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ポートレートは金の檻  作者: 弥湖 夕來
リンゴ園のプリンセス
4/24

- 4 -

 

「じゃ、とりあえずここまで。

 アデルちゃん少し動いていいよ」


 今日の空は昨日と違い少し雲が多い。

 日差しはきつくなくて助かるけど、光の少なさが絵を描いている人には影響しそうだ。


 そんな思いで見ていると、フランツさんは今まで筆を動かしていたキャンバスイーゼルから降ろすと脇に積んであった新しいキャンバスに掛け替える。



「すごい! もう描けたの? 」


 わたしは足元の一枚に目線を動かす。

 

 キャンバスを架け替えたってことは、終わったってことだよね。

 肖像画なんて今まで描いてもらったことないからよくわからないけど、昨日始めてもう終わりって、いくら何でも早すぎない? 

 こういうところが貴族の称号もらっちゃうくらい、国王様のお気に召したのかな? 

 よくはわからないけど、国王の仕事って忙しそうだもの。

 肖像画のモデルになる時間なんて短ければ短いほどいいとか。


「まだ途中までだけどね。気になる? 見てもいいよ」


 わたしの視線を受けてフランツさんが言ってくれる。


 けど…… 

 何となく怖い。

 六割増しで描かれれているはずのものが平凡顔だったらそこから図れる実物はどんなもの? って思うと、見たい気落ちは半減どころか六割落ち? 


「どうかした? 」


 返事に戸惑っていると、フランツさんは不思議そうに首をかしげながらキャンバスをこっちに向けてくれた。


『まだ途中』の言葉どうり、そこにはわたしの顔と顔周辺の髪以外のものが描かれていない。

 これじゃ、完成までにまだ掛かりそうなのに。

 

 だけど、描かれている顔はまるで鏡を覗き込んだみたい。


「予想してたより『わたし』だわ」


 思わずわたしは呟いた。


「何が? 」


「うん、肖像画は六割がた増して描くものだって、この間リヒャルト卿から聞いたから、わたしじゃないまるっきり別人の美人さんが描かれてるんだろうなって予想してたの」


「言っただろ? 

 私は嘘が描けないって」


「でもこれを配布先で六割差っぴいて見られたらって思うとなんだか複雑…… 」


 わたしはあからさまに息を吐いた。


「はは…… 大丈夫。

 私のサインがあれば二割引きくらいで見てもらえるはずだから。

 それに見たままに見てくれる人の方が多いよ」


 フランツさんが軽く笑い声を漏らす。


「それでも、リヒャルト卿みたいに、こういったもの見慣れている人の目には差し引いてみられるわけでしょ」


 自分がそんなに人目をひきつける美人じゃないのは承知してたけど、やっぱりこうして絵になってもそれは同じ。

 却って画家さんの腕がいいだけに、他の肖像画と比べると二割減のような気になってくる。


「続きはいいの? 」


 新しいキャンバスに手を動かし始めてフランツさんに向き直るとわたしはきいた。


「この先の仕事ははアトリエで弟子がしてくれるんだ。

 仕上げは私がするんだけどね。」


 つぶやくフランツさんの目がさっきと違い職人さんの目になっている。


「お弟子さん? 

 絵って画家さん一人で描くものじゃないの? 」

 

 ずっとそういうものだと思っていた。

 絵って人によって色使いも構図も筆致も違うものだもの。

 でないと、画家さんと同じ腕を持っているお弟子さんを探さなくなるんじゃないのかな? 


 その言葉にわたしは首をかしげる。


「通常、一点物の期限なしの時には私が全部仕上げるんだけどね。

 今回みたいに枚数が多くて納期が短い時にはみんなに手伝ってもらうんだ。

 私の筆致が出ない背景とかはね。

 腕のいい弟子には身体まで任すよ。私は顔だけ担当」


 それでもやっぱり気に入らないみたいで、フランツさんの表情が少し険しくなった。


「やっぱりお抱えの宮廷絵師さんになると、お弟子さんもいっぱいいるのね」


「まぁね。後輩を育てるのも私達の仕事だから。

 私なんて少ないほうだよ。

 だから今頃アトリエは戦争状態なんだ」


「そういえば、先日リヒャルト卿が、フランツさんはリンゴ園に来ていた頃、もう宗教画講師の資格を持っていたって言っていたんだけど。 

 どうして林檎園で働いていたの? 」


 資格があれば何も林檎園で農作業なんかしなくても絵で生活できたんじゃないのかな? 


