ダメ姉は、味覚を失う(その8)
「マコ姉さま。姉さまには大変申し訳ございませんが…………今の姉さまとは、口づけはしません。したくありません」
「…………は、へ……?」
「もう一度言います。今の姉さまとは、口づけしたくありません」
ガンッ、と思い切り鈍器で後頭部を殴られたような……ザクリと鋭利な刃物で心臓を突かれたような……そんな致命的な衝撃が私の身体と心に襲いかかる。
「な、ななな……なに、を……ど、どどど……どうしたのコマ……?お、お姉ちゃんと……口づけ……したくないって……は、ははは……|にゃにをゆっているのかわきゃんにゃいんらけろ《何を言っているのかわかんないんだけど》……」
思わず血反吐やらなにやらを盛大に吐き出しそうになるのを必死で堪えながらも、もはや禄に言葉ならない震える呂律の回らぬ声でコマにその真意を問う私。そんな私の問いに対しコマはこう語り出した。
「味覚障害、辛いですよね。姉さまの今のお辛さ、苦しさ。私にも少しは理解出来ます。だって私も長い時間……それと向き合ってきましたからね。何を食べても砂を食んだような感覚しかない、美味しいものを美味しいと感じられない……それって相当ストレスですよね」
「え、あ……うん……そ、そうだね……」
「ですので。姉さまが仮に『味覚障害が辛くて、苦しくて……コマに助けて欲しいの』という理由で私に口づけを求めていたのなら。それならば仕方がないと私も素直に口づけしていたでしょう。口づけした上で、姉さまを病ませるその憎き味覚障害を共に打倒していたところでしょう」
「え……あの……」
「それかもしくは……『味覚障害関係なしに、コマといつでもどこでもチューしたくなったの!』という理由で口づけを求めてくれていたのであれば。私は諸手を挙げて姉さまと口づけを交わしていたでしょう。人目を憚る事なく求めてくれるなんて……願ったり叶ったりですから」
「コマ……?」
な、なんだろう……コマは一体何が言いたいんだろう……?
「ですが姉さま。残念ながら姉さまが私との口づけを欲したのはそのどちらでもありませんでしたね。姉さまはこう仰ったのですよ――
『コマに口づけして貰えさえすれば……私の味覚も元に戻るの……!だ、だから大丈夫……!毎度毎度口づけされちゃうのはコマは迷惑かけるかもしれないけど、でも料理前に口づけさえしてくれたら……唯一許された特技である料理だけは――』
とね」
「そ、そうだけど……それが……」
「……ねえ、マコ姉さま」
「なに、かな……コマ……?」
ここまで一気に語っていたコマは、ここで一度目を瞑り。そして長いため息の末に最後にこう告げる。
「姉さまにとっての私って……単なる味覚を戻す為の装置なのですか?料理の為だけに必要とされる、その程度の存在なのですか?」
この一言で、今度こそ私はとどめを刺された。
◇ ◇ ◇
吐きそう。吐く……思わず洗面所へ駆け込んで、胃の中のモノごと嫌なモノ全部を吐き出そうとしてみる。けれど……どうやら体質的に吐けなかったらしい。結局何一つ吐き出すことが出来ないまま、それでも嘔吐きは収まるどころか悪化するばかり。
「……姉さま、大丈夫ですか?」
「…………ごめん。もう、大丈夫……」
気づかないうちにコマに優しく背中をさすられていて。お陰で何とか会話が出来る程度に回復したところで……どうにか顔を上げる私。鏡に映る自分の顔は、やつれてとても見られたものじゃないくらい酷い状態だった。唯一、顔だけは双子故に似ているはずなのに……鏡の中の私は……コマとは似ても似つかない……醜いものだった。
そんな醜い私を、コマは背中越しに優しく抱きしめてくれる。
「申し訳ございません姉さま。私、姉さまが傷つく事だとわかっていました。それでも……今はちゃんと言わなきゃって思って」
「謝るの……私の方だよ……ごめん、ホント。最低だ私…………最愛の妹を、大好きなコマを……味覚を戻す道具みたいに扱ってたなんて……」
本来コマとするキスは……幸せで、どこまでも満たされていて。愛を確かめあうものだったはず。私とコマを紡ぐ、絆のような……コマの味覚障害を乗り越えた先にある大事な宝物のようなものだったはずだ。
だというのに、今の私は……料理がどうだこうだと勝手に焦って……味覚を戻すことだけに必死で……コマとキスをすることの意味を考えていなかった。それどころか……コマとキスをする事よりも……味覚を戻す事の方が大事に思ってしまっていた事に……コマに指摘されるまで、気づいてすらいなかった……!
