16 夜会に連れていく人は。
そういえば、忘れるところだった。
私は、ここ二週間、毎日明け方まで刺繍していたハンカチの束を差し出す。
あとからよく考えれば、引かれてしまってもおかしくない枚数だったと思う。眠気のせいで、頭の回転が鈍くなっていたに違いない。
……普通一枚だわ。
でも、この時の私は、そんなこと思いつきもしなかった。ただ、約束通りハンカチを渡せることが、嬉しくて。
「えっ、全部俺に?」
「裁縫道具、とても素敵でした。お礼になるかわかりませんけど。ハンカチなら、たくさんあっても困らないですよね?」
「ああ……。大事にしまい込んでおこうと思っていたんだけど」
「使ってください! その方がハンカチも喜びます」
その中の一枚を、ゼフィー様は早速ポケットに仕舞い込んだ。
ゼフィー様が、選んだのはタイムを刺繍した自信作だった。お目が高いです。
珍しく、悪戯を思いついたみたいに細められた瞳。ゼフィー様の、見た目よりも柔らかいブルーグレーの髪が、私の耳元をくすぐる。
「ハンカチじゃなくて、リアも喜んでくれる?」
「ひゃっ⁈」
近い……です。くすぐったいです。なんでわざわざ、耳元で言うんですか。
視線を感じて振り返ると、父と目が合った。父がウィンクしてくる。何かのサインなのだろうか。
そういえば、「出かけてくるので、お弁当忘れないでくださいね?」と言ったら、「今日は忘れる必要がない」と言っていたけれど、あれはどういう意味なのだろうか?
差し出された手にそっと触れる。触れた瞬間、心臓が急に音を立てて早鐘を打つ。思った以上に、会いたかったらしい。
なぜだろう。会えば会うほど、緊張してしまうのは。
普通は慣れていくものではないのだろうか。どうして、ドキドキするのが毎回悪化していくのだろう。うう、口から心臓が出てきそう。
「今日はどこに行こうか?」
「……どこでも。ゼフィー様は、行きたいところありますか?」
「そうだね。仕事の続きみたいで悪いけれど、夜会のドレスを作りに行ってもいいかな?」
夜会なんて、私には縁がないと思っていた。礼儀作法やダンスについては、幼い頃、母に厳しく躾けられたからおそらく今でもできるだろう。
でも、夜会に行くためのドレスも靴も持っていなかったから、私は夜会に出たことがない。というより、父は私のことを夜会に参加させたくなかったようだ。理由はわからないけれど。
「行ったことが……ないんです。たぶん、ゼフィー様に恥をかかせてしまいます。だから」
「……もし、俺に他の人間を連れていくように勧めようとしているなら、やめて欲しい」
「ゼフィー様?」
「今まで女性を連れて、夜会に参加したことはない」
……え? だって、今までだって何度も夜会には参加していましたよね?
「……リア、俺の目を見てどう思う?」
「冷たい色だけど、すごく綺麗です」
そして、とても好きです。恥ずかしいから、その一言は口にできなかった。
「そう……」
なぜか泣きそうな顔をしたゼフィー様が、「じゃあ、ずっと見つめていても、リアは平気?」と震えるような小さな声で私に聞いてくる。
「えっ?」
思わず覗き込んだその瞳は、今日も溶けかけの氷みたいに不安そうに揺れていた。
そんな目でずっと見つめられたら、私はある意味平気じゃなくなりそうです。
……でも、ずっと見つめられてみたいと願っているのかもしれなくて。
私たちが見つめ合っていた時間は、数十秒に満たなかったかもしれないけれど、その間ずっと私の心臓は限界までドキドキと音を立てていた。
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