「ああ、そのこと? 

 あの当時は私もまだ駆け出しだったから。

 資格は持っていても名前の売れていない絵描きには仕事の依頼なんかなかったから、留学の為の費用を稼ぐのに絵以外の仕事もしていたんだよ。

 リンゴ園での林檎の摘み取りは期間限定の仕事だったから通年の仕事より払いもよかったし」


「そういうもの? 」


「そう。

 絵描きなんてね、若いうちは資格をもらっても、独立するよりむしろ工房で親方の手伝いをしていた方が食べていける。

 ただ私の場合はどうしても絵を描かせてもらいたい場所があって、そのためには師匠の絵だけじゃなくて、もっといろいろな絵を見ていろいろな経験をして視野を広げたかったから、国外をあちこち歩いてみたかったんだ。

 そのための資金を捻出するには親方のところの給金だけじゃ正直心元なくてね」


 なんとなく謎が解けたような気がした。


「絵を描きたい場所? 」

 

 それと引き換えに新たに沸き上がる疑問。

 描きたいモチーフとか描きたい絵なら解るんだけど。

 フランツさんは今「絵に描きたい場所」じゃなくて「絵を描きたい場所」って言った。


 普通、絵ってキャンバスに描くもので場所は関係ないハズ。


「知りたい? 」

 

 首をかしげているとフランツさんが悪戯を仕掛けるように笑みを浮かべた。


「知りたい! 

 けど、『内緒』って言うんでしょ? 」

  

 笑みの正体なんてお見通し。


「そう、内緒。

 みんなに大それた夢だって笑われるからね。

 君も知っている筈だよ。

 画家を志す者ならだれでも絵を描きたいって熱望している場所だからね」


「もしかして、中央神殿? 」

 

 中央神殿、礼拝堂の祭壇には、神様の絵が七枚ある。

 正確には六枚。

 一番端の七枚目はスペースだけはあるけど、ずっと空白。

 何故なのかは誰にもわからないけど、六枚目もずっと空白で何十年か前にようやく絵が入ったって話だから、神殿の方でもずっと空白で置くつもりはないみたい。

 町の人たちの間で「何時誰があの場所に絵を描くのか」って静かな話題になっている。

 なので、少し名のある画家さんだったら、ぜひ自分がって誰もが狙ってるみたい。


「素敵! 

 そしたらフランツさんの絵、礼拝に行くたびに見られるってことでしょ? 

 わたし応援する!」


「ありがとう、そう言ってくれるのはアデルちゃんだけだよ。

 大概は、一笑される。

 夢物語だってね。

 悪いんだけど、今日はもう少しがんばってくれるかな? 

 少し予定より遅れているんだ」


 叶わぬ夢だってわかっているのか、フランツさんは少し悲しそうな笑みを浮かべると、わたしを元の場所に戻して、コンテを取り上げた。


「ごめんなさい。

 おしゃべりしすぎた? 」


「乗ったこっちも悪いから、お互い様。

 だけど、できたら少しだけ黙ってこっちに顔を向けてくれるかな? 」


 言われたままに、わたしはさっきと同じ場所で同じポーズをとり、同じかどうかわからないけど、とりあえず同じと思える笑顔を浮かべてフランツさんのほうに視線を向けた。


 音のない静かな時間が流れる。


 その静寂さにすぐにわたしは退屈になってしまう。


 黙って手を動かすフランツさんをじっと見ているのにもさすがに飽き、視線だけを少し動かすとどこからか人の視線を感じたような気がした。


 フランツさんの目を盗んで、こそっと周囲を見回すとこの建物で張り出したようになっている棟の窓で人影が動いた。


 あの部屋は確か、国王様の寝室のあった場所だと思う。


 ここに連れてこられた最初の日、まだ建物の構造がよくわからなかったから、どこをどう通ってあの寝室に行ったのか覚えていない。

 印象的だったのはドア以外の三方の壁全部に窓があったこと。

 壁の三方に窓のある部屋は、こういう大きな建物の場合、普通に考えたらあまりない。


 だけど、あの張り出し部分の端にある部屋なら、三方に窓があってもおかしくない。

 

 そうすると、さっきの視線ってもしかして国王様? 

