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18.はじめての嫉妬

 

 次に私が目を覚ましたとき、ヒューイットたちはすでに屋敷にいなかった。

 メイド長に寄れば、朝早くに慌ただしく出かけていったそうで、戻りがいつになるかはわからないらしい。

 私はもうお役御免の気持ちでいたのだが、後始末もあるので彼らが帰ってくるまではこれまで通り屋敷の中で過ごすようにとの指示が出されていた。


「まあ……万事解決ってわけではないものね」


 ぼんやりと窓辺で刺繍をしながら呟く。

 ヒューイットたちが屋敷を出てすでに三日が過ぎていた。定期的な連絡は届いているようで、メイド長からは心配しなくていいと毎日言われている。

 どうやら後始末が長引いているらしい。


 あの日は懐中時計を取り戻すことだけに必死だったので考え至らなかったが、冷静に判断すればあれだけでことが片付いたわけではないのだ。

 騎士団が引っ張り出される原因になった王太子の懐中時計紛失騒動は解決しても、詐欺グループを捕まえられたわけではない。

 この屋敷の場所は知られているだろうし、私が逃げ込んだことだってすでに把握されているだろう。この状態で、ふらふらと元の生活に戻るわけには行かないことくらいわかっている。

 だが、さすがにこうも閉じ込められていては息が詰まる。


 これまではヒューイットが一緒に過ごしていてくれたから気が紛れたが、「お嬢様」と呼んでくるメイド長をはじめとした使用人の人ばかりに囲まれている状況というのは、やはり落ち着かない。

 貴族令嬢をしていた頃だって、ここまではなかった。元々裕福な家ではなかったし、家族も多く深窓の令嬢のような暮らしをした経験はない。

 一度、市井で労働をしたことがあるからなおさらなのかもしれない。何もせずにじっと過ごしていると、怠けてしまっているような居心地の悪さがどうも拭えない。

 唯一の救いは、貴族令嬢らしく着飾る必要がなくなったことだろう。メイドたちはなんとかドレスを着せようとしてくるが、さすがに息苦しいと今はメイドのお仕着せを借りて過ごしている。


「結局、貧乏性なのよね私って」


 貴族らしく振る舞うことや役目をこなすことも嫌いではないのだが、きっと人のために働くのが根本的に好きなのだ。ヒューイットの遊び相手、という役目を得たときも嬉しくてたまらなかった。根底には彼への好意があったからなおさらだ。


「どうすればいいのかなぁ……」


 ヒューイットは本気で私と結婚するつもりなのだろう。真面目で責任感の強い彼のことだ。私と結婚するのが最善だと信じて疑っていないに決まっている。


 この事件のことと同様に、あの日は冷静になって考えられなかったが、今になって思えばあの告白は薬による勘違いという可能性だってある。

 どうやら後遺症のあるような薬ではなかったようだが、一口飲んだだけの私があれほど乱れたのだ。グラス一杯分飲み干したヒューイットが冷静な思考を保っていたとは考えにくい。

 屋敷に戻ってからの行為だって、薬を飲んで半日も経っていなかったからまだ効果が残っていたのかもしれないし。


「ヒュー君は、ヘザーが好きだったんじゃなかったの?」


 思い浮かぶのは幼馴染みの顔だ。もう随分会っていない気がする。

 ヒューイットとヘザーはいつだって私と彼以上に親密だった気がするし、時折見せる熱い視線はヘザーに向いていたように思う。

 私への告白は、幼い頃からの親愛を勘違いしただけで、本当に好きなのはヘザーだとしたら。


 ずきりと胸が痛くなる。

 以前も同じようなことを考えて苦しくなったことがあった。そのときは、幼い頃からの関係が崩れ、自分だけが爪弾きになることが嫌だった。

 でも今は、ヒューイットの横に自分ではなくヘザーがいるという事実が辛い。


「自覚した途端に、あさましいわね私って」


 この心をどこに持っていけばいいのだろう。

 そしてヒューイットをどう説得すればいいのか。

 いっそのこと、全て流れに任せてしまえば楽になるのだろうか。

 この三日間ずっと考えていたが、結局答えはまだみつかっていない。


「はぁ……」


 優柔不断な自分に嫌気がさしてため息を零せば、ノックの音が聞こえた。


「はい」

「お嬢様、お客様です」

「お客?」


 誰だろうと刺繍の手を止め立ち上がる。

 メイド長と共に部屋に入ってきたのは、騎士服に身を包んだ長身の女性だった。年頃は私やヒューイットよりも若く見えた。

 明るい金髪を頭の後ろで一つに結んだ、隙のない涼やかな立ち姿に目を奪われる。顔立ちは少し中性的ではあるが、とても整っていて麗しい。男性以上に女性に好まれる美人だなとどこか呆けた気分で見つめていれば、彼女は私の前で軽く腰を折った。


「突然失礼します。私は騎士団に所属しているパメラ・サリヴァンと申します。以後、お見知りおきを」


 堅い口調で一息に挨拶をされ、とっさに返事ができずにたじろいでしまう。

 パメラと名乗った彼女の目がすうっと細まり、私を睨み付けた、ような気がした。


「あなたがリメル殿ですか?」

「ええ、はい。そうです」


 どこまで手の内を明かしてよいかわからず曖昧に答える。

 パメラの表情は鋭いままだ。

 どうも敵意を向けられているように感じるが、初対面のはずなのにどうしてだろう。理由がわからず戸惑っていると、パメラがふうと短い息を吐き出した。


「リメルさん。急ではありますが、私と一緒に騎士団の詰め所まで来ていただけませんか」

「えっ?」

「急用だそうです。ヒューイット様から言付かってきました」


 証拠に、と一枚のカードが差し出される。

 そこには間違いなくヒューイットの文字で『愛しいリメルへ。パメラは信用できる相手だから、安心してこっちに来て欲しい。待っている。君のヒューイットより』と書かれていた。

 熱烈すぎる言葉にカッと頬が熱くなる。


(何考えてるのよヒュー君!)


