ダメ姉は、電車に乗る(前編)
大学生にもなると、やはり中学・高校とは比べものにならないくらい行動範囲が広がる。日帰り旅行や友人たちとの飲み会、ライブなどなど……極端な話、行こうと思えば北は北海道南は九州まで色んなところに行ったり来たり出来ちゃうわけだ。
さて、そういう時こそ苦労して免許を取った車の出番――と言いたいところだけど。車を使うのも一長一短だ。気軽に車が使える距離ならこれ以上ないくらい便利なものだけれど。駐車場が限られている場所だと逆に不便だし、車の場合渋滞に巻き込まれて疲れちゃったり予定時間を過ぎてしまうこともある。飲み会に行く場合とかは車だと飲酒運転になっちゃうから完全アウトだ。代行を使えば良いだけだけど……その為だけにお金を使うのも勿体ないよね。
そうなってくると次に使う移動手段と言えば――やはり電車だろう。電車なら運転する疲労や駐車場の有無を考える必要なんてないし、渋滞に巻き込まれるというトラブルだってない。運転しなくていいからお酒も飲めるし、仮に乗り損なっても都会ならちょっと待てばすぐ次の電車が来るからそういう意味でも電車は便利と言えるだろう。私も大学生になってからはかなりの頻度お世話になっている。
と言うわけで。今回はそんな電車についてのお話である。
◇ ◇ ◇
「――ほんっとうに……信じられません……ッ!」
「こ、コマ……落ち着いて……わ、私は気にしてないし大丈夫だから……」
「少しは気にしてくださいよ!姉さまは優しすぎます……!本当に、なんてことを……!」
私の手を強く引き、珍しく声を荒げて怒りを露わにするコマ。相当お冠らしく、大学の講義が行われる教室に辿り着いても周囲に聞かれてしまうほどに不満の声を漏らしている。
普段お淑やかで大学の人気者のコマがそんな様子だからか、周りの学生たちはなんだなんだと遠巻きに私たちを見つめている模様。ああ……どうしよう……どうしたらコマは落ち着いてくれるんだ……?
「ちょっとマコ……どうしたって言うのよコマちゃんは?何かあったの?」
そんなコマを見かねてか、親友のカナカナが私たちに声をかけてくれる。おお、カナカナちょうどよかった……!カナカナならコマを落ち着かせられるかもしれない……!
「い、いやぁ……それがさカナカナ。大した事じゃないんだけどさ……」
「何を言っているんですかマコ姉さま!大した事だから私は怒っているんです!ああもう、思い出しただけでも腸が煮えくりかえります……!なんて非常識……!なんて愚かな……!許しません、許せません……!」
「……ってコマちゃんは言ってるけど?」
「あー……うん、そだね。コマにとってはそうかもしれないね……」
「全く状況が分からないわね……とりあえず説明しなさいよマコ」
「そ、そうだね。ええっと……何から説明するべきか。実はね――」
カナカナに助け船を出して貰うにはとにもかくにも何があったのか説明しないと始まらないだろう。怒り心頭のコマを宥めつつ、カナカナにコマがこうなる羽目になった経緯を説明してみることに。
~こうなる30分前~
「――久しぶりの叔母さんのお家、荒れ放題だったね……やっぱ定期的に掃除洗濯してやらないとダメだねあの人」
「あ、あはは……ま、まあまあ姉さま。それでも昔よりかは叔母さまも進歩していたと思いますよ」
「あれで昔よりマシとか……ホント叔母さんってばダメダメじゃないの……編集さんが出張しているからってちょっと自堕落な生活送りすぎじゃないかなぁ」
大学生になり、コマと共に大学近くの部屋を借りて二人暮らししている私とコマ。二人の愛の巣を作り上げ、幸せ一杯の日々を過ごしている――んだけど、一つだけ問題が発生してしまっていた。
私たちが家を離れる=めい子叔母さんが我が家で一人で暮らすと言うこと。……それが一体何を意味するのか。小・中・高の家事を私に丸投げしていた事からも分かるとおり。叔母さんは料理もダメ掃除もダメ洗濯もダメ、家事全般ダメダメな干物女だ。そんな叔母さんが一人で暮らすなんて相当に無理があったようで……
『――マコ、コマ……すまん……たすけてくれぇ……!?』
叔母さんからそんなSOSがあり慌てて叔母さんが待つ我が家に戻ってきた私とコマを待っていたのは……荒れ放題の我が家と途方に暮れた叔母さんだった。ゴミやら酒の空き缶空き瓶が散乱しまくって、よくぞここまで荒らせるもんだと逆に感心してしまう。
とりあえずコマと二人で普通の生活が送れるレベルまで掃除してやったんだけど……想像以上に時間がかかり、結果泊まりがけになってしまったのである。
「お陰で大学まで電車通学しなきゃならないなんてね……ま、コレもコレで新鮮だから良いんだけどね」
「そうですね。早朝から電車に乗る機会はあまりありませんでしたし……楽しいですね姉さま♪」
我が家から大学までそれなりに距離があったし、叔母さんに昨日は遅くまで酒を飲まされたせいでアルコールが残っているかもだからなるべく車は使いたくはない。そんなわけで今日はコマと一緒に電車で通学中なのである。
……ああ、言うまでもないことだけど車両は『女性専用車両』を使っている。コマを早朝の電車というケダモノ共の狩り場に送り込むなんて愚行、この私がするはずないでしょう?
