食べ物の力
アリスト子爵領奪還。
この報告は、イスディニア王国軍に士気高揚させるために、流布される。
敵指揮官を屠った、ディトロナクス男爵の名も。
「文化だけでなく戦でも力を発揮するか、ディトロナクス家は。というか家と言っても夫妻だけだが」
とある貴族が、戦場の後方にて指揮を執りつつ、同じ戦場に配置され、隣で補佐をしている貴族に向かって言う。
まだ他の領地を奪還した戦地は無いので、ウィンストン辺境伯とディトロナクス男爵の合同軍が、最初の戦果を挙げたのだが、話題になったのはディトロナクス家だ。
「あの風雲児は、いったい何者なんでしょうな。この保存食もディトロナクス家産でしょう?」
話を振られた貴族は、手に持った小さな、だいたい3センチ四方の大きさのものを、見つめて言う。
「この飲み水生産器もだ。樽の上から泥水を入れたら、下から透明な水が出てくるのだから、驚きだわい」
本陣として作戦会議用に置いた机の上に置かれた、樽を見つつそう言い返す。
それは、乾パンモドキと、簡易浄水器である。
簡易浄水器は、砂利と炭に布を、泥水をろ過するように樽に詰めてあるので、上の蓋を開けてそこから水を注ぐと、下の蛇口モドキから、飲める水が出る仕組みになっているし、乾パンモドキについては、説明する必要もないだろう。
どちらもディトロナクス男爵家から、イスディニア王国軍に納められた物が、各貴族の軍に支給されている。
この乾パンモドキと簡易浄水器により、戦中の食アタリ、水アタリによる病人が格段に減った。
腐りかけの干し肉を食わなくても、乾パンで腹を満たし、水が飲めるというのは、イスディニア王国の軍の行動を変革した。
川沿いに進む必要が減ったのだから。
「まあ、何者でも良いではないか。我が国の貴族なのだから。それにあやつは傲慢さもなく、腰の低い男だ。あれほど儲けているのに、腹が立たない男など初めてだ」
この貴族はルイスに好意的なのだろう。
このような貴族は、イスディニア王国では多数派になっている。
「たしかに。ミューラーは腹が立ったようですがな。ディトロナクス男爵の、結婚披露パーティーの時に売ってもらったプリンのレシピは、我が家の家宝にすると妻が言ってますからな」
そのレシピは数多くの貴族が購入しているので、家宝にするほどの価値が無いのは、同然知っているのだが、それほどまでに購入して良かったと言う事なのだろう。
「ミューラーは嫉妬だろう? 嫉妬するよりも新しいものを生み出す男と、手を結ぶ手立てでも考えれば良いものを。ウチはあの焼き魚のソースだ。知ってるか? ディトロナクス男爵に聞いたが、あのソースは継ぎ足し継ぎ足し使えば、さらに味が良くなるのだそうな。あれこそ家宝にすべきだぞ」
蒲焼のタレの事だが、アレは焼いた鰻をタレに直接入れることにより、鰻の旨味がタレに移るからなのだが、そこまで詳しくルイスは説明していない。
まあ、熟成されて旨味が増すかも知れないから、嘘ではないのかも知れないが。
「これは良い事を教えていただきましたな。帰ったら早速作らせます」
「うむ、生きて帰って、あのソースで魚を食うのだ。負けられんぞぉ!」
そう言って気合を入れ直した貴族達。
食べ物の力は侮れない。




