第1章 就職活動-6 トヴァン王国
トヴァン王国は、インド洋にある、大陸から突き出た半島の国。
大陸と接している部分は1,500m級の岸壁が連なり、また巨大な海流のうねりの影響で船での上陸も困難であるため、秘境とされていた。
その地理的な条件から、独自の文化圏を構築し、また、外国との戦争を経験したことのない、数少ない国の一つだった。
しかし、航空機の時代になると状況は一変する。
100年ほど前に、対アジアへの進出拠点として欧州国の侵略を受け、植民地化された。
そこからおよそ50年間、植民地としての時代を過ごし、48年前に独立を勝ち取り、現在に至っている。
人口はおよそ300万人。農業と漁業が主要産業の小国で、近年は観光業に力を入れ、ビーチリゾートの開発や国際空港の整備なども進めてられている。
公用語は英語と現地語。30歳以下の国民の殆どは英語のみを話す。
通貨はクマールで、1クマールはだいたい100円前後だ。
宗教はトヴァン正教と呼ばれる土着の宗教が80%以上を占めている。
さらに、凡そ7%は、旧教と呼ばれるサンジャイ教の信者が占めているが、トヴァン正教はこのサンジャイ教から派生した宗教であり、共に唯一神サンジャイ•クマールを信仰している。
その意味では、2つの宗教を合わせて87%がトヴァン土着の宗教を信仰していることになる。
欧州国の植民地化時代にキリスト教も入ってきて、一時はそのシェアが50%を切るくらいにまで縮小したが、31年前に宗教関連の内戦が勃発し、トヴァン正教側が勝利したことから、現在のシェアを獲得している。
国王はボヌン•ハジャルグ。
600年前の建国から代々ハジャルグ王家がトヴァンの国を治めてきた。
しかし、現在のボヌン•ハジャルグ国王は、正統な王位の継承者ではない、とする一部の勢力も存在している。
元々、ボヌン・ハジャルグ国王は欧州国の統治時代に宗主国の意図によって即位した傀儡の王の息子であり、それまで統治をしていたハジャルグ王家との血縁がかなり怪しまれている。
占領前の国王であったガツケ・ハジャルグ・メジャ国王は、当時15歳と言う若さだったが、欧州国侵攻時に軍部のトップにあったこともあり、占領後に戦犯として処刑された。
国王には子がなく、実質的にハジャルグの血は途切れたとされていた時、5年の空位期間を経て、宗主国側がどこからか前国王の隠し胤として発見し、ガツケ・ハジャルグ・メジャ国王の異母弟であるとして即位させたのが現在のボヌン•ハジャルグ国王の祖父、スパヤト•ハジャルグ国王だったのだ。
その後時代は流れ、トヴァン王国として独立。宗教上の対立による内戦を経て、現在に至る。
現国王ボヌン•ハジャルグは、23歳での就任から25年が経過しており、現在48歳。内戦の傷が生々しかったトヴァン王国の復興に尽力し、国情の安定化や経済発展に寄与した、とされている。
名君と呼ばれるほどの実績ではないにしても、トヴァン王国を安定した国家として成立させた国王としての評価がされている。
トヴァン王国内で、ボヌン・ハジャルグ国王と同等の権力を有している、といわれるのがフンラド・ダミアン大司祭だ。
ダミアン大司祭はトヴァン正教のトップであり、信者の多くは国王であるボヌン・ハジャルグ国王よりもダミアン大司祭の言葉によって行動する、といわれるほどだ。
ただし、実際の政治的な決定権がダミアン大司教にあるのかというとそうではない。
あくまで、国の最大勢力であるトヴァン正教のトップとして、国王が道を誤らない様に助言する、という立場だ。
だが、“何をもって道を誤ったとするのか”という点において、ダミアン大司祭の言葉が非常に重要な意味合いを持つ。
例えば外交の局面で諸外国が何らかの提案をし、経済的な背景で見るとAという選択肢がベターだとしても、トヴァン正教の考え方ではBという選択肢を選ぶべき、という事になると、国王はそれに従わざるを得ない。
国益を考える国王と、あくまでトヴァン正教の経典に従うダミアン大司祭という構図は、しばしば対立を生む。
トヴァン正教が宗教として確立されたのは800年近くも前、旧教と呼ばれるサンジャイ教は1,000年前に誕生したとされる。
トヴァン半島の付け根の北トヴァン山脈、その裾野の村で生を受けたサンジャイ・クマールという男がトヴァン正教の始祖とされていて、クマールの弟子たちが彼の死後100年ほどをかけて、サンジャイ•クマールを“唯一神”とし、経典として完成させたものがサンジャイ教だ。
