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このお話は、弥湖の大好きな実在した宮廷画家さんの華やかな経歴から想を得て書きました。
ネタばれするので、今は、誰かは内緒。
ですが読み進めているうちにわかってしまうかも。
ネタばれしたら、ごめんなさいです。
「アデルちゃん、こんなところにいたんだ」
頭の上に下がる林檎の木の枝がふいに動いたと思ったら、安心したような声がした。
小さなわたしは顔を上げるけど、ほぼ丸一日泣き明かした瞼が腫れ涙でにじんだ視界に逆光が災いして、その顔はわからない。
ただ細身の若い男の人だってことだけは、にじんだ人影と声でわかる。
「ずっとここで泣いていたの?
こんなに目を腫らして。
行こう。みんなが探しているよ」
そっと手を差し出しながらその人影は言う。
「みんなじゃ、ない、もん。
パパも、ママも、もう、いないもん。
馬車と一緒につぶされちゃったって…… 」
しゃくりあげながら言うと、その事実にまた涙が沸き上がる。
「でも、君のおじいさんもおばあさんも、心配しているよ。
ね?
「アデルちゃん、こんなところにいたんだ」
頭の上に下がる林檎の木の枝がふいに動いたと思ったら、安心したような声がした。
小さなわたしは顔を上げるけど、ほぼ丸一日泣き明かした瞼が腫れ涙でにじんだ視界に逆光が災いして、その顔はわからない。
ただ細身の若い男の人だってことだけは、にじんだ人影と声でわかる。
「ずっとここで泣いていたの?
こんなに目を腫らして。
行こう。みんなが探しているよ」
そっと手を差し出しながらその人影は言う。
「みんなじゃ、ない、もん。
パパも、ママも、もう、いないもん。
馬車と一緒につぶされちゃったって…… 」
しゃくりあげながら言うと、その事実にまた涙が沸き上がる。
「でも、君のおじいさんもおばあさんも、心配しているよ。
ね?
君は一人になった訳じゃないんだから。
まだ、おじいさんもおばあさんも、それに僕もいる。
大丈夫だよ。
僕がずっと傍にいてアデルちゃんを護ってあげるから。
一人ぽっちじゃないよ…… 」
そういってそっと背中を撫でてくれる優しい手。
「本当に?
……のおにいちゃま」
わたしの問いにその人物はゆっくりと頷いてくれた。
「だからなかないで、顔をあげて笑っていて……
みんな、それを望んでいるよ。
みんな君の笑顔が大好きなんだから、ね? 」
そういってわずかに首をかしげて微笑んでくれた、穏やかな顔。
その記憶はわたしの宝物になった……
「ん、今日のりんごもおいしそう」
時折馬車の行き交う往来で腕にかけた籠の中から真っ赤なりんごをひとつ取り出し、わたしはそれを光にかざした。
「なんにしよう?
アップルパイはこの時間じゃ無理よね……
ん~、コンポート?
それともジャムがいいかな? 」
今が盛りの季節の一番状態のよいりんごはつややかに光り、鼻先に近づけただけでも、爽やかな香りが広がる。
そのにおいをかいだだけでも思わず一口今食べたい!
なんて思ってしまう。
でもまさか人の目がある往来でいい年の娘がりんごの丸かじりってわけにはいかないのよね。
もし誰かに見られていたら後で絶対におじいちゃんに怒られちゃう。
わたしはそれを思いとどまると手にしたりんごを籠に戻す。
とにかく、急いで帰らなきゃ。
今日は仕事のあと、林檎のもぎ取りのお手伝いに来てくれていた小母さんと話が弾んで少しだけ帰りが遅くなってしまった。
もう、今頃おばあちゃんがパイ皮の仕込みにかかっていると思う。
わたしは少し早足になる。
ちょうど家の前までくると、門の前には見たこともない立派な四頭だての馬車が横付けされているのが目に入り、わたしは足を止めた。
はじめてみる、というかしがない林檎農家を営むこの家にはおそらく無縁だと思われる身分の人間が乗る馬車。
いったいうちに何の用があるんだろう?
どこかのお屋敷で林檎を年間契約で大量に買ってくれるとか、そういう話なのかな?
