第2話 ダメ姉は、口づけする
誰もいない部屋で、静かに口づけをかわす私たち双子。
「「んぅ…っ」」
ぴちゃりぴちゃりと水音をたて、甘露を啜る。舌と舌を重ね動かし、時に唇で小鳥のように啄み、歯を軽く立てて甘噛み、甘くとろけるような吐息ごとお互いの唾液を交換して嚥下させる。
事情を知らない人が見たらきっとドン引きしちゃう……いや例え知っていたとしても軽く引くかもしれないこの異様な光景。何せいくら姉妹とはいえ超優等生で学校のアイドルとおバカな変態がいかがわしく密室で交わっているのだ。
……これがバレたら、きっと私は妹のファンたちに羨ましさと妬ましさと嫉妬から容赦なくブチのめされることだろう。最悪の場合、妹の事を神の如く崇拝している連中が私を本気で始末しにくる可能性だって無きにしも非ずだ。
私のことはともかくとして、ここで少し妹の名誉のために言い訳というか何故このようなことをしているのか説明をさせていただこう。この行為には、理由があるのだから。
「んむ…っあ…―――ねぇ、しゃま…」
「(舌足らずな喋り方、エロ可愛いぞコマ…)」
素でこんなことを考えている通り、確かに私は自他ともに認めるシスコンだ。妹が大好きで世界一可愛いと思っている。妹観察日記なんてものを毎日欠かさずやっているし、盗撮―――じゃない、妹の成長記録として収めた写真のアルバムは1000冊を超えてしまったし、妹がシャワーを浴びている時の音をこっそり録音して繰り返し再生したりとetc……
この時点ですでに言い逃れ出来ない気もするが、それは今は置いておく。
だからこの口づけも妹大好き過ぎて思わず手を出した結果―――なんて思われるかもしれない。だがしかし。私から直接妹に手を出しているわけでもないし、神に誓ってこういったことを強制しているわけでも無い。妹のことが大好きだからこそ私はコマが本気で嫌がることは絶対にしない。
……盗撮諸々の件?それはだから今はどこか隅にでも置いておいてほしい。
では、妹も私と同じようにシスコンでキス魔のケがあると言うことなのかって?その問いは何とも魅力あふれるものではあるが、非常に残念だがそれは無い……と思う。姉思いな子ではあるけれど、多分性癖は至ってふつーの子。
…………つまりは私に一切の望みなし。結ばれることの無い永遠の片思い。そもそも姉妹で女同士だから望みなんか最初から無いって?……嗚呼、本当に残念だ。
じゃあ結局何故私たちがこんな行為を行っているのか。その理由なのだが……どうか笑わないで真剣に聞いてほしい。
妹はその……ご飯を食べる前に私とこうやって口づけをせねば―――
「ぷはっ……ふぅ。ねぇコマ、どんな感じ?味覚は元に戻ったかな?」
「あ…はい、姉さま。少しですが甘さを感じ始めました…もうちょっとすれば完全に戻るかと」
「そっか、なら戻るまで付き合うからね」
―――味を感じることができない…そう、いわゆる味覚障害と言うやつらしい。
ああ、わかってる。わかっているとも。『いや、味覚障害はともかく……何故そこでキスすれば味覚が戻るんだ。お前は何意味不明なことを言っているんだ』と、思われる事だろう。
……これをわかるように詳しく説明するには、少し順を追って昔話をせねばならない。
◇ ◇ ◇
今から数えて6年前、私たち双子がまだ小学生だった時の話だ。その頃の私たちの父と母は、毎日と言っていいほど喧嘩していた。理由は深くは知らないしあまり興味は無いけれど、どっちも『浮気した』だの『外で相手を作っている』だのと言い争い、その頃はとにかく荒れに荒れていたことをおぼろげながら覚えている。
一応私たち双子に手を挙げるほどのダメ親たちでは無かったけれど、喧嘩していた両親を見るのは正直辛くて怖くて、不安を紛らわすために私とコマはその時から常に一緒に過ごしていた。朝学校に行く時も、遊ぶ時も、家に帰る時も、お風呂に入る時も、寝る時も。
