第71話 ダメ姉は、応援する
~SIDE:コマ~
「…………はぁああああああああ……」
「ぅお!?ど、どしたのコマ?なんだかすっごいため息だけど……」
数十分に渡り気持ちが落ち着くまで姉さまに抱きしめて貰った私、立花コマ。ようやく姉さまの甘く痺れる抱擁に満足し冷静になってくると……今度は今更ながら急激に恥ずかしくなってしまい、姉さまに今の私の顔を見られないように思わず赤くなった顔を手で覆います。
『……あ、あの……ねえさま…………ごめん、なさい……もうすこし……このまま……抱いてもらってて、良いですか……?』
つい先ほど姉さまに発した自分の一言に呆れかえるやら気恥しいやら。……抱いてもらっても良いですか?など……私ったら何てはしたないのでしょう。何てとんでもない発言をしたのでしょう。
いえ、発言だけじゃありません。そもそも考えてみれば今日の私の行動すべて、情けなさ過ぎじゃないですか……
「(……情けない……なんて情けない……)」
……バカみたいに盛大に空回りしたせいで……姉さまにここまで心配されて。そしてこんな場所までご足労頂く事になって、そして我慢できずに子どもみたいに甘えてしまって……
嗚呼、ホントに情けない……穴があったら姉さまと共に埋まってしまいたい……
「……お気になさらず。私って……良くも悪くも……姉さまが居ないとダメなんだなって……再認識しただけですので……」
「え?いや何言ってんのさコマ。私、コマがダメなわけないって何度も言ったでしょ?」
「……いいえ。ダメダメです私……『姉さまの為に勝利を届ける』、なんて姉さまに大口叩いておいて結局姉さまにご迷惑をおかけして……情けないなぁって」
「えー?情けなくなんかないよ。そもそも私はこんな事で迷惑なんて思わないというかさ。コマの為に何かできるとかご褒美なんだけどナー。妹の為に頑張れるってお姉ちゃんとして至上の喜びなんだし!」
全く気にした様子もなく、あっけらかんとそんな事を言うお優しい姉さま。そんな姉さまの無償の愛が、我が身にとても染みますが……お陰で余計に惨めな気持ちになっちゃいそう……
……いけません、折角姉さまに癒してもらったばかりだというのに、私ったらまたさっきみたいにナイーブになってる……私ったらまた姉さまに癒してもらいたいとか卑しい事考え始めてる……ここは強引にでも話題を変えて明日の決勝の為に切り替えなきゃ。
「と、ところで姉さま?話は変わりますが、姉さまは今日はどうなさるおつもりですか……?まさか今から家に帰るわけじゃ……ないですよね……?」
「んー?ああ、うん。そだね。コマの言う通り、今からお家に帰ろうにも真夜中になっちゃうし……朝一で帰っても授業に間に合わないじゃない?だからさ……この際だから開き直ってさ、明日は私学校休んでコマの決勝を応援するつもりなんだー♪」
「そ、そうですか……」
……戻ったら、先生方に姉さまがきつく叱られてしまうだろうなと確信しつつも、直接その場で私を応援してくれるという姉さまにちょっと嬉しくなってしまう私。
……ああ、もう。だから甘えちゃいけないのに……私ったらホントにダメなんですから……
「てなわけでさ。今日はコマさえ良ければ……コマのお部屋に泊めさせてもらってもいいかな?」
「も、勿論ですとも!姉さまさえ良ければ……その、一緒に泊まってくださいまし……」
「やった♪助かるよコマ、ありがとー♡いやぁ、よかったよかった。この場に辿り着く事だけしか考えてなかったから、どこに泊まるかとかノープランだったんだよねー私。コマがOKしてくれなかったら、最悪どっかで野宿コースだったよ!アッハッハッ!」
「の、野宿って……姉さま……」
割と本気で言ってる気がして少々姉さまの事が心配になっちゃう私。姉さま……私の事を優しくしてくださるのは本当に嬉しいのですが……姉さまは私の事よりもまずはもう少しご自身の事を大事になさってくださいませ……
まだ暖かいとはいえもう9月ですし、何より可愛い女の子が無防備に野宿なんてしちゃ危険すぎますよ……
