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黄昏に立つ少年  作者: 須賀マサキ


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二(その一)

    二



 事件から一週間ほどが過ぎ、学校は少しずつ静けさを取り戻していた。

 一方で、事件の手がかりはなにひとつ見つかっていない。唯一頼みの綱である美奈子は、あの日以来ずっと眠り続けている。

 病院と学校の往復が孝則の生活パターンになった。美奈子の家族が断っても、頑として受け入れない。

 孝則にしてみれば、家で心配しているよりもそばにいるほうが気が楽だった。本音を言えば学校を休み、ずっとそばにいたい。だが、さすがにそこまではしなかった。まわりに気を使わせてもそばにいる。それを自己満足だと言われれば、反論のしようがない。それでも孝則は美奈子のつきそいを続けている。

 それもそろそろ限界にきていた。

 昨日あたりから孝則の調子が落ちてきたのを、聖夜は見逃さなかった。このままでは、美奈子が回復する前に孝則が寝込んでしまう。お節介と自覚しながら、聖夜は孝則にある提案を持ちかけた。そして無理に承諾させることに成功した。

 夕飯どきになり、聖夜はそのことを父に打ち明けた。

「父さん、今夜は葉月と一緒に美奈ちゃんの病院に泊まるよ」

 トマトサラダにドレッシングをかけながら、聖夜が月島に話す。

「孝則くんも、とうとうダウンか。バスケで鍛えたといっても、連日の受験勉強と看護じゃ、身体も壊すだろうな」

「だからそうなる前に一日だけ、ぼくと葉月で交替することにしたんだ」

 話しながらなぜか口元が緩んでしまう。それを見た月島の目がキラリと光ったような気がしたと思ったとたん、

「つきそいを口実に深夜のデートか」

 と、痛いところをつかれてしまった。

「ご、誤解しないでよ。孝則を休ませるのが目的なんだから」

 意味ありげに笑う月島に、聖夜は言い訳めいたことを主張する。しかし微妙に的を射た発言だ。聖夜はうろたえを悟られまいと、トマトを口に放り込んだ。

「一線越えるのは勝手だが、あとで後悔しないように、することだけはちゃんとしておくんだ」

「と、父さん! 教師だったらもっと言動に気をつけてよ。そんな挑発するようなことを言っていいと思ってんの?」

 聖夜は真っ赤になって箸を落としそうになる。喉につまりかけたトマトをお茶で流し込み、上目使いに父を見た。月島は涼しい顔で食事を続けている。聖夜の反応が解ってからかうのだから、始末に負えない。

 こういうことを平気で口にする父親に、聖夜はいつも戸惑ってしまう。思春期の息子によく刺激的なことが言えるものだ。

「無理に止めても反発するだけだろ。それくらいだったらちゃんとした知識をだな……」

「もういいよ、解ったから。夕飯を済ませたら、ぼくはでかけるからね」

 笑いをこらえている月島を無視して、聖夜は仏頂面で食事を続けた。


   *   *   *


 後片づけを終えた聖夜は、夜食のことを考えて簡単なサンドイッチを作った。リュックに勉強道具とそれを入れ、自転車を走らせる。美奈子の入院する病院までは十五分ほどの距離だ。

 真冬の空気は冷たく肌を刺し、ひとつに束ねた髪が夜風になびく。だが聖夜はさほど寒さを感じない。ダウンジャケットの下に着ているセーターのおかげだ。手編みのそれは、去年のクリスマス、葉月にプレゼントされたものだった。

 颯爽とした存在の葉月は、クラスの女子の中で目立つ存在だった。リーダー格で統率力もある。それでいて近寄り難さはまったくない。人懐っこいところがあって、特に男子の中で人気は不動のものだ。葉月に片思いしている者も多くいて、聖夜もそのひとりだった。だが話すきっかけもないまま、遠目に見ているだけの日々が続いていた。

 チャンスは思わぬときにやってきた。修学旅行のパンフレット作成委員に偶然ふたりが選ばれた。それをきっかけに聖夜は葉月に接近し、友達以上恋人未満の関係まで持ち込むことに成功した。

 そして去年のクリスマス。葉月からクリスマス兼誕生日のプレゼントとして、手編みのセーターをもらった。あれからもう一年がたとうとしている。

 聖夜は右手で自転車のハンドルを持ち、左手の甲で唇に触れた。唐突にファースト・キスを思い出した。

 頬を赤く染めながらセーターを差し出した葉月は、それまで見たことのないくらい、はにかんでいた。普段の姿から想像もできない純粋で素朴な素顔だ。それを見た聖夜は葉月の可憐さに思わず肩を抱き寄せた。そしてどちらからともなく唇を重ねた。

 そのあとも何度かキスはかわしているが、それ以上の関係には進んでいない。今のままで満足していると言えば嘘になる。しかし親にあのようにけしかけるような態度を取られると、却ってなにもできなくなる。

