姫様の愛玩獣は魔王様~魔王様は今日も残念で可哀想~
幼い頃から一目惚れされてお姫様になる一般人の寓話に憧れていた。
妾の知る中で一番美しい物語だと至極思う。
苦境に耐えて見いだされ、トントン拍子に愛されて評価されて。
だから物語を読んだとき、妾も見いだしてあげようと思ったの。妾が不幸な貴方を世界一幸せにすれば、それで美しい物語となるでしょう?
妾だけの可愛い子。まだ見ぬ貴方を飼ってさしあげる。良い子に育ててあげる。
だから、妾に誰もくれないものを頂戴。
全部手に入れてしまって退屈なの。
*
一月前ほどに、勇者が派遣された先で魔王を倒したとの報せが入ってきた。伝書鳩を見た連絡係は息切れしながら報告してきて、町中。いえ、世界中が歓喜した。
勇者が戻ってくればお城は大賑わいで、お父様は涙を流して喜んでいた。
勇者は凱旋パレードしながら、たった一人の角付き獣耳付き尻尾付きの獣人を連れている。
凶悪な眼差しは金色の三白眼で、髪の色は燃えるような赤。牙はぐるぐるとむき出しに威嚇していて。黒い毛皮の外套で身を包み、肌の露出を抑えている。三白眼でさえなければ誰もが見惚れる美青年だったのだろう。無礼な態度も気迫が凄んでいて勇ましい。
勇ましさとは対照的になんて愛らしい、とときめいてしまう。
凱旋パレードを城から眺めていて、やってくる檻の中の獣に心からときめいた。
生まれて初めての感覚。胸が高鳴り、この熱を持て余す。
口元が頬笑んでいく。あの方を手に入れたいと、心から願う。
産まれてからこの方、手に入らないものなどない。あの方も、きっと妾が願えば手に入る。
妾はただ、笑顔を浮かべてしおらしくすればいいだけ。
凱旋パレードの最中、檻ごしに辺りへ睨んでくる妾のわんちゃんを心から可愛らしく思った。
「よくぞ無事に戻った、褒美をとらせよう」
感謝を述べて、勇者の両手を握りしめたお父様はゆっくりと勇者と抱きしめあった。
勇者はお父様のご友人の息子だから、妾とは面識がある。妾は目が合うと微笑み、勇者はにこりと微笑み返してきた。
「この檻の中にいるのが魔王です」
紹介された魔王はぼわっと吐息に炎を交じらせ、一同を驚かせた。その場にいる多くの者が畏怖の眼差しで魔王を見れば、魔王はにたらにたらと嗤っている。
ああ、反抗的な男はとても可愛らしくてわくわくする。
「ねえ、このまま処刑だなんてとても可哀想だと思いません?」
目元に涙を浮かべて世の中でも憂う顔を見せれば、お父様と勇者は此方をじっと見つめた。
「もしよろしければ妾が身元を引き受けますわ」
「姫様、どういう……もしや魔王を飼うつもりですか」
勇者のぎょっとした言葉でも、お父様は妾をまだ気遣う。
「そなたは心の優しい子だ、殺したくないのだな」
「妾たちと魔物の命、どう差がありましょう? 憎しみの連鎖を断たねばならないのです」
もっともらしい言葉にお父様は感動しきり、勇者へと重々しく命じた。
「魔王を姫の元に与えることはできんのかね」
「で、できないのでは……ご覧の通り反乱分子です。魔力もまだ健在だ」
「あのう、ちょっと宜しいですか。それなら私がどうにかできると思うのです」
勇者のパーティである魔法使いが挙手した。露出の多い格好だけれど品の良さも残った女性は杖を一振りで、魔王に首輪を与えた。
首輪の与えられた魔王は首輪をはずそうと弄り倒すが外れない。
「魔力に関してはこれでパン屋より無力になりました」
「パン屋さんってお強いの?」
「一般人の中で一番強い人です。何せ毎日力の要る仕事でパンを沢山作り、客をさばく。今の魔王は八百屋よりも花屋よりも弱いです」
「まあ。だとしたらこの方が改心するかは妾次第ということね? ねえ、お前。妾の物にならない?」
たっぷりと色気を込めて魔王へ微笑みかければ、魔王はきょとんとしてからぶるぶると首を振ってから檻を両手で掴んだ。
檻はそれでもがしゃんがしゃんと音がするだけで、びくともしない。
「物扱いすんじゃねえよ! 誰がお前のものになるか、くそあま!」
「お前、姫様になんて言葉を!」
「良いのよ、そこを含めて教育してさしあげましょう」
にっこり微笑みかければ魔王はあかんべえなんて幼い所作をしている。
二メートルほどの背丈の男がそんなことをしたって、可愛いだけなのに。
見いだしてあげた妾の寓話、可愛らしい魔王。
さあ、良い子になりましょう――?