「そういえばコマ、夕ご飯はもう食べた?私はちょうど今着いたばっかりだからこれから何だけど」
「え?ええっと…………そう、ですね。そういえば私もまだです」
姉さまにそんな事を尋ねられて、ふと考えます。……ああそっか。よく考えたらご飯まだ食べてない……私ったら明日の調整や決勝の緊張で頭がいっぱいになってご飯の事なんてすっかり忘れていましたよ。
「おー!だったらちょうど良いねぇ。んじゃコマ、いつも通り口づけして味覚戻そっか♪」
「…………え」
姉さまのそんな提案に固まってしまう私。いつも通り……口づけ……?で、でもそれは……
「三日間味覚を感じられなかったのはコマもとっても大変だったでしょー?今日は明日の決勝に備えて、元気が出る美味しいご飯をお姉ちゃんといっぱい食べようねー♪」
「あ、あの……姉さま……その……口づけの事なのですが……」
「おぉ、そうだ!どうせホテルに戻っても陸上部の連中に見られちゃマズいし……いっそこの公園で口づけ済ませちゃおっか!暗いしこの場所なら公園の外からだと死角になってるし誰にも見られないだろうからさ」
「い、いえ……まっ、待って姉さま……お気持ちは大変嬉しいのですが……少々お待ちください……」
「……ん?どうかしたコマ?もしかしてお腹空いてないの?」
……とんでもない。朝も昼も本日の予選の緊張と不安で食事がのどを通りませんでしたし、今日だけじゃなくてここ三日間味覚障害のせいかあまり食欲が無くて食べていませんでした。
姉さまが傍にいるお陰で私の心身共に安心しきっているのか、まともに食べていなかった反動が今になって来たみたいで……正直に言うと私今かなり空腹です。
ですが……
「あの……えっと……食欲はありますし、姉さまとご一緒の食事は大歓迎ですが…………いつもの口づけは、必要ありません。今日はご遠慮させてください姉さま……」
「…………ふわぃ!?」
ですが……ダメです。今回ばかりは姉さまと口づけをするわけにはいきません。断腸の思いで断りの言葉を私が姉さまに送ると、ガタガタと震えだし目に見えて動揺し始める姉さま。
「あ、あのあの…………こ、コマさんや……?な、ななな……なぜ……に、そんな殺生なことを仰るので……?ま、まさかとは思ふけど…………こ、この私との口づけが……い、嫌になったとか……そんな感じのアレでせうか…………!?」
「えっ!?い、いいえ!?違いますよ!そんな理由なわけないじゃないですか!?」
青い顔になった姉さまのそんな問いかけをすぐに慌てて否定する私。ち、違うのですよ姉さま……私が、この私が姉さまとの口づけを嫌に思うハズ絶対にないじゃないですか。
……でも、でもですね……
「そ、そう?……じゃ、じゃあなんで……なんでコマは遠慮なんて(誰も得しないような余計な事を)するん……?もしやお姉ちゃんに対するお預けプレイかなにかで……?」
「…………だ、だって……」
「だって?」
「だって私……大会が終わるまでは姉さまと口づけしないって、自分で決めていましたし……」
「……はい?」
お腹もとても空いていますし、何より今すぐにでも数日ぶりの姉さまとの甘美な口づけに酔いしれたいのが私の本音。ですが……ダメです。もうこれ以上姉さまに求めるのは……
「覚えていますか姉さま?家を出る前に私、姉さまに言いましたよね。『これは姉さまと一度距離を置く……神様が与えた試練であり、良き機会なんだって思った』と……」
「……あー、はいはい。そういやコマそんな事も言ってたっけ」
『姉さまが居なくとも、味覚が感じられなくとも頑張れます』と別れ際に大見得を切った私。そうです……今回私が陸上部の助っ人として大会に出場する事を決意したのは……助っ人や姉さまの期待に応えたい理由の他に―――姉さまの元を離れて弱い心身を鍛えるという目的もありました。
「ええ、そうです。……散々姉さまに醜態を見せてしまって言うのもなんですけど、もしここで私が姉さまに口づけを望んでしまったら……そのぅ……」
「コマが大会に参加した目的に反しちゃう、ってこと?」
