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アカツキエイト  作者: 小沢 健三
第1章 就職活動
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第1章 就職活動-4 決意

「自分で生きることを始める…か。」


ゼンタはあの日以来、大学の図書館やインターネットで“情報”について調べている。

今さら、多少知識を詰め込んだところで、あの楠木くすのき社長に認められる様なことにならないことは分かっている。

どちらかと言うと、本当に自分が興味を持って、その分野で生きられるのか、という確信が欲しい。


株や為替、先物、仮想通貨などのチャートも見てみた。

思ったより動くものなんだな、と言うのが1つの感想だ。


特に仮想通貨の動きは他と比べ物にならないくらいに大きい。

2年前に1万円だったものが200万円をつけ、数ヶ月後には60万円くらいまで下がっている。


“これ、確かに情報を持ってて上手く立ち回れたらエゲツないことになるな…。”


おくびとと言う話はゼンタも聞いたことがある。

3〜4年前に仮想通貨を10万円買った人が1億円以上を手にしているとか、そう言う人がけっこういるらしい。


"10万円で1億ってことは…、1,000倍じゃんか!うわぁ、誰か3年前に教えて欲しかった…。”


自分なりに情報を集めてみる。

が、色んな人が色んなことを言っていて、今後上がると言う人もいれば下がると言う人もいる。

上がると言う人の中でも1,000万円まで上がると言う人、再び200万円まで行ってまた下がると言う人、様々だ。

どの情報を信じていいのか、それが分からない。

仮想通貨の様に上下変動が大きい相場のことを“ボラティリティが大きい”と言うのだそうだ。


ボラティリティの大きさで言うと、仮想通貨は今のところ圧倒的だ。

その分、一攫千金いっかくせんきんのチャンスがあると言える。

ただ逆にいうと、損をしてる人がいなければ相場は回らないわけで、ボラティリティが大きいと言うことは、ハイリスクハイリターンだと言えるだろう。

仮に3年前に誰かが仮想通貨のことをゼンタに教えてくれたとしても、ゼンタが手を出していたかと言うとかなり怪しい、と自分でも認めざるを得ない。


ボラティリティこそ仮想通貨ほどではないにしても、色んな人が色んなことを言う、と言う意味では株や先物なども大きくは変わらない。

モルガンやゴールドマンなどの世界的な企業のトップが、それぞれ全く逆のことを言っていたりもする。


調べれば調べるほど、分からない。


結局は、どんなに情報を集めても、未来のことなんて分からないのだ。


確信を得たくて、様々な文献を読んだ。


相場のことだけでなく、国際経済や歴史についても調べてみた。

主に、権力者とそのパトロンについてだ。楠木くすのきの話にあったカダフィの暗殺とその後のリビアについてもそうだが、多くの英雄たちは元々権力者であったわけではない。

例えば千利休は秀吉のパトロンだとされているし、東インド会社の日本支店長的な位置づけだったトーマス•グラバーは坂本龍馬のパトロンだったらしい。

歴史書では彼らについて多く触れられていないのでなかなか情報が出て来ないが、冷静に考えると秀吉でも龍馬でも、元は権力とは程遠い位置にいたわけで、そう言ったパトロン的な人物が近くにいたと言う方が自然だと思える。その上で、お金だけでなく知恵も、彼らに提供することで成功を支えたのだろう。

もちろん、秀吉や龍馬が優秀だったことは否定しないし、先見の明があったことや類稀たぐいまれなる決断力と行動力があったことも間違いないだろうが、ただその時代に生きてきた人物の中で、他に彼らの様に考えて行動した人がいないとは思えない。

えんと言ってしまえばそれまでだが、楠木くすのきの言う転換点・・・があり、それが良い方向、それも圧倒的に良い方向に進んだ結果として、現代のゼンタ達が知る、英雄としての秀吉や龍馬がいるのだろう。


現代でも、ソフトバンクの孫社長が中国のeコマース最大手、アリババ.comに投資した話は有名だ。同社のジャック•マーCEOは間違いなく、とんでもなく優秀な人なのだろうと思うが、それでも、創業期の支援がなければ、今の状況を作れていない可能性は高い様に思う。