 ここなら寝室からわたしの姿が見えるからって、フランツさんが絵を描く場所をここに指定したのかもだったりして。


 もしかして、会えなくて寂しく思っているのは国王様も一緒なのかな。


 そう思うと胸が切なく締め付けられた。


「アデルちゃん? 」


 同時に顔も曇ってしまっていたんだろう。

 わたしの顔を覗き込んでフランツさんが声をかけてくる。


「あ、ううん。なんでもないの」


 わたしはあわてて笑顔を作り直す。

 

「……アデルちゃん。

 君まだ林檎園にイリャさんのところに戻るつもりある? 」


 コンテを動かしていたキャンバスから目を上げると、不意にフランツさんがわたしに訊いてくる。


「もちろんよ。

 陛下のお加減がよくなったらすぐにでも戻るつもりだけど? 」


 最初からそのつもり。

 こんな訳のわからない、知らない人ばかりの場所長居なんてするつもりはない。


「だったら悪いことは言わないよ。

 陛下の病状云々言っていないで、すぐにでもここを出るんだ。

 手遅れにならないうちに…… 」


 フランツさんは声を落として表情を曇らせた。


「どうして? 」


 フランツさんが言っている言葉の意味が解らなくてわたしは首をかしげる。


「姫君、よろしですか? 

 次の予定のお時間です」


 わたしの問いをさえぎるようにリヒャルト卿が現れると、促す。


「えっと、次は外国語よね。

 わたし、国外へでることなんか一生ないと思うんだけど」

 

 精一杯の皮肉を込めて、大げさにため息をついて見せて立ち上がる。


「じゃ、フランツさんまた、ね」

 

 軽く頭を下げると急いで部屋に入る。


「そんなことありませんよ。

 姫君にはいずれ外交の一端も担っていただかなくてはなりません」


 わたしの後を追ってきながらリヒャルト卿がたしなめてくる。


「だから、わたしはそんなに長くここにいるつもりはないんだけどな」


「また、そのようなことを仰って。

 いつまでもそのようなお考えでは困ります」


「困るって言われても、こっちも困るもの」

 

 そもそも、わたしの意思なんかまるで無視している方が問題だ。


 そう反論しようとした瞬間、視界がぐらりと揺らぐ。

 

「姫君? 」

 

 リヒャルト卿が困惑顔でわたしの顔を覗き込んだ。


「大丈夫。何でもないから…… 」

 

 その場に足を止め、これ以上視界が動かないか確認する。


「少し、お疲れのようですね」


「そりゃ、毎日これじゃ、ね」


 わたしは不満をわざと顔に出す。


 朝からみっちり座学とダンスのレッスン。

 食事の時間さえマナーを叩き込まれ、お茶の時間には王室の人間関係。

 覚えることが多すぎてめまいがしたって不思議じゃない。

 おまけに、貴重なお昼休みまで費やされたんじゃ、いつ休めって話。


「これじゃ、身が持たないじゃない! 

 だいたいわたし、こんなご大層な教育つけてもらっても、農園に帰るんだからいらないのよ」


 腹が立ちすぎて声が大きくなる。


「ですから、レディは廊下の真ん中で大きな声でそんなはしたない言葉を叫ぶものではありません。

 そんなことではいつまでたっても、学習の時間を減らすわけにはいきませんね」


 リヒャルト卿は救いがたいとでも言いたそうにゆがめた顔を手で覆い隠した。 




 

 その晩、わたしは寝室の天井に舞う天使の姿を見ながら昼間フランツさんに言われたことをぼんやりと考えていた。


「手遅れにならないうちに…… 」


 確かにフランツさんはそう言った。


 でも、何が手遅れになるんだろう? 