「うぅ……うぅううううううっ!!!」
「姉さま、ダメです。そんなにしたら痕が残っちゃいますよ」
こわい。なんて恐ろしい……自分の思考にゾッとする。思わず腕をガリガリとかきむしる私に、コマは私の手を取って、私がこれ以上自分自身を傷つけないようにやめさせて……そのまま優しく恋人繋ぎしてくる。
「大丈夫……大丈夫です。落ち着いて下さい姉さま。姉さまが悪いわけではありません。私も……怒っているわけではないのです」
「…………怒ってないの?こんな……コマの私への想いを踏みにじるような……コマの事を道具扱いするような……最低最悪な私を……なん、で……」
「どちらかというと。マコ姉さまがここまで追い詰められていたことに……こうなるまで気づけなかった自分自身に怒りを覚えているところですね。申し訳ございません、もっと早くに気づけていれば……もっと早くに姉さまとお話出来ていれば。姉さまが思い詰める事もなかったでしょうに」
「コマが謝る事じゃないでしょ……悪いのは全部、全部私で……」
今日ほど自分がどれほどクズでバカで愚鈍なダメ人間だと思った事はない。優しいコマはああ言ってくれてるけど……私は……もう、コマの頼れるお姉ちゃんでもなければコマに胸張ってコマの恋人だって宣言出来る人間じゃ――
「姉さま、あのですね。……味覚障害で苦しい思いを今まさになさっている姉さまに、こんな事を言うのは結構酷くて酷だとは思いますが。それでも言わせて欲しい事があるんですよ」
「…………言ってみて。どんな罵詈雑言だって受け止めるよ……」
「それは良かった。それでは遠慮なく。…………私、姉さまが味覚障害になってくれて……良かったって思っているんです」
「…………ぇ」
予想だにしないコマの一言に。俯いていた私は思わず顔を上げてコマを見つめる。コマは苦笑いをしながら話の続きをしてくれた。
「味覚障害を引き起こしたきっかけは……私にもわかりませんが。味覚障害を患った姉さまはこう考えたのではないですか?『私のただ一つの特技である料理が出来なくなったら、コマや皆に嫌われる』と。味覚を失うことそのものではなく、料理が出来なくなることを恐れた。だから……一時的でも味覚が戻る私との口づけをあれだけ切望された」
「……うん」
流石コマだ。私の考えていることなんか、全部お見通しらしい。
「では姉さま。今日の皆さまの事を思い出してみて下さい。レンさま、先生。それに……かなえさま。一人だって姉さまが料理が出来なくなった事で……姉さまを嫌う人はいましたか?料理が出来ないマコ姉さまを失望したり。姉さまを見捨てるような人はいましたか?」
「……それ、は」
そう言われて思い返してみる。料理がきっかけで仲良くなったレンちゃんは……料理が出来なくなった私であっても……憧れている、尊敬していると言ってくれた。料理一筋のハズの先生は……味覚がない私であっても……自慢の弟子だと誇らしげに言ってくれた。
一番の親友のカナカナは……
『ダメなところもいっぱいあるけど、良いところもいっぱいある―――いいえ、ダメなところも全部含めて……あんたは素敵な女なのよマコ。あんたが自分で思っている以上に……本当に素敵なのよ』
忘れかけていた、あの日私に言ってくれたカナカナの言葉をもう一度思い出させてくれた。
「……皆さまに。特に、かなえさまに言いたい事のほとんどを言われてしまって癪ですが。それでも私も言わせて頂きます。姉さま。例えばの話ですが……私が勉強や運動、その他諸々……不慮の事故や何かの理由でどれか一つが出来なくなったとして。それで姉さまは私の事を嫌ったりするでしょうか?完璧ではない私は、姉さまにとっては何にも価値のない……姉さまの生涯のパートナーとしては不十分な存在でしょうか?」
「そんな事……ない……私は、コマがコマだからこそ好きになったから……どれか出来なくなっても、どれも出来なくなったとしても……私はずっとコマの事が……」
そこまで言って、鈍い私もようやくコマが……いや皆が言いたかったことを理解出来た。ああ、そうか……そうだよね……
