ザルバと少女-1
ちょっといい年した男と女の子の物語が書きたくなったので書きました。
ダンジョンから出る時、無謀な愚か者、冒険者はまず己の生に感謝する。
生き残れてよかった。少しは安心と共に寝れる。上手い飯が食える。そんなことを思い浮かべながら。
「ったく。てめぇもよく生き残りやがる」
しかし、この男の一声は違った。悪態を連れに向けて吐いたのは、ザルバと名乗る偉丈夫だ。先日、齢30を超え、周りからはおっさんと呼ばれつつあるのだが、薄小麦の身体は並の冒険者よりもきちんと鍛え上げている。
地表に出たというのに、なにも探索中と変わらない調子の彼に、数歩前を歩く少女はちらりと視線を向けただけだった。
ほつれ掛け、破れかけた皮鎧に身を包むも、しなやかな体付きや、革兜の隙間から除く銀髪の美しさは冒険者のそれではない。年の頃はどう見積もってもせいぜいが13か14であり、町娘が仮装をしていると言われても違和感ないだろう。
ましてそれが、周りの冒険者よりも上等なものを装うザルバの仲間だとは一見では思いつかないはずだ。
数歩進んだ少女は、しかしのんびりと後ろを歩くザルバに気づくと、しばらく躊躇い、催促した。
「......疲れました。早く換金所に向かいましょう」
自身の胸元にも届かない少女が気丈に振舞っている。ザルバはそれにどこか面白くないものを感じながら、空返事を返した。
この少女がダンジョンに挑んだのは今回で3度目であり、その帰りだ。多くの冒険者がごった返す通りを、目的地まで迷いなく進む自信はないのだろう。見上げる視線に少なくともザルバへの好意はないが、はぐれるわけにもいかない。
「来い」
隣に並びたつように歩みを進め、歩幅など考慮もせず一息に抜き去る。少女も慌ててはぐれないように後ろを追いすがった。
遠目に何を察したのか囃し立てる仕草をする同業者に、ザルバは思わず溜息を吐いた。
●
「選べ」
ザルバは対面に座る少女にそう言い放った。選択肢は伝えてある。数種類の料理とその値段だ。
場所は酒場。換金所で稼ぎを確認した2人は暖かい飯を求めてここへ来た。同じ店に都合3日連続。そこまで繁盛するでもなく、騒ぎ立てる者もそうは集まらないここは、異色な2人組には都合が良かった。
少女が悩む様子を、ザルバは肩を壁に預けながら眺める。
革兜を脱いだ彼女はどう見ても冒険者のそれではない。可愛らしく、整った顔立ちだ。束ねた髪も余すことなく見せびらかしているし、ザルバとしても、こんな年端も行かぬ少女と共に連日食事することの奇妙さが大きいことを感じている。
仕草は明らかに粗暴者が多い冒険者のそれではなく、下手をすれば新人にすら侮られるだろう。酒場でろくに注文すら出来ないことを知った時には、ザルバも天を仰いだ。
しかしこの少女を連れ歩く以上、お荷物なだけでは困るのは事実だった。ある程度、生きる術を知ってもらえわないといけない。
ここ2日のことを思い出す。
初日は稼ぎがなく、ザルバが注文したものを「食え」と促し食べさせた。
昨日は幸運にも少しの稼ぎができた。山分けした金額を伝え、今日と同じように、料理の概要と値段を教えて選ばせた。散々悩んで選んだのは少女の取り分より値段が大きいものだった。そこで金銭の計算ができないことを知った。
食べ終わってからそれを伝えれば静かに絶望した顔を浮かべ、それを見たここの店員にザルバが怒られた。
弁明として使えるように教育していると言えば、今度はザルバを叩いた。金はきちんと払うのだから問題ないだろうに。それぐらいの稼ぎが普段のザルバにあることを、ここの店員は知っているはずだ。
「好きなものを選べ」
未だ悩む様子の少女に投げやりにそう言うと、肩を少し震わせながらも口を開いた。
