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07.星空の下で

 ヒューイットとのダンスは夢のようで永遠のようにも一瞬のようにも感じられた。

 やはり久しぶりのダンスだったせいで曲が終わった時には体はくたくたになっており、ヒューイットに手を引いてもらっていなければよろけていたかもしれない。


「大丈夫か?」

「ええ、大丈夫」


 対するヒューイットは息切れ一つしていない。それは騎士として鍛えているからなのか、ダンスに慣れているからなのかわからない。

 だがその姿は私が知る「かわいいヒューイット」とは違うということをありありと伝えてくる。

 彼はもう私の庇護が必要な少年ではない。当たり前のことなのになぜか胸の奥がギュッと苦しくなる。


 ぼんやりとヒューイットの顔を見つめていると、どうした、と聞くように小首をかしげられてしまった。

 整えていたはずの前髪がわずかに乱れて額にかかっているのが妙に大人っぽくて、私はあわてて視線を逸らす。


「ううん。ねぇ、もうそろそろお開きにしてもいいんじゃない?」

「ん? ああ……そうだな」


 目当ての人間には接触できた。尾行をしてくれている人たちが成功したかも気になるし、そろそろ私たちの役目は終わりだろう。


「じゃあ、行きましょう」


 言いながら私はヒューイットから体を離す。

 これ以上一緒にいたら、考えてはいけないことを考えてしまいそうだったから。

 だが離れかけた体はヒューイットに腰を抱かれるようにして再び引き寄せられる。


「まだだ。まだ奴らの仲間が見張っているかもしれないって言っただろう。会場を出るまでは……俺たちは恋人同士なんだから」


 やけに真剣な顔で見つめられて、私はあわててうなずいた。ちょっと怒っているような緑の瞳が少しだけ怖い。


「ごめんなさい」


 自分の感情だけでことを終わらせようとしていたことが恥ずかしくなる。

 これはお遊びではなく、ヒューイットたちの大切な仕事だったのだ。やると決めたからに最後までやりきらなくては。


「リィ、俺は」

「そろそろお腹がすいたわ。帰りましょう、ヒュー」


 私は何かを言いかけているヒューイットの言葉を遮るようにわざとらしいほどの明るい声を出した。

 同時に私の腰を抱くヒューイットの腕に思い切りしなだれかかる。近くにいた品のいいご婦人がきゅっと眉を吊り上げたのがわかったが、無視して微笑みを作る。


「ね?」


 もう終わりにしよう、と願いを込めながら笑いかければヒューイットの瞳が一瞬だけ丸くなって、それからなぜか切なげに細まった。


「……そうだな、帰ろう」


 体をくっつけあったまま会場の外に出る。

 外はすっかり星空で熱気に包まれていた室内が夢だったように冷え切った空気が肌を刺した。


「ックシュ」


 気温差に体が驚いたのかくしゃみをしてしまえば、ヒューイットの腕が慌てたように私の肩を抱いた。


「急いで馬車に戻ろう」

「うん」


 肩を抱かれたまま、無言のままに馬車へと急いだ。

 石畳を歩く二人分の足音だけがやけに響く。ドレスからむき出しになった私の肩を抱く手は大きくて骨ばっているのがはっきりと伝わってきて、さっきまでは寒かったはずなのに体がほてってくるようだった。

 明かりの乏しい屋外では、隣にいるのにヒューイットの顔がよく見えなくて、本当に今私の横にいるのがヒューイットなのか急に不安になってくる。

 ようやく馬車の明かりが見えて、ほっとする。横目で確認すればまっすぐに前を見つめるヒューイットの顔が見えた。


「ヒュー……」

「しずかに」

「え」


 話しかけようとした私の唇をヒューイットの指が防いだ。表情は変わらないのに、ヒューイットを包む空気が険しくなったのがわかる。


「誰かがついてきている。絶対に振り向くな」

「……!」


 その言葉に耳を澄ませてみれば、確かに後ろから私たちとは違う歩調の足音が聞こえてくる。

 自分たちと同じように馬車に戻る招待客なのではないかと思ったが、ヒューイットが違うと感じているのならば違うのだろう。


「もし招待客なら連れがいるはずなのに足音は一つだ。それにやけに静かすぎる。ダンス用の靴ではない」


 音だけでそんなことまでわかるのかと目を丸くしながら、私はヒューイットの体にギュッとしがみつく。


「大丈夫だ。おそらく、本当に信用できる客か最後まで確認するつもりなんだろう」

「そっか……」


 どこまでも用心深い連中なのだろう。だからこそ、これまでにたくさんの人が騙されているのにもかかわらず尻尾をつかませないでいる。その事実に体の中がギュッと冷えた気がした。

 私とヒューイットは慌てていると思われないように、歩調を弱める。後ろを歩く誰かの足音も同じく足音が緩やかになり、一定の距離を保とうとしているのがわかった。

 ほんの少しの距離だというのに、馬車までの距離が随分と遠く感じる。

 ヒューイットが肩を抱いてくれていなければ、走り出してしまったかもしれない。


 ようやく馬車の形がはっきりと見えるほどに距離が近づく。車体からつるされた灯が周囲をぼんやりと照らしている光景にホッとする。御者に扮した騎士団の仲間がいるはずだと周りを見回せば、それらしい人物がすでに御者台に座って私たちを待っているのが見えた。


「早く乗ろう。風邪をひいてしまう」

「ええ」


 あくまでも私を案じるふりをしながらヒューイットがドアに手をかける。少し慌てていたせいで足をもつれ支えた私は、タラップを踏みそこなってヒューイットの胸に倒れ込んでしまった。


「きゃっ」

「おっと」


 私を受け止めてもヒューイットのバランスは崩れることなく、しっかりとその場にとどまったまま抱きしめてくれた。

 全身で感じるヒューイットの男性らしい体と匂いに顔が熱くなって心臓が大きく跳ねる。


「ご、ごめんなさい」


 謝りながら顔を上げると、目の前にヒューイットの顔があった。

 息がかかりそうなほどの距離でお互いの瞳がぶつかる。その距離は近づいて、とうとう私の視界はヒューイットだけになってしまった。


「リメル」


 私の頬を手袋に包まれたヒューイットの指先が撫でたのがわかる。

 私の名前を呼ぶ吐息と何かが私の唇をくすぐる。ほんの一瞬だけ感じたそれは柔らかくて暖かい感触がした。離れ際、ヒューイットの長いまつげが私の頬を撫でたのがわかる。


「ヒュー君?」


 すっかり演技を忘れて固まる私の顔を見ないままに、ヒューイットは私を腕に抱いたまま馬車に乗り込む。

 ばたんと少し乱暴に扉が締められると、それを待っていたかのようにすぐに馬車は動き出す。

 カーテンを引かないままに走り出したせいで車窓の向こうは真っ暗。私たちを追っていた誰かの姿は見えなかった。代わりにヒューイットの腕に抱きしめられ、情けないほどに顔を真っ赤に染めた私の姿がガラス窓にはっきりと映っているのが見えた。


(今の……?)


 抱きしめられた不安定な体勢のまま座席に二人並んで腰かけてもヒューイットは何も言わない。緩まない腕の力に何か言うべきなのにと考えるが、私も口にすべき言葉がうまく見つからなくて。

 車輪が地面を削る音と車体が揺れる音だけが私たちを包んでいた。


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