 恨みがましくカードを睨んでいると、パメラの咳払いが聞こえた。

 顔を上げれば、返事はまだかというような表情で私を見ている。

 恥ずかしかったが、断る理由はないので素直に出立を了承することにした。


「すぐに準備をします」

「いいえ。そのままで結構です。公式の場ではありませんし、もう表に馬車を待たせてありますから」


 本当に急いでいるらしい。メイド長も戸惑いを隠せないでいるが、私の身支度で時間をとらせるわけにも行かないだろう。


「わかりました。すぐに向かいます」

「助かります」


 そうして私はパメラと共に慌ただしく馬車に乗り込んだ。




「……」

「……」


 馬車の中、私は真正面に座っているパメラの顔を盗み見た。

 彼女は窓の外を警戒しているらしく、私の方を見てはいない。横顔は本当に綺麗で、油断すると見惚れてしまう。

 すると、まるでその視線に気がついたようにパメラが私に突然向き直る。


「ところで」

「はい」

「あなたはヒューイット様とはどういうご関係ですか?」

「は?」


 前置きのない唐突な質問に変な声が出た。

 私を見つめるパメラの表情は鋭いままで、尋問されているような気分になってくる。


「ええと……関係とは」

「まどろっこしい言い方は嫌いなのではっきりと聞きますが、恋人なのですか?」

「まさか! ちがいます!」


 思わず大きな声が出てしまった。

 今の私たちは決して恋人などと言う甘い関係ではない。求婚はされたが、答えてはいないので婚約者でもないだろう。

 パメラは納得していないのか眉間に皺を寄せたままだ。


「本当ですか? ではあのカードはなんです?」

「それ、は……」

「……実はヒューイット様が結婚するという噂を耳にしました。ご本人がそういう予定があると口にしたそうです」


 ぎくり、と身がすくむ。

 パメラの視線が床から上がり、私に向いた。何かを確信したような視線に息が止まる。


「お相手は、あなたではないのですか」

「そ、れは……」


 どう答えればいいのだろうか。おそらく、ヒューイットが結婚を考えているのは私で間違いないだろう。でも、私は求婚を正式に受け入れたわけではない。

 ここで「違う」と言うのは簡単だ。でもそれはしてはいけない気がして、私はパメラをまっすぐに見つめた。


「……どうして、あなたにそんな個人的なことを教えなければならないのですか」


 パメラの表情がこわばる。

 きつい言い方になってしまったが、これは私とヒューイットの問題だ。質問してきたことにどんな理由があるか知らないが、パメラに私たちの関係について伝える必要はない。むしろ、無遠慮な質問に腹も立った。

 私の怒りを感じたのか、パメラの視線が気まずそうにさまよい床に落ちた。


「……ヒューイット様はずっと縁談を断っていました。必要がないからと。どんな好条件でも頷かなかったんです。でも、私のことは同僚としては信頼していると言ってくださって……それなのに、こんな、急に」


 先ほどまでの強い口調が嘘みたいな震えた声に、私はパメラが抱える感情に気がついてしまう。


(この子、ヒューイットのことを……)


 きっとヒューイットが断った縁談の中には、パメラとのものもあったのだろう。


「なのになんで、あなたみたいな使用人と……」


 濡れた瞳に睨み付けられ、私は息を呑む。

 そういえば今の私はお仕着せ姿だ。髪だって簡単にしか結っていないし、見た目はただのメイドにしか見えない。


(だからって……侮られる謂れはないわ)


 ムカムカとお腹の奥から怒りがこみ上げてきた。ただでさえヒューイットの関係で考えることが多いのに、八つ当たりめいた発言を投げつけられて流せるほど私は大人ではない。

 何より私の知らないヒューイットを語る彼女の姿にとても苛立っていた。


「パメラさんは人を外見で判断なさるんですね」

「なっ……!」

「あなたとヒューイットがどのような関係だったかは知りませんが、私と彼は幼い頃からの友人です。今は事情があってこのような姿ですが、私は使用人ではありません」


 私の言葉を受け、パメラの表情が困惑に歪む。


「あなたは私が彼に呼ばれたのが任務の一環だとは考えないのですか。あなたはヒューイットを尊敬していると言っていましたよね。だったら私に不躾な質問をするのではなく、職務に集中すべきでは?」


 多少言い過ぎかとは思ったが、我慢ができなかった。

 パメラの言葉は恋心故の暴走だということはわかる。きっと、ずっと恋い焦がれていたヒューイットの結婚話に動揺していたところに、あんなカードを持たされ女性を迎えに行かされた。酷い話だとは思う。鈍感なヒューイットにも腹が立つ。

 何より、パメラの言葉に心を乱されている自分が一番許せなかった。


「聞きたいことがあるなら、ヒューイットに直接どうぞ。私から言えることはこれだけです」


 これ以上、パメラの顔を見ていたくなくて私は窓の外に視線を向けた。

 見慣れた景色に、騎士団の詰め所が近いことがわかる。

 パメラは黙ったまま、もう何も言ってこなかった。


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