「魚……平魚の焼き上げ、で、お願いします」
シンプルな料理だ。しかしそれだけに価格は手頃で、腹も満たせる。上出来なことに、今日の少女の取り分でも間に合う範囲だ。
「いいじゃねーか。合格だ」
昨日、宿に戻ってから、簡単にでも通貨の数え方を教えたのが効いたらしい。冒険家としての技能はともかく、ここに関しては覚えがいいようだ。
一つ安堵すると、喉の乾きが気になった。店内をチラリと見渡す。
看板娘のクラナがジョッキを持って近づいていた。
「お疲れさま、ザルバとお連れさん。エールだよ」
「おいおい、クラナふざけんな。こいつはガキだぞ。エールなんか飲ませるんじゃねぇ」
ジョッキの中身は温いエールだ。無論アルコールであり、子供が飲むものではない。
「こんな女の子をダンジョンに連れ回して、挙句に飯時に虐める男のセリフじゃないわね」
「教育だ」
クラナはザルバの返答に肩を竦めながら、それぞれにジョッキを手渡した。ザルバがそれを覗き込んで確認しても、中身はやはりエールだ。
向かいで少女も同じように覗き、匂いをかいでいる。
「おい、やめとけ」
ザルバが凄んで制すが、視線はそのまま首を傾げるだけだ。
言っても聞かないのなら、諫めるのも馬鹿らしい。知るものか。ため息の代わりに、ザルバはジョッキを勢いよく傾けた。温いエールに爽快感はなく、おまけに一杯目だ。半分以上胃に流し込もうと、気晴らしになるほど酔えもしない。そして、隣でクラナが笑うのが余計に腹立たしい。
ザルバのそんな様子も気にも止めず、目の前の飲み物を見つめていた少女が不意にクラナに問いただした。
「これ、果汁の飲み物ですか」
「なんだと」
「あははは! 正解。ほんとにエールを出すわけないでしょ?」
隣で笑う店員を睨めつけ、軽く鼻をひくつかせると、微かに果実の甘い香りがした。果汁のジュースは基本的に高い。水で薄めてあればいいが、ザルバにも香りが届くなら、そういうことだろう。
「これはサービス。私からこの子にね」
「頂いていいのですか?」
思わずといったように少女が聞いてきた。銭勘定はできなくとも、果汁のジュースが貴重だということくらいは知っていたのだろう。それもジョッキ一杯分の量だ。
どういう風の吹き回しか、口だけでザルバに払わせる気ではないのか。そんな風に考えながらクラナを見れば、笑って答えた。
「昨日のこの子が余りにも可哀想だったんだもの。あんたを叩いただけじゃ気がすまなかったの。お代はいいわ」
そういうことらしかった。であれば、断る理由がザルバにはない。エールに見せかけたのも、ザルバへの軽い仕打ちだろう。
恐る恐る、しかしどこか期待の篭った目をする少女に、ザルバはぶっきらぼうに言い放った。
「飲め」
少女の目が嬉しさで少し見開いた。小さくお礼を言い1口飲み込むと、今度は幸せそうに目を細めた。
「おいしいです」
見てられない。なぜかザルバはそう感じ、エールを一気に飲み干した。
「もう一杯」
「はいありがとう。今日はもっといけそうね。それで、料理はどうするの?」
よもやエールの杯数を稼ぐのが目的かと勘繰ったが、気にしないことにした。ひとまず、口に何かを突っ込みたいと思うくらいには空腹だ。
「俺は肉。こいつは魚。パンを1個ずつ。それと、飲ませるつもりならつまみくらい一緒に出せ」
「えっ、私は魚だけで」
「食え」
「ふんふんふん。わっかりましたー。丁度いい木の実のつまみがあるわ。パンは2人分ね」
やけに上機嫌にクラナが戻っていった。
残ったのはザルバと少女の気まずい空間だった。
「あの、わたし」
「食べろ。魚もパンも、俺が払う。お前が選んだものに、俺が勝手に付け加えた。それだけだ」