「ありがとうございます。私も同じ気持ちですよ姉さま。……極論ですが。言ってしまえば料理が出来なくなる、ただそれだけの事じゃありませんか。ただそれだけで、姉さまの価値が決まるわけないじゃないですか。私は……一生懸命な姉さまが好きです。私の為に必死になってくれる姉さまが好き。私をどんな時でもどんなものからも守ってくれるかっこいいところが好き。私に可愛いところ、凜々しいところ、エッチなところ……色んな表情を見せてくれる姉さまが好き」
「……エッチなところは、余計でしょ」
「そこもとっても重要なことですので♡」
なんて、お茶目に笑うコマは。私を力強く抱きしめる。
「ですので。大変酷い話ですが……姉さまが味覚障害になってくれて良かったと思うんです。これは一つの証明ですから。味覚があろうがなかろうが。姉さまが料理が出来ようが出来まいが。私の姉さまへの愛は一切揺るぎませんよ」
「…………うん、そうだね……」
コマに同感だ。私も……味覚障害になって良かったと、今初めて思った。失ったからこそ……見えてくるモノもある。
以前からずっと……コマにもカナカナにも言われ続けてきた。『卑屈すぎます』『自信を持って』と。理解しているつもりだった。わかった気でいた。……でも。今になってようやく、正しい意味で理解出来たような気がしてくる。料理しか特技がない、他に誇れるものがない。そう思い込んでいた。……私には料理が作れなくても……こんなにも私の事を想ってくれている誇れる人たちが側にいるというのに……
「とはいえです。姉さまの味覚障害をそのままには出来ませんよね。何度も言いますが、その辛さは私もよーくわかっていますので。姉さま、今日はちゆり先生のところへ一緒に行きましょう。すぐにでも診て貰わないと……」
「……あ、あの……コマ……」
「はい?何でしょうか姉さま?」
「その……えと。ごめん、ごめん……ごめん!」
「……何故三回も謝るのです?」
「……一個目は、自分のあまりのバカさでコマ達を心配させたから。二個目は……今まで散々私に助言をくれていたのに……わかった気になって、その実何もわかっていなかったから。……最後のは勿論、コマを……その、味覚を戻す機械みたいに扱ってたから……」
心を込めて必死に謝る私。そんな私にコマはクスリと笑ってこう返す。
「謝る必要はないですって。……その姉さまの卑屈さの元凶は、姉さまの根深いトラウマは……私の味覚障害に起因しますので。お互い様って奴です」
「でも……」
「そう思われるのでしたら、その謝罪は後日かなえさまたちに。皆さまも本気で姉さまの事を心配されていましたし。今回の作戦も……皆さまのおかげで成功したようなものですので」
「……ん。後でしっかり謝っておく」
コマの話が本当なら、一ヶ月近く皆心配してくれてたって事だもんね。ちゃんと謝らないと……ホント、ウジウジ何やってたんだか……コマの言うとおり、料理が出来なくなる程度で……しかもそれで皆に嫌われるなんて思い上がった事まで考えてさぁ……
カナカナたちがその程度で私を嫌うわきゃないのに……逆に皆に失礼すぎるでしょ……
「…………はぁ」
「ふふふ……♪姉さま。そんなにため息吐いちゃってたら、幸せが逃げちゃいますよ」
「いや、でもため息も出るよこんなの…………はぁ」
「ああ、また。仕方ありませんね。勿体ないので……私がその幸せ、頂いちゃいましょう」
「はい?何を言っ――ん、んぅ!?」
そうやって、自己嫌悪でため息連発する私に。コマは何の脈絡もなくキスをしてきた。最初に柔らかいモノが触れて、そのまま塞がれて。ため息一つ零せないほどぴったりくっつけて。息が続く限り……互いに満足するまでキスをして――
「……今の私と口づけしたくないとか……そんなこと言ってなかったっけ?」
「味覚を戻す、義務のようなものならお断りです。必要だから、しなきゃいけないからする口づけならしたくありません。ですが……ただただ姉さまと心の底からしたいって思える、愛を語り合うそういうキスなら大歓迎ですので。……お嫌でしたか?」
「…………嫌じゃないし、もっとしたい……」
「嬉しいです♡」
そうやって私は……コマとキスをした。毎日していたハズなのに、なんだか久しぶりに思える……味覚とかそういうものとか関係なしの、大好きの気持ちを込めたキスをした。