 そこのところがいまいちよくわからない。


 ……どうして? 

 何故、すぐにでもここを出るほうがいいんだろう? 


 そりゃ、わたしだってできることならそうしたい。

 正直ここは息が詰まる。


 勉強は嫌いじゃないし、いろんなことを知ることができて、面白い。

 陛下をはじめとしてフランツさんや他のみんな、表向き厳しいだけのリヒャルト卿まで全員わたしに気を遣ってくれているのはわかるし、その心遣いはとってもありがたい。


 けど…… 


 もう三日くらい一歩も城の外へ出ていない。

 走れない、大声で笑えない。

 余所行きでもなければ袖を通すことのなかったような豪華なドレスは重いしきつい。

 顔を合わせるのは毎日同じ人ばかり。 

 窮屈すぎることばかり。


 どっちかと言ったら、農園で体を動かしている方が性に合っている。

 と、思う。

 青空の下で、胸いっぱいに空気を吸って、みんなで大声で笑いあって。

 その方がずっとずっと楽しい。

 それに、わたし一人が抜けた分、農園の仕事みんなに負担がかかっているはずだもの。

 ただでさえ腰を痛めているおじいちゃん、無理してなきゃいいけど。

 

 だから国王様と話をして、その様子次第ではすぐにでも帰してもらいたいのに。


 国王様との面会は、時間を全く作ってもらえない。

 それどころか容態がどうかさえも教えてもらえない。


 考えないようにしていたことが頭の中に浮かび上がってわたしは大きなため息を付いていた。


 せめて容態がどうかくらい聞く権利がわたしにはあると思う。

 何にも教えてくれないなんてあんまりだ。


 それが悔しくてわたしは無意識に唇を咬む。


 明かりを落としてもまだ天井絵の天使はほの白く光っている。

 その天使達に見守られながらわたしは知らずに眠りに落ちていた。

  

 

 いつもと同じそのむすっとした表情のリヒャルト卿を前にわたしはため息を付く。


 食堂のテーブルの上には朝日がまぶしいほどに広がっている。


 だけど、わたしの頭の中は夕べの堂々巡りがまだ終わっていないせいで思いっきり灰色だった。


 一晩、考えたけど全く解決に至っていない。


 なのに何故この人はこうまでいつもと同じ顔がしていられるんだろう。

 ……見ているうちになんだか腹が立ってきた。


「朝からずいぶん不機嫌ですね。

 どうかしましたか? 」


 スプーンを動かす手を止め、リヒャルト卿はわたしに訊いた。


「あ、いえ、別に」


 わたしは頭の中に鎌首をもたげ始めた蛇を追いやろうと慌てて首を横に振る。


「でしたら、食事中にため息をつくのはおやめください」


 リヒャルト卿の口調はいつもと同じで厳しい。

 そのまるで全くわたしのことを気遣ってくれないような口調が、朝からいらいらしていたわたしの神経を逆撫でした。


「……無作法だって言いたいんでしょ? 