ダンジョンに潜るというなら、食事は重要だ。魚だけよりも、パンも食わせたほうが絶対に身体は動く。ちゃんと食って疲れた身体を満足させる。そして明日への活力にする。ザルバはそうさせるべきだと思っている。
「わかり、ました」
理由を語らないことに、納得はいってないようだが、わざわざ説明する気もなかった。まして、きちんと計算を覚えたささやかな褒美とは、口が裂けてもザルバは言わない。
代わりにザルバは食事のあとに伝えることを決めてある。少女の取り分から魚代を引くと、彼女が泊まれる場所がどこにもないということだ。一日過ごすだけ稼ぐことの大変さを知るのは、冒険者であれば通る道だ。
後ほどザルバは少女を涙目にし、クラナに思い切り叩かれることになる。
二敗目のエールとともに、つまみとして出てきた木の実を口に放り込んでいると、物珍しそうに少女が目線を送ってきていた。指だけで殻を割るのが気になるのだろうか。もしくは味か。
「これはダメだ」
酒のつまみだ。エールがあるから食えるという類のものだ。趣味道楽の食べ物を、この少女に食べさせる必要もない。
しかし、はっきりと断って見せたのだが、諦めるようでもなかった。口を開けたり閉じたり。何か言うべき言葉を探しているようだった。
「その、一つだけ、でもいいので食べたいです」
勇気を振り絞ったのだろう。少し怯えている。だが、そうまでして主張することに驚いた。懐かれないようにと、威圧的な態度はとっているが、それが逆効果で反抗的にでもなっているのだろうか。ザルバはくい、とジョッキを傾けるが答えが浮かぶわけもなかった。
「だから、こいつはダメ--」
と、言いかけた途端。
きゅうぅ、と。
小さいながらも腹の虫が鳴った。目の前で小さな女の子が俯きながら肩をすぼめ、拳を膝の上でぎゅっと握っていた。
ザルバはポカンとした顔を浮かべながら、ようやく少女の腹事情を察すする。
一昨日より昨日、昨日よりも今日、と日毎に探索の範囲は広まり、活動量も増えている。腹が空くのも当然だった。だが、今から他の注文をしても先に魚がくる頃合だろう。かといって、すぐ様くる気配もない。悩むところではあるが、実際に木の実を食べさせ、少しは痛い目にあった方が聞き分けがよくなるのかもしれない。
気は進まないながらも、ザルバは食べさせることにした。殻割を見るだけでも、場繋ぎくらいにはなるだろう。
「文句はいうなよ」
まず1粒、放ってやると慌てて少女が受け取った。
「割り方は分かるか」
首を思い切り横に振っている。その頬は羞恥が微かに残っているのか、若干赤いままだ。
目の前で割っていたといっても、ザルバは指だけで割っていた。非力な彼女にそれを求めるのは酷だろう。
「短剣をだせ。鞘から出さなくていい。刃で真っ二つにしたって食いづらい」
少女が隣の椅子に載せていた、簡素な鞘に入った短剣を出した。短剣というよりもナイフと言った方がいいかもしれない。それくらいの大きさだ。
ザルバが使っていた一品だ。他の装備を買い与えた時に譲ったそれは、当然、使い込まれている。
「潰すんですか?」
「そうだ。平たい箇所で机と挟め」
かつて、自分も木の実の殻を割る時は同じようにしていたことを思い出す。大抵、初めてこれをする時は、力を入れすぎて失敗する。
体重をのせるようにして殻を割ろうとする少女を見ながら、ザルバは己の過去を思い出していた。
「あっ」
「もう少し考えろ」
案の定だった。綺麗に力を込められた短剣が木の実を押しつぶし、カラだけでなく実までバラバラにした。垂直に腕の力を下に加えたのは、薬を作るなら褒めてもいいが、残念ながら今回は不正解だ。
「殻だけを割れ。力を入れるだけじゃこうなる」
ザルバがバラバラの実を拾い上げて食べると、少女は落ち込みながら呟いた。