「…………はい」
何やら様子がおかしいと私の元へすぐさま駆けつけて貰って……抱いて貰ったり慰めて貰っただけでも十分すぎるくらいなのに、これ以上のモノを姉さまに求めてしまったら……甘えてしまったら……きっと私は、もっとダメになってしまうだろうから……
「だから……口づけは、大会が終わるまでは我慢しなきゃって……思ってて……」
「んー……そのコマの気持ちは分からんでもないけど。……でもなぁ。ぶっちゃけ味覚感じないのって相当辛いでしょコマ?ここ数日大変だったんじゃない?」
「……はい、辛いです。でもだからこそ……我慢しなきゃ……」
「…………ふーむ」
融通が利かない頑固者、強情女……そう姉さまに思われちゃうかもしれませんが、これだけは譲れません。どれだけ辛くともせめて大会が終わるまで我慢しなきゃ……
その気持ちを姉さまに苦々しく告げる私。そんな私を前にして、姉さまは一瞬なにやら思案した表情を見せ……そしてニッコリ笑顔を見せると―――
「そっかそっか。んじゃ、コマ。その理屈で言うと―――私からするなら問題ないよね」
「え?」
―――私が、その言葉の意味を問いかけるよりも早く、私の顔にご自身の顔を近づけ姉さまは……
「ん……」
「ふむぅ……っ!?」
私とご自身の唇を、静かに重ね合わせました。
「……んぅっ……」
「姉……さ…………は、んっ……」
火照った熱が、小さくて柔らかな姉さまの唇から伝わります。触れ合えなかったのはたった数日だけなのに……懐かしく感じるその唇の感触は、私の鼓動を一気に昂らせてしまいました。
「えへへー、奪っちゃったー♡」
「…………な……ぜ……?」
軽く口づけした後に、一旦唇を離して私に無邪気に笑いかける姉さま。一方の私はただただ困惑するだけ。口づけはしないと言ったのに、姉さま……どうして……?
混乱している私に、姉さまはまた優しい顔でこんな事を話し始めました。
「まあ、アレだ。明日のコマの決勝のおまじないというか……コマに頑張って貰えるようにって気持ちを込めた私からの激励みたいなもんだよ。言ったでしょ?私からするなら問題ない、って。……私が勝手にコマの唇を奪ったわけだしさ、これなら口づけしてもコマが気に病む必要はないよね」
「い、いえ……ですが……それでもこれは……」
抵抗しようと姉さまを引きはがそうとしますが、引きはがす度にスッと私の懐に入り込む姉さま。
「コマの気持ちはわからんでもないけどさ、やっぱ私……コマにはベストコンディションで明日の決勝を楽しんでほしいから。てなわけで、続けるよーコマ♪」
「ゃ……ちょ、ちょっと……ねえさ…………っ」
いつもなら私が姉さまをリードしてるのに……今日に限っては何故か積極的な姉さまにグイグイと押されてしまう私。
唇同士が触れて、離れてをしばらくの間繰り返されると……次第に私は抵抗らしい抵抗もまともに出来なくなっていきます。
「ぷは……っ!だ、だからちょっと待っ―――ぅんん!?」
「ん……ちゅ……」
一瞬の隙をつかれて、唇を唇で塞がれてしまったらもうお手上げ。6年間ずっと私とシてきた姉さまは、手慣れた手つきで―――いいえ、ここは手慣れた舌つきとでも言いましょうか……私の口内に小さくて愛らしい舌を一気にねじ込ませます。
「(ダメ……また……わたし、おぼれる……おぼれちゃう……!)」
ダメなのに……このままじゃいつもと変わらないのに。段々と姉さまとの口づけに酔い、そして溺れ始める私。
姉さまの唇から漏れる甘くて熱い吐息が頬に当たり、舌先で歯を一本一本丁寧になぞられ、頬の内側をくすぐられ、散々焦らされ思わず伸ばした舌をここぞとばかりに姉さまの舌が絡まって……溢れる唾液を器用に舌で掬い取られて……私に聞こえるようにわざと音を立ててそれを飲み込んで……
「は……ン、……ぁ……む……こ、ま……」
「……ふ、ぁっ……ゃ…………んんぅ……ねぇ、さ……ま……」
3日ぶりの姉さまとの口づけは、温かくて柔らかくて……何よりとても気持ちが良いです。寧ろ気持ちが良すぎてちょっと怖い……
