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少女に名前はまだない

 少女は何も隠さず堂々と立ち、怒ったように頬を膨らませている。

 俺はその出来事に驚いた拍子に携帯を落としてしまった。それとシンクロするように扉から解放された上着も、ひらりと少女の足元に落ちた。

 その二つは同時に地面へ着き、それが引き金だと言わんばかりに少女は俺に近づいてくる。ゆっくりと何の恐れもなく。

 まるで自分がこの部屋の主かのような振る舞いで何の迷いもなく、も拭かずに部屋へ上がり布団に入った。

 布団に入った!?


「…………」

 俺は少しだけ肩の力を抜き、開けっ放しになった扉を閉め少女の入った布団へ近寄る。

 少女が中で動いているようで布団は絶え間なく変形していた。いつの間にか布団に入っていた猫が耐え兼ねたようにそこから飛び出したが、布団から出た細腕が再び猫を布団の中へ引きずり込んだ。

 ……当然と言えば、当然だろう。今は春と言ってもまだ寒く、しかも今年は地球温暖化で気候が狂ったのか二月から気温が全く変化していない。昨日まで部屋にコタツがあったぐらいだ。そして、この少女はそんな時期に全裸で外にいたのである。誰だって布団の中へ走る。もしかしたら、というか普通に考えたら少女は暖を求めて俺を訪ねたのかもしれない。

 正直、今すぐにでも布団ごと少女を外へ放り出したいのだが、それをやってしまったら本当に犯罪になってしまいそうなので今は我慢する。


 しかし、俺以外の三次元がこの部屋にいるというこの危機的な状況をどうすればよいのだろうか? 

 やはりここは先と同じく警察を呼ぶ案で行くべきなのか? しかし暖を取りに来ただけというのなら、適当に服でもカイロでもなんでも持たせて追い出したほうがよいのではないか? まったく。扉が開く前に暖を取りにきただけという可能性に気づけば、こうも悩む必要なかったのに。


「…………やべ、どうしよ」

 俺は誰かに助けを求めるように呟いたが、今度は猫の眼光すら返ってこない。アテナさんに再び電話しようと思ったが、通話を切ったのはあちらからなのでどうにもし辛い。

 てか、なんだよあの演出は。アテナさんも気づいていたなら、素直に教えてくれればいいのに。まぁ、少女の扉を叩く行為にビビって扉に近づかなかったのは俺だから、あまり人を非難するべきではないな。

 ……うん。そうだな。結局、アテナさんの指示と同じ結果になってしまったのだ。こうなってしまったのならば、アテナさんの指示通りとりあえず服を着せることにしよう。


 俺は押入れの奥から衣類が入ったプラスチックのボックスを出し、女装時に初始先輩からたくさんの酷評を貰った白いワンピースを取り出して広げる。四年間もしまってあったので少し埃っぽくシワだらけで、しかも今の時期に合わない薄い生地であるが、無料で貸して、いや差し上げるのだから文句は言えないはずだ。


 俺はワンピース片手に、モゾモゾ動いている布団に近づき、少し大きめの声で言った。

「おーい、服着るか?」

 すると少女は活動を止め、亀のように布団から顔を覗かせた。

 俺はワンピースを広げて少女の前に突き出すが少女は興味がないらしく、すぐに布団の中へ戻りまた布団の中で活動をし始める。


 俺は布団を持ち上げて、それを開きっぱなしの押入れへ投げ入れた。

 再び少女の肢体どころか全体が露わになり、少女は抱き枕のように猫を抱き締め必死に体温を上げようとしている。

 俺はそんな少女の寒がっている姿を無視して、強く言った。


「これ着て」

「にゃー」


 どっちが鳴いた声かは分からないがどちらにしても返事がないようなものだ。だから俺は少女が抱きしめている猫を無理矢理取り上げた。途中、少女の手に触れそうになったが、なんとか回避。まぁ、これで少女は俺の話に耳を傾けざるを得なくなっただろう。