 お料理を作ってくださった料理人や、一緒に食事をしている人に失礼だって」


 わたしは少し反抗的な口調になる。


「わかっていらっしゃるなら、実行してください」


 気づいているはずなのに、わざと気づかないように言って、リヒャルト卿は止まっていた手を再び動かした。


 たまらなくなって、わたしはわざと乱暴に音を立ててスプーンを皿の上におく。

 悪いことだってわかっているけど、何かいらいらして止まらない。


「ご機嫌斜めのようですが? 」


 伏せていた睫をわずかに上げてリヒャルト卿はわたしの様子を伺ったようだった。


「陛下にはいつ会わせてもらえるの? 」


 これまで遠まわしに何度か訊いてそのつどはぐらかされてしまったことをわたしは単刀直入に突きつけた。


「またそのことですか? 」


 スプーンを置き、口元をぬぐいながら卿は言う。


「言ったはずです、まだ主治医からの許可が下りていないと」


「……もうその言葉は聞き飽きたわよ。

 だったらいつ許可が下りるの? 」


 わたしは卿を睨むように見上げる。

 口を挟む隙を見つけてはもう何度お願いしたのかわからない。


 だけど、この男から返ってくる言葉はいつも同じものだった。


「そうおっしゃられましても、医者はわたしではありませんからお返事はできかねます」


 変わらず眉一つ動かさない。


「大丈夫ですよ。

 時間はあるのですから。

 主治医の許可が下りればすぐにでもお会いできますし。

 今、しばらくお待ちください」


「しばらくって、いつ? 」


 わたしは言い募る。

 のんきに構えていたら、また絶対逃げられてしまう。


「……かなりお疲れのようですね。

 少しご無理させすぎましたでしょうか」


 わたしの怒りなど意に介さないように、席を立ちながらリヒャルト卿は呟く。


「疲れてなんかいないわよ」


「仕方がありません。

 今日最初の語学の学習時間の間だけお時間を差し上げます。

 幸い語学はお得意のようですから、問題ないでしょう。

 少しお休みになるといいですよ」


 それだけ言うとリヒャルト卿は背を向けダイニングを出てゆく。


 ……またはぐらかされた。


 その背中を見ながらわたしは唇を咬む。

 



 それでも思わぬ休暇をもらったことに、少しだけ気分が上がった。


 フランツさんのところに行って昨日の言葉の意味を訊きたい。

 多分今頃はアトリエでの制作に追われているはず。

 時間外にいったら邪魔になるかな? 

 なんて思いを馳せるのも楽しい。


 フランツさんのアトリエは確か…… 

 先日聞いたアトリエの場所を思い返しながら、軽い足取りでダイニングを出た。


「ふーん。お前がアデリーヌ? 」


 背後から響く聞いたことのない声に振り返ると、面識のない黒髪に灰緑色の瞳の若い男がまるで値踏みをするかのような目でわたしを見ていた。


「……だれだよ、美人だなんて言った奴は。

 ただの色気のないお子様じゃないか」


 その男性は、はっきりと聞こえる声で呟いた。


「悪かったわね、美人じゃなくて」


 気が立っていたせいもあり、わたしは面識もない男性に引っかかる。

 いくら何でも失礼な物言いだと思う。


「しかも、気もかなり荒そうだな」


 またしても遠慮がない。


「ま、そうじゃなきゃ面白くはないか…… 

 じゃ、またな。野良猫サン」


 勝手にわたしを野良猫呼ばわりしてその男性は、わたしが次の口を開く前に姿を消した。

 


「何なのよ、あれ…… 」

 

 部屋に戻ると腹立ちまぎれにつぶやいた。


「どうかなさいました? 」

 

 部屋を整えてくれていた途中なのかちょうど居合わせたメイドが訊いてくる。


「ん、なんでもない」


「そうですか。

 ご機嫌がお悪そうなので、リヒャルト卿と喧嘩でもなさったのかと」


「すごい、どうしてわかったの? 」


 苦笑いをしているメイドにわたしは詰め寄った。


「あの方は少し姫様に厳しすぎるんじゃないかって、わたしたちの間では話題になっていますもの」


「やっぱり、そう思う? 」


「だいたい無理ですよ。

 貴族の生活などまるでしたことのないお嬢さんを突然連れてきて、いきなりプリンセスに据えるなんて。

 しかもご本人に全くその気がないんですから。

 お気の毒だなって、バックヤードじゃ使用人みんなが言ってます」

 

「そうよね。

 どうせプリンセスに据えるんだったら、公爵令嬢でも連れてくればいいのに。

 完全に人選ミスよ」


「でも、それだけ姫君に期待なさっているんでしょうね。

 リヒャルト卿は国王陛下が床について以来、政治の全権を肩代わりしていらっしゃって、それだけでも手いっぱいのはずなのに、自ら姫君の教育係をお申し出になったくらいですから」

 

 そういえば、不思議だったのよね。

 みんなが呼んでいる『卿』って称号。

 フランツさんのように爵位の代わりに便宜的にもらったものじゃなければ、政治向けの業務に携わる人の物のはずだもの。

 そんな偉い人が、どうしてわたしの世話係なんかやっているのかって。


 わざわざ自分からお願いしてだったなんて。


「リヒャルト卿に悪いことしちゃったかな…… 」


 感情に流されてあんな態度をとってしまったことに罪悪感を覚える。


 リヒャルト卿だって別に何かの意図があってわたしを陛下から遠ざけているわけじゃないと思う。

 本当にお医者様の許可が下りないほど、国王様の容態が悪いのかも知れない。


 だから、一日でも早くわたしを教育したいとか? 



