01 決闘を挑みます。
氷点下で磨き上げられた氷みたいな色をした瞳。艶やかなブルーグレーの髪の毛。道ですれ違えば、誰もが振り返るその容姿。私だって、間違いなく振り返る。
でもきっと、冷たい瞳に射すくめられたように、ほぼ全員がその直後に目を逸らす。
もちろん私だって、目を逸らす。間違いない。
冷酷騎士という褒められているのか貶されているのかよくわからない二つ名を持つ、ゼフィー・ランディルド。それが私の婚約者。
いまだに信じられないけれど、なぜか巡り巡って私に婚約の申込みがされ、貧乏伯爵家の父は、その破格の申し出を、二つ返事で了承した。
私は、彼の目の前に立つと委縮してしまう。
そのヒンヤリした視線に見つめられると、たぶん私との婚約嫌なんだろうなぁ……。と思ってしまう。
だけど、今日の私は違う。
たしかに、「タンポポみたいで可愛いね」と言われるけれど、黄色みの強いタンポポの花みたいな髪と、その葉っぱみたいな色の瞳。どこまでも平凡な容姿に能力の人間が、ゼフィー様に並び立とうというのは無理がある。
それに、私は社交界にも参加できないような、貧乏伯爵家の人間だ。
誰がどう見ても、ゼフィー様と、釣り合うはずがない。
だから、婚約破棄をしてもらうのだ。
「ぜっ、ゼフィー様!」
「……なんだ」
その返答がもたらす印象は、氷点下だ。それ以前に、目すら合わせてくれない。
でも、今日は絶対に、臆することなく伝える。そう決めているから。
「わっ、私と決闘してください」
「は?」
少しだけ、目を見開いたゼフィー様。
いつも変わらない無表情が崩れる瞬間を初めて見た。
そんな風に、いつも周囲に怖がられないような表情をした方が良いのに。
「――――私と決闘してください」
「決闘? ……結婚じゃなくか?」
結婚? え、まさかゼフィー様が、結婚なんて、冗談を言うとは思いませんでした。
たしかに、今現在婚約者ですが、婚約破棄してもらう予定なので、結婚は……ないと思います。
え、ないですよね?
「意味が分かって言っているのか?」
「分かっています。だから、私が勝ったら私のお願いを聞いてもらいます」
「……本気か。――――わかった。俺に模擬剣が少しでも触れられたら、リアスティアの勝ちでいいか? 俺は全力で避けるだけに留める」
「結構です」
私を怪我させないように配慮してくれるというのは意外だった。
敵になれば恐ろしい、味方にしても恐ろしい冷酷騎士という異名を持つのに。
もちろん、触れることすら難しいのはわかっている。
でも、勝つのが目的ではない。
嫌われて、婚約破棄していただくのが目的だ。
貧乏伯爵家から社交界の中心に位置するランディルト侯爵家の婚約をなしにすることなんてできない。
もちろん、政略結婚なのだから、父だって反対するだろう。
でも、私のことを好きでもない人と一生過ごすくらいならいっそ一人がいい。ゼフィー様にとっても、その方が良いに決まってる。
私は、不格好に模擬剣を構えた。
「やめるなら今のうち……」
「問答無用!」
そして私は、一歩踏み出して剣を振ろうとした瞬間、思いっきりバランスを崩した。
「ひゃっ!」
「リア!」
なぜか、手からすっぽ抜けてしまった模擬剣が宙を舞う。
でも、私の体には衝撃が訪れない。地面にぶつかることもない。
いつの間にか、私はゼフィー様の腕の中にいた。
そして……クルクル回った模擬剣が、ゼフィー様と私の頭にコンッと音を立てて当たったのだった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
気まずい沈黙が流れる。
「は、君の勝ちか」
え、これは、もしかして勝利条件を満たしてしまった? え、そんな負け方、認めてしまうのですか?