首をかしげながら、わたしは馬車の隣で待つ従者らしいそろいのお仕着せを着た若い男達の脇を通り家の門を潜った。
「ただいま、おじいちゃん」
開きっ放しのドアに身体を滑り込ませ、わたしは正面に立つ祖父に声をかけた。
「お客、さ、ま? 」
玄関ホールの中央にはもうひとつ、馬車同様立派な身なりをした中年の男性が立っていた。
おそらくは貴族かそれに準ずる身分なのは誰に言われなくてもわかる。
二人の間に流れる何か妙な雰囲気に、わたしは思わずその場に立ち尽くす。
「アデル! 」
おじいちゃんが大きな声をあげた。
「あ、ごめんなさい。
いらっしゃいませ! イリャ林檎農園にようこそお越しくださいました」
わたしはお客様に向かってあわてて頭を下げた。
またやっちゃった。
客人に無作法な態度をとって祖父にとがめられての叱責されるのはいつものことだ。
「君が、アデリーヌ・イリャ? 」
お客様はじっとわたしの顔を眺め呟くような声で訊いてきた。
「はい? 」
どこかおかしかったのかな?
ひょっとして今まで農園にいたせいで頭に木の葉でも付いている?
それとも肩に毛虫とか……
わたしはあわてて自分の身なりを確認しようと自分のあちこちに触れて撫で回してみる。
「それにしては少し幼いようですが?
姫君は今年確か十七になったはず、ですが」
お客様はわたしから目を離すと、今度はおじいちゃんに視線を向け、不思議そうな顔をした。
その顔にわたしは少しむっとする。
「そりゃわたしは平均よりちびですよ。
顔だって童顔だし……
確かに今日は林檎園のお手伝いに行っていたから、スカートだって短いし、髪だってこんなだけど…… でも疑うなんて失礼よ!
ちゃんとデビュタントだって済んで、いつもはきちんと長いスカートはいて、髪だって結い上げてます! 」
「これ、アデル!
お客さんになんて口をきくんだ」
思わず食って掛かったわたしをおじいちゃんが慌ててたしなめる。
そりゃそうよね。
相手はなんたってお貴族様。
ついでにうちの農園の林檎を買い付けに来たお客様、だと思う。
「なるほど……
確かに、髪と瞳の色以外は陛下の御母堂に生き写しだ。
その身長もあの方譲りだといわれれば納得いきます」
お客様は自分に確認を取るかのように呟いた。
「? 」
わたしは、お客様の視線と言葉にわけがわからず、その顔を見上げる。
「間違いないようですな。
では姫君はこちらで引き取らせていただきますよ」
お客様はおじいちゃんを見据えて、当然のように言う。
「参りましょう、姫君」
そしておもむろにわたしに向き直ると手を取った。
「は? あの…… 」
何がなんだかわからずにわたしは戸惑いの声をあげる。
「事情は後々ご説明します。
とにかく今は急いでいただきます」
「あ、おじいちゃん!? 」
つかまれた腕を引きずられそうになりながら、わたしはおじいちゃんに助けを求めた。
だけどおじいちゃんはその場を動こうとしない。
足を踏みしめたままじっと立ちつくし、こぶしを握り締めている。
わざと視線を合わせないようにとでも言うのか、眉間にしわを寄せた普段より数倍ましで厳しい顔を横に向けている。
「おじいちゃん? 」
何かが妙?
不安がいっぱいにわたしの心を占める。
「……どういうことなんでしょう? 」
それもいままで感じたことのないとんでもなく大きな不安。
「どう言うとは? 」
「わたし、どういう理由でどこに連れて行かれるんですか? 」
その問いにお客様の片方の眉がピクリと動いた。
「何も聞いていないと? 」
「聞くって、何をですか? 」
「あなたの祖父君には先日お手紙を差し上げてあるのですが、もはやあなたには何もお話になっていないと? 」
お客様はまだ立ち尽くしたままのおじいちゃんに視線を向けるとその整った顔をおもむろに歪ませた。
「ですから、何のことでしょう? 」
「弱りましたね、どこからお話すべきか…… 」
お客様は一瞬困ったような表情をして、低い声で呟いた。
「単刀直入に申しましょう。
あなたは現国王ヘンリー三世の唯一の孫娘にして、この国の第一王位継承者です」
「は? 」
なんだか聞きなれない単語が並んだような気がしてわたしは訊き返す。
「国王陛下って、孫娘、とか、王位継承者って…… 」
わたしには縁もゆかりもない言葉の羅列に頭が混乱する。
「姫君をここまでお育ていただいたことには感謝いたします。
では、お連れいたします。
いいですね」
まだ立ったままのおじいちゃんお客様は軽く一礼すると握っていたわたしの手を強引に引く。
