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01.幼馴染の年下騎士

 

「おい! まだ飲み屋なんかで働いてるのか!」


 苛立ちを隠さない声を上げながら、まだ開店準備中の店内にずかずかと大股で入ってくる一人の青年の姿に、私はまたかとため息をこぼす。

 赤毛に草原のような明るい緑の瞳をした彼はヒューイット・スタン。

 この街の守護騎士団で働く彼は、若い騎士たちのなかでもかなりの有能さから出世間違いなしと言われている存在だ。

 整った顔立ちと騎士服の上からでもわかる細身ながらも鍛え上げられた身体は、そこに立っているだけで周りをとびきりに見せる波動でも放っているかのように美しい。


「ヒュー君。飲み屋「なんか」なんて言わないで。ここは私の大事な職場よ」


 言葉使いを注意するため少しだけ強めの言葉で注意すれば、ヒューイットは容のいい眉をへにゃりと下げた。


「……でも、酒を出すんだろ。先輩たちが昨晩ここで暴れたって」


 さっきまでの勢いはどこに消えたのか、叱られた子供のように落ち込むその表情に私はやれやれと溜息をつく。


 ヒューイットと私、リメル・リームは幼馴染。

 と言っても私のほうが歳は3つほど上で、どちらかと言えば姉弟のように育った。


 ヒューイットの実家であるスタン家はこの街では名の通った伯爵家で、私の家はしがない子爵家。

 家が近いというだけの理由ではあったが、スタン家の人達は我が家を懇意にしてくださり、おかげで我が家は社交界でもそれなりの地位を得ることができていた。

 そんな恩義もあってか、四姉妹の末っ子だった私はお坊ちゃまであるヒューイットの遊び相手としてスタン家にちょくちょくお邪魔していた。


 少年だったヒューイットはとても優しい子だった。

 私にもよくなついていつも一緒に遊んでいた。

 だが彼が12歳ぐらいだったろうか、突然「俺は騎士になる」と宣言したあたりからどうも様子がおかしくなった。

 身体を鍛えると言って鍛錬をはじめ、柔らかいばかりだった言葉使いはどんどん乱暴なものになる。

 特に私に対してはやけにあたりがきつくなってきたので、いわゆる思春期ってやつが来たんだろう。

 姉離れは寂しいが、これも成長だと私は諦めていた。


 あれから10年が過ぎ、ヒューイットは22歳。私は25歳になった。


 ヒューイットは宣言通り騎士団に入団し、めきめきと頭角を現しているらしい。

 将来は伯爵家を継ぐこともあり、未婚の女性達に大変な人気だと言う噂をよく耳にする。


 片や私はとっくに嫁入りしているべき年齢だが、いいご縁に恵まれず未だに独り身でいたりする。

 何故なら我がリーム子爵家が没落したからだ。

 父の弟である叔父が先物取引で大きな損失を出し、我が家は持てる財産の全てをなげうってそれを返済した。

 叔父はそんな父の尽力に感謝する事もなく行方知れず。

 結局我が家は最後には屋敷までも売り払い、一家そろって平民になる道を選んだのだ。


 幸いだったのは姉たちが、すでにそれなりの家に嫁入りを済ませていたことだろう。

 姉たちの嫁ぎ先の人達もいい人たちばかりで、事情を知って生家が没落したからと言って姉たちを冷遇しているというような話もない。


 元々、貴族としての生活が苦手だったらしい両親はさっぱりした様子で、それぞれに仕事を見つけてバリバリと働いている。

 私はこの食堂でウェイトレスとして日銭を稼ぐ毎日だ。

 この食堂は昼間は食事専門だが、夜になればお酒も出すしちょっとした舞台でショーなども開かれるけっこうな大店でなかなかに忙しい。

 何故かここで働くのが決まった時、ヒューイットはやたらと反対し今でもこうやってちょくちょくやってきては「辞めろ」と絡んでくるのだ。

 分かりにくいが、どうやら貴族育ちの私が平民に混じって働くことを案じてくれているらしい。

 スタン家の人達も何かと我が家を気にかけてくれて、私が望むなら支援してくれてもいいと言ってくれている。

 だが、好意に甘えるわけにもいかないのを私はよく知っている。


「ふふ。心配してくれたの? ありがとう」

「ばっ! だれがお前の心配なんかするか!!」

「大丈夫よ。私は昼間だけしか働いてないから」


 私の言葉にヒューイットの表情がぱあっと明るくなる。

 見た目や言葉遣いは変っても、心は優しい少年のままなのだ。

 分かりやすいなぁと思いながら微笑んでいれば、ヒューイットは慌てて表情を引き締めた。


「ふんっ!! だったら早くそう言え! ま、まあお前みたいな女が夜の仕事なんて勤まるとは思ってなかったけどな」

「ひどいなぁヒュー君」

「っ……! いい加減にヒュー君なんて呼ぶな! ヒューイットと呼べ!」

「え~? ヒュー君はヒュー君だよ」


 じゃれ合いのようなやり取りに笑いながらも、私の胸は少しだけ痛みを訴えた。


 ヒューイットが言うように、私の見た目は顔も体もそこそこだ。

 くすんだ金髪にグレーの瞳の顔は取り立てて美人というわけでもない。背は低くもなく高くもなく、凸凹が足りない体つき。

 貴族令嬢として過ごしていた頃はドレスやお化粧で誤魔化せていても、質素なワンピース姿では本当にどこにでもいる普通の女にしか見えない。