今のはさすがにカウントできないはずと、再度模擬剣を掴もうとすると、なぜか優しくゼフィー様が私の手を掴んで制した。
「あの」
「負けは負けだ」
「えっ。困ります」
「決闘を挑んできたのは、君じゃないのか」
たしかに、その通りなのだろうけど……。
婚約破棄をしてもらおうと思っただけだったのに。
嫌われることばかり考えて、勝とうなんて、爪の先ほども思っていなかったから、勝った時のことなんて考えてもいなかった。
「……え、どうしよう」
「――――何か、俺に叶えて欲しい願いがあったのではないのか?」
――――婚約破棄してもらおうと思っていました。
そんなことを言える雰囲気ではないことは、私にだってさすがに理解できる。
騎士にとって決闘がとても神聖なものだってことは、父から聞いたことがあった。
あえて、そんな神聖なものを穢すことで、婚約破棄してもらおうと思ったのに。
「……あの」
「何でも言うといい」
ひどく真面目な顔で、私を見つめるゼフィー様。
こうしてみると、本当に美しい顔をしている。
そういえば、こんなふうに見つめられるの、初めてかもしれない。私が、まっすぐ見つめ返すと、なぜかゼフィー様は、ひどく緊張したように、ごくりと喉を鳴らした。
そして、口元を歪めて、私に囁きかける。それは、なぜか自嘲しているようにも見えた。
「それに、婚約者の願いなら、こんなことをしなくてもどんなことでも叶えようと思っている」
「え……?」
びっくりして、その顔をまじまじと見つめる。
「君は、俺の婚約者だ。俺のすべてをかけてその願いを叶えるのは当たり前のことだ」
「え……?」
そんなこと、今まで一回も言わなかったじゃないですか。
婚約者として定められた週一回のお茶会ですら、無表情のまま、初めのあいさつの後は何もしゃべらなかったじゃないですか。
私のこと……嫌いなんでしょう?
今までの態度全てが、私が嫌いだと伝えているみたいでした。
「――――婚約破棄してもらえませんか?」
思わず口からその言葉がこぼれ出してしまった。
その瞬間、はっきりとゼフィー様の眉がひそめられた。
「それは、決闘の勝利としての願いか?」
「……あ」
なんでそんなに、悲しそうな顔をするんですか。
ゼフィー様のいろいろな表情。もっと早く、見せてくれたら良かったのに。
「それは、それだけは叶えられない」
「っ……どうしてですか」
私との婚約で、ゼフィー様に、利があるとは思えない。たしかに私の父は、騎士団の隊長で、ゼフィー様の上司だ。でも、きっとゼフィー様なら、すぐに父のことなんて追い抜いて出世していくだろう。
平凡な容姿と貧乏な伯爵家の娘。それしか私が持っているものはない。きっとそれは、ゼフィー様にとって、大した価値はないだろう。
たしかに、冷酷騎士という二つ名があるけれど、侯爵家の人間でしかも騎士団長でもあるゼフィー様と婚約したいという令嬢なら星の数ほどいるはず。選ぶ側の人間のはずだ。ゼフィー様は。
それなのに、悲しそうな表情のままゼフィー様は、呟いた。
「リアスティアも、俺のことが怖い? そこまで、俺のことが嫌いかな」
「そんなこと……」
今まで知らなかった優しさを知ってしまった今となっては、冷酷だなんて思えない。
決闘の内容だって、私が怪我したりしないように配慮してくれた。
負けるなんて二の次に、私が転んだら手を差しのべてくれた。
優しい人……なのかもしれない。
ううん、なぜ気が付かなかったのだろう。優しいのだ、ゼフィー様は。
「じゃあ、もうしばらく婚約者でいて」
「……私が婚約者だったら、何かお役に立つんですか?」
もしかしたら、よほどの理由があるのかもしれない。
それなら、少しだけ力になってもいい。
どうせ、一人で生きていく覚悟でいたのだから。
「役に……? そんなことよりただ」
「……ゼフィー様?」
なぜか、ゼフィー様は私の手の甲にキスを落とした。
嫌われてはいないらしい。ようやく私は、その答えに辿り着く。
嫌われていないのなら、もう少しだけ一緒にいてもいいのだろうか?
一緒にいても……迷惑にならないのだろうか。
「なんでも願いを叶えてあげたいと思っていたのにごめんね」
「いえ……。私の方こそ神聖な決闘を」
「――――リアスティア。リアと呼んでもいいかな」
「はい……」
こんなにたくさん、ゼフィー様と会話をしたのは初めてだ。今になって、ひどく胸が高鳴る。
「リア」
私を呼ぶその声が、なぜか心地いい。
相変わらず無表情なのに、今はもうその冷たい色をした美しい瞳から、目を逸らそうとは思えなかった。
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