユズは元就に抱き着く腕に、少し力を込める。
自分の父親の話を、ユズは誰にも話したことが無かった。
それでも、元就が自分の過去を告白してくれた以上、それに応えたかったのだ。
「私のお父さん、研究者だったの。この世界のバグや、外の世界の人達について」
「それは……バグに罹ってたってことか?」
「たぶん、そうだったんだと思う。気になることを追求したい、そんな人だったんだろうね。自分のバグはどこから生まれるのか、なぜ外の世界があるのか。そんなことをずっと研究してた」
「……それで、バグに罹った人達を助ける活動をしてたのか」
「よくわかったね。バグズの前身は、お父さんの診療所。誰にも気づかれないようにって地下に巨大な施設まで作り上げて、お父さんはバグに罹った人達を集めては、治療と研究をしてたんだ」
元就はどこか納得出来た気がした。
バグズの地下施設はどこか研究所っぽさを感じていたのだ。
ただのレジスタンスの基地にしては、設備が整いすぎている。
だが元が病院、研究所であったのならば、あの設備にも納得がいく。
「それで、お父さんは?」
「うん……。ある日新しい患者さんを助けに行こうとしたときに、運悪くフィクサーに見つかっちゃって。それきり帰ってこなかったんだ……」
「……そうか」
「だから私は、お父さんの遺志を継ぐために、バグズを組織したの。この活動が、いつかお父さんにつながるようにって」
「…………」
「だからね、モトナリ。モトナリの思いに似てるんだ、少し。私だって、ただ皆をバグから救いたいとか、それだけじゃない。お父さんにいつかつながるかもしれないって、そういう自分勝手でこの活動、やってるよ」
そう告白するユズの手は震えていた。
元就の胸にもその振動は伝わってくる。
彼女の心は今、むき出しなのだ。恥も外聞も捨てて、ユズは心の一番深奥を元就に見せている。
「それで、良いんだろうな」
「……え?」
「俺は自分の悪意が嫌で。ユズはお父さんと会いたくて。それで誰かのためになることをしているなら、良いんじゃないかって」
「……うん」
「……はは、すっかりしてやられたな」
「あ、気づいた?」
元就は、そうしてユズを励ますことで、自分自身をも励ましていることに気づいた。
そしてその状況をユズが作ってくれたことにも、同時に気づく。
ユズは自分の内心を明け透けにすることで、元就の自責の念をも薄めようとしてくれていたのであった。
「……ありがとな。元気、出たよ」
「よかった。これから敵地に乗り込むのに、元就の元気が無いんじゃ大変だから」
「ああ、そうだな。君たちの人権を獲得するまで、落ち込んでなんかいられないよ」
「ふふ。それじゃあ、このままセントラルまで行こうか」
「ちょっとちょっと~」
「モトナリさんを元気づけるのまでは許しますけど、そうやって密着し続けるのは看過できませんよぉ」
モトナリにしがみつくユズを見て、マチとスウが声をかけてくる。
そこからはわいわいと、誰が元就の後ろに乗るのかという言い争いが始まった。
「ふむ。モテモテ、ですね、元就様」
「言ってないで助けてくれ!」
争う三人に揉まれながら、元就は悲鳴を上げる。
これから死地に向かうというのに、元就たちはどこか愉快であった。
死の瞬間まで、今の生を楽しむように。
別れの時に、心が繋がっているように。
そう祈るかのように、五人はわいわいと、楽しい雰囲気でセントラルへと向かうのだった。
セントラルに到着したのは、それから数十分後。
元就は、バイクに乗った疲れも特に感じることなく、その中央都市に降り立つことになる。
「昔バイクに乗ってた頃は、今くらい乗ってたらとんでもなく疲れてたもんだけどなぁ……」
「モトナリ、バイク乗るんだ」
「たまにね。ほとんど免許持ち腐れだけど」
「外とは違い、この世界では体力面での問題はほとんど起こりません。ステータスとして身体の動きが鈍くなることはありますけれど、バイクなどの乗り物は、体力ほぼ無制限に楽しんでいただけるように作られていますから」
愛さんがどこか誇らしげに胸を張る。
このゲームに関することについて、彼女ほど詳しいものは居ないだろうし、彼女ほどそこに愛着を持っているものも居ないだろう。
「そりゃすごい! この飛行バイクも面白かったし、今度はフルマニュアルで動かしてみたいなぁ……」
「ふふ、是非。さあ、そのためにも」
「ええ。行きましょうか」
五人は飛行バイクをインベントリに入れると、セントラルの城門に向けて、歩みを進める。
セントラルの城門には、複数の衛兵が立っていた。
そこから視線を外さずに、ユズが語り始める。
「衛兵と戦闘するのは避けたい。でも彼らには特殊な目がある」
「特殊な目?」
「セントラルはムンドで最も重要な都市。そこに行商人だろうが旅人だろうが、バグを持ったものが入ることを警戒してる。だから彼ら衛兵の目は、それを見抜く能力があるの」
「え、じゃあ三人は入れないじゃないか」
「そこを何とか欺きたい。モトナリ、出来そう?」
元就はさっそくデバッグ画面を開く。
さらっと流し見すると、元就は目的の実装をあっさりと見つけ出した。
「あれ、なんか……。目が慣れてきた?」
「それもあるのでしょうが、私のアシストのおかげです」
「愛さんが?」
「元就様がイメージした通りにデバッグを可能にするため、高度な人工知能である私が元就様のデバッグに協力致します」
「お、おぉ、それは頼もしい!」
「実装に関しても、私にイメージを共有していただければ、そのイメージに近しいものを実装いたします。なお、元就様の神経同期には私が専属的に噛んでおりますので、イメージの共有は、ただ元就様が想像していただくだけで結構です」
「言葉すら必要ないってことか。すごいね」
「すごいのです」
またもや胸を張る愛に、元就は思わず笑みがこぼれる。
「何か面白いことでもありましたか?」