*
魔王を手に入れればお風呂に妾自ら入れてあげようとすれば、流石に侍女に止められた。
まあ、ペットって自分で世話しなくてはならないのでは?
侍女は真っ赤な顔で魔王をお風呂にいれてあげてお洋服を着せてあげた。
お洋服はまだぴんとこない、今度仕立ててあげないと駄目ね。可愛い可愛いお洋服を着せてあげないと。
この子は真っ赤な色味が似合うから、きっと黒いお洋服も似合いそう。宝石は何をあしらえよう。琥珀石がいいかしら。
妾は侍女に下がらせ、魔王と二人きりの時間を取る。
妾の部屋はピンクと白の基調をした部屋で、可愛らしい女性特有の甘さを連想させる為の色味。
紅茶とクッキーはいつも侍女に用意させておいて、ベッドには沢山のクッションとレースのカーテン。調度品も一流の物ばかりで、窓辺にはカナリヤが啼いている。
カナリヤは魔王を見ると驚き、あっという間に侍女に助けを求めに飛んでいってしまった。
「お前、名前はなんというの」
「なんでくそあまに教えなきゃなんねえんだ」
「まだ事情が分かっていないようね。魔王なのにおつむが足りないなんて、そこも好みよ」
「うるせえ、怖いんだよお前。綺麗な見た目してるくせに」
「あら、魔王のお前が妾を怖がるの? 怖いなら早いところ名前を教えてくださらない?」
「……ルドルフだよ、なんだ、お前の言うこときくと何か特典でもあるのか」
「まずお前の命は妾が握っているのよ。妾のご機嫌一つでどうとでもなる軽い命なの」
「こっわ」
にこやかに告げればルドルフはぞっと鳥肌を立てて、三白眼を眇めた。愛くるしい所作に妾は機嫌良くルドルフの喉を撫でた。ルドルフは邪魔そうにしている。
「もうひとつ。良い子にしていれば、お前の手下たち。魔物もこの先待遇はよくなるんじゃないかしら」
「オレにお前に屈しろってことか」
「負けたんでしょう? 安い取引だと思わないかしら」
「死んだ方がマシだな」
おえーっとした動作をするところまで下品で野蛮。これだけ好みの男だと、本当に現実か疑わしくなるけれどルドルフの頭を叩く感覚は現実のものだわ。
「いい? 良い子にすればするだけ、お前の大事にしたい物の無事が保障されるのよ」
妾がそっと優しく囁けばルドルフは睨み付けてから、側にあった紅茶を受け入れて飲んでくれた。
よかった、ずっと水分を摂っていなかったから心配だったの。
クッキーも手渡せばばくばくと両手掴みに食べるものだから、ばちんと両手を叩いた。ルドルフはきゃん!と犬のような鳴き声で反応してから、妾へ唸る。
「妾のもとにいるからには、少しばかり下品な動作は控えて。そういう姿も愛くるしいけれど、それは少しずつ直していきましょう」
「どうして。いいじゃねえか」
「駄目よ。人間との共生を考えて、ってお話だから」
妾がそうっと顎のラインを撫でてから、顎を捉えて放り出すように手を放してやればルドルフは眼を半目にしてきた。
「姫様よ、お前の名はなんだ」
「ラミよ、どうしました? 興味を持ってくれたの、ご主人様の名前」
「もし魔物の時代がまたきたら、真っ先に墓を作ってやるから、安心して殺されろ」
強い覇気で睨んできても、やんちゃなわんちゃんが睨んでいるみたいで可愛らしい。
妾ね、犬を飼うの初めてだから。とてもわくわくする。躾をちゃんと出来るか楽しみね?
