ダメ姉は、取り戻す
これは……コマやカナカナたちに、突然発症した私の味覚障害がバレてしまった後のお話。
あの後コマに促され、長年お世話になっているちゆり先生に連絡し……すぐに診療所に向かい受診する事になった。突如発症した原因不明の味覚障害……半日に及ぶ検査の末、ちゆり先生が出した結論は――
「――花粉症ね」
「…………は、い?」
「だから花粉症。マコちゃんのその味覚障害……最初の原因は花粉症みたいね」
「か、花粉症……?」
――思わず二度聞きしてしまうちゆり先生の診断。困惑する私にちゆり先生と沙百合さんは丁寧に説明を始めてくれる。
「諸々のアレルギーテストと血液検査、あとお鼻の中をチェックしてみたんだけどまず花粉症で間違いないわ。鼻がつまって匂いも味もわからなくなることって珍しくない話だものね」
「で、ですが先生……?私、花粉症とかなった事ないっていうか……もっと言うなら風邪とか引いたことすらないのに……なんで突然……」
「いえいえマコさん。花粉症というものは風邪とはまた違うものですし、ある日突然発症しちゃうものなんですよ。体内にアレルギー反応を引き起こしちゃう物質が入ると、それを除去するために抗体がつくられるのですが……その量が一定の水準を超えると花粉症などのアレルギー疾患を発症しちゃうんです」
花粉症……鼻づまりによる匂いや味覚の喪失……い、言われてみれば。なんか最近よくクシャミ鼻水も出てた気がしなくもないし……味覚にばっかり気にとめていたけれど、確かにここ最近匂いも全然感じなかったような……?
「なるほどです。ですが先生。姉さまは私との口づけで一時的ではありますが味覚が戻っていたようなのです。それは一体どういう理屈だったのですか?」
「ああそれ?それは多分アレね。コマちゃんと口づけする事で興奮して血行が良くなって……その結果、鼻の通りも良くなったお陰でしばらくの間味覚が戻ったんじゃないかしら」
「そ、そんなくだらない理由で……?」
先生の診断結果を聞いて思わず私は顔を覆ってしまう。味覚障害を患った理由も、味覚障害が一時的に戻っていた理由も……どちらもあまりにしょうもない理由で我ながら呆れかえる。
恥ずかしすぎる……というか、なんだよただの花粉症なら放っておいてもそのうち――
「…………くだらない、か。マコちゃん、実はそうでもないの。このまま誰にも味覚障害だったことを隠していたら……悪化していたかもしれないのよ」
「へ?」
「悪化していただけならまだ良いわ。最悪の場合……二度と味覚は元には戻っていなかったかもね」
「え……」
そんな楽観的に考えていた私に対し、ちゆり先生は鋭い一言で私の胸を穿ってきた。
「あくまでも、最初の味覚障害の原因が花粉症って説明しただけよ。……その後のマコちゃんの味覚障害に関しては、直接的な原因は別にあったと私は睨んでいるわ」
「と、言いますと……?」
「マコちゃんとコマちゃんの話だと、偶然にもコマちゃんとの口づけで味覚が戻ったのよね?……その時きっとマコちゃんの中で『コマと口づけしなければ、味覚障害は治らない』と思い込んじゃったはず。そうじゃなきゃ花粉症ってだけでまるまる一ヶ月も全く味覚が戻らないとか変な話でしょう?」
「それって…………奇しくも数年前の私と同じ状態になってたって事ですか先生?」
「まさしくその通り。始まりはともかく……この一ヶ月でマコちゃんを苦しめていたのは、コマちゃんと同じく心因性の味覚障害ということになる」
コマと同じ……心因性……
「マコちゃん。貴女が思っていた以上に危険な状態だったのよ。……正直言うとね。私は今、とても怒っています」
「へ……?」
「この間『コマの味覚障害が再発した場合の対処法を教えて欲しい』って、私と沙百合ちゃんに相談に来た時。マコちゃんはすでに味覚障害を患っていたのよね?……薄々そうじゃないかとは思っていたけれど……どうしてその時本当の事を言ってくれなかったの?」
「それは……その……」
「私や沙百合ちゃん経由でコマちゃんに知られたくなかった?知られたら、料理が出来ない自分はコマちゃんたちに捨てられちゃうとか思っちゃった?…………その考えこそが、心因性の味覚障害を引き起こした最大の要因よ。そんなに私たちは頼りにならない?これでもその道のプロなのに、10年以上もお付き合いしてきたのに。マコちゃんにとって私たちは……その程度の存在だったのかしら」
「…………ごめんなさい」
「先生、ちょっと言い過ぎです。…………すみませんマコさん。ですが……私たち、本当に心配だったんです。それだけはわかってくださいませ」
「……はい」
ちゆり先生に厳しい一言を頂き、沙百合さんに優しく諭されて。二人に頭を下げる私。……ホントだよね。頼れる人たちだってわかってたつもりなのに……ちゃんと頼れなかったのは……反省すべきところだよね。
「……ふぅ。本当はもうちょっと怒ってあげたいところだけど。でも……これ以上は沙百合ちゃんに逆に怒られそうだし。それに……どうやら私が怒るまでもなく、ここに来る前にコマちゃんにしっかりお小言を貰ったみたいだからこの辺にしておきますか。とりあえずマコちゃん。簡単な処置をした後は花粉症の処方箋を出してあげるわ。それで改善されるはずよ。後は要観察ってところね」
「は、はい……!重ね重ねありがとうございます……!」
