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21.解放されるもの


 どれほど時間が経っただろう。

 荷馬車には私を連れ出した男の他には馬を操る男しかない。荷台に乗ったところで手足を縛られ、床に転がされているせいで飛び降りることもできず、私は唯一自由になる唇を噛んだ。

 男たちは無言のままあたりを警戒するように、絶えず視線を動かしている。

 空しか見えないから、どこに向かっているのかわからない不安で泣きそうだった。


(ヒュー君)


 思い浮かぶのはヒューイットの顔だ。

 きっと今頃は大騒ぎになっているだろう。

 また、迷惑をかけてしまった。ヒューイットの重荷になりたくないと願っているのに、どうしてこんなことになってしまうのか。

 滲みそうになる涙を必死にこらえる。この男たちの前で泣くのだけは嫌だった。


「着いたぞ」


 男の声に視線を向ければ、いつの間にか荷馬車は動きを止めていた。

 乗せられたときと同じように腕を掴まれ、引きずるようにして荷台から下ろされる。


「っ……」


 そこは廃墟だった。屋根や壁が半分以上崩れ、周囲は荒れた林が広がっている。たとえ叫んでも誰も来ないだろうということが嫌でもわかる。

 荷物のように抱え上げられ、廃墟の中に運ばれた。

 埃っぽく薄暗いホール中央に下ろされる。周りを見回してみるが、人の気配はない。


「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ、かわいいお嬢様」

「!」


 聞き覚えのある声に、弾かれたように振り返る。


「お久しぶりですお嬢様。いや、泥棒さん、と言った方が正しいでしょうがね」

「……コルベール」


 最後に会ったときと同じ格好をしたコルベールが、柔らかな笑みを浮かべ私を見下ろしていた。

 コルベールはゆっくりとした動作で私に近づき、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「よくもやってくれたな。この俺から盗みを働くなんてよぉ」


 紳士的な表情が一変して、恐ろしい形相に変わる。口調までもが変わってしまい、まるで別人だ。ビリビリと空気が震えるほどの怒りが伝わってくる。


「お前のせいでこっちは商売あがったりだ。あの懐中時計はよっぽど価値があるモノだったらしいな。さっさと売っておくべきだった」


 コルベールは苛立たしげに舌打ちをした。

 どうやら本当にあの懐中時計の価値を知らなかったらしい。


「商談中だった客も全員逃げちまった。まさか、騎士団と繋がっていたとはな。まんまと騙されたぜ」

「っ……! 人を騙していたのはどっちよ! 偽物を売ってお金をだまし取るなんて最低よ!」


 思わず言い返せば、コルベールが何かを面白がるように口の端をつり上げた。


「随分と活きのいいお嬢ちゃんだな。着飾っているときは貴族のお嬢様にしか見えなかったんだが、メイドだったのか? それともこっちが変装か……まあ、どっちでもいい」

「ぐっ!」


 コルベールの手が私の顎を掴む。まるで品定めをするかのようにじっくりと顔立ちを確認された。


「ふむ。まあまあだな。目立つほどの美人じゃないが、むしろこれくらいの方が商品としては価値がつくかもしれん」

「なに、を」

「簡単なことさ。お嬢ちゃんは俺から大事な懐中時計とメシの種を奪った。だからお嬢ちゃん自身に補填してもらうのさ」

「補填……?」


 嫌な言葉に、体が冷える。背中を冷たい汗が流れるのを感じた。


「この国の女は高く売れる。品もいいし質も悪くない。長持ちするって好評なんだ」

「……!! あなた、最低ね!」

「最高の褒め言葉だな」


 コルベールは楽しげに肩を揺らし、私を掴んでいた手を放す。


「本当はもう少し数を集めたかったんだが、そろそろお嬢ちゃんの騎士たちが騒ぎ出すころだろう。そろそろ出立するか」

(出立……? 逃げるつもりなのね)