 案外それが父の手なのかもしれない。聖夜が早まったまねをしないよう、先手を打たれた気がした。

 だがいつまでも今の関係でいるつもりはない。卒業したら距離のある生活が始まり、葉月とは今までのように気軽に会えなくなる。

 離れてしまう前に互いの気持ちをしっかりと確認しておきたい。

 口にはしないが、葉月も同じことを考えているのは、なんとなく伝わってくる。

「なのに父さんときたら。病院だよ、病院。そんなことする場所じゃないだろ」

 聖夜は照れ隠しに、思わずこの場にいない父に文句をつける。

 やがて自転車は総合病院に着いた。運転中に妙なことを考えたせいで、どことなく気疲れしている。深呼吸して気持ちを落ち着け、聖夜は通用口から中に入った。

 急患や時間外診療を待つ人たちのそばを通り抜け、美奈子の個室がある五階まで階段を駆け上がる。病室の前に立ち聖夜はドアを軽くノックした。が、返答がない。

 葉月がすでに到着していることは、出発前に携帯電話で確認した。聖夜が来るのを知っているのに、どこかに行くはずもない。

 不審に思った聖夜は、なるべく静かにドアを開けた。

「うっ」

 病室を満たす異様な空気が、扉のそばに立つ聖夜の全身にまとわりつく。冬の寒さとは異なる冷気だ。瞬時に激しい頭痛に襲われ、吐き気を覚えた。

 これまで経験したことのない禍々しい空気だった。無防備の状態で聖夜はそれを浴びてしまった。ドアにしがみつき、倒れそうになる身体をかろうじてささえる。

 明りの消えた病室に月光が射し込んでいる。淡い光の中で聖夜の目は、美奈子の胸元に覆いかぶさる人影を見た。

 長くくせのないストレートの黒髪が流れるように枕元に落ち、月光を反射した。白いブラウスはそれ自体が発光体のように、明りを受けて淡く光を放っている。月が見せる幻のように儚く、手を伸ばして触れれば消えてしまいそうな少女がいた。

 聖夜は身動きできない身体で、目をそむけることもできないまま相手の顔を見た。

 口元からしたたり落ちる鮮血、わずかに開いた唇から見え隠れする二本の牙、獣のように輝くルビーの瞳は、伝説の魔物、吸血鬼を連想させた。

 だが聖夜を驚かせたのは、そのように単純なことではない。妖気とは異なる衝撃が全身を走り抜けた。

 そこにいたのは流香だった。聖夜を産んだ半年後、十八歳の若さでこの世を去った母と、目の前にいる吸血鬼は、同じ顔をしている。

 少女は驚愕の表情を浮かべ、唐突に両手で口元を覆った。そして目を大きく見開き、じっと聖夜のことを見つめる。

「もしかして、あなたは……」

 少女がつぶやく。手が離れたとき口元に牙はなかった。瞳は獣のそれから人間の物に戻っていた。

 黒い瞳が潤んだかと思うまもなく、一粒の真珠のような雫が、つつ、と頬を伝って滑り落ちた。

 ふっと空気が和らぎ、聖夜の身体が軽くなる。部屋を満たしていた禍々しいものは消え、代わりに胸の奥に懐かしい温もりが生まれた。

「あなたは、だれ?」

 聖夜は少女に問いかける。

「母さんに、流香に縁のある人なの?」

 少女がゆっくりと聖夜に近づいた。漂うように移動し、人の気配や体重を感じさせない。

「もしかしたら、ぼくの姉さんか、妹なの?」

 少女は何も答えない。何度もためらうように腕を伸ばすと、指が聖夜の首筋に触れた。温もりのない、氷のように冷たい指だった。

 その瞬間聖夜を急なめまいが襲った。かすかだが首筋に刺すような痛みを感じる。少女の指から生命の源が吸い取られていくようだ。頭がぼうっとして、少しずつ思考力が落ちていくのを感じる。

 遠ざかる意識の中で、聖夜は少女の問いかけを聞いたような気がした。

 ――あなたは、聖夜……月島聖夜なの?


 流香が立っていた。

 古い写真から抜け出したように、流香の姿は十八歳のままだ。

 幻のような少女と、写真でしか知らない母が重なる。魔物の姿ではなく、慈悲深い母親の顔をした少女は、懐かしそうに聖夜を見て一筋の涙を流した。

 ――聖夜、会いたかった。ずっとあなたのことが気がかりだった。

 差しのべられた両手に触れると、母親の温もりが聖夜を優しく包む。

『母さん……? 母さんなの?』

 幼い、まだ赤子だったときにいつも感じていた温かさ、遠い記憶の中に眠っていた腕の温もりが聖夜の心によみがえる。

 ――あなたを巻き込みたくない。今ならまにあう。これ以上事件に興味を持たないで。絶対に近づかないで。

 そう言うと少女は聖夜から離れた。姿が少しずつ霞み、夜に溶けてゆく。

『待って』

 少女の腕をつかもうとしたが、聖夜の手はその身体をすり抜けた。

『母さん、どこへ行くの?』

 もっと話をしたい。声が聞きたい。深い闇に向かって、母を呼ぶ。

『あなたはぼくの母、月島流香なんでしょ? どうして時間が止まっているの? どうして十八歳のままなの? どうして……』

 聖夜は少女を追いかけようとして、夜の世界に足を踏みいれようとした。日の光が射し込むことのない、暗黒の世界が広がる。

 ――聖夜。

 一歩踏み出そうとしたら、だれかに呼び止められた。耳になじんだ声だ。愛しい人が呼んでいる。

 ――聖夜。

 声に引き止められて迷っているうちに、聖夜は少女の姿を見失った。



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