*
それからルドルフの教育の時間が始まった。お勉強、礼儀作法、常識を教え込んでいく。
ルドルフは最初は従わなかったけれども、ご褒美に最高級ステーキを出せばすんなりと受け入れてくれた。
妾への態度だけはそのままだけれど、そこも可愛らしかった。
この日はルドルフに散歩をしてあげようと、一緒に馬車に乗ることにしていたの。
久しぶりに外の空気を吸いたいでしょうし、犬は散歩しないといけないでしょう?
だからルドルフを連れて馬車に乗り込み。何人か騎士つきで郊外に出かけようとしたの。
馬車の移り変わる景色を眺めて、ルドルフは町並みから見える人々を見つめる。
「もっとなんていうか。おっかない生き物だと思っていた」
「妾を?」
「いいや、お前もだけど。人間がさ。お前の城の奴ら、普通にオレを受け入れてるんだ。姫様のわんこだなんて言って、たまに餌を寄越す」
「馬鹿にされてると感じたの?」
「でもなんだろ……年寄りたちのほうはさ。執事とかメイドのばばあじじいどもはさ。普通に親切心が伝わるんだ」
「ふふ、自慢の人達よ」
「なんかさ……思っていた人間じゃねえんだよ、お前らは。寒くないか風邪引くなよってばっかじゃねえの、オレ魔王だよ」
「魔王だからってなあに? かける優しさに差異をつけなきゃならないの?」
「……居心地悪いな、お前のそういうところ」
不機嫌そうなルドルフはふと、ぴんと獣耳を張り詰めさせる。
「馬車を止めさせろ」
ルドルフの真剣な声に、妾は窓を見やる。景色は街から出始めていて、少し森に近い。森と城下街の間。
ルドルフの真剣さに頷いた妾は、馬車を止める合図に馬車に入れていた鈴を鳴らす。ハンドベルのような鈴は少しだけ大きく響くので、外にも充分に伝わるはず。
馬車はぴたっと止まると不穏な空気。
妾はルドルフと顔を見合わせれば、その瞬間馬車が傾き倒れていく!
衝撃にルドルフは妾を守ろうと抱き寄せ自分が下敷きになってくれた。けれど、位置がまずかったのか、妾と――口づけをしてしまった。
ドキドキと鼓動が高鳴る。間近に見つめる稲穂色の眼は驚きを顕わに固まっていて。
柔らかな唇と、ふおんと薫る太陽の香りが甘い。体温の暖かさに、どきりとする。妾を抱き留める胸も肩も逞しい。
そんな眼で、みたことなかったのに――。
外から声がかけられる。
「お姫様よ~。そんないいこと子犬ちゃんとしないで、俺たちとしようよ~」
「見た目だけは本当上玉だよな。えげつねえほどの美女だ。娼館に売ったらきっとたんまりと……おいほら、下りてこい」
ああ盗賊達に囲まれていて。きっと騎士たちは負けて死んだのだと悟った。
殉死してしまった騎士達に祈りを込めながら、盗賊は扉を開け妾を引っ張り出してくる。
「さあて、金の卵を産んで貰いに行こうな、お姫様よ。大人しくしてたら、傷つけねえからさ」
「無礼者。お前たちや下衆に触れられて侮辱されるくらいなら、死を選ぶわ」
「はあ? 何言ってるんだ……おい、やめろその眼差し」
「睨まれただけで怖いの? 随分と臆病な子ね、坊や。お布団に世界地図を毎日画いてるのかしら」
「てめえっ! !? うわあああああ!!!」
盗賊が妾を殴ろうとした刹那、爆炎が盗賊を火だるまに仕上げた。
盗賊がどんどんと誰も逃げる隙を与えられることなく、全員火だるまにされていく。