「ニャーッ」


 少女は上体だけ起こして、反抗的な目で俺を睨む。

 不法侵入した分際で生意気だが、暴力やそれに近い行為をすれば絶対に捕まるような年齢なので抑える。あと、三次元に触れたくない。

 俺は黙って、ワンピースを少女の前に落とした。

 少女は今度こそ、それを手に取り不思議そうにワンピースを眺める。しかし、次の瞬間にはワンピースを放り出し、布団が投げられた押入れへ向かおうと立ち上がっていた。


「だ、か、ら」

 俺はワンピースを拾い、少女の背後へ近づく。

「着ろっ!」

 そして、ワンピースを無理矢理少女に被せ、押し込んだ。ワンピースは袖がないので腕は通り易いはず。

「ニャムー」


 少女は何事かと暴れたいせいで少女の肌と接触してしまったが服越しだったのでセーフ。そして数十秒の格闘により、無事少女にワンピースを着せることが出来た。しかも、サイズはピッタリである。

 少女はまた不思議そうな顔をして、着衣したワンピース触ったりジャンプや回転で機能性を確かめたりしている。

 途中、下着を穿いていないので危ないものが露わになったが、俺は一八歳で年齢差があり三次元には欲情しない男なので大丈夫なはずだ。というか、今更遅い。


 しかし、これだけではやはり寒いだろう。現に少女は押入れへの進行を再開している。

 俺は玄関から上着を拾ってきて少女にまた被せた。今度は本当に被せただけある。

 今回は自分から着ようとし少女は袖に腕を通すが、やはり上着は少女の身体よりも大きいので袖の先から手は現れず、上着の裾も床にべったりと着いてしまっている。少女は色々と悩んだみたいだが、結局腕を通さずに着る事に落ち着いたようだ。


 少女は不格好な姿で、可愛らしく首を傾げながら俺を見つめる。勿論、客観的に見て可愛らしくである。俺はちっとも可愛いなどと思っていない。三次元畜生二次元最高。

 とりあえず今なら会話が出来そうなので、俺は一番気になっていたことを訪ねた。


「裸族なのか?」

「にゃー」

 返事はにゃー、ただの猫のようだ。

「日本語喋れる?」

「にゃー」


 やはり喋れないらしい。まぁこの金髪と藍色の瞳を見れば、外人だと分かるので驚きはしない。多分、この少女は家族で日本へ観光に来て、なんやかんだで家族とはぐれてしまったのだろう。


「どこの国――いや、どこの部族出身だ?」

「にゃー」

「わん」

「にゃん!」

 犬は天敵らしい。

 閑話休題。

 迷子と言うなら、本当に警察を呼んだ方がいいようだ。まぁ、迷子じゃなくても本来なら呼ぶべきだが。


「まさか、電話帳に登録した警察の番号をこうもすぐ使えるとは」

 少女が日本語を理解出来ないと分かった以上、独り言は言いたい放題である。俺はぶつぶつと愚痴を垂れ流しながら、こちらをじっと見つめる少女を無視して玄関に落ちている携帯を拾いに行く。

 だが、途中猫の妨害に遭いそれは先延ばしにされた。


 そう、猫が俺の足元に来てにゃーにゃーと鳴き、餌をねだり始めたのである。どうやら他のアパートの住民が帰っていないせいで、まだ昼飯を済ませていないようだ。

 俺は食べたくなる程猫が好きと触れ回っている以上、猫の願いを蔑ろにするのは猫神とかに罰せられるので餌を優先した。という理由は嘘で、この猫は自分の三大欲求に比較的に素直で、睡眠を妨害すれば爪を振り回し、餌を与えなければ歯を奮うようなジャイアン猫だ。性欲の方は未確認だが、どうせ邪魔をすれば襲いかかってくるだろう。そしてもしもこの猫が暴れて少女が傷をついてしまえば、警察に怪しまれる可能性がある。それが本当の理由だ。