「最初に教えてくれてもいいじゃないですか」
「使うものは教えた。結果くらい考えて俺に示せ。お前を拾った時に言ったはずだ。面倒を見る代わりに役に立て。俺が言ってる役に立つは、ソレができる人間だ」
今回はただ食べづらくなるだけだ。しかし考えなしの行動が、ダンジョンでは身を滅ぼす危機に陥れることも珍しくない。
ザルバはもう一つ欠片を口に放り込んだ。口の中ですり潰しながらエールと共に飲み込む。
残りのまともな一欠片を手に取って、落ち込む少女の手の上に落とす。手首を軽く掴んだが、やはり少女の腕は華奢だった。冒険者のそれではない。
「これでも食べれないわけじゃない。食え。もう一つ欲しくなったら言え」
少女は手のひらの欠片を見ながら少し頬を膨らませた。そのまま、目の前で口角をあげるザルバを見ても、何も考えず食べる。
食うなと言われた理由はすぐにわかった。
「にがっ......なんでこんな......苦い!」
「だから言っただろ。ガキに食わせるもんじゃない。酒と食う大人のもんだ」
慌ててジュースを飲む姿はいかにも子供だった。ひとしきり笑いながらザルバは木の実を割る。
「どうする? まだ食う気はあるか」
当然、断ると思っていたのだが、答えは逆だった。徐ろに木の実の入った籠に手を伸ばし、一つを少女が掴み取っていった。
「頂きます。もう1回割らせてください」
やっぱり強引なところがある。それがどうも面白くない。きちんと突き放し、適切な距離感を持つべきだとザルバは考えているのに。
二個目の木の実も中身ごと割られ、2杯目エールをザルバが飲み干したタイミングでクラナが料理が運んできた。
肉と魚。どちらもボリュームあるが、簡単に焼いただけの一品にライ麦のパンが添えられている。ザルバと少女、それぞれに配膳すると、クラナが少女の持つナイフと木の実に気付いた。
「あら、それ食べれるんだ」
クラナが少女の手元の残骸に笑いながらコツを教え出す。どうにもクラナはこの少女を気に入っているらしい。
「今日は仕舞いにしとけ。食べるぞ」
「そうだ。名前をまだ聞いてないわ。教えてくれる?」
「食べるぞ」
「ザルバ、教えてよ。なんて呼んでるの?」
切り分けられた肉を無言で食べ始める。
「ねぇ」
こんなにもしつこいクラナは久しぶりだった。ため息を吐きたくもなる。
「呼んだことがねぇ」
「なにそれ」
「本人に聞け」
さっさと戻ってエールを持ってこいと言いたいが、結局持ってきた時に詰問されるだけだ。どうしようもない。正面を見ると、まだ料理に手をつけてない少女がいた。
「その、名前を覚えていないんです。だから、すみません」
「記憶喪失ってこと?」
「さぁな。詳しくは俺も知らないし、知りたくもない。俺はただこいつの面倒みることを約束しただけだ」
年端も行かない少女を成り行きで拾うことになった。そのまま面倒見る羽目になり、代わりにダンジョンで生計を立てるザルバと同じ冒険者にした。ザルバと少女はそういう関係だ。
「わかったわ。私がお節介する話じゃなさそうね」
「なら早くエールを持ってきてくれ。もう空っぽだ」
「でもザルバ! 仮でもいいから名前くらいつけてあげなさいよ!」
(名前なんざ、2人でいるなら別に困ることねぇんだよな)
そしてなにより。
「名前つけるのなんて親くらいだろ。精々が奴隷の主が命名する程度だ。俺はどっちでもねぇ」
「あのねぇザルバ」
「黙れクラナ」
ザルバは少女の面倒を見るだけだ。いまの扱いが周りからどう見られるかはともかく、立場まで奴隷と主の関係にするつもりはない。
ただ、おずおずと料理に手を伸ばし始めた少女が何かもの言いたげなのは、見ないことにした。
「名前、名前……か」
ザルバとクラナが言い合う中、少女は自分だけにそうこぼした。