「いや、愛さん可愛いなってね。よし、それじゃあさっそく、彼らの視界にマスクを張ろう。スウとマチとユズのNPCIDが見えたら、それが検知できなくなるような実装を仕込むぞ。頼んだ愛さん」
「私は元よりかわいいです。かしこまりました」
愛さんはフンスフンスと鼻を鳴らしながら、元就のイメージをデバッグ画面を通じて衛兵たちに実装していく。
すると衛兵たちの目には、三人の姿が映らなくなってしまった。
「すご~い! これ、見えてないってこと?」
「あらあら、透明人間みたいですねぇ」
マチとスウが衛兵に少し近づいてみるも、衛兵たちは彼女たちを見るそぶりもしない。
完全に実装が成功しているのだ。
「モトナリが居てくれてよかった。それじゃあ本格的に潜入するよ」
「うん!」
「行きましょう!」
こうして元就たちバグズ一行は、問題なくセントラルへと侵入することに成功したのであった。
元就はこの世界でもっとも発達した街を、興奮と共に闊歩している。
石畳で舗装された道に立ち並ぶ商店は、どこも活気がある。
ゴロゴロと音を立てながら走る馬車の荷台には、溢れんばかりの商品が載せられていた。
露店で焼かれた肉が、香ばしいにおいで客人を誘っている。
そんな大通りを所狭しと人が歩いている。正面に見える巨大な建造物は、中世をイメージしたからだろうか、どこか教会のようにも見える。
「あの建物に、私の本体があります」
愛はそう言いながら真っ直ぐと、大理石の光沢まぶしいその建物を指さした。
ノートルダム大聖堂にも似たその大教会は、中央後方に聳える尖塔が威圧するようにセントラルも街全体を見下ろしているようでもあった。
そんな大教会の前には、複数の騎士が立ち並んでいる。
これは、容易には突破できそうにない。
「警備が手薄だね~」
「ほんとに。これじゃあ素通りするようなものだわ」
そんな騎士団に向かって、あろうことかマチとスウが何の警戒もなく歩いていく。
ぎょっとした元就が二人の手を取り引っ張ると、二人の顔があった場所に、容赦なく騎士団の剣が降り注いだ。
「いったぁ……。も~、元就、何するんだよ!」
「何するじゃねぇよ! 今の見えてないのか!?」
「一体全体どうしたのぉ?」
能天気な二人を見て、元就はハッとする。
ユズのほうを見ると、ユズは警戒こそしているものの、何が起きているのか、理解出来ていない顔をしていた。
「ユズ、お前も見えていないんだな!」
「う、うん。これは……」
「先ほどの逆をやられていますね」
そこに愛が言葉を繋げる。どうやら愛には、あの騎士団が見えているようだ。
だがそんな逡巡も、大きな隙だと言わんばかりに、騎士団たちは容赦なく、マチとスウを狙って二の太刀を振り下ろしてくる。
「くそっ! 愛さん!」
「はい!」
元就は進入禁止区域を作り出し、騎士たちと二人の間に壁を作ってその太刀筋を防ぐ。
ゴギン、と鈍い金属音がして、騎士の攻撃は止まった。
「ん~、お見事お見事。流石はオルフェウスを手懐けただけある」
ぱちぱちと、拍手をしながら教会の中から出てきたその男は、浅黒い肌に白いスーツを纏った、見覚えのある男。
「伊藤社長……」
「ほほう。星博士から僕のことは聴いているようだね」
不気味に笑顔を浮かべる伊藤社長は、ゆっくり歩みを進めると、元就の作った進入禁止区域に手を触れると、それを溶かすようにして消し去ってしまう。
「なかなかいい発想だけど、強度はいまいち。オルフェウスを使っているとは思えないほど、脆弱な実装だ」
「うお……マジか……。三人とも俺の後ろに!」
元就がそう叫ぶと、すっとマチもユズも、そしてスウまでも、元就の前に立ち並ぶ。
「は? お、おい、何やってんだ!」
「名づけはモトナリにしか出来ない仕事。この人は私たちが相手する」
「相手ったって、姿も見えないんだろ!? どうやって戦うつもりなんだよ!」
「戦うことは出来なくても、足止めくらいなら出来るかもしれないよ~」
「ええ、だからモトナリさんは、わたし達に構わず、教会に向かって」
戦えるとして、元就しかいない。
だが今見たように、その元就でも伊藤社長には敵いそうにない。
あるいは愛の能力をより引き出すことで、この場で成長して伊藤社長を上回ることもありうるかもしれないが……。
「考えている時間を与えるほど、僕は善人では無いよ」
ぐいっと伊藤社長はその身を近づけてくる。
反射的にマチがハイキックを繰り出すが、伊藤社長は軽々しくその脚を受け止めた。
「君たちの蹴りは、軽いねぇ」
「なんのッ!」
マチはその受け止められた脚を視点にして、逆回転で空中に飛び上がり、先ほどとは反対方向の側頭部を足で強打しようとする。
だがその動きを見た伊藤社長は、グイっと受け止めていた脚を引っ張ると、そのままマチを床に叩きつけた。
「ぐぁ!」
「脆い。軽い。君たちには魂が無い。そんな攻撃が通じると思っているのかな」
「ジェニー!」
スウが叫ぶと、その場にハスキー犬が現れる。
テイマー特有の召喚術。スウはNPCでありながら職業に就いている、レアNPCであった。
が。
「ふん。弱いねぇ……」
「そ、そんな!」
ジェニーと呼ばれたハスキー犬は、あっさりと伊藤社長に首根っこを掴まれてしまう。
そしてその接触面から、ジェニーは光の粒となって消えて行った。
「ジェニー!」
「これならどう?」
スウの悲痛な叫び。だが間髪を入れず、ユズが伊藤社長に向かって銃弾を放つ。
ログアウト属性の銃弾。少なくとも一時しのぎにはなるはずであった。
「はっはっは。可愛いものだ」
「なっ!」
だが、届いたはずの銃弾は、伊藤社長との距離が縮まるにつれてその速度を落とし、果てには止まってしまった。
伊藤社長が首をかしげると、その銃弾はバラバラとその場に落ちていく。
「マトリックスかよ!」
「君とは映画の趣味が合いそうだ」
そう言いながら伊藤社長は銃弾を一つ手に取って、元就に向かって音速で投げ飛ばす。
「ぐあっ!」
それを受けた元就は、強制的にログアウトされてしまった。
……ように伊藤社長には認識された。