 加えてそろそろ行き遅れと呼ばれる年齢に片足を突っ込んでいる。


 貴族子息として騎士として立派に成長していくヒューイットの横で、私はどんどん置いて行かれているような気持ちだった。

 きっと彼はいつかその見た目と立場に相応しい女性と結婚するのだろう。

 そして私も自分に釣りあった相手と結婚する。

 ずっと傍にいたヒューイットとは別の人生を歩むという未来は、当然のことの筈なのに想像すると少しだけ切なくなる。


「ちょっとお二人さん。開店前だからって騒がないでよ」

「ヘザー」


 モップ片手に呆れ顔で近寄ってきたのはヘザー・キュレスだ。

 黄金色に輝くゆるくウエーブした髪にメリハリのある魅力的な身体をした彼女は、この店の看板娘で私の友人、そして実はキュレス男爵家の令嬢だ。

 この店はヘザーが自分で始めた店で、私を破格の条件で雇ってくれている。


「おや、スタン家のお坊ちゃまじゃないですか。こんな飲み屋なんかに何の御用?」

「ぐ……」


 どうやらヘザーの耳にもさっきの言葉は届いていたらしい。

 バツがわるそうに顔をしかめ、ヒューイットが瞳を泳がせている。


 二人もまた幼いころからの付き合いがあり、顔を合わせるたびによく喧嘩をしていた。

 どちらかといえばヘザーのほうが気が強く口も立つため、ヒューイットが一方的に言い負かされることの方が多かったが。


「まったく……さっさと素直になればいいのに」

「うるさいぞ!!」


 ヘザーとヒューイットはまるで恋人のような距離感で睨みあう。

 美しい二人が並ぶ姿は、かなりお似合いだ。

 実は、ヒューイットは私をダシにヘザーに会いたくてここにきているかもしれないなんて密かに考えている。

 二人がそうなるのも案外悪くないのかもしれない。多少身分差はあるが、ヘザーならば伯爵家の夫人になっても上手くやって行けるような気がする。

 そうすれば、私達の縁はずっと途切れずにいてくれるかもしれない、なんて。


「ねえリメル。そういえば昨日のお客さんとはどうなったのよ」

「ええ?」


 妄想の世界に旅立とうとしていた私を引き戻したのは突拍子もないヘザーの言葉だ。


「昨日の客? なんだそれは」

「アンタには言ってないっての! ほら、昨日リメルに連絡先渡してきたお客さんいたじゃない。上品な紳士様!」

「ああ、あの人ね!」


 私はぽんと手を叩く。

 昨日の夕方、常連客の一人である紳士様が手紙をくださったのだ。中身は連絡先と食事の誘い。

 いつも真面目に働く私に興味があるのだという熱烈な文面に思わず頬を染めてしまったことを思い出し、ぽっとまた顔が熱くなる。


「リメル! おい、お前まさか!」

「きゃっ!」


 何故か真っ青になったヒューイットが私の腕を掴んで顔を寄せてきた。

 驚いて目を白黒させている私を、何故かヘザーが笑いながら見ている。


「びっくりした……もう、どうしたのよヒュー君。お客さんからお手紙を貰っただけよ」

「どんな手紙だったんだ!」

「どんなって……その、食事のお誘いだけど」

「行くのか」

「え?」

「そいつと食事に行くのか!」

「えぇぇ……」


 あまりに必死に問い詰められ、私はどうしたものかと首をかしげる。

 助けを求めてヘザーに視線を向けるが、半笑いで首を振られてしまった。どうやら味方にはなってくれる気はないらしい。


 私を見下ろすヒューイットの瞳が泣きそうに揺れていた。

 こんなに近くで見つめるのはずいぶんと久しぶりかもしれない。

 昔は私よりずっと小さくて女の子みたいに可愛かったのに、今のヒューイットはしっかりとした大人の男性なんだなと実感する。

 腕を掴む指も太くて、私は急に心臓が大きく脈打つのを感じた。


「な、何だよその顔は……本気なのか」

「ち、ちがうって! その人のお誘いはもうお断りしたから!」

「……ほんとうか」

「本当よ!」

「そうか……」


 ようやくヒューイットの手が私の腕を解放した。

 安心したような泣きそうな顔はそのままよろよろと後ろに下がっていく。


「ええ~断っちゃったの? もったいない」

「勿体なくないって。あの方は、私よりずいぶん年上じゃない。できればもう少し歳が近い人の方がいいかなって」

「なるほどねぇ」


 ヘザーが何故かちらりとヒューイットに視線を向ける。

 つられてヒューイットに視線を向ければ、何故か俯いて何かをぶつぶつと言っているが、何をしゃべっているかは聞き取れない。


「まったく……とにかくお坊ちゃんは帰ってちょうだい。仕事の邪魔よ」

「お、おい! 押すな!」


 ヘザーはぐいぐいとヒューイットの背中を押して、店からさっさと追い出してしまう。


「リメル! 絶対夜は働くなよ!」

「はいはい」


 最後の最後までそんな事を言いながらヒューイットは帰っていった。

 私はその背中を見送りながらひらひらと手を振る。


「まったく困ったお坊ちゃんねぇ」

「本当に。早く姉離れしてくれればいいんだけど」

「姉離れ……ねぇ。まあいいわ、とにかく開店準備をしましょう。今日も忙しくなるわよ」

「はーい」


 ヘザーに促され、私は店の掃除を再開したのだった。


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