「にしても……朝も早いのにもうこんなに乗ってるものなんだね……」
そんな事を言いながら、周りを見回す私。始発の電車に乗ったというのに、すでに周りは会社員や学生さんたちで一杯だ。座席は全て埋まっていて、立っている場所もかなり限られてしまっている。『女性専用車両』だし女性がそこに集中してしまうことを加味しても……かなり人が多い。
この人たちって普段もこんな感じで朝早くからぎゅうぎゅうに詰め込まれつつ通勤したり通学しているんだろうね……大変だなぁ……いつもお疲れ様です。
「コマ、立ちっぱなしで大丈夫?辛くない?」
「私は鍛えていますから平気ですよ。そういう姉さまこそ平気ですか?」
「ん、私もへーき。伊達にあのレンちゃんのお散歩に付き合わされてるわけじゃないさ」
そんな事を言っている間にもどんどん人が増えていき……私たちは少しずつ人の波に押され始める。むぅ……これは、中々に……キツいな。如何せん私ってちっちゃいから……つり革にも掴まれないし。こうなるともう流れに委ねるしか――
さわ……
「……?」
「姉さま?どうかしましたか?」
「ん?ああ、いや……なんでもないよ」
なんて事を考えていた時だった。不意に腰……いやお尻か?その付近にちょっと違和感を覚える私。最初は電車の揺れのせいで偶然手が当たったのかな?なんて思っていたけれど……しばらくするとそれは当たる、というよりも明らかに誰かに触わっている感触だと気がついた。
「(もしかして……スリ……か?)」
ちょうど腰にはお財布や携帯、鍵などの貴重品の入ったウエストポーチを引っかけている。もしやそれを狙ったスリの類いだろうか?
もしそうなら黙っているわけにはいかない。慌てて私はポーチを腰の後ろから自分の前に移動させる。念のため中身を確認してみると…………よし、大丈夫。どうやらまだ何も被害はないみたい。よかった、盗られる前に対処出来て。これでスリも気づかれたって分かったなら諦めるハズ――
さわ……さわ……
「……あれ?」
「……姉さま?」
「あ、ああうん……ごめんなんでもないよ」
――なんて思った矢先に私へのタッチは再開される。まるで邪魔なポーチをわざわざ移動させて触りやすくしてくれたと言わんばかりに、そのタッチは先ほどよりも大胆になっているのである。
「(……どういうこと?ポーチが狙いじゃなかったの?違うの?だったら何故続けるの?)」
さっぱり意味がわからない……まさか尻ポケットに財布でも入っていると思っているのだろうか?幸い貴重品は全部ポーチの中だから尻ポケットには何も無いけど……それでもやっぱり鬱陶しいし、触られている場所に手をやってこれ以上探られないように試みる私。
いくらなんでも、ここまでされれば向こうも完全に私に気づかれたとハッキリ分かったハズ。これで手を出すことはもうない――
キュッ……♡
「…………???」
「…………マコ、姉さま……?大丈夫、ですか?なんだか様子が変じゃありません?」
「へぁ!?あ、ああいやうん……大丈夫……ダイジョウブ……」
いいや、ちっとも大丈夫じゃない件について。ガードできたとホッとしたところで、何故かその手を優しく握られてしまった私。スリスリ……さわさわ……と、まるで慈しむように私の手をゆっくり、丁寧に……ねっとりと触っていく。
「(……まさか私に限ってそんな…………いや、でも……ここ『女性専用車両』だよね……?)」
私の頭にとある事がよぎるけれど。でも冷静に考えてみたらこの場所は『女性専用車両』だ。それはあり得ない……とは思うけど。でもひょっとしたら……女性に変装した男……とか?もしもそうならコマにまで手を出される恐れがある。それだけはマジで困るわけで……
「(とりあえず……誰が触っているかだけでも……)」
意を決し、そーっと首を後ろに動かしてお相手の顔を拝見してみる。そこにいたのはどう見ても性別【女性】の綺麗なお姉さんだった。
「……(ニコッ)」
「……(ぺこり)」
振り向いた先で目と目が合う私たち。一切悪気もない爽やかな笑顔を向けられて、こちらとしては何も言えず思わず会釈までしてしまった。
うん、よくわかった。なるほどね……どうやら勘違いでも何でもなく、私を狙った…………痴漢さんらしいね。そっかー……マジかー……
「(ま、まあ……貴重品狙いのスリでもないし……コマを狙ったわけでもないし……いっか)」
見た感じ悪い人じゃなさそう(?)だし、コマが襲われるならともかく私如きの尻くらいなら安いもんだし……それにあと数駅で大学に辿り着くし。下手にトラブルになったら私もコマもこのお姉さんも困っちゃうだろうし……好きにさせたらいいか。そう思い気にしないことを決める私。
そんな私の心情を察したのだろうか。お姉さんは私の手を取り、私とタメを張れるくらいのおっきなお胸に手を突っこませてはさみあげる。更にお尻を、太ももを。何度も何度も撫で上げて……それでも碌な抵抗もないとわかったお姉さんは……とうとう私のスカートに手をかけて――
ガシィッ!