「沙百合ちゃん、まずはマコちゃんに鼻洗浄をしてあげてちょうだい」
「わかりました。それではマコさん、奥の部屋へどうぞ」
ちゆり先生に指示されて、沙百合さんと一緒に言われたとおり奥の部屋へ向かう私。コマが利用するのはよく見ていたけれど……自分が当事者になるのは初めてだ。ちょっと緊張するな……い、痛かったりしないと良いんだけど……
「……ちゆり先生。それで、その……肝心の姉さまの味覚障害については……」
「ん?……ああ、そうね。コマちゃん的には心配して当然よね。それに関しては――」
◇ ◇ ◇
先生の診療所を出た後は。家に帰る前に寄り道し。レンちゃん、和味先生、そしてカナカナのお家に向かう私。皆に心配かけてしまったこととか、迷惑かけたこととか……とにかく諸々の事を全力で謝った。
『気にしないでください!あたしはどんな先輩でも大好きですから!先輩の魅力は料理だけじゃないですからね!』
『不安になったその気持ち、よくわかります……もしも私も味覚がなくなったらと思ったら……ゾッとしましたよ。…………で、ですが……大丈夫ですよ。み、味覚があってもなくても……一緒にお料理は出来ますから……』
『謝るくらいなら行動で示しなさいマコ。次にまたあの日のわたしの言葉を忘れたら……自分の事を卑下するような事を抜かしたら。今度こそただじゃ済まさないから覚悟しておきなさい。罰ゲームと称してブチ犯してあげるから』
可愛い後輩、頼れる先生、親愛なる親友……それぞれの言葉をかみ締める。本当に、ごめんなさい。そして……ありがとう皆。
「――さて、と……先生に処方してもらったお薬は飲んだわけだし……残る問題は……」
「姉さまの味覚が戻っているか否かですね」
寄り道を終えた後はお家に帰り、早速先生のお薬を飲んだ私。これでちゃんと味覚が戻ってくれてたら言うことなしなんだけど……
「……えっと。最後にコマとキスしてから……どれくらい時間経ったっけ?」
「そうですね。午前中にやったっきりですので……6時間以上は経っていることになりますね」
……つまり、コマとの口づけによる味覚戻しは……とっくに効果は切れている。今この状態で食事をすれば……味覚が戻っているか否かがわかるって事になるわけだ。
ゴクリと生唾を飲み込んで、台所に無造作に置かれていたリンゴを手にする私。
「マコ姉さま。お食事をされる前にもう一度だけ伝えておきます。味覚が戻っていようと戻っていまいと。姉さまの価値が上がるわけでも、まして下がるわけでもありません。どんな姉さまであろうとも……素敵で無敵な最高の姉さまであることに変わりはありませんから」
「……うん、大丈夫。コマの気持ち、ちゃんとわかったから」
コマに後押しされてから一度大きく深呼吸。……よし。覚悟、決まった。震える手でリンゴを口に持っていき、思いっきりかぶりつく。
しゃくしゃくと咀嚼する度に口の中に溢れてくるりんごの果肉。瑞々しいりんごの果汁。……瞬間、ふわりと蘇ってくる懐かしい記憶。あの日、コマに食べさせた……口移しで食べて貰った……甘酸っぱいりんごと、コマの口づけの記憶――
「…………」
「……姉さま、どうですか?」
「…………甘酸っぱい」
「……!」
「りんごの、りんごの味がする……!」
嘘みたいに、味覚障害なんてはじめから存在しなかったように。口の中いっぱいに広がるりんごの味。ああ、これだ……この味だ……
「戻ってる……戻ってるよコマ……!やったよ……!ちゃんとりんごの味がわかるんだよ……!」
感極まって思わずコマに抱きつく私。
「…………姉さま……ああ、姉さま……やっと……取り戻せたのですね……」
「うん!ああ、良かった……本当に良かった……!ちゃんと、味覚、取り戻せてるよ……!」
「……ええ、ええ……!良かったです……本当に……よかった……」
コマも我が事のように喜んでくれているようで、私を痛いくらいにぎゅっと抱きしめ返してくれる。まさかこんなにあっさり味覚が戻るなんて……ちゆり先生凄いよね!ああ、良かった……ホント……味がわかるって素晴らしい……!
お互い抱き合い、涙を流しながら笑う私たち。こうしてここに、長いようで短かった……私の味覚障害騒動は幕を下ろしたのであった。
◇ ◇ ◇
『……ちゆり先生。それで、その……肝心の姉さまの味覚障害については……』
『ん?……ああ、そうね。コマちゃん的には心配して当然よね。それに関しては――多分大丈夫。コマちゃん、マコちゃんにちゃんと話をしたんでしょう?味覚障害があろうがなかろうが関係無いって。もっと自信を持てって』
『はい、しっかりと』
『だったら大丈夫。『自分はコマを守れなかった』『自分はダメな人間だ』『自分なんて……』そんな気持ちがマコちゃんの中にある限り、マコちゃんの味覚障害は治らなかった。でも……あれだけ分からず屋なマコちゃんも、今回の一件で心の底からコマちゃんの言葉を真に理解出来たはず』
『……そうだと良いのですけどね』
『間違いないわ。10年以上貴女たちを診てきた先生の言うことを信じなさいな。…………ええ、そう。きっと大丈夫。コマちゃん。帰ってからマコちゃんの味覚が戻っているか確認してみなさい。もしそこで……ちゃんと味覚が取り戻せているのなら』
『……いるのなら?』
『その時取り戻せているのは、味覚だけじゃない。マコちゃんがずっと昔に無くしちゃっていた……自信も、取り戻せているハズよ』