 俺は進路を変更し、押入れから初始先輩に頼まれた(押し付けられた)猫の餌である缶詰を取り出し、台所にある缶切りで蓋を開け中身を皿に盛りつけ(ぶちまけ)た。

 猫は味に不満でもあるような鳴き声を発するが、それでも食べ始めている。

 それを確認すると俺は再び携帯に向かった。

 しかし、また妨害された。今度は少女である。

 少女は玄関の前で四つん這いの姿勢となり、先程の猫と同じく俺に向かってにゃーにゃーと鳴いている。


「なんだ、お前もお腹が空いたのか?」

「にゃう」

「なんでもいいから、にゃー以外の言葉を喋ってくれ」

「にゃふーん」

「わん」

「にゃる…らと…てっぷ」

 なぜか一瞬寒気がした。


 まぁ食べ物を要求してようがしていまいが、やるつもりはない。部屋に勝手に入った上に食べ物までご馳走になろうなどと、傲慢にも程がある。三次元もいけるロリコンだったならば眼福のお礼に何でもするのだろうが、生憎俺は三次元を見るのも嫌いな気持ち悪い阿辻様なのだ。お前は警察でカツ丼でも食えばいい。……場合によっては、俺も食うことになりそうだが。


 しかし時間が経てば経つほど、俺の言い分が警察に伝わるかどうか不安になってくる。やはり全裸の少女というものは爆弾みたいのもので、良識ある行動でも性犯罪者に分類されるケースが稀にあるのだ。俺も不可抗力だとは言え全裸を見たり、部屋に上げてしまったりした訳なのでかなり怪しい立場にある。ここはこれ以上怪しまれるようなことが起きないうちに警察を呼んでしまいたい。

 その上で特に重要なのは、この少女が警察になんと証言するかだ。というか証言できるのか? できなければ本当に捕まってしまいそうだ。

 その少女は口をパクパクと開閉させ、上目遣いで俺を見つめている。


「……カツ丼は好きか?」

「にゃん」

「俺は悪くないな?」

「にゃん」

 了承っぽい言葉を得たので俺は携帯を拾いに行こうとする。しかし、そうすると少女が俺の前に立ちふさがり阻んだ。

 おそらく、俺が外へ出かけようとしていると勘違いしているのだろう。

 しかし会話が成立しない今、それを伝えるのは不可能である。ジェスチャーに挑戦するという案もあるが、三次元と過密なコミュニケーションを取る事は避けたい。まぁとりあえず、言ってみるだけ言ってみるか。


 俺はできるだけ優しい声で、言った。

「どけ、三次」

「ニャッ!?」

 間違えた。

「携帯を拾いに行くだけだよ」

「…………」

 俺は少女を避けて行こうとするが、少女は決して道を譲らなかった。

「……ッ」


 三次元に触れることできない俺にとって、人こそが最強の壁なのである。というか触ることができれば、とっくの昔に少女を部屋から追い出していた。……服を着せてから。

 この状況を打破するためにはやはり食糧を提供するしかないのか……。しかし、それは俺のプライド、いやアンチ三次元魂が許さない。誰が三次元の人間に媚を売るか。勿論アテナさんは例外。


「ふふ、根比べと行こうじゃないか」

「にゃ~」


 少女は困惑したように鳴いた。雰囲気で感じ取ったのだろう。

 全裸の少女と、来月高校三年生になる男の睨み合い。俺はすぐに目を逸らした。

 その勝利で調子に乗ったのか、少女は徐々に俺に近づいてくる。

 俺は逃げたいという気持ちをくだらない魂で抑え付け、なんとかその場に立ち止まるが冷や汗が止まらない。

 ……これは最終手段であるが、今はそんなことを言っている場合ではないので俺は目を瞑った。これなら三次元に触れたと分からないはずだ。これで誇りを守り通す。


「二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元」

 俺はさらに暗示をして三次元からさらに離れ、危ない人へ近づく。

 そして、時は来た。

 右手を握られた。

「二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元」

 きっと二次元が迎えに来たのだろう。

 這うような生暖かい感触が右手を支配する。

「二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元二次元」

 きっと右手が二次元化しているのだろう。

 噛まれた。

「イタいっ!」


 俺は突然の痛感反応に、思わず目を開け右手を見た。

 少女の口の中にある右手を。

 げんみつに言うと見れてねえーじゃん。右手は口の中にあるのだから。ああ、少女の口内唾液が俺の右手を包み込む感触が凄く気持ち悪いぞ。うわ、なんかぞわっときた。多分、舌で舐められたのだ。てかこの娘口結構大きいな。右手が全部口の中に入っている――って、また噛まれた。そんなに俺の右手はおいしいのかよ。おいしいらしく、今度は指が一本ずつ丁寧に舐められ――官能的というか陵辱的な気分が俺を襲う。じゅるじゅると、指が吸われている感覚がある。本当に味わっているようでだ。「ごはんだすから、てかつくるからゆるして」なんとおれのことばがつうじたのか、しょうじょは口をおおきくあけて、おれのみぎてをかいほうした。いきのこったぜー、りせいをたもったぜー、よくやったあつじげんじろう。

