ダメ姉は、○○を失う(その3)
私がアレを失ってから……早一週間が経過した。その間に分かったことがあるので、状況整理ついでにここにまとめてみようと思う。
「まず……何もしなければ私の舌に……が、戻る事はない」
試しに塩、砂糖を交互に舌に乗せ。口の中でならしてみる。残念ながら両者の違いが全くわからず……どちらも砂を食んでいる感触しかない。コマの為にと10年近く鍛えた舌はピクリとも反応を示さなくなってしまっていた。
「けど……何故かコマとの口づけの後は……元に戻る……」
ところがその私の異常も、毎日交わすコマとの口づけ――それをする事でどういうわけか一時的に元に戻ってくれる。現に今朝コマと濃厚な口づけを交わした後は無事に元に戻り……お陰でコマに無様な手料理を振る舞わずにすんだ。
「ただし……その効果も1時間前後で切れてしまう」
しかしながらコマと口づけすればずっと元通り……というわけではなく、あくまでも時間制限付きの延命措置にすぎない。コマとの口づけ後、1時間は元に戻るけど……1時間経つとまた何も感じなくなってしまう。
「総じて……これはあの頃のコマと同じ……」
まとめると、奇しくもあの頃のコマと全く同じ症状を抱えてしまっている事になる。自分がコマと同じ立場に立たされて、改めて私は思う。こんなに辛い状態をコマは何年も耐え続けてきたなんて……本当に凄いことだと感心するね。私なんてたった一週間ですでに疲弊しているってのに……
「……さて。これからどうしたものか……」
ため息と一緒に独りごちながら考えてみる。もしかしたらこの症状も一時的なもので、時間が経てば自然に治るかも――そんな希望的観測でこの一週間様子を見てきた私だけれど。結局今日に至るまで、この異常は回復する兆しは見られなかった。良く言えば悪化しなかったと言えなくもないんだけど……
「とは言え……いつこの症状が悪化するかもわかんないし……いい加減腹をくくらないと……」
この様子だと自然回復は期待できない。であれば本格的にどうにか自力で治していかないと後々マズい事になりそうだ。今はまだコマが側に居るからどうにかなっているけど……授業やコマの用事の関係でコマと口づけ出来ないケースも当然あるわけだし。口づけ出来てない時に限って料理を作らなきゃいけなくなったら困るし……
「でもなぁ……どうすりゃいいんだろ……どうやったら治るんだろ……?」
あのコマでさえ治すのに相当の時間をかけたんだ。一朝一夕で治るものではない事は、ずっとコマに寄り添っていた他でもないこの私がよくわかっている。
「然るべき機関に調べて貰う……のは。コマに病院に行った事がバレちゃう恐れがあるから極力避けたい。薬学を勉強している身ではあるけれどあくまで私はただの学生だし……どんな薬を飲めば良いのかとかはさっぱりだし……うぅむ…………いっそ誰かに相談してみるか?」
今回の私のこの症状の件、一週間経った今も誰にも打ち明けられていない。親友にも、頼れるせんせーや可愛い後輩にも。そして勿論……愛するコマにも。心配かけたくなかったし、コマとの口づけがあれば普通と変わりないし。何よりも……このことがきっかけで皆から必要とされなくなってしまったら――
そう思うとどうしても相談出来なかった。相談するのが怖かった。
「……でも……私一人の力じゃどうしようもないし……いや……けど、そうだとしても……相談したせいでコマにバレちゃったら…………そうだとしてもこのままの状態が続くなら……うーん……」
一人無い頭をフル回転させて悩む私。夜も眠らずに昼寝して、にあーだこーだとアレコレ考えて――そして。
◇ ◇ ◇
「――突然お邪魔してすみませんちゆり先生、沙百合さん」
「んーん。マコちゃんならいつだって大歓迎よ」
「ですです。遊びに来てくれて嬉しいですよ」
迷った末に私が頼ったのは……長年コマを診てくれた担当医のちゆり先生と看護師の沙百合さんだった。やはり餅は餅屋。この手のことは専門家に聞くのが一番と言えるだろう。何よりも色んな意味で信頼できるお二人だからね。
「それで?なんか相談したい事があるって電話で言ってたけどどうしたのかしらマコちゃん?」
「今日はコマさんと一緒じゃないんですね。珍しい。もしかして……コマさんの前では言えないようなお話でしょうか?」
「え、ええ。まあそうとも言えるしそうじゃないとも言えます。え、ええっとですね……相談前にですね……これから相談することはコマにはナイショにしておいて欲しいんですが……」
「…………コマちゃんにナイショに?なんか混み合った話なのかしら?まあマコちゃんがそう言うならナイショにするけど」
「守秘義務もありますので……マコさんがそう望むのであれ勿論コマさんにも言いませんよ」
思った通り、不思議そうな顔をしながらもナイショにしてくれると約束してくれる先生たち。よかった……これで心置きなく相談出来る。
そうして胸をホッと撫で下ろしながら、私は思い切って二人にこう問いかけてみる。
「あ、ありがとうございます!え、えー……それじゃあ本題に入りますけど……あ、あのですね。先生、それに沙百合さん――『味覚障害』って……どうやったら治ると……思いますか……?」
「……味覚障害?」
「え……それって……も、もしかしてコマさんがまた……」
