第2時 孤児-6 進捗2
ゼンタは珍しく、19時には帰宅した。
玄関のドアを開け、「ただいま。」と声をかけるが、反応がない。
リビングを覗いても、誰もいない様だ。
おかしいなと思っていると、風呂の方から声が聞こえて来た。
「ただいま。」と少しドアを開けてみると、「わっ!ビックリした〜。帰って来たのね、おかえり。」とバスタオルを巻いただけの梢が言う。
そして、なされるがままに髪を拭かれているラフィ。
「えっ!お風呂一緒に入ったの⁉︎」
「そうよ〜。今日はラフィ、いい子だったのよ〜。」
と鼻歌まじりにラフィの頭を拭く梢は楽しそうだ。
「じゃあゼンタ、ちょっとだけ変わってくれる?母さん自分の身体も拭かなきゃ。」
と言って梢がゼンタにバスタオルを渡そうとするが、急に形相を変えたラフィがそのバスタオルを奪い、再び梢に押し付けた。
「あら可愛い!ラフィったら私に拭いて欲しいの?」
するとラフィは、俯いたまま「…yes.」と答えた。
「あら、ふふ。ごめんね。ゼンタ、嫉妬しないでね。」
「いやいや!べ、別に良いけどさ…。」
「あら、こっちにも可愛い子がいるわ。ふふ。母さん幸せものね。」
「いやいや、良いって別に!」
そう言って洗面所のドアを閉める。
梢に揶揄われたからかも知れないが、ほんの少しだけ、ラフィが自分の母親に近過ぎる様な気もする。
梢がその辺りの垣根が低いだけかも知れないが、普通11歳の男の子が他人の母親と風呂に入るだろうか。
ふと、ヤマトから昔よく“ゼンタはマザコンだからな!”と揶揄われたことを思い出す。
慌てて首を振ってそんな妙な嫉妬心を打ち消す。
“いやいや、これはとても良いことだ。”
そう。良い事だ。
ラフィは8歳で両親を亡くし、以降3年間は愛情に飢えた期間を過ごしてきた筈だ。
甘えたい年頃を残虐なレイプ行為と暴力の中で過ごしたのだ。
それが、一緒に風呂に入る事を許すまでに回復した。僅か1週間と少しで、だ。
素晴らしい成果なのではないか、と思う。
そんな事を思っていると、梢とラフィが洗面所から出てきた。
ラフィの顔には僅かに笑顔が見える。
間違いなく、日に日にラフィは快復してきている。
“ラフィのこと、くれぐれも焦るなよ。こちらの事情はあの子には関係ないんだ。しっかり寄り添ってやってくれ。”と言う楠木の言葉を思い出す。
その役目はいつの間にかすっかり梢に引き継がれていて、ゼンタは何処か疎外感を感じるほどだ。
3人で食卓を囲む。
「今日はね、ラフィと公園に行ってきたのよ。滑り台とかブランコとかジャングルジムとか、初めてだったらしくて、楽しそうにしてたわ。」
「そうなんだ。トヴァンにはそう言う遊具、ないのかも知れないね。」
「小さい子たちが多くてね。ラフィは公園でのルールとかを知らないから、最初は横入りしたりして泣かせちゃったりしたんだけど、私が話して聞かせたら次からはキチンと並んでくれたわ。帰ろうとする頃には、小さい子たちと一緒に楽しそうに砂場で遊んで…。ふふ。おかげで泥んこよ。」
「そっか。意外と社交的なんだね。」
「そうね。聞き取れなかったけど、小さい子たちには何か話してたみたいよ。言葉が伝わらないからジェスチャーで伝えてたみたい。今日のラフィは、とても積極的だったわ。」
すると、ラフィがご飯を食べ終えたようで、少し物足りなそうな顔をしている。
「どうしたの、ラフィ?ご飯、お代わりする?」
と梢が聞くと“yes.”と言って微笑んだ。
ご飯をお代わりするのも初めてではないだろうか。
「ラフィ、じゃあ次お代わりしたいときには、お代わりって言ってみような。」
ゼンタがそう言うと、笑顔を元に戻して頷くだけだった。