「そうそう、姫様。

 またこちらが届いておりましたよ」

 

 沈んでしまったわたしの気を引き立てるようにメイドがテーブルの上に置かれた籠を取り上げて言う。


「おじいちゃん、また届けてくれたんだ」

 

 籠に盛られた赤い林檎にわたしは声を弾ませた。


 丸かじりは厳禁とか言いながらも、毎回一旦は丸のままわたしの部屋に置かれている。


 結局は下げて皮を剥くとか、加工してからでないとわたしの口には入らないのが常なんだけどね。


 わたしはメイドから籠を受け取ると、まだらに赤い林檎を手に取った。

 

 見た目があまりに悪すぎてお店に出せない「ネオ・スミス」

 でも味は絶品で、病人にだって食べやすい。

 すりおろせば熱のある喉にだって飲み込めるし。

 

「そうだ! 」


 わたしはふと思い立ち籠を抱えるとドアへ向かう。


「姫様、どちらへ? 」


 メイドが慌てて呼び掛けてくる。


「ちょっとね」

 

 それだけ言って部屋を出た。


 フランツさんのところに行こうと思ったんだけど、それは後回し。

 急がなくてもまた、お昼休みには顔を合わせられる。

 

 それより、今は…… 


 籠を手に、広い廊下を急ぐ。


 バルコニーからみた国王様のお部屋は確か正面から見て右側の張り出した部分。

 同じような装飾の廊下に通路渡り廊下、それに同じような間隔で並ぶドア。

 城内は迷子になってしまいそうに広い場所だけど、あの特徴ある場所へはどういけばいいのか、さすがに数日いればかろうじてわかるようになっていた。

 

 大きなホールに付随した豪華な階段を通りすぎ、その先へ。

 突き当りを左に曲がる。

 そこから先は通路がなくて。

 ダイニングテーブルが据えられたお部屋、執務机の置かれたお部屋、ソファとピアノが配置されたくつろげる雰囲気のお部屋と順番に通り抜け、その先が寝室のはず。


 不思議と今日はここまで、誰にも出会わなかった。


 わたしは目当ての部屋のドアにたどり着くと、その前に立ち、ひとつ大きく息を吸い込むと、ゆっくりとそのドアをノックした。


「誰だ? 」


 おくのほうからかすれた声が返ってきた。


「アデルです。

 あの…… おじい…… さま? 」


 思い付きでいきなり来ちゃったけど、どう呼んでいいのかわからなくてわたしは戸惑った。


 林檎園の生まれた時から一緒にいるのはおじいちゃんなんだけど、それじゃあんまり馴れ馴れしいだろうし、かといって陛下じゃ他人行儀だし。


 迷った末に「おじいさま」が一番しっくり来るような気がした。


「アデリーヌか? 

 入りなさい」


 しばらくして返事がある。


 わたしはできるだけ音を立てないようにドアを開け、独特の薬草の匂いが噴出してくる部屋に身体を滑り込ませた。


 静まり返ったお部屋のベッドの上の様子を探るけど人の姿はない。


「よく来てくれたな」


 静寂を破る力もないほどのかすかな声が、窓際に置かれた寝椅子のほうからした。


 目を向けるとゆったりとした部屋着を纏った老人がが寝椅子に身体を預けている。


 その寝椅子にそっと近づいて持ってきた籠を差し出す。


「あの、おじいさま。

 お加減、如何ですか? 