 ビルクの言葉が脳裏に浮かぶ。


『最後に何か一儲けしてからこの場を去ろうと考える可能性が高い』


 その儲けというが人身売買だという事実に全身の毛が逆立つような嫌悪感が湧き上がる。

 この男は私が想像していた以上の悪人だった。ただの詐欺師などではない。

 立ち上がり私から離れていこうとするコルベールの背中に、私は叫ぶように言葉を投げつけた。


「私、あなたを知ってるわ! 五年前もこの国で同じような詐欺を働いたでしょう!!」


 ピタリとコルベールが動きを止め、ゆっくりと私に振り返る。

 その瞳の冷たさに、心臓をわし掴みされたような錯覚に襲われる。

 無言のまま私を凝視していたコルベールが、は、とどこか喜色じみた吐息を零した。


「どこかで見たことがあると思ったら、あのとき騙した愚図の身内か。ようやく思い出した。そうか、お前、俺を覚えていたのか」

「あなたのせいで我が家は貴族じゃなくなったわ! 叔父様は今も行方知れずなのよ! この人でなし!」

「人聞きが悪いことを言う。騙される方が悪いのさ。耳障りのいいことだけ信じて、下調べを怠ったお前の叔父さんのせいだ。逃げたのも弱いからだろう?」

「ちがう! 騙す方が悪いのよ! 人を騙して利用して……人間として最低だわ!!」


 これまでずっと心の奥に抱えていたものを吐き出すように叫んでいた。

 だがコルベールには全く届いていないらしく、嘲るような笑みを私に向けている。


「あのときは随分儲けさせてもらった。だから今回も上手くいくと思ったんだがなぁ……まさかお嬢ちゃんに邪魔されるとは思わなかった。まあいい、今回も俺は勝ち逃げさせてもらう」

「そんなこと絶対にさせない! 許さないんだから!」

「ははっ、お嬢ちゃんに何ができるんだ? そう暴れると疲れるだけだぜ。旅は長いんだ、せっかくだから仲良くしようぜ」


 再びゆっくりとした足取りでコルベールが私に近寄ってきた。

 その顔に滲んだ狡猾で残虐な色に、私は体をよじって逃げようとするが自由のきかない体では無様にもがくことしかできない。

 周囲にはいつの間に私をここに運んできた男たちを含め、数人の男たちが立っていた。

 最悪の想像に、これまでずっと我慢してきた涙が滲む。


「……くん、ヒュー君!!」


 気がついたときには叫んでいた。助けて。会いたい。大好き。

 こんなことになるのならば、意地を張らずに好きだと伝えておけば良かった。ヒューイットの告白に嬉しいと応えれば良かった。

 苦い後悔が胸を満たし、呼吸が乱れる。


「リメル!!」

「!!」


 男たちが動きを止めた。コルベールが青ざめた顔で、私の向こうを凝視している。


「な、なんだぁ!」

「そこまでだ!! 俺のリメルから離れろゲス共がっ!!」

「ヒュー、君……?」


 廃墟の入り口に立っていたのは、他の誰でもないヒューイットだ。怒りに満ちた表情でコルベールたちを睨みつけ、抜剣し構えていた。


「なっ、なんで! くそっ、逃げるしか……!」

「逃がすかっての!」

「ぎゃあ!」


 男たちの一人が、情けない悲鳴を上げて床に倒れ込む。


「ビルク様……!」

「よう、リメル嬢。奇遇だな」

「てめぇ、よくも……ぐあっ」


 どこから現れたのか、ビルクは男たちの背後に回り込みまた一人、また一人と殴り飛ばしていく。


「リメル!」


 逃げ惑う男たちを切り捨てながら、ヒューイットが私の方に近づいてくる。

 私をここに連れてきた男も、彼の剣に足を切られ叫びながら床に倒れ込んだ。


「大丈夫か!?」

「ヒュー君……!


 私を囲んでいた男たちを全て倒したヒューイットが、床に膝をつき私をきつく抱きしめてくる。全身を包むヒューイットのぬくもりと香りに、涙が溢れた。


「ヒュー君、ヒュー君!」


 腕が自由にならない代わりに、彼の胸に額を必死に押しつける。


「リメル……無事で良かった。ごめん、怖い思いをさせて、本当にごめん」


 絞り出すような声で謝られ、私は必死で首を振る。

 ヒューイットは助けに来てくれた。私を探し出してくれた。謝る必要なんてない


「くそっ……なんでここがわかったんだよ!」


 ビルクに追い詰められたコルベールが無様に叫ぶ。

 先ほどまでの余裕は消え失せ、小物のように怯えている。


「お前たちは俺たち騎士団を舐めすぎだ。コソコソ動いていれば見つからないとでも思ったのか」


 ビルクの剣がコルベールの喉元に突きつけられる。

 もう逃げられないと悟ったのか、コルベールはまるで糸の切れた人形のようにその場にへたり込んだ。

 それが合図になったように、騎士たちが一気に廃墟の中になだれ込んでくる。逃げようとしていた男たちは捕まり、ヒューイットやビルクが倒した男たちも拘束されていく。

 目の前で繰り広げられる大捕物に呆然としていれば、ヒューイットが私の手足を拘束していた縄をほどいてくれた。

 そして、もう一度きつく抱きしめてくれる。


「ヒュー君……!」


 ようやく自由になった手で、私はヒューイットにしがみつくと子どものように声を上げて泣いたのだった。


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