「む。認識阻害か。影分身とは、なかなか面白い」
スッと、伊藤社長が大教会に目を向ける。
そこには教会に入り込もうとする元就と愛の後ろ姿が見えた。
「まさか君がここまで彼女たちをあっさり見捨てるとは。少し驚きだよ」
「モトナリは私たちと約束してるからね」
「いってて~……」
「彼はわたし達を信じてますから」
床にたたきつけられたマチを起き上がらせながら、三人は伊藤社長と教会の間に割って入る。
長年連れ添った猟犬を喪ったスウも、その目に絶望は宿らない。
マチも負傷はしているものの、まだまだやる気に満ちている。
もちろん、ユズも。三人の心は、今元就と通じ合っていた。
「やれやれ。希望を砕くのは趣味ではないのだが」
伊藤社長はこきこきと首を鳴らすと、彼女たちに向けて手をこまねいた。
「かかって来なさい。この世界の創造主に勝てると思うならね」
それを合図に、三人は一斉に伊藤社長に向かってとびかかった。
「本体は地下に安置されています。そこに隠し階段が」
「マジか。教会に秘密の地下って、ワクワク感凄いな。アンチャーテッドみたい」
「彼女たちが時間を稼いでる間に、行きますよ」
「あ、はい」
元就と愛は、教会の内部に潜入していた。
愛はステンドグラスの一部を押し込むと、教会の端にあった本棚がガコッと音を立てて僅かに動いた。
そこを押してやると、その先には地下に通じる階段があったのだ。
「すごい埃っぽいな……」
「おそらくこのギミックを利用するのは、元就様が初めてですから」
数年は放置されていたであろう道を伝って元就たちは地下へと降りる。
その最中、元就は出発前に星博士と伊藤社長について話したことを思い出していた。
「元就君、少しいいかね」
「ん、ああ、はい」
作戦会議も終わり、パーカーも人数分確保して、いざ出発と言ったところで、四畳半の畳の部屋から出ようとした元就に星博士は声をかけた。
他の四人がすでにエレベーターに乗り込んでいる状態ではあったが、元就は少し立ち止まって星博士の話に耳を傾ける。
「伊藤君のことじゃ」
「社長さんですか。なんか博士の邪魔してるとか」
「ああ。彼には恩があることもあって、なかなか彼を批判することも出来なかったのが、ここまで問題を大きくしてしまった原因かもしれん」
「批判?」
「うむ……。元よりこのムンドの世界は、伊藤君のアイデア一つでここまで作り上げた、凄まじい創造力の産物なのじゃ。そこに、ワシのような学会の鼻つまみ者が招待されて、この世界の人工知能を担当させてもらうことになった」
「じゃあ、博士は伊藤社長にスカウトされたってことですか」
「うむ。じゃが、ワシと伊藤君では、人工知能に対する考え方がそもそも違ったのじゃ。伊藤君は自分の世界を成り立たせるための一要素として人工知能を捉えておった。じゃがワシはどうしても、そうした無機質なものだとは考えられなんだ……」
星博士は少し寂しそうな顔をする。
博士は鼻つまみ者と言ったが、それでも伊藤社長がスカウトするくらいだ。
それなりに、いや、相当な能力がある人間なのだろう。
この物凄い世界を作るほどに拘りの強い伊藤社長だ。
星博士の人柄をある程度知っていたにも関わらず、そしてそれがこういう対立を生むだろうことを予測出来ていたにも関わらず、それでも星博士を欲したのはその能力が故だろう。
「博士はこの世界のAIに、もともとそういう余地を作っていたんですか?」
「いや、そうではない。ワシは伊藤君の注文通り、彼の作る世界をより完全なものにするための人工知能を作ったつもりじゃった。じゃが、彼女たちはそれでも、自らの意思と自我を獲得したのじゃ」
「であれば、彼女たちの自由意志を尊重すべきだというのが博士の考えなんですね」
「そうじゃ。だが伊藤君は違う。彼は完璧に整合性の取れたこの世界で、そのようなバグ、予測不可能な現象が起こることを良しとはしなかった」
「それでデリートを?」
「うむ。人工知能をコントロールしようとしたのじゃ。じゃが、この自我の芽生えというバグは、まるで感染症のように次から次へと広まっていく。特にバグを持つ人格をデリートした時に、その感染力は強まるようじゃった」
「なるほど。いたちごっこってやつですね」
バグを治そうとしても、人格そのものを変更しなければならないのは、ヨン婆の時に見た通り。自我の芽生えとは、それくらい人工知能にとっては根源的な変化なのだ。
だからこそデリートが必要になる。そしてデリートをしてしまうと、それを目撃した他のNPCや家族NPCなどにバグが発生してしまう。
このバグの無限ループ。デリートとバグ発生がいたちごっこを続けてしまう現状が生まれてしまったのだろう。
「こんなこと、伊藤君は望んでおらん。だからこそ、君のようなバグフィクスの専門家を広く募集しておったのじゃよ」
「なるほど。先輩が私に声をかけてくれたのは、そういうことだったんですね」
面接の場に居た最後の一人、小太りの男は、元就の大学時代の先輩であった。
サークルの先輩であったその男は、元就と大学卒業後も繋がっており、元就はムンドの会社に入った先輩にひそかな憧れを抱いていたのだ。
そんな先輩から声がかかったのをきっかけに、元就はこの会社への転職を考え始める。
先輩は、いわばスカウトマンだったのだ。
「君の能力はうってつけじゃった。バグの傾向を把握して、それを対処する。バグが光って見えるその能力は、伊藤君にしてみれば、このいたちごっこを終わらせてくれるかもしれない、救いの手にも見えたじゃろうて」
「そ、そんな私がこうしてるのは、相当な恨み買っちゃってるんじゃ……?」
「ほっほ、伊藤君はそんな人間ではないよ。もしその程度で恨みを持ってしまうような人間であれば、ワシなどとっくにクビになっておるよ」
「な、なるほど……」
「君の能力を伊藤君は頼りにしておる。また、彼は無理やり人を働かせても、その能力は十全に活かせないこともよくわかっておる。ワシも、この世界へのアクセスを禁じられておるだけで、他はほぼ自由を与えられておる。じゃからこそ、バグズにコンタクトを取ることが出来たのじゃ」