ルドルフが瞳を光らせ、牙を現しながら首をこきこきと鳴らして馬車から出てきた。
「おい、くそあま。お前に一つだけ感謝するわ。何がどーなってるか知らねえが、お前とキスして魔力が戻った」
妾はきょとんとして、ルドルフを見つめ、微笑んだ。
「それで? 妾を殺す? いいわ、盗賊に売られるより、お前に殺されるほうがマシよ」
「……命乞いもしないのか」
「舐めないでくださいませ、妾はこの国の王族。自尊心くらいなら持ち合わせていますわ。綺麗に殺してね」
「……ならお望み通り、殺してやらあ!」
ルドルフの掌から氷の剣が生み出され、妾の首根を狙う。妾は目を閉じていたから、きっとすんなりと死ぬと思っていたのに。
眼を薄く開けば、苦しげなルドルフの顔。
どうかしたのかと、頬に手を当てる。
「怖くないわ」
「うるせえ」
「お前は自由が欲しいのでしょう?」
「うるせえ、黙れよ! 殺す! 殺す!」
「……できないの?」
ルドルフが傷付いた顔をした瞬間、氷の剣は砕け、ルドルフから感じていた異常なほど強すぎる覇気も消えていた。
魔力を取り戻した時間は短時間だったらしい。
「……できなくなった、時間切れだ。制限時間つきか、くそが」
ルドルフの言葉には何処か哀愁があり、妾は顔を覗き込めばルドルフは妾を見つめ返してきた。
「お前……欲しい物が手に入ったことないんだろう?」
「ええ? どういうこと?」
「欲しい物が、執着したことない顔をしていた。死ぬ寸前の奴らは、皆、欲しい物を願うんだ。どうして手に入らないって。お前にはそれがない」
「欲しい物はあるわ? でもそうね、お父様に願えば手に入るの」
「随分とつまんねえ日々だな。でもそうか、お前……寂しい奴だな、それで我が儘言いまくってるわけか」
「我が儘ですって?」
「我が儘だろう、手に入るかどうかで愛情計ってるだろ。少し年頃のガキらしくて安心した。ちったあ可愛いじゃないかお前」
心から同情した声に妾は小首を傾げた。
ルドルフはそれから逃げもせず、妾と城に戻り、執事長に報告していた。
報告を受けた執事長は連絡を他の騎士ととり、どたばたしていたけれど、妾は不思議とまだふわふわとしていた心地だった。
何だか、ずっとかくれんぼをしていて、長年隠れるのも飽きる頃に見つけられたような感覚で。
妾は真っ赤になる頃に、ルドルフに毛布を押しつけられた。
「風邪引くなよ、寒いんだろ。それとも食い過ぎか。判った、さては香水のつけすぎだな?」
ルドルフの人間から覚えたばかりの的外れお節介が、暖かい。ルドルフなりの気遣いなのか、それともただの情けなのか判らないけれど。
なんて厄介な子犬を飼い始めたの! こんなに心を掻き乱されるなんて、予定外よ!
幼い頃見た寓話の王子様は、見いだした女の子にきっと惹かれたのね。一瞬で大好きになるような出来事だったのね。何でもしてあげたくなったのね。今ならとても判る。だからきっと、あの話は世界で一番美しいのね。
妾は恋の寓話を、表面上でしか判っていなかったのかもしれないと、少し気恥ずかしくなる。
妾の凶悪面した魔王を、今日も妾が躾けてあげる。
きらきらとした眼差しで、パフェに勢いよく頬張りついてステーキ食べるときより美味しそうな笑顔。
(お前が妾の欲しい人よ――)
……何処か眼差しに優しさの宿り始めたこの子を、男性として愛さずにいられない妾はお姫様失格なのかも知れない。