 これ、お見舞いです。

 林檎園のイリャおじいちゃんの林檎」


 傍らにテーブルを見つけその上に籠を置くと寝椅子の側に膝をついて腰を落とす。


「ベッドに入っていなくていいんですか? 」


 わたしはおじい様の顔を覗き込んだ。


「ああ…… 今日はだいぶいい」


 弱々しくそう言ってわたしの顔を見つめる。

 ほとんど血の気のない土色の顔、焦点の定まらない目。

 その様子だけで、リヒャルト卿が繰り返し言うようにあんまり体調がよくないのはわかる。


 でも、だったら猶更頻繁に顔を見せて声を掛けてあげたい。

 

 そう思っちゃいけないのかな?  


「せっかく来てもらったのに、食事もお茶の時間も一緒にできなくて済まぬ。

 退屈はしておらぬか? 」


 少し乱れた息の下、申し訳なさそうに言ってくれる。


「退屈はしてないけど、少し寂しいかな」


「医者どもは大げさでいかん。

 せめて孫娘の顔くらいは見せろと何度言っても聞き入れてくれぬ。

 長いこと放っておいて悪かったな。

 何か不自由していることはないか? 」


 本音を言ってしまえば不自由だらけなのだけど、寝椅子に預けた頭が上がらないおじい様を前にしてははっきりということはできなくなった。


「大丈夫。皆さんよくしてくださるから。

 けど…… 」


「けど? 」


「おじい様に自由に会えないのが不満かな? 」


「医者だけじゃなく廷臣も頭が固い奴らばかりだからな」


 おじい様は少し笑ったようだった。

 その笑顔はとても弱々しくて胸が絞られる。


「特にそなたにべったり張り付いている奴は、特別うるさくはないか? 」


「リヒャルト卿? 

 あ、その…… 」


 まさか『はい』と言い切るわけにいかないよね。

 戸惑いながらわたしは答える。


「よいよい、本当のことだ。

 だがあれでも余が一番信頼している奴だからの」


 わたしの表情を読み取ったかのように言ってくれる。


「うるさいのは平気。

 厳しいのだってわたしの為にそうしてくれてるんだってわかるから。

 だけど、もう少し愛想がいいとうれしいんだけど、な…… 」


 ばれちゃっているんなら、隠す必要はないと、わたしは正直に吐き出した。


「無理な話だな。

 余はあやつのことをここにあがった小童の時から知って居るが、ずっとあの調子だ。

 できる奴じゃが、まじめすぎて少々面白みに欠ける。

 悪いの…… 」


「ううん。おじい様のせいじゃないもの。

 きっとわたしの出来が悪いだけ」


 わたしはあわてて頭を横に振った。


「本当にそなたはグレースにそっくりに笑うな」


 おじい様は壁に掛けられた女神の絵に視線を向けると目を細めた。


 最初に見た時にも思ったけど、女神の姿を模した女神じゃない女性の絵。

 

 どこかで見たことがあると思ったら、わたしが子供の頃のグレースおばあちゃんをもっと若くしたような顔だ。


「この絵って、もしかしてグレースおばあちゃん? 」


 わたしの問いにおじい様は曖昧に笑みを浮かべた。


「でもね、わたしおばあちゃんにはぜんぜん似てないのよね。

 もらったのはこの髪と目の色だけ。

 おばあちゃん似だったら、もう少し美人さんだったはずなんだけど? 」


 顔に掛かる前髪を軽くつまんでわたしは呟く。

 グレースおばあちゃんは本当に綺麗な人だった。

 年を取ってからも道ですれ違った人が振り返るようなどこか人を惹きつける上品さを持った。


「いや、そういう意味ではない。

 顔形ではない、話し方、笑い方、表情。全部グレースに似ておる。

 確かにその髪はグレースのものとそっくりだが、たとえ髪の色も違っていても余にはそなたがグレースの血を引いているとわかると思う


「そうなのかな? 

 おばあちゃんはわたしなんかよりもっとおしとやかでやさしかったわ」


 わたしの言葉におじい様が笑った。


「林檎の木に平気で登るような、しとやかさだったがな」


 何かを思い浮かべているのか、またしてもおじい様の視線がどこか遠くに泳いだ時、ドアがノックされた。




「姫君。やっぱりここにいらっしゃったのですね」

 

 部屋に入ってくるなり、呆れた表情を隠しもしないで、リヒャルト卿はぶつなる。


「どうしてわかったの? 誰にも言ってこなかったのに…… 」


 止められると厄介だから、メイドにも曖昧にしてきたのに。

 どうしてわかっちゃうのかな? 