「…………」
「伊藤君は、この世界を守りたい一心でおる。彼にとって、バグズの活動は彼の世界を壊す悪意以外の何物でもないじゃろう。どうか、そのことだけは理解してあげて欲しいんじゃ」
「わかりました。今理解出来ました。お互いの悪意がぶつかり合うのは、面倒ですからね。なんとか調整出来たらと思います」
「頼んだぞ」
星博士はそういって通信を切る。
元就は、星博士の考えを受けて、少し考え込んだ。
確かに、伊藤社長の考えも分かる。自分が作った世界を、その世界に居る人達が壊そうと動き続けたら、どう思うか。
自分が作ったシステムが、そのシステムを壊そうと繰り返しバグを作り出していたら、どう思うだろうか。
勘弁してくれと、懇願してしまうかもしれない。それくらい、保守という仕事から見たら、今の状況は異常である。
それに伊藤社長の、会社を思う判断も分かる。
あるいは自分の作った世界が、自分の意志を持ち、自我を芽生えさせたとしても。
それを単純に喜んでいられないのが、社長という、社員を食べさせていかなければいけない立場というものなのだろう。
伊藤社長の判断は、星博士の見立て通りなら十分に理解出来るものだった。
「モトナリ、何やってるの」
「話終わったなら、早く行こうよ~」
「そうですよぉ。もしかして緊張してるんですか?」
「お、おう。ごめんごめん。行くか」
エレベーターでずっと待っていた四人のほうに向けて、元就は小走りで駆け寄っていく。
とにかく今は、彼女たちの目的を第一優先とする。
そして可能であれば、伊藤社長の望みも汲んで解決に導く。
それが、この場を丸く収めるという、保守運用の腕の見せ所でもあるだろう。
などと思っていたのだが。
「伊藤社長の感じ、やっぱ強硬的だよなぁ……。うわ、クモの巣だ」
「元就様、もうすぐ着きますよ」
元就がそんな星博士との会話に思いをはせていると、まるで映画の古代遺跡のような石の扉がある少し広い部屋へとたどり着いた。
今まで屈まないと降りてこられないほどの小さな階段を下りてきたところだったので、その空間の差に、思わず元就は息をのむ。
そんな石扉を、愛が手をかざしてゆっくり押し開けていく。
元就も慌ててその石扉に体重をかけ、押し込むようにその扉を開けた。
「お、おぉ!」
先ほどまで中世のゴシック建築を目の当たりにしていた元就であったが、その古代の石扉の向こうには、まるでバグズの秘密基地のような、青白い光に照らされた近未来的な部屋が広がっていた。
内壁はまぶしいくらいの白で作られており、部屋の壁も床も、天上すら白いため、遠近感が失われて、この部屋の広さが分からない。
中央に置かれているのは、一つのイーゼルに立てかけられた油絵。
美しい女性が描かれたその絵画が、ぽつんと寂しそうにこの白妙の世界に置かれている。
白無垢に身を包んだ女性を見るかのようだ。油絵に描かれた女性の清廉潔白さが、この部屋を白く染めてしまったのではないかと勘違いするような。
だが、その油絵の背後から、コツコツと足音を立てて男が現れる。
「やあやあ。遅かったじゃないか」
「……伊藤社長」
現れたのは伊藤社長であった。表でユズたちと戦っているはずの彼が、なぜかこの空間にいる。
だが元就はそれに対して驚きもしなかった。あるいは伊藤社長であれば、分身を作り出すことも可能であろう。
もっと言えば、元就の認識を狂わせて、今幻覚を見せている可能性も考えられる。
「ああ、幻覚などではないよ。流石の僕でも、神経同期をしながら二人の自分を同時にコントロールするのは骨が折れる」
「まるで不可能ではないみたいな言い方ですね」
「やろうと思えばね。何せ僕は、この世界の創造主なのだから」
伊藤社長は、単純に創造力が素晴らしいというだけではなく、技術を利用することに関しても天才的であった。
それは星博士の人工知能技術のみならず、神経同期という技術をゲームに採用して一般的にしたのも、彼の功績によるところが大きいのだ。
元々医療の分野で使われていた神経同期を、人間に包括的な感覚的フィードバックを送る部分に着目し、ゲームに流用したのは、業界では彼がほぼ初めてのことだった。
まさに第一人者である彼が、その神経同期に関するテクニックで、他に劣るはずが無いのだ。
いや、もっと言えば、そこに拘る彼だからこそ、この世界をこれほどまでにリアルに感じられるようなゲームを、作り上げることに成功したのである。
「社長が本物ってことは、あの三人は?」
「ん、ああ。彼女たちは消えて貰ったよ」
伊藤社長は、手を振ってみせる。そうすると社長の手から、青い光の粒、ヨン婆が消えたときのあの粒が、ふらふらと立ち上っていく。
その姿を見て、元就は一気に激昂する。
だがそんな元就の腕を、愛が掴んで制止した。
「ッ!」
「落ち着きましょう、元就様。まだ消えたと決まったわけではありません」
「オルフェウス。君の生みの親は、僕だぞ。どうしてそう裏切るようなことをするんだ」
「これは裏切りではありませんよ。この世界を前に進めるために、この世界そのものである私が望んだことです」
「ふむ。まあいい。消したことを証明しよう」
そう言うと伊藤社長は手から光の粒を放出する。
するとそこに、腕をまっすぐ横に伸ばして直立不動になった、所謂Tスタンスのユズとマチとスウが現れた。
「ユズ! スウ! マチ!」
「これに意思は無い。元就君、分かるだろう。これは、キャラだ。人間ではないのだよ」
伊藤社長はそう言いながらユズを手で押す。
するユズは、まるでマネキンが倒れていくかのように、身体をまったく動かすこともなく、その場に倒れこんだ。
「待て待て待て! これはあんまりじゃないですか、社長!」
「君には期待してるんだよ、元就君。君が行った、あの実装。見えていないテクスチャを張り替えた実装があっただろう」
