09
「そりゃあワタシにも悪いところはあったと思うよ? でも、そこまで言われることじゃないと思う!」
「大変なんですね」
何とか夜の街のお店へと侵入を果たした稔は女の子のグチを聞いていた。
空になったグラスに酒をつぎ、おつまみを渡す。
相手の呼吸に合わせて、相槌を打ち、欲しい所で共感する。
話がループしそうになると、柔らかく違う意見を出し、滑らかに話題を移し替えていく。
ほんの小一時間程の間に、女の子はご機嫌で自分の身の上話を全部喋っていた。
こういうお店で働く人は、何かしらのワケありが多いため、プライベートなことは話さないのか普通だ。
それでもしつこく聞いてくる客のため用に作り話を用意しておくぐらい用心深い。
うっかり話すと、弱みを握られたり、話がこじれて更に大変なことになることが大半だからだ。
しかし、稔が営業職で培った会話術に、クロウが磨き上げた人の機微への洞察力が合わされば、女の子のガードを解くことなど、パスワードを書いたメモをディスプレイに貼り付けているパソコンを立ち上げるぐらい簡単なことだった。
稔には害意が欠片もないので、ただ『大変ですねー』と聞いているだけだが。
目の前の女の子は【リューシャ】と名乗った。源氏名だろう。
20歳ということだ。
赤みがかった長い髪を後ろで一つに括って肩口へと流している。
親がタチの悪い金貸しに金を借りてしまったため、売り飛ばされることになったらしい。
借金の額は金貨15枚ほど。
稔の財産から考えれば、迷子で泣いてる子どもにジュースを買って上げるぐらいのものだが。
『ここで渡しても店に吸い上げられるだけみたいですからね』
そういうことらしい。
『それに私のお金でなく、皆さんの共有財産ですからね。管理は任せれているとは言え、賎貨1枚でもムダにはできませ』
「ほら! 早くしろよ!!」
欲望の解放はどこへやら、リューシャを助けるにはどうすればいいかを考え始めていた稔の思考を遮るように怒声が轟く。
「ん?」
声の方を見ると、ぶくぶくとみっともなく太った体に、いやらしい表情を乗っけた残念が服を着ているようなおじさんが、女の子に何かを怒っていた。
「いいから、早くしろよ! ミセルフ様のご好意だぞ!?」
それに追従しているのは、遠目に見ても体が鍛えられていると分かる、偉丈夫だった。
隙も少なく、かなりの実力が窺えるが、表情は胡散臭さが漂っている。
その他にも3人、同じように隙のない居住まいの男がいる。
この3人もどこか下衆な雰囲気を纏っている。
男5人に、その3倍、15人の女の子を侍らせてひどく楽しそうである。
「ミセルフ様です。それと、ミセルフ様お抱えのAランク冒険者〖クールスピリッツ〗の皆様です」
リューシャがそっと耳を近づける。
酒のせいか、妙に熱い吐息が耳にかかる。
柔らかな手が稔の膝の上にそっと置かれ、そろそろと指が撫でるように震える。
体を預けられた稔の二の腕辺りで意外と豊かでひどく柔らかいものが形を変えている。
『む! マズイですよ! 大人しそうかと思いましたがさすがプロです!』
精神年齢は50歳を超えているが、体は19歳である。
チラリとリューシャの視線が落ちる。
「フフ…」
怪しく笑う。
「ミセルフ様はこの辺りの有力貴族様なんですが」
何食わぬ顔で話を続ける。
『何か……、リラックスの効果がある魔法を……これか! あ、マズイこれは使えなくなるやつですね』
焦ったせいでうっかり〖立ち上がれぬ人〗を使いそうになり、慌てて止める。
間違って掛けても解けばいいのだが。
『こっちで、こうして、デチューンして……こうすれば、よし』
血流を改善する効果のある魔法を組み立てる。
「なかなかな御仁のようですね」
落ち着きを取り戻し、涼しい顔で返す。
「む!?」
変化を悟るリューシャ。
「お得意様ではあるんですが、少しイタズラが過ぎる所がおありなんです」
