秋井迪は少女を追いかける
秋井迪は久しぶりの学校に、不安定な足取りになりながらも無事に教室へ着いた。
扉を開けると好奇的な視線が僅かに集まったが、失礼だと思ったのかすぐに散っていった。
迪はクラスメイトのいつもの距離感に安心し、自分の席へと向かう。机の中には欠席中に配られたプリントが溜まっていた。迪は片付けるのを面倒に思い、それを放置したまま椅子に座って睡眠をとろうとする。
しかし、それは宮下信上に話しかけられることによって、妨げられた。
信上は複雑そうな表情をしながら言った。
「よお、久しぶりだな。大丈夫か?」
迪は信上の気遣いを億劫に感じて、素っ気なく言った。
「大丈夫じゃないなら、来てないよ」
「じゃあ、安心だ」
そう言って信上は笑う。
迪にはそれが無理矢理出しているものに見えた。
「お前の母ちゃんに聞いたんだけどさ、お前最近家にいないんだって? 心配してたぞ、お前の母ちゃん」
――余計なことを。
迪はため息を我慢しながら、適当に言った。
「散歩だよ、散歩。マイブームなんだ」
「そうか、散歩ならいいんだ。あんま親に心配かけんなよ」
「ああ、分かった」
迪はそう言うと、再び寝ようとした。しかし、またもや妨害される。
「秋井君、おはよう」「おはー秋井」
それは聖人優奈と森上良子であった。
迪は面倒臭そうな表情を隠すことなく、ぶっきらぼうに挨拶を返した。
「おはよう」
それに対し、森上は少し顔を引きつらせるが、聖人は笑顔を崩さない。相変わらずこいつは世渡り上手だなぁ、と迪は思った。だが、それは間違いだとすぐに気付く。
「秋井君、前よりなんか、楽しそうだね」
「ちょ、何言ってんの、ゆうちゃん」
「優奈さん。あまりそういうこと言うのは……」
信上と森上が迪の顔色を窺うが、迪の表情にはこれといって変化はない。
しかし、迪は心中では驚いていた。
迪は今、活き活きしているのだ。親殺しに会うまでとは比べ物にならないぐらい、彼は今、人生を楽しんでいる。
しかし、彼はそれを表情には出さない。出すと怪しまれるからだ。
彼は今、殺人鬼を探していた。夜から朝までずっと。今日学校に来たのも情報収集のためである。迪にはなんとなく、この町で起こっている何かに少女が繋がっている予感がしたのだ。
今すぐにでも世間話をしたいところだが、徹夜して町中を歩き回っていたので起きている気力が今の迪にはない。
とりあえず迪は睡眠をとるべく、信上達に言った。
「眠いから、放っておいてくれ」
呆れたように信上が言った。
「お前全然変わってないな。ま、その調子なら心配ないか」
聖人が迪に目線を合わせて言った。
「秋井君、力になれることがあったら言ってね。何でもするよ。あ、でも明日は忙しいから。じゃ、おやすみ」
その言葉を合図に、迪は腕を枕にして机に伏せた。先生も気を遣って放っておいてくれると踏んで、迪は全てを夢に委ねる。あれから眠る度に見る、名前も知らない少女の夢に。
in dream
その少女は死体の上に立っていた。
そこは何一つ物音が聞こえない深夜の路地。頼りない外灯の光が少女を薄く照らしている。
表情のない少女だった。
幼さを残す可愛らしい顔、闇に溶ける真っ黒なドレスと腰まで届く長い黒髪。その顔は美しく、吸い込まれてしまいそうな深い瞳をしていた。
しかし少女の美しい髪は血に侵されていた。右手の太刀からはポタポタと血が滴り落ちている。
足元の男の死体は魚のように腹を切り開かれていた。大きく開かれた目には目玉がなく、右手首は綺麗に切断されていて血が流れ出ている。
だが少女は死体に目もくれず、向こうにいる少年をただ虚ろに眺めていた。
呆然と立ち尽くしている少年――秋井迪を。
迪は常に気怠そうな表情を露わにし、端整な顔立ちを台無しにしている高校生だ。
彼には普段の気怠そうな雰囲気はない。あるのはこの状況への疑問だけだ。
勿論、彼は好き好んでこんな場面に登場した訳ではない。
彼は父親――秋井哲司を探しに、深夜の街に出たのだ。
哲司は考古学を嗜み、古物を集めることを生きがいとしている大学の教授である。
そして哲司はその古物――コレクションを公開するための展覧会を開く準備を行っていた。
だが準備と言ってもそこまで忙しいものではなく、昼間に帰宅することもあったぐらいだ。
しかし、今日の帰りは異常に遅かった。
まだ展覧会の開催までには余裕があったはずなのに、電話をしても何も返ってこない。
迪は妙な不安を駆り立てられ展覧会へ向かい、偶然この場面に出会してしまったのだ。
――……………。
少女は真っ直ぐ迪を眺めていた。
迪は呆然と少女を見つめていた。
――……………。
少女の表情からは何も読み取れない。恐怖や歓喜、焦りさえも。
それでも迪は黙って少女を見つめ続けた。
身体が竦んで動けなかった訳でもない。少女が持っている凶器や無惨な死体が見えない訳でもない。
なぜか迪は少女を見つめ続けた。
やがて数分後、少女は興味を失ったように目を逸らし、夜の闇に紛れて消えてしまった。
迪はゆっくりと足を出し、死体に近寄る。
――…………。
その死体は迪の父親、秋井哲司のものであった。
しかし、なぜか迪は悲しまなかった。驚きもしなかった。
なぜなら、迪の頭の中は違う事に夢中だったからだ。
――名前なんて言うんだろう? あの子。
秋井迪は、親殺しの少女に恋をした。