舌と舌が触れ合う度に、そのあまりの柔らかな感触に全身がゾクゾク震えてしまい、自分が自分じゃなくなってしまいそうで……こわい……
「……ぅん……?あれ?コマ、なんか震えてない?大丈夫?」
「…………はい……ちょっと、口づけ、ひしゃしぶりすぎて……なんか……かりゃだ、しびれひゃって…………こわい、です……」
「え?怖い?…………え、ええっと……ならこれでどうかな?」
「ぁ……」
若干呂律が回らないまま答えると、姉さまは私の震えを抑えるように私の背中に手を回し……もう一方の手で私の後頭部を強く抱きます。ほとんど無意識でしたが、それに応えるように自然に姉さまの背に手を回して抱きしめ返してしまう私。
ああ、だから何をしてるのですか私……ここは姉さまを突き放さなきゃいけないでしょうに、また抱いて貰って……甘えちゃって……
「…………んちゅ……ぷはぁ……。ふむ……ねぇ、前々から思ってたけど……コマってさ」
「は、い……?どう、しました……?」
「何でも出来るけどさ……甘える事だけは、昔から苦手だよね」
「……あまえる……にがて……?」
私を抱きそして口づけを交わしていた姉さまが、息継ぎついでにそんな話を私の耳元で囁きます。……甘える事が苦手……そうでしょうか……?あまり意識したことはないのですが……
「うん、そうだよ。コマはさ、多分こう考えてたんでしょ?『つい先ほども甘えたばかりだから……もう甘えちゃいけない。私から口づけを望んじゃいけない』って」
「ぅ……」
図星を指されて押し黙ってしまう私。そんな私の様子を見て姉さまは私を抱く手に力を込めて続けます。
「自分に厳しく気丈に頑張るコマは素敵だけど……もうちょっとコマは素直に甘える事も覚えようね。甘える事って決して悪い事じゃないんだし」
「でも……」
「……良いんだよ、口づけくらい安いものだもん。甘えるべき時はもっと思いっきり甘えなさいコマ。姉はさ、妹に甘えられる為に存在するんだからね」
「…………っ」
「さてと。まだ味覚戻ってないよね?んじゃ、もうちょっと続けるから……コマ、お口開けてねー」
そう言ってくしゃくしゃと私の頭を優しく撫でてから、私の味覚を戻すべくまた口づけを再開しようとする姉さま。ズルい……そんな事言われたら……もう、降参するしかないじゃないですか……
渋々、言われた通りに口を開けると、また私の口内に侵入してくる姉さまの舌。それを私も観念して迎え入れます。中で触れ合いすり合い絡み合う舌と舌。抱き寄せ合って密着する二人の身体……次第にお互いの熱が混ざり合ってひとつになるような感覚を覚えてしまいます。
……三日ぶりの姉さまの口づけは、泣きたくなる程に優しくて……泣きたくなる程に気持ちがよくて。結局、私の決意は何処へやら。味覚が元に戻るまで、姉さまに身を委ねて口づけをして貰った私。
ホント……ホントに私……姉さまには全く敵わないや……
◇ ◇ ◇
姉さまに激励として口づけして貰ったその翌日。いよいよ陸上競技大会決勝の日となりました。
「―――さて諸君。昨日説明した通り、今日は待ちに待った決勝だ。自分が出場しない競技が行われる時間帯は、観客席から出場選手の応援してやってくれ。それから言うまでも無い事だが出場予定の者は自分の出場競技時間を間違ったりするなよ?……あとは、全員悔いは残さないように」
「「「はいっ!」」」
「よし、いい返事だ。えー……予定ではまず最初に行われるのは100m個人の決勝だな。……立花コマ君、出場するのは君だっただろう?コンディションはどうだね?」
本日の予定を告げつつ、部員の皆さまを鼓舞する部長さま。その部長さまから調子を尋ねられます。ふむ、調子はどうかですって?……そんなもの、見れば分かりますよ部長さま。
「バッチリです部長さま。多分、ここ最近で一番かと。今日ならば私らしい最高の走りが出来るかと」
「…………ほほう。昨日と違い良い表情じゃないか。これは昨日、お姉さんに喝でも入れられたのかね?」