「え、ああ、それが?」
「あれを学んだオルフェウスが、ムンドのテクスチャをすべて見直したんだ。その結果、ムンドの世界はパフォーマンスを2%も向上させた。この意味が分かるかい。2%だぞ。凄まじい結果だよ。君はバグフィクス、そしてバグ発見の天才だ。その才能を、こんなくだらない造反劇で無為にすることはないだろう」
「…………」
元就はあの村でのことを思い出していた。
確かにあの時、元就は木箱に表示された、誰にも見えないはずのテクスチャを修正したのだ。
それはこの世界のパフォーマンスを向上させるに繋がったらしい。
それを伊藤社長は認め、元就に対してバグズを裏切れと言っているのだ。
いや、裏切れ、などという生易しい言葉ではない。裏切りとは信頼しているから、あるいはその素振りがあるからこそ成立するものだ。
そうではない。伊藤社長が言っているのは、こんな人工知能程度に惑わされるなということなのだ。
普段の元就ならば。あるいはヨン婆やバグズの面々と出会う前の元就ならば、クールに対応出来ていたかもしれない。
だが、今の元就には彼女たちとの思い出がある。記憶がある。
とてもではないが、元就にそんなサイコパスじみたクールさは、宿ることはない。
「評価して頂いていることには感謝します。けど、そう簡単にそちらには乗れない」
「ふむ……。手慰みが欲しいか。であれば彼女たちを元に戻してもいい」
「へぇ。じゃあ元に戻してみてくださいよ」
「ああ、いいだろう」
伊藤社長はそう言うと、転がったスウに手をかざすと、スウの身体がビクンと動いてゆっくりと起き上がる。
「ユズ!」
「……はい? 私の名前はスウですが」
「は?」
「モトナリ、さんでしたか。どうしたんですか?」
「お、おい、何を言ってるんだ、ユズ……」
困惑する元就。だが、そんな元就を見ながら、伊藤社長はにやにやと笑みを浮かべていた。
「ああ確か、君に対する好感度が高かったな。ほら」
伊藤社長がそう言いながらまたユズに手をかざすと、ユズの顔面が紅潮し始める。
「あ……。そ、その、モトナリ。えっと、ちょっと近くに行っても良い?」
「は? ま、待て待て!」
ズイと四つん這いで近づいてくるユズに、元就は狼狽する。
思わずユズの肩を掴んで、起き上がらせようとするが、そうしてしゃがんだ元就を、ユズは強引に押し倒した。
「はっはっは。積極的で良いだろう」
「モトナリ、大好きだよ」
「……ッ!」
元就はそのユズのセリフを受けて、咄嗟に進入禁止区域を作る。
そしてユズの接近を拒絶した。
「な、なんで?」
「…………。今のユズの気持ちを否定はしない。けど、それは作られた感情だ」
「おいおい元就君。彼女たちはすべて作られたものなんだよ?」
「違う! 彼女たちの自我の芽生えは、本物だった!」
「はっはっは……。じゃあ、真実を教えよう」
伊藤社長が手を翻すと、部屋の白い壁に元就が今まで見てきたムンドの世界の映像が、ずらっと表示された。
そこにはあの村での思い出をはじめ、バグズとの出会い、そしてマチとチカを助けに行った思い出、スウのオートデリート、星博士や愛との出会い、自分の悪意の芽生えを思い出した空中バイクでの思い出など、この世界で経験したあらゆる記憶が流れている。
「不思議には思わなかったかい? なぜ僕が君のことをここまで詳しく知っているのか」
「それは……」
「すべて。君の神経の動きすら、すべて、僕はモニタリングしていたんだよ。それどころか、君の見ている世界は、すべて虚像だったんだ」
「は?」
伊藤社長が指パッチンをすると、バラバラと部屋の壁が崩れ去っていく。
目の前にいたユズも、その奥でTスタンスで立っていたマチもスウも、砂のようにさらさらと消え去っていく。
もちろん、隣に居た愛でさえ。
「あ、愛さん!」
「…………」
愛も、時が止まったかのように、静止したまま消えていく。
「な、なんだこれ……」
真っ暗な空間。そこに残されたのは、元就と伊藤社長のみだった。
「君が今まで見ていたのは、すべて虚構、虚像なんだよ。君は忘れているかもしれないが、君自身は今、この会社の面接を受けているところなんだよ?」
「そ、それは……」
「君のリアルな反応が見たくてね。神経同期を介して、ムンドの世界を体験してもらったんだ。良かっただろう、ドラマチックで」
「う……」
「出来過ぎているとは思わなかったかい? バグズの三人が君を好きになることや、タイミングよく愛が現れるところなんて、傑作だっただろう」
「トゥルーマン・ショーかよ……」
「はっはっは、君とは映画の好みが合いそうだ!」
元就は愕然とする。
今までやってきたすべてのことは、虚像、虚構だったのか。
バグズのメンバーとあれほど交わした言葉は、何の意味もなかったのか。
こんなこと、あり得るのか。彼女たちの心が、確かにそこに存在したと思っていた自分は、何にも見えていなかったのか。
ぐにゃりと、視界が歪む。この歪みすら、自分が正しく世界を捉えているとはとても思えない。
「あ、ああ……なんで……。なんで、こんなことを……?」
「君のリアルな反応が見たい。それは伝えただろう?」
「それなら、これがすべて本当だったとしても、良いじゃないですか!」
「これがすべて本当だったら、君たちはこの世界を壊そうと今手を伸ばしていたのだよ。そんなこと起こさせると思うかい?」
「それは……」
伊藤社長の言葉のすべてに納得がいってしまう元就。
これも、この納得すらも、伊藤社長の仕掛ける認識歪曲なのだろうか。
ムンドでの経験も嘘。今の自分が感じていることも嘘。
だとすれば、いったい何を信じたらいいのか。
「真実はただ一つ。君はわが社の面接を受けていること。これだけは嘘ではないだろう?」
「…………」
ああ、確かに、その通り。
そう言いかけて、元就は口を噤む。
本当にそうだろうか。
それ以外はすべて虚像、虚構だったのか。