だが誤解しないでいただきたい。この段階ではまだコマも味覚障害は患ってはおらず、その両親の不仲が直接の原因と言うわけでは無い。まぁどう考えても原因の一端ではあるけれども。
……事件が起きたのは、ざぁざぁと嫌なくらい雨の降る6月のある日の事だ。
「あれー?こま、お顔まっかっかだよ?あたま、いたい?」
「うん……あついし、ぞこぞこするし、かぜだと思う……」
「そっかぁ……つらいねぇ」
その日の朝、起きて隣で寝ていたコマを見ると……ほんのりと頬を染めていた。急いで体温計を使ってみると、そこそこ熱がある。つまり風邪を引いていたのである。季節の変わり目だし、毎日の父母の喧嘩にストレスも溜まっていて風邪も引きやすくなっていたのだろう。
と言ってもこの時点ではさほど熱は高くなくて、すぐに病院に連れて行ってやれればあっという間に治ったはずだった。……そう、そのはずだったのだ。
「それじゃ、まかせて!おねーちゃんがこまをビョーインにつれていってあげるよー♪」
「い、いいよ……お姉ちゃんは学校いかなきゃ。病院はおかあさんたちにつれていってもらうからだいじょうぶだよ」
その頃から妹LOVEな私は、看病するつもり満々だったのだが……同じようにその頃から気遣い上手でしっかり者な妹に強く拒否されてしまった。しばらくお互いに『看病するよ』、『学校行って』と問答したのだけれど……
『マコ、コマ!アンタたち早く起きてご飯食べてさっさと学校行きなさい!』
『煩い……朝から大声出すな…近所迷惑だろうが』
『っ……!何よ、偉そうに―――二人とも!いい加減降りてきなさいっ!』
「「……」」
「……お姉ちゃん、早くいかないとお母さんにおこられるよ…?」
「……むー。わかった。こま、じゃあちゃんとおかあさんたちにビョーインつれていってもらうんだよ。おねーちゃんもすぐにかえるからね」
「うん……待ってるね」
……母からの怒鳴り声が一階から響いてきて、仕方なくここは私が折れて妹の言う通りにすることになった。
「おはよう。おとーさんおかーさん」
「遅いっ!何ノロノロとしてるのよ!……あ?コマはどこよ!?」
「うん。あのね、こま今かぜひいたみたいなの。がっこーはいけないって。それで、おとーさんとおかーさん。こまをビョーインに―――」
「あ?風邪だと?……ったく忙しいのに面倒な……」
「忙しい?はっ!外で女作るのに忙しいって事かしらね」
「……んだと?そんな話、子供の前でするか普通っ!」
「育児を碌にしない奴は黙っててよ!」
……今考えると、両親ともに子どもの前でとんでもない会話をしていたんだなって思う。
「あ、あの……おとーさん、おかーさん。こま、つらそうだしあとでビョーインにつれていって……」
「わかったからさっさとアンタはご飯食べて学校行きなさい!」
「う……ん。わかった。こまを、よろしくおねがいします」
流石に話の内容はその頃はわからなかったけど両親は朝から鬼のような形相で言い争っていて、いつも一緒にいるコマが隣にいないという不安感もあって怯んでしまった私。機嫌を損ねないように恐る恐るご飯を食べてから、もう一度だけコマを言い争っている両親に託してトボトボと学校に行ったのだった。
……これがマズかった。妹を説得してでも仮病を使ってでも看病のために家に残るか……若しくはもっとしっかりと両親にコマの事を託しておくべきだったと6年が経った今でも後悔している。
学校に着いても妹の事が心配で授業のことなんて一切頭に入らずこれじゃ学校に行った意味もないなと感じながらも、気づけば5時間目も終わっていて……その後の帰りの会が終わったと同時に先生への挨拶もおざなりに大急ぎで家に帰る私。
お薬飲んだかな?もう元気になったかな?と考えながら全速力で帰ってきた私の目の前に最初に映ったのは。
「……車が、ない…?」