その上で大切なことは、千利休もトーマス•グラバーもソフトバンクも、十分過ぎる利益を得ている筈だと言うことだ。

それはビジネスとしてだけではなく、人生におけるエキサイトメントと言う意味でも、この上ないリターンをもたらしただろう。

英雄のそばにいて、時代の変革をその中心で感じるのだ。面白くないわけがない。


結果として千利休は秀吉に切腹を命じられているが、だからと言って全てが間違いだったと言うことには当然ならない。


いずれにしてもゼンタは、こう言ったことの情報を集め、それを自分のフィルターにかける、と言う作業を行った。


その上で思うことは、やはり“分からない”、と言うことだ。

もちろん、考え始める前よりは色んなことが分かった気がするが、圧倒的に足りない。

過去の事例を研究しても、今まさに起きていることは分からないし、それを分析して先のことがわかる様になるとも思えなかった。


だが、分かったこともある。

面白そうだ、と言うこと。

“知る”と言うことはシンプルに面白い、ということ。


あかつき商事の件で痛切に感じた事は、“分からない”と言うことの恐怖だ。

それに対して、“知る”ことの愉悦ゆえつと言うのは確実にある。


----


約束の日が来た。結局、ゼンタの中で確信を得られないまま、その日が来てしまった。

ただ、これ以上はどれだけ調べてもキリがない、とも感じていたので比較的、はれやかな気分でここにのぞむことが出来ている。


前回と同様に、受付の電話で内線10番を押す。


「やぁ。待ってたよ。こちらへどうぞ。」


前回と同様、迎えに出てきたのは社長の楠木くすのきだ。

広いリビングを横切って“PRESIDENT”と書かれたドアをくぐり、前回と同じ席に腰を下ろす。

やはり、広さと雰囲気には圧倒されるが、2回目と言うこともあって前回ほどの緊張感はない。


「さて、どうだった?この1週間は。」


「はい。決意が固まりました。」


「決意か…。なんの決意だい?」


「はい…。自分で生きることを、始める決意です。」


「…ほう。それはどう言う意味かな?」


「今週、自分なりにかなりの時間を使って、情報と言うものについて考えてみました。これを生業なりわいとして生きていくことが自分には出来るのかどうかと。」


楠木くすのきが目で続ける様にとうながす。


「結論はまだ出ていません。と言うのも、情報は数限りなく存在していて、同じものを見て別なことを言う人がいればそれに影響される人が出て来て、それがまた情報になる。こうして無限に広がっていきます。」


「その通りだね。」


「そして、つい1時間前に起きたことでも、状況が変われば180°変わってしまうこともある。だから、それこそそれを扱う側も、果てしなく追い続けなければなりません。その作業をこの1週間行ってみて、僕が一番強く感じた事は…、シンプルに“面白い”と言う事だったんです。」


「ほう。それは、その果てしなく追い続ける作業が面白い、と言う意味だね?」


「はい。もっと言うと、その作業によって自分が知らなかった何かを知る、と言う過程が、面白いと感じました。」


楠木くすのきは黙ってうなずく。


「自分で生きる、と言う事は、ひるがえせば判断をする、と言う事です。そして、判断をするには情報が必要です。それを追い求め続けることを始めよう、と。御社で始めさせて頂きたいと、そう考えました。宜しくお願い致します!」


そう言って、ゼンタは頭を下げる。

数瞬後、5度6度と手を叩く音が聞こえて顔を上げる。


「なるほど。実に素晴らしいスピーチだったよ。合格だ。おめでとう。」


楠木くすのきが立ち上がり、右手を差し出す。

ゼンタがそれを両手で握り、「ありがとうございます!」と頭を下げる。


「正直、雇って下さい、勉強させて下さい、と僕に依存する様な姿勢を見せて来たら、不採用にしようと思っていたんだ。他の会社ではそれが当たり前かも知れないけど、うちにはそんな人間はいらない。さっき君が言った様に、自分で生きることの出来る人間の集合体でしか、組織と言うのは存在し得ない、と僕は思うからね。」


「はい…。」


「君は80社以上も面接で落とされたそうだから、後ろ向きのマインドになっているかと思っていたんだが、“ここ”は、くじけていない様だな。」


楠木くすのきが握りこぶしでゼンタの胸をトントンと叩く。


「いえ、実はくじけていたんです。」


楠木くすのきの視線がゼンタの胸から目に上がってくる。


「今回お話させて頂いた内容も、ほとんどは母に言われた事なんです。自分で生きることを始める、なんて、最初は意味が分かりませんでしたし、僕は自分で生きているつもりでした。でも、1週間と言う時間を頂いたおかげで、くじけていた心を立て直すことが出来ましたし、最後の方は、情報を追い求める事がシンプルに楽しくなって。」