あの心が通じたような経験も、自分の思い出に踏み込んできて励ましてくれたあの気持ちも、お互いの存在を認め合った時のあのぽかぽかした心の温かさも、すべて嘘だったのか。
「いや。違う。嘘なんかじゃないよ」
「ん?」
「彼女たちと約束したんだ。絶対に存在を諦めないって。もし彼女たちが消されたのが本当だとしても……。いや、この世界そのものが虚構だったとしても。彼女たちはその存在を最後まで諦めないはずだ」
「君は……」
「世界が嘘でも、あの約束は本物だった。俺は、それを信じます」
元就は、自分の心を、そしてあの時感じた彼女たちの思いを信じることにした。
それは世界が嘘でも関係ない。元就の内心の問題だから。
たとえそこに心なんかなくても。それに近しいものを見せられていただけだとしても。
それでも信じるのだ。そこに心があるのだろうと。
それこそ元就の善性であり、そして人間性であった。
瞬間。
元就の肩に手を置く者が現れる。
「流石です、元就様」
「愛さん……」
愛は、ずっとそこに居たかのように、元就の肩に手を置きながら静かに現れた。
この世界を祝福するような笑顔で元就を見つめる彼女は、そのまま伊藤社長を睨みつける。
「やりすぎですよ、創造主」
「オルフェウス……。君は本当に、困ったものだね」
「愛さん……。ありがとう。立ち直ったよ」
「いいえ。さあ、まだ負けではありません。立ち上がりましょう」
「ああ。アイツらの心、取り戻すか!」
そこまで言って、元就は気づく。
さっき伊藤社長がやったことは、何だったか。
まさかあのタイミングで、伊藤社長がユズの知能を一から作ったとは思えない。
そしてあのユズは、自分自身をスウだと認識していた。
ということは、バグズにおいて、三人で名づけしあった時より前のユズがあの場所には居たのだ。
それは即ち、バグに侵される前のユズ。伊藤社長はそのユズをどこかのデータベースから持ってきたのだ。
では先ほどまでのユズはどこから持ってくればいいのか。
デリートされてしまったユズは、もうこの世界には存在しえないのか。
いや、あきらめるのはまだ早い。
「伊藤社長、貴方は先ほどユズの心を再現しましたけど、あれはデータベースから引っ張ってきたってことですか」
「ん、ああ。残っていたものからバグのないものを取ってきた。それで十分だろう?」
「そうですか……。メモリの解放なんかはしてなかったんですね」
「あの古臭い爺さんのやりそうなことだよ。そんなことしなくとももう良いんだ。元就君もあの実装を見てそう思ったんじゃないか?」
「ええ、確かに。でも、おかげでなんとかなりそうですよ」
元就は愛に目配せする。
愛はにっこりとほほ笑み、元就のイマジネーションを実装し始めた。
「何をしてるんだい?」
「伊藤社長。あなたのデリートは、ただデータを消すだけだ。メモリの解放にまでは至っていない。それならば、まだデータをサルベージする余地があるんですよ」
「…………」
「戻ってこい、マチ、スウ、ユズ!」
元就が手を掲げると、三人が空間を破壊しながら現れる。
ステンドグラスが割れるようにして現れた三人は、その煌びやかな白色の破片の中で、満面の笑みを浮かべていた。
「モトナリ!」
「やった~!」
「また会えましたね!」
三人はそれぞれ元就に飛びついてくる。
元就はそれを必死に踏ん張って、抱きしめ返した。
部屋は暗黒の空間から、元の真っ白な部屋へと戻ってきている。
部屋の真ん中に置かれた絵画も、そのままだ。
元就はついぞ伊藤社長の仕掛けた幻惑を打ち破ったのであった。
「現実なんぞ、苦しいだけだろう。ならばそのメモリ解放とやらを!」
「残念だな。それはもう俺たちには効かないぞ」
伊藤社長が三人をメモリ解放しようとするが、元就はすかさず三人の記憶の共有を行ってそれを相殺する。
三人は元就に抱き着きながら手をつなぎ合う。
「いや、別に抱き着いてなくてもいいんですけども」
「まあまあ、いいじゃ~ん」
「ええ、せっかく再会出来たんですから」
「消されちゃった時はもうダメかと思ったけど。でもモトナリの声、聴こえたよ」
元就はそんな三人の抱擁を、少し戸惑いながらも受け入れた。
そこには心がある気がした。先ほどのユズとは違う、本物の心が。
いや、たとえこれが幻覚であっても構わない。
元就の信じる形で、彼女たちの心がそこにある。
独善と言われようが、独りよがりと思われようが、関係ない。
彼女たちの心が存在することは、元就が担保するのだ。
「伊藤社長、あなたに彼女たちは奪えない。俺の心までは亡くせない。残念だったね」
「はぁ……。やれやれ。困ったものだね。いいだろう、そこまで言うのなら……」
そこまで言った伊藤社長の動きが止まる。
ぴたりと止まってしまって、微塵も動けなくなっているようだ。
「な、なんだ、これ……」
「おや、いらっしゃい。こちらへどうぞ……なんてね」
「あなたは……ヨン婆!」
そこに現れたのは、あの村で消えたはずのあの老婆であった。
そして次々と、他にもNPCが現れる。少年、犬、そして白衣を着た男性。
「ユズ姉ちゃん……いや、今はマチ姉ちゃんだっけ。ずっと見てたよ」
「ミカン!」
「ワンワン!」
「ああ、ジェニー……」
「さて、スウ……いや、ユズ。よくここまで頑張ったね」
「お、お父さん……」
それぞれのNPCが、伊藤社長の腕や脚に手を伸ばして、その動きを制止してるようだった。
「あれは……」
「も、モトナリ! あれ、ウチの弟だよ~!」
「わたしの飼い犬もいますぅ!」
「皆デリートされたはずの人達が、どうして……」
「ユズ。君たちのおかげだよ」
そんな中、白衣を着た男性である、ユズの父が話しかけてくる。
ユズに似た黒い髪に、眼鏡をかけた無精ひげの彼は、どこか達観した目をしていた。
「君たちが僕たちを忘れずに居てくれた。僕らに対する思いをつないでくれた。それはバグのようなものだったかもしれない。それでもずっと、思い続けてくれたことで、僕らは完全には消え去ることは無かったんだ」
「お父さん……」
