26.5(後編)侯爵家に居候することになりました。
ミリアお義姉様に手を引かれていった先には、純白のドレスが飾られていた。
装飾品はないシンプルなそのドレスは、それでも最高級の布で仕立てられていることがわかる。
「リアスティア様の、結婚式のドレスよ」
「えっ……いつのまに」
「マダム・ルーシーが乗り気で、仕立ててくれたの。ただ、刺繍はなぜかリアスティア様本人がしたほうがいいと、何の装飾もついてないのだけれど……」
私の刺繍でこのドレスを……?
くびれたウエストラインに、前のボリュームが少なく後ろが長いスカート。
きっと、シックな色合いで美しいバラを刺繍したら映えるに違いない。
――――イメージが膨らんできた。
この後ろの長い部分には、細くかわいらしい枝と小さな葉っぱのタイムをあしらって、バラの花の刺繍で華やかに……。色合いは氷のような淡い水色からブルーグレーへのグラデーションを……。
――――ゼフィー様の色合いなんて、いくらなんでもやりすぎかしら。
「刺繍のことになると集中してしまうのねぇ」
頬に手を当てたまま、優雅な所作でランディルト侯爵夫人が首をかしげる。
「そうねえ。いつもニコニコほほ笑んでいるのに、こんなに真剣な表情初めて見るわ。まるで一流の職人を目の前にしているみたいね」
葡萄色の瞳を細めたミリアお義姉様が、私をしげしげと眺める。
そんな二人の様子に気が付くこともなく、私はスカートのすそをつかんでは、真剣に刺繍の図案について考えていた。
そして、気が付いた時には、日が暮れかかっていた。
室内に、すでにランディルト侯爵夫人とミリアお義姉様の姿はない。
「わわっ……。お父様にいつも注意されていたのに!」
刺繍のことを考え始めると、私はすべてを忘れて没頭してしまう。
ゼフィー様に差し上げた、ハンカチの時もそうだけれど、食事も睡眠も完全に忘れてしまうほどだ。
「……ど、どうしよう。なんていう失礼を」
まさか、ゼフィー様のご家族のことを忘れて、刺繍のことだけ考えてしまうなんて。
その時、後ろからかすかな物音がして振り返る。
「ふ、やっと気が付いてくれた」
「えっ?!」
振り返ると、夕日に染まる窓際に、ゼフィー様が寄りかかって、こちらを眺めていた。
あまりに絵になるその光景に、私は思わず時が止まったかのような衝撃を受ける。
「――――いつからそこに」
「うん。思ったより早く、義姉上と母上が戻ってきたからね。そのあとからずっと」
やっと休暇をもぎ取ったという多忙なゼフィー様の、貴重な時間を無駄に使わせてしまったらしい。
ここは、ドレスや結婚式についてきちんと打合せするべきだったのではないだろうか。
「――――ごめんなさい」
「どうして謝るの」
「……貴重な時間を」
「うん、貴重な時間だった」
おかしなことに、ゼフィー様との会話が、微妙にかみ合っていないように思える。
どうして、私が刺繍に夢中になってしまっているのを眺めているだけの時間を、ゼフィー様はそんな風に言うのだろう。
「真剣な顔、見ていて飽きないな」
「えっ、そんなおかしな顔をしていましたか?」
「……弓をつがえた瞬間の、月の女神みたいだったよ」
「はぇ?」
そのまま、私に近づいて、タンポポみたいな黄色い私の髪の毛をそっと掴むと、唇を寄せたゼフィー様。
その、夕刻の淡いオレンジに照らされた、幻想的な影絵みたいな光景を、私は信じられない気持ちで見つめる。
美しいのは、ゼフィー様のことだと思います。
本当に……。本当に、この人と結婚式をするのだろうか。
心臓が持たなくなってしまうのでは……。
「本当は、もっと見ていたい」
「……つまらないと思うのですが」
私の髪の毛を手にしたまま、視線をあげたゼフィー様は、優し気な微笑みを浮かべていた。
