SS ハンカチの魔法と隊長のため息。
騎士団の訓練場が静まり返る。
いつものことなので、騎士団の人間は誰一人困惑しない。
困惑はしないまでも、出勤して来たランディルド卿の、その冷たい双眸に恐怖を感じない人間もいない。
騎士団の人間のほとんどは、戦場での死線をくぐり抜けた胆力というべきもので、普通の会話や鍛錬の手合わせ程度なら耐えられるだけのこと。
――――あの人が特別なだけだ。
ある意味の賞賛を込めて、出勤して来た冷酷騎士、ことゼフィー・ランディルドに気負う様子もなく声をかけているフローリア隊長を隊員たちは見つめた。
「ランディルド卿、リアスティアにハンカチを貰ったらしいですね! 俺ももらったことないのに!」
「材料自分もちですからね。フローリア殿も材料くらい買ってあげたらいかがです? 花嫁資金、秘密で貯め込んでいるのでしょう?」
「なんで、そのことを……」
「ランディルド侯爵家の情報収集力を甘く見ないでいただきたいですね」
隊員たちは、「ちっ。リアスティアに関することは特にな」という、フローリア隊長の呟きをたしかに聞いた。たしかに聞いたが、聞かなかったことにした。
そして、不思議なことに、美しい刺繍がされたハンカチを取り出した瞬間、冷たく恐ろしい印象のランディルド卿の雰囲気はなぜかいくぶん柔らかなように感じた。
その時、訓練場の冷え切った雰囲気が、幾分どころか完全に和らぐ。
春風が吹き込んできたような感覚とともに、ひとりの令嬢が訓練場にスタスタと慣れた様子で入ってきた。
魔力を持つものは先ほどまで、ランディルド卿の冷たい瞳の力を和らげていたハンカチと同じ魔力を感じ、同時に何故か胸の高鳴りを覚える。
「え? あれ? なんでそんなに皆さんこちらを見るんです? え、ゼフィー様にいただいたドレス……そんなに似合わないでしょうか」
可愛らしい声、そしてその直後、ランディルド卿の変化に、訓練場が水を打ったように静まり返る。
「会いたかった。リア。ドレス着てくれたんだね。想像通りよく似合う。可愛い」
その微笑みを見たものは、おそらく男女問わず目を奪われてしまう。
あの、見るものの心を凍らせてしまうような、恐ろしい瞳の力は鳴りを潜めてしまう。
――――いや、それより甘すぎるだろう。
いつも、ランディルド卿とは一言二言しか交わしたことのない騎士たちの総意だった。
そして、初めてまともにランディルド卿の顔を見た新人騎士は、その余りの麗しさに次々と剣を取り落としていった。
「相変わらず、二人が揃うとひどく目立つな……」
「あっ、お父様! お弁当今日も忘れてましたよ?! もう作ってあげませんからねっ! あとこれ、ゼフィー様の分です……」
「嬉しいよリア!」
今度こそランディルド卿が満面の笑顔になる。明日は豪雨か季節外れの大雪に違いない。騎士団員たちは密かに震えた。
「悪かった! 悪かったが、リアもそろそろ俺の意図に気がついてもいいと思うのだが?」
「フローリア殿、いつも感謝しております。お陰で今日も愛しいリアに会えましたから」
「くっ、味方はランディルド卿だけか。だからといって、すぐに俺の息子と認められると思うな?!」
それにしても、リアスティアの刺繍には不思議な魔力が込められている。おそらく、今まで道を歩いても無事だったのは、リアスティアが自分の衣服にしていた刺繍のせいに違いない。
そしてハンカチの魔力も、明らかにランディルド卿の加護を包み込んでしまっていた。
「はあ、前途多難な予感しかしない」
娘と、認めたくないが未来の義理の息子が、これからも巻き込まれるであろう騒動を思い、フローリア隊長は密かにため息をつくのだった。
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