「現次郎って呼ぶなよ! 現実を連想するじゃないか!!」

「にゃ?」


 肩で息をしている俺を見て、少女は客観的に可愛らしく首を傾げた。

 俺は嘆息しながら、少女に言った。


「猫と同じのでいい?」

「…………」

「分かったから、これ以上近づくな。うん、きちんと宣言通りにカツ丼を作るからさ」

「…………」


 言葉が通じないなら行動で示すしかない。俺は渋々台所へ向かった。

 しかし、少女は依然として玄関の前から動こうとせずじっとこちらを観察している。

 ……どうやらここは料理をするしかないようだ。

 洗面所で少女の唾液まみれになった右手を念入りに、七回ぐらい石鹸で洗ったあと俺は冷蔵庫の中身を確認した。

 タコ一匹のみ。


 すっかり忘れていた。昨夜、初始先輩が釣ってきたと言ってタコを丸ごと一匹貰い、そのお返しに冷蔵庫の中身を全て押収されたことを。まぁ、さっきまで頭の中はアテナさん(二次元)で一杯だったからな。

 ……タコでも衣をつければカツだろう。

 炊飯器の中身をチェック。ちょうど一人分残っている。次に小麦粉のチェック。存在確認。って、あれ、カツって小麦粉だっけ? ……そもそもカツの作り方を知らないのに、カツを作っていいのだろうか。食べるのは三次元の少女だからいいさ。


 とりあえずタコの足を三本切り取り、小麦粉を適当にまぶして油をたっぷり入れた鍋に放った。出すタイミングがわからなかったので、沸騰したら救出した。衣はついてなく、おそらく油だけがたっぷりと染み込んだであろうタコの足を冷たいご飯の上に盛り付ける。堂々と足が丼からはみ出した。

 俺はそれを割り箸と一緒に、思わずひっくり返したくなるような卓袱台の上に置き、猫と戯れ――猫の食事の邪魔をしている少女を呼んだ。あと少し放置したら、猫が襲ったかもしれない。嘆息安息。


「ディスイズジャパニーズクッキング」

 日本産のタコだから何も間違っていないはず。

 少女は強烈な油の臭いに、訝しげな表情をしながら恐る恐る卓袱台に近づいてきた。

 俺は少女に押し付けるように、カツ丼(仮)と割り箸を少女に近づける。

 それを見て少女は自分の物だと理解したようで、カツ丼(仮)の臭いを嗅いだ。そして、少女は素手でタコを全て卓袱台の上に除けた。


 俺は卓袱台に油の臭いが染みるのを御免だなー、と思いながら、少女に無視された割り箸を割りタコの足をゴミ箱に捨てた。そして少女の真正面に座り、割り箸を黙ってこちらを見ていた少女に与えてみる。

 少女はそれを不思議そうに受け取り(勿論手と手は触れていない)、見様見真似で動かしているが、やはりぎこちない。スプーンを貸してあげたくなるが、俺専用なので他の三次元には触れさせることは出来ない。


 少女はついに箸を使うことは諦めて、部族らしく素手で丼へと退化したものを掴み口へ放る。ご飯が冷たいことが吉と出てしまったようだ。

 やはりお米にも油が染みてしまったのか、少女は苦渋の表情である。しかし頬張っている。よほどお腹が空いていたのだろう。だが食べるのなら美味しそうに食べて欲しいものだ。


 やがて少女は丼にご飯粒を一つも残さず平らげた。しかし手や口周りには大量のご飯粒が引っ付いて、少女は丁寧に舌でそれを舐め取っている。

 今少女の手に触れたらご飯粒や三次元だけでなく油でも汚れしまうのか、などと考えながら、今度こそ携帯を拾いに行く。食事中に警察が来てしまったら、虐待で捕まるような気がしたので食べ終わるのを待っていたのだ。