「でも、リアは刺繍に集中してしまうと、眠ることも食べることも忘れてしまうみたいだから、俺が止めてあげないといけないようだ」
「すっ、すみません」
「リア、明日からまた忙しいんだ。ロードを護衛につけるけど、安全を考えると、この家から出してあげることもできないし……。刺繍をしていていいから、ちゃんと食事をするように。あまり、心配をかけないで」
「はぅ……」
ゼフィー様の、上目遣いからのお言葉は、破壊力が強すぎる。
ええ、心配をおかけしないようにしますとも。私は、心に誓った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
――――そう、誓ったのだけれど。
食事の時間は、ランディルド侯爵家まで、付いてきてくれた、侍女のティアが声をかけてくれるから遅れることはなかった。
お義姉様とランディルド侯爵夫人とともにとる食事は、和やかで、父が不在の時には、いつも一人で食事をしていた私にとって、本当の家族と一緒にいるような幸せな時間だった。
ここに、ゼフィー様がいてくれたらと、それだけが残念だったけれど……。
残念ながら、父とシーク様が不在になった穴は、大きいらしく、ゼフィー様は多忙で、一緒に食事をとる時間がなかった。
仕方がないので、私は、侯爵家の厨房をお借りして、毎朝お弁当を作ることにした。
「いやぁ、はじめのうちは、お嬢様の酔狂で邪魔をされては、たまらないと思っていたのですが、なかなかの料理の腕をしておられますね」
ニコニコと私に話しかけるのは、料理長のレイルさんだ。
レイルさんのおかげで、料理の腕がずいぶん上がったように思う。
クルクルと卵を巻きながら、「そんな……。お邪魔しているのに、受け入れてくださって感謝しています」と笑顔で答える私。
「お嬢様の愛情がこもった弁当を持っていくことができるゼフィー坊ちゃんは幸せですね」
レイルさんも、ゼフィー様と目を合わせても平気でいられる奇特なお方だ。
シーク様や父以外にも、本来のゼフィー様を見てくれる人がいることにほっとする。
「――――いつも、人と距離を取り続けていた坊ちゃんが、ある日を境に変わられたのは、きっとお嬢様のおかげだったんですね」
「え?」
「ゼフィー坊ちゃんは、戦いも加護の力任せな部分がありましたから、いつも心配していたんです。でも、ある日を境に、真剣に剣術に取り組むようになって」
――――それは、あの日、会場で迷っていた、私と出会った日のことかもしれないと思うのは、さすがに自意識過剰だろうか。
ゼフィー様を坊ちゃんと呼ぶレイルさんは、ゼフィー様が幼い頃、剣の師匠でもあったらしい。
私の前でも、坊ちゃんと呼ぶレイルさんを、耳を赤くしたゼフィー様が必死で止めていたのが、かわいらしかった。
――――それにしても、レイルさんは、何者なのかしら……?
隠密騎士のシーク様といい、レイルさんといい、ゼフィー様の人間関係には謎が多い。
平和な毎日が過ぎていく。そして、やっぱり私は、刺繍のことになると、ダメ人間なようで……。
月だけが明るく輝く深夜、ため息交じりのゼフィー様が、私の肩をたたく。
「やっぱり、俺が毎日早く帰って、止めてあげないとダメなのかな?」
「ひゃっ?! あ、お帰りなさい、ゼフィー様。あの……面目ないです」
「いいよ。こうやってこの部屋にリアがいてくれるなんて、こんなに幸せなこともない。止めるくらい、いくらでもするから」
ゼフィー様の唇が、近づく。
月に照らされたゼフィー様も、夕焼けに照らされた姿に負けず劣らず美しい。
私は、少しだけその姿が見えなくなってしまうことを惜しく思いながら、そっと目をつぶる。
私のドレスが、社交界の噂を総ざらいするまで、あと1か月。
幸せな時間は、今日も過ぎていった。
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