「参りましょう。姫君」
お客様ははもう一度言って、思わず踏みしめたわたしの足を動かそうとするように強引に腕を引っ張る。
「おじいちゃん! 」
助けを求めて空いている手をおじいちゃんに伸ばしもう一度叫んだ。
手にしていた林檎の籠が足元に転がる。
だけどおじいちゃんは動こうとはしなかった。
眉間に皺を寄せた苦しそうな顔を見せまいとするかのように、おもむろに顔をそむける。
結局わたしはお客様の手で強引に馬車に押し込まれた。
「あの、何かの間違えじゃありませんか? わたしアデリーヌじゃありません。
アデルですから」
走る馬車に揺られ、わたしは向かいに座ったお客様に言った。
「いいえ間違えありませんよ。
あなたの正式な名前は、
アデリーヌ・シフォン・グレース・フォン・レーゼンべルク
あなたの周囲の方々は『アデル』と略称でお呼びしていたようですが」
馬車の座席にどっかりと身体を預けてさっきまでうちのお客様だった男性は口を開く。
「国王陛下の孫娘って言ったけど、わたしのおじいちゃんはちゃんといるわ。
ディエゴ・イリャ。
あなたがさっきいたあの農園の経営主。
それがわたしのおじいちゃんです」
「普通、祖父にあたる人間は一人ではありませんよ? 」
男性はおもむろに両手を顔の前で組むとその上にあごを乗せ、確認するようにわたしの顔を覗き込む。
「だからって、そのもう一人が国王陛下のわけないじゃないですか。
いくらなんでも恐れ多くて、冗談にもならないわよ」
「冗談などで、馬車を仕立てて私がわざわざ出向くとでも? 」
男性の顔が真顔になる。
その鋭い視線にわたしの背筋を冷たいものが走った。
わたしは思わずつばを飲み込み、黙り込む。
「昔…… 」
男性はわたしの顔を見つめたままゆっくりと口を開く。
「まだ陛下がご結婚前の話です。
とある下級貴族の娘と恋に落ち、二人の間には姫君が生まれた。
とはいえ陛下は国王を継ぐ身、婚約者もいた。
それを考慮してか、貴族の娘は生まれたての赤ん坊を連れて姿を消す。
その赤ん坊が林檎農園に嫁いだ君の亡き母親。
シフォン・グレース様ですよ」
「確かに、ママの名前は、シフォンだけど。
ママが…… 国王の、貴族の娘?
ない、ないないない…… 」
わたしは突拍子もない話に唖然として、それを振り払おうと顔を何度か横に振った。
「ママは、普通の街娘よ」
亡くなる前日まで林檎の木の下でいつも陽気に笑っていた母の笑顔を思い浮かべわたしは言う。
その笑顔や行動にはまったくかけらも貴族らしいところはなかった。
「国王となるべき男の子供を生んだ娘は身分を偽り、街中で子供と共に一般人として暮らした。
もともとあまり裕福ではない下級貴族の娘だったから、誰も気に止めなかったようだ。
そして普通の街娘として育った子供は、林檎農園へ嫁ぎ一人娘を設ける。
それが君。
アデリーヌというのは君の祖母君がつけた。違いますか? 」
「ですから、わたしはアデルです。
……確かに名前を贈ってくれたのはママの母、グレースおばあちゃんだって聞いてますけど」
「アデリーヌは王族の姫君によくある名前ですよ。
君の祖母は、それでも君の中に王族の血が流れることを少しでも残しておきたかったのではと考えられますが」
「まさか、そんなのただの偶然よ。
アデルなんてありきたりの名前、どこにでもあるもの。
わたしの周りにもお手伝いの奥さんの娘さんとか、従妹の旦那さんの妹さんとか、ほかにも…… 」
「ただの『アデル』ならね」
男性は意味ありげにつぶやく。
なんだか話が飛躍しすぎていまいち飲みこめない。
というか、どうしてもわたしの名前を王族由来の物とこじつけたいみたい。
「名前の話はもういいです」
わたしはその話を遮った。
ママが国王陛下とグレースおばあちゃんの子だっていう話も納得いかないけど。
これ以上ここで話してもわたしの納得のいく結論なんか出てこないって思えた。
大体名前だけでプリンセスだなんて決め付けられるなんて冗談じゃない。
「で? わたしはこれからどこに連れて行かれるんですか? 」
馬車は賑わう街中の大通りを抜け、小高い丘を登り始めていた。
「王宮ですよ。
君の祖父であるヘンリー陛下がお待ちです」
「国王様がわたしに何の用があるんですか? 」
「実は、これはまだ公になっていない話なのですが…… 」
男性は何か言いにくそうに、ゆっくりと言う。
「昨年末、長年連れ添った王妃殿下をなくされた直後、陛下は体調を崩されまして。
それから急に気弱になられたとでも言いましょうか?