突然不穏なワードを口にした私に訝しげな表情で顔を見合わせる二人。ま、まあ急にこんな事聞いてきたらどうしたんだって思われるのが普通だよね……
「あ、ああいや違う!違うんです!コマがまた、というわけじゃないんです!」
「じゃ、どうして今更そんな話をするのかしらマコちゃん?何か理由があるからわざわざ私たちに相談しているのよね?」
「……もしかして……ですけど。それってコマさんじゃなくてマコさん自身が――」
「い、いやその……別に誰かがってわけじゃないんですよ?ただ……ほ、ほら!コマも完治したとは言え、いつまた再発するかわからないじゃないですか。そう思ったらなんだかちょっと不安になっちゃって。コマの味覚障害が治ってしばらく経過しましたし、改めて味覚障害になった時にどんな対処をすれば良いのか復習しておきたいと思いましてね!」
「「…………」」
変に悟られないように軽く嘘を交えながら。先生たちに必死に言い繕う私。
……ギリギリまで先生たちだけでも本当のことを打ち明けようと思ったけれど。先生たちも不安にさせたくなかった。それに……コマと仲の良い先生たちがうっかりコマに今の私の状況を伝えてしまったら――そう考えるとこんな形でしか相談出来なかった。仮にこれでコマに診療所に行ったことがバレても……先生たちに私からこんな相談を受けたとコマにバラされても……『あくまでもコマに来た』って言い訳が立つわけだからね……
「ああ、なるほどです。だからコマさんを連れてきたくなかったんですね」
「ふむ……まあ、そういう話なら一応は納得かしら?」
「そ、そう!そうなんです!またコマを不安な気持ちにさせたくなくてですね!……そ、それで?その……味覚障害の件ですが……」
「んー……そうね。それじゃ懐かしの味覚障害のおさらいからはじめてみましょうか」
そんな私の必死さが功を奏したのか。若干納得いかない顔を見せながらも先生は淡々と味覚障害について説明を始めてくれる。
「まず味覚障害の原因から。いくつか原因はあるんだけど、代表的なものだと亜鉛や鉄などの不足や加齢。薬の副作用に何らかの病気。あとは……コマちゃんの味覚障害の直接的な原因とも言えるストレスとかの心因的な理由が挙げられるわね」
「最近だとここ数年まで大流行した感染症が原因で味覚障害を発症したケースもありましたね。同じものを食べているハズなのに味が違うように感じたり、薄味だったり焦げたような味に感じたり。そもそも全く感じなくなってたり」
「ふむふむ……」
先生方の丁寧な説明をメモしながら考えてみる。まず何らかの病気って線は消えるはず。なぜなら私は自他共に認めるおバカさんで風邪など引かぬから。ならばコマと同じ心因的な理由が原因か?……それも多分違う気がする。なぜなら私は当時のコマみたいに繊細なガラス細工のような美しい心を持ち合わせてはいないから。
となれば消去法でいうと――
「このうち最も多い原因は、やっぱり亜鉛不足かしらね。味を感じる期間である味蕾はだいたい1ヶ月周期で入れ替わっているんだけど。その味蕾の新陳代謝には亜鉛が必要不可欠なのよね」
「食事バランスとかが悪くなったりで亜鉛が不足すると、味蕾にある味細胞の機能が低下して味覚障害を起こしちゃうんですよ」
「なるほどなるほど……」
やはり亜鉛不足が一番の要因と考えられるか……
「漢方を含む薬の処方で対処することもあるんだけど……亜鉛不足なら食事で摂取するのが一番よね。亜鉛を多く含む食品と言えば……牡蠣とかホタテとか……」
「あとは海藻やレバー。あとはアーモンドとか大豆が代表ですね。…………あ。す、すみませんマコさん。こんな基本知識、料理上手なマコさんに釈迦に説法でしたね……」
「いえいえ!すっごく参考になります!」
よし……そうとわかれば早速今言われた食材を帰りに片っ端から買って……モリモリ食べるとしようじゃないか。食べたら案外あっさり元に戻るかもだし……
「ありがとうございました先生!沙百合さん!お陰で助かりました!」
「いいのよマコちゃん、この程度のことでお礼なんて。私たちとマコちゃんの仲じゃないの」
「また何かありましたら遠慮せずに相談してくださいね。私と先生もいつでも歓迎しますので」
「はいっ!是非とも!それでは今日はこの辺で失礼します!」
一通りのアドバイスを伝授された後は全力でお礼を言い診療所を後にする私。そのままスーパーに駆け込んで大量に牡蠣やレバーやアーモンドを仕入れるのであった。
…………尚、そんな食材を買い込んで帰宅した私を出迎えたコマからは。
「――牡蠣にレバー……アーモンド。その他にもこんなに……マコ姉さま……これは……」
「……ッ!?(しまった……露骨すぎた……ま、まさかバレた……!?)」
「随分と精が付く食材ばかり……!これはつまり……私に抱かれたいという姉さまのささやかで愛らしいアピールなのですね……!お任せ下さい姉さまっ!この私が、必ずや姉さまを満足させてみせますから……ッ!」
「へ……?あ、いやちが…………あ、だめだってコマ……ま、まだ日が高いのにそんないきなり――ま、まって……せめて……せめてご飯食べ終わってからにしてぇ!?」
…………なんだか変な方向に捉えられて、その夜はたっぷり抱かれた事をここに記す。……ま、まあ隠し事がバレなかったからセーフって事にしておこう……