「そうか。素敵なお母さんだね。きっと、とても頭の良い方なんだろう。」


そう言うと、一瞬だけ楠木くすのきは少し目を細めて遠くを見る様な仕草を見せた。

その顔は、何かを懐かしむ様な、そんな表情に見えた。


「オーケー。では、条件面について話をしておこう。まず、君の年俸は1,200万円だ。」


「はい!」


一瞬の沈黙の中で、ゼンタは楠木くすのきが言ったことを頭の中で反芻はんすうする。


「えっ⁉︎いッ!いっセんにヒゃく⁉︎」


「あぁ。うちの最低水準だ。その先は、成果に応じて1年単位で更新するし、ボーナスも成果次第で上限なく支払う。」


「あ…は…、はい…。」


ちょっと理解出来ない。

新卒が1,200万円もの給料をいきなり得られるなんて聞いた事もない。


口が開いているのに気づき、あわてて閉じる。


「勤務時間は決まっていない。火曜と金曜に朝8時からミーティングがあって、そこには出席して貰うが、それ以外は自分の裁量で働けば良い。」


「えっと、規定の勤務時間とかは無いんですか?」


「あぁ。ない。それぞれが好きに働けばいい。」


「はぁ…。」


頭がついて来ないのを感じながらも、なんとか言葉をひねり出そうとするが、出て来るのは溜息ためいきの様な、身体のどこかから空気が漏れている様な、そんな間抜けな声だけだ。


「ただ、君は新卒だ。他のメンバーの様にいきなり全て自分の裁量で働けと言われても難しいだろう。少なくとも、社会人としてのマナーであるとか最低限の教養を身に付けて貰える程度には研修期間を用意するし、はじめの半年はうちの従業員の誰かを指導役として付ける。」


「は、はい。ありがとうございます。」


「卒業まで半年あるが、必要な単位はもう取り終えているんだろ?」


「はい。」


「であれば明日から来てくれ。アルバイトは、今シフトが入っている分は入らなきゃマズいだろうが、そこまでで辞めるんだ。」


「はい。わ、分かりました。」


「あとは…、細かい事が色々あるが、まぁそれは明日以降でも良いだろう。何か質問はあるかい?」


「いえ。あ、えっと、明日は8時に此方こちらうかがえばよろしいでしょうか?」


「あぁ、そうだな。ちょうど明日は金曜だ。他のメンバーを紹介するよ。他に質問は?」


「いえ、大丈夫です。」


「そうか。ではまた明日。」


「はい!ありがとうございます!」


「帰り道は分かるよね?ドアは此方こちらからは開くので、僕はここで失礼するよ。明日の朝は、また内線を鳴らしてくれればいい。」


「分かりました。それでは、失礼致します!」


いまだにきつねつままれた様な感覚が抜けないまま、広いリビングを歩く。

ふとガラス張りの個室に目をやると、従業員の1人らしき女性と目が合った。外国人の様だ。

白い肌に薄茶色の髪。一瞬ハッとするほど美しい女性だ。

女性は少し微笑ほほえんで軽く右手を振った。


明日からは先輩になるのだ。女性とはいえ軽々しく手を振り返すのは失礼かと思い、深々と頭を下げる。

顔を上げると、彼女はすでにモニターに目線を戻していた。


少し残念な気持ちを振り払い、出口へ向かった。


----


楠木くすのき 裕市ゆういちは、先ほどまでこの部屋にいた男のことを考えていた。

自然とその顔は笑顔になる。


コンコン、と言う音が聞こえドアの方を見ると、従業員のスージー•ブテリンがノックしている。

ウクライナとアメリカのハーフである彼女は、ウクライナで高校を卒業した後、アメリカの大学に進学してプログラミングを学び、世界最大手の検索エンジンでアルゴリズムの解析を5年間行った後、楠木くすのきにヘッドハントされた。

28歳、街を歩けば誰もが振り返るほどの美女だ。


「ボス、さっきの坊やが例の新入社員?」


「あぁ。なかなか見どころがありそうだ。」


「とても、日本最強のギャングの息子には見えないわね。見るからにピュアじゃない。」


「…あれ?その話ってしたっけ?」


「ふふ。ボスが新卒の男の子を採用するなんて言い出すんだもの。そりゃどんな子か気になるわ。」


「そうか。スージーに隠し事は出来ないな。」


「そうね、隠し事はしない方が身のためよ。ふふふ。」


「確かに今は、ピュアな坊やだけど、日本一の大親分の息子ってだけのことはあるよ。肝っ玉がわってるし、冷静だ。」


「お母様は、どんな方なの?」


こずえさんは…、まぁ、素敵な人さ。それでいて、物凄く頭が良い。」


「あら?ボスにもセンチメンタルがあったの?」


「いやいや、そう言うわけじゃないさ。ただ、よく知ってる、と言うだけで…。」


「ふふふ。まぁ良いわ。いずれにしても、サラブレッドなわけね。これからどう成長していくか、楽しみね。」


「あぁ。楽しみだよ。」


楠木くすのき 裕市ゆういちは、目を細めて遠くを見る様な笑みを浮かべた。


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