「「…………え?」」
「…………コロス」
――そして、そのお姉さんはコマの手にかけられた。
~そして現在に戻る~
「――という事があってだね……そこからはもう大変だったわけなのよ。コマがそのお姉さん始末しようとして電車内がそれはもうパニックになっちゃって……」
「…………なるほど」
そんなこんなで今朝あった出来事をカナカナに話してみた私。本当に大変だったわ……コマが修羅と化してお姉さんを本気でコロコロしようとしちゃうし……そのせいで一時は電車がストップして車掌さんやら警察やらがやって来るし……事情を説明しても『女性専用車両』で痴漢……?ってなってややこしいことになっちゃうしで……
「……で?マコに手を出したその女は?どうなったの?」
「どうもこうも……出来心でやっちゃっただけみたいだし、泣いちゃってたし……厳重注意ですませてあげたよ。全く……コマも車掌さんたちも大げさだよね」
「……そう。そうなのね。よーくわかったわ。…………コマちゃん!ダメじゃないの!」
事情を理解したカナカナが、呆れた顔でコマを叱りつける。うんうん、言ってやってよカナカナ。これくらいで大騒ぎしすぎだって――
「どうしてわたしを呼ばなかったの!?どうしてちゃんと始末しなかったの!?ああいう輩は優しくしたらつけ上がるじゃないの!?」
「…………申し訳ございませんかなえさま……仰る通りです……お優しい姉さまが私を止めるのは分かりきっていた事……姉さまに止められる前に、瞬殺しておけば……」
「ちがう、そうじゃない」
……ダメだ、よく考えなくてもカナカナもコマ側の人間だったわ……
「……と、言いますか。姉さまも姉さまですよ」
「へっ?」
「そうね、マコも悪いわ」
「はい?」
と、思わず頭を抱える私に。どうした事かコマとカナカナは不機嫌そうに私を睨み付ける。な、なんでしょうか……?
「そもそもの問題ですが、なぜ痴漢されて何も言わなかったのですか?」
「そ、そう言われても……最初は痴漢されているなんて夢にも思わなかったし……だ、だって『女性専用車両』だよ?痴漢されるハズないって普通思うじゃん?」
「姉さまは『女性専用車両』だからこそ危険なんですっ!」
「そうね。マコの場合はソッチの方がヤバいわよね」
どうして……?
「んで?痴漢されていることがわからなかった時はともかく。わかった後も黙ってたのはなんでよ。他に誰もいないならまだしも……コマちゃんがいて、周りにも人がいたんでしょ?そんな事されてて黙ってるとかおかしいでしょマコ」
「わ、悪い人じゃなさそうだったし……」
「姉さま。痴漢をしている時点でそれは十二分に悪い人です」
底冷えするようなコマの冷静なツッコミが私に突き刺さる。ご尤もです……はい……
「で、でもさ?落ち着いて考えて欲しいんだ。相手は女の人だし……お金目的とかじゃないなら減るものなんてないでしょ?いちいち気にしても仕方ないじゃん?私なんか触っても誰も困らないだろうしさ!」
「「…………ぁ?」」
「そ、そんな事より!ほ、ホラ!もう授業始まっちゃうよ!さ、さーて今日も一日がんばろー!」
二人の説教モードに耐えかねて、慌てて話を打ち切る私。この二人に口プロレスで叶うはずもない。ここは戦略的撤退をしようそうしよう。
「…………わかってない、何もわかっていないです姉さま。わかっていないそんな姉さまは…………わからせてあげなきゃ、ダメですよね……」
「…………あーあ。わたしは知らないわよマコ。よりにもよって、一番怒らせちゃいけないシスコンを怒らせちゃったんだからねあんたは」