「いいわよゼンタ、焦らないで。さぁどうぞ、ラフィ。」
そう言って梢がラフィの前にお茶碗を置くと、再び笑顔が戻る。
2杯目のご飯を平らげると、さすがにお腹いっぱいになった様で、ラフィは大きく息を吐いてお腹を摩っている。
そう言えば、顔色も最初に比べると随分良くなった様だ。
梢に連れられて歯を磨き、2人で寝室に入っていく。
寝かしつけると梢だけが出てくる。
タムードと一緒にホテルで寝た時からそうだったが、ラフィは寝つきが良い様だ。
ゼンタのうちに来てからも、寝かしつけてからだいたい15分もすると眠ってしまう。
ホテルで一度あった、あの発狂した様に嬌声をあげて起きる様な事は、ここに来てからは一度もない。
ただ梢によると、寝言で魘されるのは毎晩の様にあるそうだ。
そういう時は、肩のあたりをポンポンとしばらく叩き、大丈夫だと何度も声をかけるらしい。
ゼンタは別な部屋で眠っているので気づいた事はない。
「今日さ、会社で定例ミーティングがあったんだけど、宍戸さんは2週間後にトヴァンへ渡るって。」
「あら。じゃあラフィも?」
「いや、宍戸さんだけ先に入るそうで、俺や楠木さん達はもう1〜2週間後かな。その時にラフィも連れていくことになると思う。」
「そうなの。」
「で、その時期も、ある程度ラフィ次第なんだ。前に話した様に、ラフィにはカメラの前で、これまでラフィの身に起きたことを話して貰うことになる。」
「えぇ…。」
「まぁ、見ている範囲ではだいぶ快復して来てはいるんだと思うけど、どうかな?」
「そうね…。そこは、通ってる精神科の先生とも相談しなきゃだけど…、なかなか難しいんじゃないかしら。yes,noとか、挨拶をするわけじゃなくて、ラフィの傷口にダイレクトに触れることになるんだもの…。」
「そうだよね…。楠木さんは、焦るなって言ってる。ラフィがもしダメなら今回のミッションはタイミングが合わなかったってことで諦めるとか、ラフィ抜きでも出来る方法を探すと言ってくれてる。けど…俺としては、今回のミッションは絶対に諦めたくないんだ。新卒で最初のミッションだってこともあるけど、楠木さんや宍戸さんが何ヶ月も準備して来たことだから…。」
「母さんも、楠木さんの言うことに賛成だわ。焦って少しでもこちらが、ラフィに対して話すことを強要したら、せっかくくっつき始めてるあの子の傷がまた開いちゃう。そうなったら…、本当に危険だと思うわ。あの子が自分で死を選ぶとか、そう言うこともあり得ると思う。ミッションって言うのがどんなものかは分からないけど、あの子の命以上に大切なミッションなんてないわよ。」
「…。」
「母さんもよく分からないけど…、きっと楠木さんが最善の策を考えてくれてるわ。今のあなたには、残念だけど彼ほどの知識も経験もないわけだから、余計な事は考えずに任せるしかないわよ。」
「そりゃまぁ…そうなんだけど。」
「ラフィは強い子よ。きっと、立派なご両親に育てられたんだと思うわ。時間的な事は…まぁいつになるのか分からないけど、きっとあの子は乗り越えてくれるはずよ。」
「そっか…。そうであることを願うよ。」
「ゼンタも、だいぶ男らしい顔をする様になって来たわね。仕事に燃える男の顔。」
「そう?」
「えぇ。その顔を見ているだけで、楠木さんに預かって貰って正解だった、と思うわ。」
「そっか。…つか、預ってもらうってなんか変な表現じゃない?俺は就職してアカツキに入ったけど、預って貰ってるわけじゃないよ。」
梢は笑って、質問には答えず、
「さ!あなたもお風呂入って来ちゃいなさい。」
と言ってキッチンに立ち、洗い物を始めてしまった。