いつもはガレージに二台あるはずの両親の車が何故か無いという光景。ならちょうど今コマを病院に連れていってくれているのだろう……と思ったが、私の体の奥底で嫌な予感がし始める。
「た、ただいまー……こまー?それにおとーさん、おかーさーん?……いない、よねー?」
鍵を開けて家の中に入り、一応確認のため3人に声をかけてみる私。車が無いのだから両親はいないはず。当然両親からの返事は無い。
そして、本来ならば風邪を引いている娘を放置して外に出かけるなんてことはしていないはずだから、コマの声も聞こえるはずはないのだが―――
『…………ぇちゃ…ん…おねぇ……ちゃ…』
「―――っ!?」
弱弱しくも、でもはっきりと聞こえてくる妹の声。慌ててランドセルを投げ捨てて、靴もそろえずに声がした二階へ走る私。私とコマの部屋を勢いよく開けてみると……
「…………おねぇ…ちゃ…ん」
「う、そ……こまっ!?」
……きっとずっと助けを求めていたのだろう。途中で力尽きたのか部屋の真ん中で倒れ、意識は無いもののうわ言のように私を呼びながら震えている妹の姿がそこにはあった。駆け寄って額に手を当ててみると、火傷するかと思ったくらい熱く顔色は最悪だった。
……その時私は、生まれて初めて本気の恐怖を味わった。子どもながらに、このままでは妹の命が危ないと私の中の本能が叫んだのである。
その後の行動は、自分で自分を褒めたたえたい。当時小学生でありしかも普段どんくさくてダメダメな私にしては滅茶苦茶冷静で、且つ適切な判断が出来たと思う。即救急車と身近で最も頼れる大人である叔母を電話で呼びつつ、救急車が来るまでの間は冷凍庫からありったけの氷を持って来てコマの頭を冷やしながら手を握って頑張れ頑張れと励まし続けた。
10分後にやってきた救急車に一緒に乗せてもらい、集中治療室前で一人震えながら『コマを助けてください』と存在するかわからない神様に祈って―――それから30分後に駆けつけてくれた叔母がやってきた時に、ようやく安心した私は叔母の胸の中で大泣きした。
……ちなみに。間抜けなことに朝の大喧嘩のせいで、コマの事が完全に頭から抜けてしまいそのままお互いコマを放置して家を出た父と母が、叔母の到着から更に三時間後にようやく慌ててやってきた際、
「面倒見れないなら初めから子ども作んな!作ったなら作ったで親としての義務くらい果たせ屑共が……っ!」
と、やってくるなり問答無用で叔母に手加減なしで殴られて、集中治療室前の廊下で顔を腫らしたまま正座させられ説教を受けていたことを今でもはっきりと覚えている。
……話を戻そうか。生死の境を彷徨いながらもお医者様方の懸命な治療により一か月後、意識も戻り何とか回復できた妹。その時は叔母と共に死ぬほど喜んだ私なのだけれど、
「お姉ちゃん……おばちゃん。……私ね、ごはんの味がわからないの……」
……すぐに手放しに喜べなくなってしまう。生死の境から無事に戻ってきた引き換えに、妹は味覚を失っていた。
「コマちゃん、味覚障害ね」
すぐに耳鼻咽喉科を受診して問診・検査をしてもらい、返ってきた答えは味覚障害:味覚減退と言う症状。その原因となったのは……
「高熱が出た時や治療のための薬剤投与による副作用で味がわからなくなることは決して珍しくないけれど……どうも話を聞いていると日々のストレス、そして今回ご両親に助けてもらえなかったことによるショック、生死の境を彷徨った恐怖―――つまり精神的なものが一番の原因のようね」
風邪が原因の場合は一、二か月もすれば自然に治ることが多いし、薬剤によるものなら早期に休薬し適切な処置を施せば回復してくるはず。けれどコマの場合は今回の件で心に傷を負ったことにより味覚障害を起こした可能性が高いと先生は言う。