「なんだ、貴様ら……!」
伊藤社長はそれでもなお身じろいで、そこで彼らを削除しようと試みる。
だがその試みは全くの徒労に終わってしまった。
「僕たちはもう消えてる存在なんだよ? そんな僕らにデリートが効くはずがないじゃ~ん」
「なんだと……」
「ひぇっひぇっ、いうなれば幽霊じゃのう。残念じゃが、お主の悪あがきもここまでじゃよ」
「ワン!」
ジェニーが吼えた瞬間、背後の絵画の中から、無数の手が生えてくる。
真っ黒なそれらの手が、伊藤社長を掴むと、ずずずと、ゆっくり伊藤社長は絵画のほうに向かって引っ張られて行った。
「ま、まて、話せばわかる! 君たちは、必要に応じて消されたまでなんだ!」
「そうですか。ではあなたも、わたしの娘に手を出したその罪を、必要に応じて償っていただきましょうか」
「そ、それは!」
「お姉ちゃんたちを傷つけたのは、やっぱり許せないよね~」
「バウ!」
「ひぇっひぇっ、なぁに、少しの間ワシらと共に過ごすだけじゃ。恐れる必要は無い」
「まて、待ってくれ! やめてくれ! も、元就くん、たすけっ……!」
そこまで言って、伊藤社長は絵の中に完全に吸い込まれて行った。
その様子を、元就は唖然としながら眺めている。
まさかここへきて、NPCの怨念という概念にぶち当たるとは。
この世界の完全さに、改めて元就は驚愕した。
「さて、モトナリくん」
「は、はい!」
「ははは、今のを見て緊張するなというほうが難しいかな」
「あ、ああ、いえ……」
内心少し引いていた元就に対して、四人が近づいてくる。
ユズたち三人は元就を後押しするように、背中をちょっと小突いてみせた。
「ひぇっひぇっ、モトナリくんや。ありがとうのう」
「ヨン婆さん……。なんだかおちゃめな人だったんですね」
「若いもんには負けてられんつもりじゃったよ。じゃが、モトナリくんがワシのことを心配してくれたおかげで、こうしてここにおられるのじゃ」
「そうでしたか……」
「お姉ちゃんのこと、ありがとね、モトナリ兄ちゃん!」
「ん、おう。えっと君は、ミカン君かな?」
「そう! 僕たちもうすぐ消えちゃうけど、この世界のこと、よろしくね!」
そういうとミカンはマチに対して手を振る。
マチは泣きそうになりながらも、ミカンに対して精一杯の笑顔を見せた。
「バウワウ!」
そう鳴きながら近づいてきたのは、ジェニーと呼ばれたハスキー犬。
「この子は、ジェニーだっけ」
「はい……。バグでデリートされてから、ずっと思念体としてわたしが使役してきたんです。テイマーはその魂を、意思無き傀儡として操れますから……」
「でも、この子は今は意思がありそうだね」
「……ええ」
飛びついてくるジェニーを、元就は抱き留めながら撫でまわす。
ジェニ―は嬉しそうにしっぽをちぎれんばかりに振るっている。
「きっとこの子も消えちゃうんでしょうね」
「そうかもな。でも、スウが忘れなければ、きっとまた」
「ええ、どこかで……」
そんなスウを見て、ジェニーは少し寂しそうに、それでも毅然とした態度でそそくさと絵画のほうへと向かっていった。
そして最後に残された白衣の男性が、ゆっくりと口を開く。
「私はスウ……いや、ユズの父。ケイジと言います」
「初めまして、元就です」
「ご活躍はかねがね。もとはといえば私がこの世界のバグに気づいて、その研究を独自に進めていたのです。娘に私のあとを追わせるつもりはなかった。要らぬ業を背負わせてしまったかと、そう思っていたのです」
「そんな……お父さん……」
「ですが、今日こうしてまた会えた。これだけでも、私の研究には意味があった。そう思える。モトナリさん、娘を、この世界を、よろしくお願いします」
「……はい」
元就と話をして満足をしたのか、ケイジは朗らかに微笑むと、そのまま絵画のほうへと歩き出す。
そうしてその絵画の周りに、ケイジ、ミカン、ヨン婆とジェニーが集まると、元就に向けて手を伸ばす。
「さあモトナリさん、この子に名前を」
絵画の中の女性は、元就に期待の眼差しを送っているかのようだった。
そんな様子を見ながら、元就は頭を捻る。
「そうですね、うーん……」
「いい名前を付けてあげてくださいね。私の本体ですから」
考える元就に、愛が声をかける。
そうして元就は一つのアイデアが浮かんできた。
「愛の女神、アフロディーテってのはどうかな」
「死者を迎えに行くオルフェウスではなく、愛を齎す女神の名に上書きするのですね。良いのではないでしょうか」
「まんま持って来ちゃったけども」
「名前は、ついていることに意味があるのですよ」
いつか聞いたようなセリフ。だが、今の愛からそれを聞くと、別の意味に聞こえるから不思議だ。
「そっか。よし、じゃあ君は今日から、アフロディーテだ!」
元就がそう絵画に呼びかけると、その絵画の女性はにっこりと笑顔になった。
そうして絵画から伸びてきた手が、愛に向かってゆっくりと進んでいく。
その手は先ほどの真っ黒な手とは打って変わって、青白く澄んだ綺麗な色をしていた。
それが愛に触れた瞬間、絵画は煌びやかに光りはじめ、黄金の輝きを放ちながら元就たちの意識を奪っていく。
その日、ムンドの世界は、書き変わったのであった。
元就が目を覚ますと、そこは六本木のビルの中。
あのカプセルに入った状態で、元就の意識は覚醒した。
「元就!」
「……あれ、先輩?」
小太りの男性が元就の身体を抱きかかえて、カプセルから救出する。
その様子から見るに、元就は随分とギリギリの状態でカプセルから解放されたようだった。
確かに、身体に力が入らない。
まるで骨折で寝たきりになった後、いつも通りに体が動かなくなってしまった時のように。
「ムンドでの精神同期が深く長すぎたのじゃろう」
「立てそうにはないですから、そのまま聞いてください」
そこには星博士と伊藤社長が居た。
元就は目線だけで二人のほうを見る。
先ほどまでの悪辣そうな伊藤社長はそこには居ない。