ただ、サンジャイ教の教えの根幹となっているものの1つに、“他人への依存を禁じる”と言うものがある。
これは非常に厳格な教えで、15歳以上の男女に対し、あらゆる施しを禁じている。
例えば妻が夫の収益で生活する事を禁じているし、子が15歳になった瞬間に、お小遣いをあげることすら出来なくなる。
さらに言えば医療だ。保険もまた施しの一貫であると考えられており、サンジャイ教の信者は保険を適用してまで、つまりは施しを受けて治療法を探るくらいなら病による死を受け入れる。
結果、一部の貴族階級など、“お金が回る仕組み”を有しているものを除いては信者でい続けることが困難となり、それが宗教としての衰退を招き、トヴァン正教の台頭を許したとも言える。
選民主義的な教義は一般庶民の離脱を招いたが、一部のエリートたちのプライドを擽り、現在でも国のトップ5%に入るブルジョア達を信者として抱えている。
トヴァン正教は、そう言った選民主義に対抗する形でサンジャイ教から分離した宗教だ。
少なくともその“他者依存”への抑制と言う意味ではかなり寛大で、保険はもちろん、配偶者への金銭授受に制限はかけていない。
さらに特徴として、“唯一神”サンジャイ•クマールを、あらゆる存在を超越した圧倒的な存在として定義していると言う点で異なる。
サンジャイ教はどちらかと言うと仏教的に自身を磨くこと、成長させることに重きを置いているのに対し、トヴァン正教はキリスト教的に全ての事象を唯一神サンジャイ•クマールに求める。
上手くいけば唯一神のお導き、上手くいかなければ唯一神が与え賜うた試練、と言う具合だ。
1,000年以上前に実在していたサンジャイ•クマールについては様々な奇跡を実現させた聖人として多くの広報的な出版物が発行されている。
彼が成し遂げた奇跡は、1,500mの岸壁から突き落とされた時に、羽毛の様にフワッと着地して無傷であったと言うものや、飲料に適さない水を一瞬にして浄化して飲める様にしたと言うもの。
あとは残虐非道な行いで民を苦しめていた当時の権力者の城を1人で、一晩で攻め落した、と言う逸話もある。
そのサンジャイ•クマール出生の地とされている北トヴァン山脈の中の一つ、トクゾ山を聖地とし、その一部は“聖地ラガルラン”と呼ばれ、信者達の巡礼が引きも切らない。
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ゼンタが調べたトヴァンについての情報は、こんなところだ。
問題は現地語の習得だった。
ただでさえ小国のトヴァンから日本に来ている人がそもそも少ないだけでなく、現在は英語を公用語としている為、特に若い層では現地語を話せない人も多い。
トヴァン王国大使館に出向いて相談した際には最初、かなり難色を示された。
ダメ元で2度目に出向いた時に、現地語の授業1時間あたり1万円を支払う、と提案したところ大使館員は目の色を変え、逆に月200時間のレッスンを提案された。
笑えるほどに現金なその姿勢には驚いたが、さすがに月に200万円は払えない。
そう言うと、一瞬で100万円に、更に渋ると50万円にまでディスカウントされた。
さらには、月に200時間と言うと毎日6〜7時間だ。そこまでは時間を避けないので時間も月に20時間に減らした。2〜3日に1回、夕方に2時間のレッスンを受けることになった。
結果として、ジャマールという大使館員に対し、個人的に1ヶ月10万円の指導料を支払うことになった。
トヴァンの物価はだいたい日本の7〜8分の1との事なので、ジャマールはトヴァンの価値に換算すると70〜80万円を得ることになる。
少し渡しすぎだとも思ったが、ジャマールは俄然やる気を出してくれているのでまぁ良いだろう。
何しろ、今回のミッションでゼンタがトヴァン現地語を話せるのは非常に重要だと楠木は言った。
止むを得ない出費だろう。
レッスンは大使館の会議室を使えるとのことだ。
大使館員が個人的なビジネスをするだけでも日本では間違いなくNGだろうし、まして大使館の会議室を使うのだ。
よく言えば大らかな組織、悪く言えば腐敗した組織であると言えるが、日本の贈収賄に対しての厳しさは本当に特別だと聞いたことがあるので、トヴァンでなくとも外国では当たり前なのかも知れない。
その辺りの感覚も、ゼンタは今後洗練させていかなくてはいけない、と思った。