「そ、そう……ですね。……あはは……」
……姉さまに入れて貰ったのは喝ではなく舌ですけどね。まあ、言えるハズも無いですが。
「うむ、その様子なら大丈夫そうだな。全力で走ってきたまえ。さあ、もう集合がかけられる頃だぞ。行きなさい立花コマ君」
「はい、行ってきます部長さま」
部長さまに背中を押され、競技場へと向かう私。
『う、うぉおおおおおおおおおお!!!こ、こここ……コマの生ユニフォーム姿ァ!!?』
「……あら♪」
競技場の中に入った瞬間、観客席から聞き慣れた大きな声が私の耳に届きます。その声の方を向いてみると、陸上部の皆さんに交じって『頑張れ☆コマ!』なんて刺繍がされた旗を振っている姉さまのお姿が。
『落ち着け立花。オメー興奮しすぎだろ……つーかまた鼻血出してんぞ……』
『だ、だって……まさかコマがあんなにエッチいユニフォーム着てるとは思わなくてつい……で、でも気持ちはわかるでしょ!?コマの生ユニフォーム姿なんだよ!?興奮しないわけないでしょ!?』
『気持ちはわからないし気持ち悪いわマコ。……それよりもね、ここに来た時からずっと気になってたんだけど……アンタ何よその旗は?そんなものどっから持ってきたのよ……』
『ん?ああ、この旗の事?私の手作り!コマを応援する為に、昨日夜なべして作ってみたよ!どうどう?結構上手に出来てるでしょー』
『……いや、確かによく出来てはいるけどお前さぁ……学校サボって一体何してんだよ……』
『つーかマコ、アンタちょっとうるさいわよ。そろそろ始まるし、もう少し静かにしてなさい。マナー違反よ』
『ふぇ……?マナー違反……?何の事?』
『どの競技にも言える事だけど、短距離走のスタート前は特に静かにしてなきゃいけないのよ。コンマ一秒の勝負だし、走る人の集中乱すような行為はしちゃダメって事。アンタのせいでコマちゃんが集中出来ずに思い通りに走れなくなったらどうすんのよ』
『えっ!?そ、そうだったんだ。わ、わかった。じゃあ静かに応援するね。…………(ボソッ)フレー、フレー、コーマ。がんばれがんばれコーマ』
『マコ、声だけじゃなくて顔がうるさい。もっと静かにしてなさい。コマちゃんや出場選手たちが集中出来ないじゃないの』
『え?あ、うんゴメン…………って、顔がうるさい!?ちょい待ち!ど、どういう意味よそれぇ!?』
『『『だから、ちゃんと静かにしてろやダメ姉ェ!!!』』』
『理不尽!ちょっと理不尽じゃないかな!?コレ私が悪いの!?顔がうるさいって、私それどうすりゃいいのさ!?』
観客席から聞こえる姉さまたちの楽しそうな会話。そんな姉さまたちの会話に思わず笑みを浮かべてしまいます。
……不思議ですね。昨日は周りの様子なんて見えないくらい緊張してテンパっていたのに。今日は決勝で、昨日以上に緊張するはずなのに……決勝の直前でこうして笑えるくらい落ち着いている。
「(身体も心も絶好調。腕も脚もとっても軽くて……今なら空も飛べちゃいそう)」
……きっとこれは、全部姉さまのお陰。姉さまが駆けつけてくれなかったら……姉さまが慰めてくれなかったら……姉さまが口づけをしてくれなかったら……こんなに気分が良い状態で走れなかったでしょう。
「(だからこそ……今日こそは、昨日のような走りは見せられませんね)」
昨日の公園では、気負い過ぎて私らしい走りを姉さまに見せられなかった私。……待ってて姉さま。今日ならばきっと練習の時のような―――いいえ、練習の時以上の走りを……私らしい走りを見せられるハズだから。
そうこうしているうちに、競技役員さまから指示を受けトラックに立つ私。さあ、いよいよ始まるようですね。
【位置について】
会場から流れる合図に従い、スターティングブロックに足をかけます。同時に両手・膝を地に付けてクラウチングスタートの姿勢を取りながら、少しだけ逸る心を静めつつ次の合図を待つ私。
【用意】
選手全員が動かなくなった頃合いを見て、スターターが次の合図を知らせます。その合図と共に腰を上げてピタッと制止。そして次の瞬間―――
パァンッ!