 俺は食事を済ませた猫とすれ違いながら、ついに携帯を拾って通報をしようとする。

 しかし次の瞬間、俺は発信ボタンを押そうとした指を静止させた。


「……かつどん…ありがとう、おにい、ちゃん?」

 なぜならさっきまで猫の鳴き真似をしていた少女の声で、俺にお礼の言葉が紡がれたからだ。


 少女は抵抗するように鳴いている猫を抱きかかえながら、こちらを見据えている。

 俺は声を震わせて言った。


「裸族発言は、セクハラですか?」

「にゃ?」

 少女は言葉の意味がわからないと言わんばかりに首を傾げる。

「分からないならいいんだ」

 俺はそう言って、再び少女の真正面の席へと戻った。


「ニホンゴワカリマスカ?」

「わか、る」

 少女は先程のやり取りがなかったかのように深く首肯した。

 少女の喋り方はかなりぎこちない。やはり外国人なのだろう。しかしこの歳で日本語を勉強し、しかも理解しているとは賞賛に値する。俺は讃える気ないが。


「なんで喋らなかったの?」

「おにいちゃん、面白、かったから」

「…………」

「…………」


 わずかな間、猫の鳴き声だけが部屋に木霊した。

 先に口を開けたのは勿論俺だ。

「なんで裸だったの?」

「服、なかったから」

 やはり部族か。しかし裸族ではないと。

「なんで俺の部屋に来たのかな? お兄ちゃん早く出てって欲しいなぁ」

「フレンカが、ここに来たから」

「……フレンカって誰?」

「これ」


 少女は抱きかかえている猫を俺に突き出した。

 どうやら少女はこの猫を追いかけてここに来たようだ。今度から猫を部屋に閉じ込めてから外出してやろうかと思いながらも、俺は少女を優しく諭そうする。


「勝手に名前をつけちゃ駄目だぞ。初始先輩が今、オリジナリティーのある名前を考えているから」

「名前を勝手に付けちゃ駄目」

「ま、まさかこの猫の飼い主?」

「うん」

「部族じゃないの!? 日本在住!?」

「うん」


 少女は気まずそうに猫を見ながら言った。

 部族じゃないのか……いや、そこじゃない。あの人一体どこから拾ってきたんだ……。そうなると、この赤い首輪だって初始先輩の物なのか怪しくなるぞ。


 それはともかく、この少女はただ単に、猫――フレンカを返しに貰いに来ただけかもしれない。そう考えるとこの少女に罪悪感を覚えてくる。きっと風呂から上がったときに散歩しているフレンカを見つけて追いかけ、気付いたらこんな状況に陥ってしまったのだろう。だが、下着ぐらいは着ろ。

 とりあえずこれで警察のお世話にならず、しかも平和的な解決が出来そうになったぞ。俺は嬉しさのあまりにガッツポーズを決めてしまった。少女はそれを見て不思議そうに首を傾げる。

 そんな少女を他所に、俺は意気揚々と言った。


「じゃあこの猫返すから、早く家に帰りなよ」

 少女は首を小さく振って、何一つ表情を変えずに言った。


「わたしも、ここに住む」

「死ね!」

「…………」

「…………」

「…………」

「今のなしで」

「いいよ、わかった」

 こんな小さい子供に、こんな暴言を吐いてしまうなんて……いや、条件反射で言ったから、俺は悪くない。嘘です。悪いです。

 しかし、なぜこんな冗談を言ったのだろう。


「住む」

「し――ッ」

 危なかった。もう少しで本日四度目のセリフを言うところだった。

 俺は必死に笑顔を取り繕い、極力穏やかな口調にして言った。

「どうして、俺の部屋に住みたいのかな? 家出でもしたのかな?」

「…………うん」


 少女は顔を俯かせて言った。

やはり警察を呼ぶべきだろうか。いや、ここは猫村さんを呼ぶべきだ。俺は再び携帯電話を操作する。住まれるぐらいなら、警察のお世話になった方がマシである。俺に三次元に触れる能力があれば、すぐにでも追い出すのに。