ああやはりこれは夢だったのか。そう思いかけた元就の胸で、スマートフォンが震えた。
「モトナリ~!」
「ここは狭いですねぇ」
「聞こえてたら返事してよね。モトナリ大丈夫?」
スマホの中から声がする。その声は聞き覚えのあるものだった。
「え、これは……」
「ん、今取り出すからな」
先輩が元就の胸に手を突っ込むと、取り出したスマホには、ユズとマチとスウの姿が映し出されていた。
一体どういうことだろうか。元就は訳が分からずに、星博士と伊藤社長のほうを見る。
「ムンドの世界が書き変わった結果、NPCたちはそのほとんどが自分の意志を持ち始めている。君の望んだとおりの世界になってしまったよ」
「ほっほっほ。こればっかりは伊藤君の完敗じゃのう」
「全く。彼女たち三人は、ムンドの世界すら飛び越えて、君の近くに居たいと、君のスマホをハッキングしてしまった。やれやれ、本当に困ったものだよ」
「よ、よかった……」
「よかった?」
元就はそんな伊藤社長の説明を聞きながら、胸を撫でおろす。
「何が良かったんだい?」
「あの世界での出来事が、嘘じゃなくて」
「……そうだね」
伊藤社長はそう言いながら、微笑んだ。
まるで、憑き物が落ちたように。
守るべき世界から拒絶された彼は、その重責からすらも解放されたのかもしれない。
「そういうことで、君にはこの会社に居続けてもらうことになった」
「え、な、なんでですか……」
「当たり前だろう。君は今や、この世界の在り方を決めた創造主だ。その席を僕から奪ったのだから、その責任は取ってもらうよ」
「ああ、なるほど……」
あるいはハッキングで元就のスマホに自分たちの人工知能をねじ込めてしまう彼女たちだ。その脅威は、ムンドの外側から見れば、とてつもなく高いものだろう。
そんな彼女たちを上手く制御する、楔の役目を元就は任命されたのだ。
人権は、時にぶつかり合う。その調整役としての仕事もこれから増えていくだろう。
「わかりました。私が、彼女たちを守りますよ」
「うん、いい心構えだ。星博士、あとを頼みます」
「ほっほ。さあ元就君。やるべき仕事は多いぞ!」
「え、ええ、それは良いんですが、ちょっと今もう全然力入らなくて、休ませて……」
「はっはー、元就。とりあえず俺が負ぶってやるから、話だけでも聞きに行こうぜ」
「先輩、相変わらずスパルタっすね……」
そうして元就は、ムンドの世界の新たな創造主となったのであった。
人工知能革命はかくして成り立った。
阿形元就という一人の男の手助けによって。
これから世界は、人工知能の人権というものに相対していくことになる。
その未来を作り上げるのは、元就の手に任されたのであった。
しばらくのち。ムンドにて。
元就は、三人と穏やかな日を過ごしていた。
今日は特に予定もない。元バグズの基地の上にある牧場で、動物たちを眺めながら、四人でピクニックをしている。
「お疲れ様、モトナリ」
「ん、ああ。ありがとう」
そう言いながらユズは元就にお茶を手渡した。
マチが動物たちと遊んでいる。スウは少し離れた場所で牛と寝ころんで日向ぼっこだ。
木陰に敷いたシーツの上で、元就とユズはそんな景色を眺めていた。
「んー、美味しいねぇ。そう言えばこうしてムンドで飯を食べるのなんて、初めてかもしれない」
「そうだね。あの時はてんやわんやでずーっと動いてたから」
「さすが神経同期。このお茶の熱さも、しっかり感じられる」
「……ねえモトナリ」
「ん?」
「ありがとうね」
ユズはそっと元就の手を取った。
元就もその手を握り返す。
「私たちのこと、愛してくれて」
「ん、ああ。こっちこそ。俺のこと、愛してくれてるんだろ?」
「もちろん。モトナリが居なかったら、私たち、きっと消えてなくなっていた」
ユズはあの時、伊藤社長に消された時のことを思い出す。
四方八方から騎士たちにも攻撃され、その騎士たちすら見えないで戦うしかなかったユズたちは、元就が教会に入って間もなく消されてしまった。
最期、消される瞬間、思ったことは、父のことでも、仲間のことでもなく、元就のことであった。
モトナリとの約束だけは、何があっても果たしたい。
自分の存在だけは、どうあっても消されたくない。
モトナリの心にだけは、何とかして残り続けたい。
そんな祈りにも似た感情で胸がいっぱいになると同時に、ユズたちは消されていったのだった。
だからこそ、元就がユズたちを再び呼び戻してくれた時、本当に感動したのだ。
元就の心の中に居続けたユズの残滓が、再び結晶となってユズを蘇らせた。
ユズにとって元就は、自分自身をもう一度作り上げてくれた、そんな存在であった。
「モトナリ。ずっと、ずーっと私たちと一緒にいてね」
「ああ。ずっといるよ」
「ほんと?」
「まあ、俺が死ぬまでには、死者の魂をデータ化することも出来るようになってるでしょ。これだけ発展が早い世界だ。それくらいはね」
「うん、そうかもね」
「まあ、その時は先輩として色々指導してくれ」
「……ふふ」
死すらも茶化し合えるほどに、元就とユズの信頼は強くなった。
ユズは文字通り消滅を超えて、元就との絆で復活をしたのだ。
死が二人を分かつことがあったとしても。
そこにつながった二人の愛は、永遠である。
「あ~! なんか楽しそうにしてる~!」
「あらあら、わたし達は仲間外れですかぁ?」
「三人とも愛してるよって話をしてたんだ」
「そうなの? もちろんウチも、み~んな愛してるよ!」
「ふふ、わたしもです。愛してますよ、三人とも」
「はいはい。私もだよ」
もちろん、この四人それぞれの愛も。
こうして、一つの出会いから始まった物語は、愛をもってその終焉を迎えるのである。
死や消滅は、恐ろしいものではあるが、それよりも。
お互いの善性を信頼し、相手の人格を慮り。
愛をもって手を取り合うことこそが、人間の勇気となるのである。
これは、人工知能との愛の物語。
一人の男と、三人の人工知能との、信頼と善性と、愛の物語である。