と、ピストルの音が会場に鳴り響き……今決勝戦がスタート。
音が聞こえた瞬間、地面を力強く蹴って飛び出す私。昨日失敗してしまい、不安だった立ち上がり……悪くない。
「(ううん、寧ろかなり良い……!)」
スタート前に思った通り、今日は腕も脚も……身体中がとっても軽くて、それでいて両脚に思った通りに力が伝わっているのがわかります。
その調子でグングン加速。……凄い。自分でも驚いちゃうくらい加速出来ている。脚だけでなく身体全体で力強く走れている。……何よりも、息はどんどん苦しくなっているのに、今走るのが走るのが―――
「(本当に楽しい……っ!)」
きっと今、私は走りながら笑っている。だってこんなに楽しいんだもの。今の私が何処まで行けるのか……何処まで速く走れるのか……もっと……もっと知りたい……っ!もっと、もっと……速く走りたい……!
『―――マー!コーマぁあああああああああ!いっけぇええええええええ!!』
「(ねえ、さま……っ!)」
大歓声に掻き消されて、絶対に聞こえないハズなのに。愛しい誰かの声援が届きます。その声が聞こえた瞬間、トップスピードになったと思い込んでいた身体が姉さまの声援に応えるようにここにきて再加速。
凄い、すごい……!大好きな人に応援して貰って、こんなに楽しく走る事が出来て……身体と心が歓喜に満ち溢れている……っ!
「(見えた……!)」
気付けばフィニッシュラインも目前に。
―――残り10m……息もかなり絶え絶えで、心臓もドキドキバクバクとパンクしちゃいそう。
―――残り5m……部長さまに隠れて練習していたツケなのか両脚が悲鳴を上げ始めます。
―――残り3m……ここしばらくの無茶が祟って体力的にももうかなり限界が近いのが分かります。
…………けれど、ここまで来たら、ラインを超えるまでは決して力を緩めずに。私の走りを見たいと言ってくれた姉さまに、最後まで私らしい走りを魅せたいのだから。
残り1m……胸の苦しさも、脚の痛みも、身体の疲労も今は全部忘れて、全速力で駆け抜けて―――そして。
◇ ◇ ◇
~SIDE:マコ~
さて。その後の話についてはこの私、コマの姉の立花マコに語らせて貰おうか。
中学陸上競技大会決勝、コマは(というかコマ+陸上部の精鋭ズは)100mリレーで3位入賞。そして個人100mでは……1位の選手と僅差で負けて2位という結果で大会を終える事となった。
この結果について、コマは―――
『頑張ってみましたけど……やはり上には上がいるのですねー』
と、かなり悔しそうに……でもどことなく楽しそうに話していた。……最後まで接戦で、手に汗握るとても良い勝負だったよコマ。お姉ちゃん感動しちゃったもん。
あ。ちなみに陸上部の部長さん曰く、コマのこの結果については―――
『惜しい……惜しすぎる……2週間程度の付け焼き刃でこの結果だったわけだし……もっと磨けば次こそは立花コマ君も……あの時私がもっと良い指導をしていれば……』
なんて、コマ以上に悔しがっていたとか。いやホントに惜しかったからねー……部長さんがあれ程悔しがる気持ちもわからんでもないか。
ともあれ個人でもリレーでもこんな好成績を残したわけだし、先生も生徒たちもコマ(とついでに陸上部の連中)をより称える事だろう。これでまたコマに一つ武勇伝が出来上がったわけだ。うんうん、お姉ちゃん鼻が高いぞ。