……その時の先生の説明は幼い私にはよく意味が分からなかったけど、今考えるとその通りだと思う。小さい子にとって絶対的な存在である両親に自身の存在を無視され、誰もいない部屋の中高熱でうなされながら助けを呼び続け……でも決して届くことがなかったコマの声。何でその時私はそばにいてやれなかったのかと、今でも悔しくてたまらない。
ともかくわからないながらも、一生懸命先生の説明を叔母と共に聞いていた私。説明の途中で私は思わず先生に尋ねた。
「ねぇせんせー……こま、なおらない……?」
「……ゴメンね。まだ何とも言えないの。明日にでもコマちゃんは味を思い出してくれるかもしれないし……これから先もずっとこのままかもしれないわ」
「味、ずっとわからないままだとどうなるの……?」
「んー……そうね。色々あるけど……一番わかりやすいところでは食欲不振、つまりご飯を食べたいって思う気持ちが無くなることが多いわね」
「…………っ!?」
ご飯を食べたいと言う気持ちが、無くなる……!?それを聞いた時、ガンっと頭を殴られたような衝撃が私を襲った。
「でも安心して。亜鉛製剤を使った内服治療やカウンセリングを行うし、私も全力でコマちゃんを―――マコちゃん!?」
「お、おいマコ、お前どこに行くんだ!?」
まだ説明の途中だと言うのに、診察室を飛び出した私。先生と叔母の制止を振り切って妹のいる個室に急ぐ。
「あ……お姉ちゃん。どうしたのあわてて。何かあった?」
「……」
「お姉ちゃん?」
ノックもせずに大慌てで部屋に入り目に映ったのは、ベッドに横たわって外の景色をのんびりと見ていたコマの姿とそのコマのすぐ横にお見舞いに持ってきた果物の品々。
……その時の私は(いや、今もそうだけど)非常に短絡的で早とちりしやすいダメな子で、先ほどの先生の説明を、
ご飯を食べたいと思う気持ちが無くなる→ご飯が食べられなくなる→栄養失調で死んでしまう……!
と捉えてしまったらしい。…まあそれはそれであながち間違ってはいないとは思うけれど。
ともかく私はまたあんな思いをしたくない…妹を失いたくないと思い非常に焦っていた。目についたそのお見舞いの品である一つの林檎を無造作に手に取ってみる。
「あ、お姉ちゃんお腹すいた?りんご食べる?いいよ、味わからないしもったいないからお姉ちゃんいっぱい食べてね」
「…………ぜったい、こまはしなせないからね」
「……なんの話?」
手に取った林檎を一瞥して、おもむろに齧り口の中で咀嚼する。充分咀嚼したら呑みこまずに、ポカンとしているコマの傍まで近づいて―――
「あの、おねえちゃ―――んんっ!?」
強引に、コマの唇を奪った。それは私とコマ、二人にとってのファーストキス。
ぴったりと唇を重ね、びっくりして固まってしまったコマの唇を舌を使って開かせて、咀嚼した林檎を流し込み呑みこませる。それはまるで以前妹と見た有名なアニメ映画のワンシーン……弱った主人公にヒロインが口移しで食べ物を食べさせていた時のように。もしくは親鳥が雛に口移しで餌を与えるように。
……どうしてそんな行動に移ったのか、よく覚えていない。何せほぼ無意識だったわけだし。まあとにかく妹に栄養をとってもらいたくて必死だったのだ。
「ぁ……う…お、おね…ちゃ……」
「こま、もーいっかい。口あけて」
「ぅ、うん……」
呑みこんでくれたのを確認すると、また林檎に齧りついてしっかりと噛みしめて口移し。あまりのことに驚きまくってポーッと頬を染めて放心し、なすがままの状態のコマに何度も何度もそれを呑みこんでもらう。
「マ……コ……?お前、一体何を……」
「まぁ……!」
私を追ってきた叔母と先生にこの可笑しな光景を見られていることも気にせずに、無我夢中で口移しを繰り返した私。そして8度目の口移しが終わった時―――
「あま……ずっぱい…」
「……え?こま、今なんていったの?」
「りんごの……りんごの味がする……!」
奇跡が、起こった。