言いながら、指の動きがさらに妖しくなる。
「イタズラ……あの黒いのですかね?」
堂々と受けて立つ稔。
『早くしろ』と怒鳴られた女の子の前には、黒い液体がなみなみと入ったグラスが置いてある。
それを見ながら、青い顔をしている。
「ええ、お得意なんです、あれ」
『早くやれ』と男たちが騒いでいる。
グラスを持った手が震えている。
「蛇殺しというお酒です。どんなウワバミも潰れちゃうってぐらいキツいお酒で」
心配そうにチラリと向こうを見る。
「死ぬんじゃないですか?」
何をさせようとしているかはよく分かる。昔はよく見掛けたから。
「……死にはしないと思うけど……」
よくある事なのだろう。
諦めが強く浮かんでいる。
『止めるのも助けるのも、まあできなくはなさそうですが…あの手の輩に絡むと後でロクなことにならないんですよねぇ』
ミセルフの顔を見る。
経験上、あの手の雰囲気を持つ人と付き合うと、後がややこしい。
「仕方ないわ。明日は我が身かも知れないし……」
リューシャがしなだれかかってくる。
「どこにでもどうしようもない人はいますしねぇ」
稔が自分のグラス持ち上げる。
「おい」
「きゃっ!」
リューシャが驚いて悲鳴を上げる。
騒いでいた男の1人が、いつの間にやら稔たちの座る椅子の後ろに立ち、リューシャの肩に左腕を回している。
青みがかった髪を後ろに撫で付けている。目に付くのは右頬にある大きな傷痕。
「おもしろそうな話をしてんじゃねえか、なあ?」
肩に回された手が、リューシャの胸をつかむ。
「い、イダレッタ様、いつの間に?」
「何、普通に歩いて来ただけだぜ? それよりも、せっかくだからリューシャ、お前もこっちに来いよ」
ニヤニヤしながらリューシャの首筋を舐める。
『ふーむ……この喧騒の中、私たちの会話がきこえたんでしょうか?』
店内は賑やかだし、稔たちは少し離れた所に座っている。
『あの耳飾りに、変な術式が見えますね。あれでしょうか? 魔法文字のようですが……私が使っているのとは別言語ですね』
「わ、私は今、ミノル様の席に着いてますから……」
うっかりクロウではなく、稔を名乗っていた。
笑顔だが、少し青ざめている。
「ミノル?このガキかよ? 見ねえ顔だな?」
目を細め、厳しい顔で、稔を射すくめる。
「イダレッタさんでしたかね? 嫌がってるようですし、離したげてください。何分、若造なもんで、よく分からないことが多いんですよ」
『険しい顔してますね。目が悪いんでしょうか? きっと近視なんでしょう。あ、店内は暗いですから鳥目かもしれませんね』
イダレッタの殺気を柳に風と受け流す……というより、そもそも殺気に気付きすらしない。
「随分、余裕そうじゃねぇか! クソガキ!」
イダレッタがいきり立つ。
「知らねぇってんなら、先輩がしっかり教えてやんよ! こっち来やがれ!」
左手でリューシャの胸を触りながら右手で稔の襟首をつかむ。
リューシャが青い顔をしている。
普段からのタチの悪さが窺える。
「構いませんが、支払いは、先輩ですよね?」
無遠慮に掴まれた襟首をするりと解いて、余裕たっぷりに返す。
『ふふふ、なかなか様になってるんじゃないですか?』
稔はご満悦だった。
イダレッタに青筋が浮かぶ。
「てめ」
「何をしてるんだ!? 早くしろ!」
イダレッタの後ろからだらしない声がする。
痺れを切らしたミセルフだった。
太った体で立ち上がり、イライラしていると大きな文字で顔に書いてある。
「す、すいません」
イダレッタが慌てて謝る。
「特等席に案内してやる! ほら来やがれ!」
そう言うと、乱暴に稔とリューシャを自分たちの席へと連れ出した。
『ま、何とかなるでしょう』
自分でも驚くほど落ち着き払って、イダレッタに続く。
「大丈夫ですよ」
ポンポンとリューシャの肩を叩く。
リューシャが驚いた顔で稔を振り返った。