……まあ、姉の私としては……この素晴らしい結果も勿論喜ばしいけれど、何よりコマが練習の時に見せてくれた以上に素敵な走りを魅せてくれたことが一番うれしいんだけどね。
走っているコマの様子を目一杯応援していた私だけれど……コマは始終楽し気に笑って走ってて……応援していた私まで楽しくなってしまったんだもの。あれは本当に良い走りだったなぁ……本当に素敵だった。
ああ、そうそう。コマが家を出る前に『しばらく私と口づけ出来ない事が悪化する原因になるのでは?』と、心配していた味覚障害の件については―――治る事もなく、されど悪化する事もなくって感じらしい。この件については変に悪化せずに済んで良かったと喜ぶべきだろうね。
……以上でコマのお話はお終い。紆余曲折はあったし、途中私の暴走&乱入があったわけだけど……陸上競技大会も、それから味覚を感じられない辛い日常もよく頑張ったねコマ。本当にお疲れ様。
コマはいっぱい失敗しちゃったと後悔していたみたいだけれど……失敗なんかじゃないんだよ。お姉ちゃん、コマの頑張りはちゃんとわかっているからね。
…………そうそう、大事なコマのお話は終わりだけれど……この私、立花マコの決勝戦後の話も、最後にちょっとだけ語るとしようじゃないか。
話は突然変わってしまって申し訳ないが、クラウチングスタートというものを皆さんはご存知だろうか?陸上競技、400m以下の短距離走等で行われるとされるスタートで、コマも決勝戦の時その姿勢を取ってスタートしていたアレの事だ。
両手を地面につき、膝を落として合図を待つという……一見簡単そうに見える一連の動作だけど、これが上手く出来ないとフライング扱いになってしまったり、大事なスタートダッシュで出遅れてしまったりと……ある意味で一番気を付けなければならないそうだ。
まあ、つまるところ……何を始めるにしても初めの一歩、初めの姿勢が一番大事というわけだね。
…………そんなわけで私こと立花マコもコマや陸上部たちと共に学校に戻った際、両の手と膝を地面につけ、そして首を垂れるという……奇しくもクラウチングスタートに似た姿勢でこれから始まるであろう困難に立ち向かおうとしていた。
「…………おう、久しぶりだな立花。お前がわけのわからん理由で、突然学校を飛び出した時以来か?」
「…………はい、お久しぶりですマイティーチャー」←土下座中
そう。両手と膝を地面につけて、首を垂れるという―――日本伝統の、土下座スタイルで。投降―――じゃない、登校直後に生徒指導室に私を呼び出したマジギレしている担任の先生に立ち向かっていた。
ああ、うん……そりゃ怒る。そりゃ先生も怒るわなぁ……あんな可笑しな理由で学校飛び出した上に、翌日学校サボって悠々とコマの応援に行ってたわけだし怒って当然だわなぁ……
ま、まあでも大丈夫。この通り最初から土下座して誠意は見せてるし……ちゃんと話せば先生もわかって下さるハズ。
「まあ、ともかくアレだな立花……」
「へいボス、アレとは一体何でしょう?」←土下座中
「…………お前、言い残したことはあるか?」
「せめていきなり死刑宣言せずに、ちょっとくらいは弁明をさせてくれませんかボス!?」←土下座中
…………結局。誠意の土下座も虚しく5時間に及ぶ説教&鉄拳制裁を喰らった私。危うく停学処分を受けかけたけど、コマが途中で乱入して先生を必死に説得してくれたおかげで……サボった罰として9月の休日すべてが補習授業に当てられる+1か月学校中のトイレ掃除の刑だけで済んで、どうにか事なきを得た私であった。