かつて設けた姫君のことを口にされるようになりまして…… 」
「それでママを探したってこと? 」
わたしの問い男性は頷く。
「ですがあいにくと何年も前にお亡くなりになられたとか」
「そう、わたしが五歳の時、馬車の事故でパパと一緒にぽっくりね」
当時わたしはその事実が受け入れられなくて何日も泣き続けた。
「ですが、こうしてお子様を遺されていることも同時にわかりまして。
陛下にお話したところ、どうしても顔を見たいとの仰せで」
「で、急に来て強引に連れて行こうとしたわけね」
「急でも強引でもありませんよ。
きちんと事情を説明して、姫君はこちらで引き取る由の書状をあなたの祖父君には以前にお送りしました。
ですからあなたにも話が通っているものと…… 」
「……おじいちゃんはなんて? 」
「いえ、お返事はいただけないまま期日になってしまいましたので」
男性の返事で大体の予想は付いた。
どうりでわたしが何も知らなかったはず。
おじいちゃんはその書状を握りつぶし、何もなかったことにしたかったんだ。
「やっぱりわたし帰ります。
馬車を止めてください」
わたしは馬車の座席から身を乗り出す。
「陛下はあなたのもう一人のお祖父様ということになります。
その陛下が唯一の孫娘であるあなたの顔を見たいと仰せなのです」
男性には馬車を止めてくれそうな様子は全く見られない。
「停めてください。
……おじいちゃんが」
「? 」
「おじいちゃんがわたしに何も言わなかったってことは、何か他の理由もあるんだと思うから。
わたし王宮にはいけません」
最後の方はほとんど叫んでいたと思う。
「……さすが、陛下の血を引くだけのことはある。
その気性、確かに陛下そのものですね」
男性はわたしを睨み返した。
「理由が知りたいと? 」
そう問われ、わたしは頷く。
「ご存知とは思いますが……
陛下は亡き王妃との間にできた王子殿下を早くに亡くされました。
その後お子に恵まれず、現段階で陛下の血を引く者はあなた一人ということになる。
陛下はあなたに王位を譲ることを望んでおられます」
「な…… 」
冗談!
と笑い飛ばしたいところだったが、男性の真っ直ぐに射るような瞳にわたしはその言葉を口にすることができずにいた。
おじいちゃんがわたしに一言も何も言わなかったことでそれが更に信憑性を増す。
「何故、わたし?
王位を譲る人なら他にもたくさんいるんじゃないの?
大体、わたし女よ? 」
知らずに声が大きくなる。
「それが一番理想だからですよ。
まず第一にあなたは紛れもなく陛下の血を引く孫娘であること。
第二に王位継承権を持つ者は他にも確かに数名おりますが、その数名がどなたも地位も財産も知性も似たりよったりで一人に絞ることができないこと。万が一その中のどなたかに決めた場合、不満をくすぶらせる者が出て内政が乱れます。
第三に、この国は過去にも女王陛下を排出しており、継承者が女性でもまったく問題がないこと。
ああ、あなたの出自につきましては陛下の『正式な側室』のお産みになった王女の姫君ということで王室の戸籍を書き換えましたから、ご心配なく」
男性はわたしの問いにさらさらと流れるように答えた。
「何より、陛下が、ご自分とかつて一番愛した人の血を引く者を望んでおられる。
以上のことなどから、あなたが適任ということになりました」
気味が悪いくらいの上質な笑顔を向けられ、わたしの背筋に悪寒が走る。
その笑顔は、つまり、わたしに逃げ場はないと伝えている。
おじいちゃんが、さっきわたしに何も言わない代わりに引きとめもせず、あっさりとこの男性にわたしを引き渡した理由もそこにあったんだ。
わたしはひとつ息を付く。
……でも。
でも、そんな難しそうなこと急に突きつけられたってわたしに納得できるわけがない。
今まで暮らしてきた環境と身の上と何もかも違いすぎて受け入れることなんて到底できない。
「やっぱり、わたし…… 」
言いかけた時馬車が止まった。
いつもなら遠くから見上げる王城の塔が窓からすぐのところのそそり立っている。
突拍子もない話を突きつけられているうちに、馬車は目的の場所についてしまったようだ。
「どうぞ、プリンセス・アデリーヌ」
男性は先に馬車を降り、わたしに手を差し出してくる。
わたしは腹立ち紛れにその手を無視し、馬車を飛び降りた。
ここまで来てしまったのなら仕方がない。
ここは、わたしのもう一人の祖父だという、国王陛下の顔を見て、直接お断りするほうが早そうだ。
そう腹をくくったわたしは案内されるままに城に入った。