 少女はそんな俺を見て、何の臆面もなく言った。


「らちされたって、言うよ」

「――ッ!?」

 また発信ボタンを押す直前で、指が止まる。

 そう証言されたら猫村さんに助けを求めても警察として俺を捕まえるだけだ。あの人無駄に職務に従順だからな。怠慢しろ怠慢。

 俺は震える声で、言った。


「意味分かって、言ってる?」

「ろりこん、ってことなんだよね? おにいちゃん」

「……………」


 俺の中でロリコン性犯罪者として捕まったときの未来予想図が電撃のように走る。まず三次元もいけると見なされて普通の牢屋に入れられる。集団生活。ストレス溜まる。自殺。未遂。精神病院で強制コミュ力特訓。屋上から飛び降り。来世は二次元。または天国で二次元。

「死ぬべきか? ゴー天国」

「おにいちゃん、天国いけるの?」

「…………」


 いつも大体被害者である俺が地獄に行く訳がない、はず。……今を生きるしかないのか。

 俺は今を生きるために、少女に尋ねた。


「なんで、俺の部屋なんだ?」

「フレンカがいるから」

 俺は今すぐフレンカを追い出すために、先程から鳴き続けている猫を少女の手から奪い取ろうとする。しかし、少女は自らを盾としたので俺の手は卓袱台の上で止まった。

 少女は少し声を尖らせて言った。


「フレンカ、いじめ、だめ」

「おれ、いじめ、だめ」

「わたし、いじめ、だめ」

 二対一で少女の勝ち。なわけない。


「どうしても住むの?」

 少女は首肯して言った。

「だめなら、らちされたって言う」

 少女の意志は結構強いらしく、俺の目をじっと見つめてくる。

 一体、この少女にはどんな複雑な家庭事情があって、こんな見知らぬ他人の家に家出しようするのか? 分からない事だらけだが、下手をすると本当に捕まって死後かにしか希望がなくなる。それだけは避けなければならない。

 俺は決意を固めて言った。


「分かった。俺が出ていこう」

「だめ」


 即答で却下。この少女、おそらく毎日の食糧を俺から搾取するつもりなのだろう。きっとフレンカはこの少女に似たのに違いない。

 少女は唇を尖らせて言った。


「おにいちゃんがいないと、生きていけない」

「死んでください」

「やだ」

「やだじゃない」

「らち」

「一緒に暮らそう」

 プロポーズモドキをしてしまった。いや、待て、待て待て、何かを待て。何をだよ畜生。

「らち」

「…………」


 不承不承だが諦めるしかない。これが二次元だったら、幸せすぎて従順な下僕となり下から上までご奉仕するのに。

 とりあえず、当面の目標は少女がここから出ていこうと思うように仕向けること。または少女の家を探し、少女のご両親に助けを求めること。

 しかし今日からしばらく、この少女と一緒に暮らさなければならないとは。誰かと一緒に暮らすのは、四年前に猫村さんを追い出した時以来になる。

 確かあの時は一年で限界が来た。今はわからないが、俺が自我を保てるのは一年と考えよう。


 俺に人望があればこんな事簡単に直ぐに終わるのだが、生憎俺にはそんなものはない。まったく。八手奥にこの状況が知られたらなんと言われるだろうか。あいつの立場的に警察は呼べないだろうが、脅しに使う可能性が高い。やっぱり今度初始先輩に相談……しないでおこう。

 俺は軽く絶望しながら、今後のために聞いた。


「名前は?」

「まだ、ない」

「猫かお前は」

「にゃん」

 少女は誤魔化すように、猫の鳴き声を発声した。


「一緒に住むんなら名前ぐらい教えろよ」

「ほんとうに、ないの」

 少女は訴えるように、卓袱台を叩いた。

 ……この子の家庭環境は本当に複雑なようだ。もう哀れみすら覚えてきたぞ。しかし、名前が無いのは不便この上ない。ここは適当に。


「夏目」

「にゃ?」

「夏目って名前はどうだ?」

「なつめ……」

「漱石にするか?」

「なつめ!」

 少女――夏目は焦るように大声で言った。そんなに漱石が嫌なのか。


「おにいちゃんは?」

「阿辻現次郎だ。絶対に下の名前で呼ぶなよ。てか、おにいちゃんでいい」

「うん。よろしく、おにいちゃん」

 少女は笑顔で、そう言った。


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