「あちこちからみられていましたよ。

 話をつなげれば、すぐにここにたどり着きました。

 再三申し上げたはずです。

 陛下は体調がすぐれませんので、ご面会はもう少しお待ちくださいと。

 ……それで、こちらで何をなさっておいでだったんですか? 」


「なにって、おじいさまとお話を…… 」


「おじい…… ! 

 陛下をおじい様などととんでもない。

 今すぐ改めていただきます! 」


 ただでさえ厳しかったリヒャルト卿の顔が更に険しくなった。


「よい」


 その言葉を制するおじい様の声はさっきと違ってずいぶん凛として重みがある。


「かわいい孫娘に『陛下』などと他人行儀に呼ばれては余もつまらぬ」


 そういってくれる。

 それだけで、何となく気持ちが通じたようで嬉しい。


 だけど、リヒャルト卿はそうじゃなかったみたいで、眉間に浮かべた皺がなお一層深くなる。


「病人を疲れさせてはいけないとかいう初歩的な知識も姫君は持ち合わせていらっしゃらないのですか? 

 陛下にご無理をさせて悪化でもしたらどうなさるおつもりなんです? 」


 わたしに向かって厳しい声で言う。


「それも、余が引き止めた。

 退屈していたので話し相手にな。

 話すのも辛いくらいなら、部屋になど入れぬ。

 しからずにやってくれ」


 おじい様は何か大事そうなものでも見るような視線をわたしに向けた。


「…… 」


 リヒャルト卿は表現しがたい難しそうな顔をしたけど、やっぱり相手が国王様だとそれ以上は何も言えないみたい。


「とにかく、です。

 次の事業の講師がお待ちです。

 大至急来ていただきます」


 わたしの方に視線を戻すと「どうしても連れ帰る」という意思表示のように、歩みよる。


 ここで拗ねたってどうにもならないのはわかりきってい

 むしろおじいさまに余計な心配をかけてしまう。


「わかってます。

 お休みは語学の講義だけだって、お約束でしたもの」

 

 聞き分けのいいふりをして、膝をついていた床方立ち上がると一足下がる。


「じゃ、おじいさま。

 またきます。お大事になさってくださいね。

 今度はその林檎の話聞かせてください」


 ドレスのスカートを軽く摘み上げ片足をひいて頭を落とす。


「ああ、できるだけ早く時間を設けさせよう」

 

 たったそれだけのことなのに、おじいさまは満足そうな表情を浮かべた。




 

「勝手なことをして、ごめんなさい」


 時間がないといいたそうに早足で歩くリヒャルト卿の後を追いながら話しかける。

 この先顔を見られるのは多分晩餐の時だ。

 そこまで時間を置いたら謝りにくくなってしまう。


「今朝のことも、謝ります。

 その、気が立ってたの…… 」


「いいんですよ」


 ふいにリヒャルト卿は足を止めわたしに向き直る。


 さっきまで完全に怒っていたはずなのに、なぜかその表情がいつもより柔らかく声がやさしい。


「少し、急ぎすぎたようですね。

 この宮廷での生活を何も知らないあなたに少しいろいろ強いり過ぎたようです。

 時間が迫っていますから」


「時間? 」

 

 妙な言葉が引っ掛かった。

 時間って、なんだろ? 


「もしかして、おじい様もうそんなに長くないってこと? 」


 わたしに与えられた知識から割り出されるのはそんなところ。

 考えたくはないけれど。

 ほかには思い当たらない。


「まさかそんなわけありませんよ。

 めったなことを口にしないでください。

 ここでは些細な言葉がすぐに尾ひれをつけて広がりますから。

 そう言う意味での時間ではありません。

 いったいどれだけ講師を待たせれば気が済むのですか? 

 もうとっくに授業の時間は過ぎているんですよ」


 話の流れからすると、おもむろにはぐらかされたのは確か。

 だけど、リヒャルト卿はそれ以上口を開いてはくれなかった。


 

 

 




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