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一(その三)

※一部残酷な表現があります。

 その朝、三人の男子生徒は校門指導から逃れるために、塀を乗り越えて校内に入ることにした。体育館の裏は生徒や教師たちも滅多に来ない場所で、どの校舎からも死角になる。一般の生徒にはあまり知られていない。忍び込むのにはうってつけの場所だった。

 長身の生徒が仲間の鞄を中に投げ入れ、塀をよじ登る。上まで登ったところであとのふたりに手を貸し、友達が登るのを手伝う。三人は難なく塀を乗り越え、校内への侵入に成功した。

「校門指導なんて、つきあってらんねえよな」

「タッチの差で入れなかっただけで反省文なんて、ガキじゃあるまいし」

「さあ、早いとこ教室に行こうぜ」

 鞄を肩にかけて、長身の生徒が仲間を促した。

「あれ?」

 スポーツ刈りの生徒が自分のコートの裾を見て、いぶかしげに首を傾げた。

「どうした?」

「コートに血がついてんだ」

「血?」

 メガネの生徒が眉をひそめる。

「どこか怪我したかな」

「塀に登ったときにスリ傷でも作ったんじゃないか?」

「うーん、気がつかなかったけど」

 スポーツ刈りは傷を見つけようとしたが、無駄に終わった。ふと足元の芝生に視線を落とすと、ところどころ褐色に染められている。

「あれ、なんだと思う?」

 スポーツ刈りが染みを指さした。それは点々と体育館倉庫の裏まで続いている。見えない何かに引かれるように、三人は教室に行くことも忘れ、それをたどって歩き始めた。

 進むにつれて悪臭が鼻を刺激する。禍々しいものを本能的に感じた三人は、それぞれが引き返すことを考えた。ひとりなら迷うことなくそうしただろう。だが不幸にもそこには仲間がいた。戻ることを提案すれば臆病者のレッテルを貼られる。彼らは何よりもそれを恐れていた。

 すくむ足を無理矢理引きずりながら、それを仲間に悟られまいとして、三人は恐る恐る体育倉庫の裏にまわった。

 悪臭が身にまとわりつく。生臭さに咳き込みながら、視線は足元の染みを追った。

 それは一面に広がり、刺激臭を放っている。

「あっ、いてっ」

 先頭を行くメガネが、いきなり地面に転がった。

「何やってんだ?」

「足が滑ったんだよ」

 立ち上がろうとして何気なく前方を見たメガネの生徒は、そこに倒れている人を見つけた。

「あっ、あそこに」

 ショートカットの少女が全身を赤く染めてうつぶせに倒れている。

「きみ、どうしたんだ?」

 スポーツ刈りがこわごわと声をかけるが、反応がない。そのときになってメガネは、自分の手にもついた褐色の正体に気づいた。

「なんだよっ、これ、血じゃないのか?」

「ウソ言うなよ。そんなわけないだろ」

 長身の生徒は、いつもの冗談だと思って否定する。

「血ってことは……まさか死んでるんじゃ」

 メガネが歯の根があわないほど震えながらつぶやいた。「そんなばかな」と一笑にして、長身の生徒は冷静に状況を判断し、倒れている少女の手首にふれた。

「心配するなって。生きてるよ」

 幸いなことに体温も脈もある。

「じゃあ、この血はなんなんだよっ」

 三人が血のあとを追いかけて体育倉庫に目をやると、壁の上方に赤い十字の物体を見つけた。彼らは目を凝らしてそれを見る。

 初めはただの作り物だと思った。だがそこに充満する悪臭がその考えを打ち消す。

「……ひいっ」

 スポーツ刈りの生徒が、声にならない悲鳴を上げる。

 正体に気づいたとき、彼らは恐怖で身動きすらできなくなった。

 赤い十字の物体、それは倉庫の壁に磔にされた人間の成れの果てだった。

 喉元の切り口から流れ出た大量の血が、遺体を赤く染めている。わずかに残された衣服と片方だけになったシューズの赤も、血の色だ。腹部にも大きな切り傷があり、そこから内臓の一部がはみ出ている。豊かな胸は無数の傷がつけられ、左側は開いていた。

 飛び出しかけた右の眼球が三人を見つめる。遺体のまなざしと視線があったその瞬間、緊張の糸が切れた。

「うわああああっ」

 朝のすがすがしい空気は一瞬のうちに砕け、恐怖に満ちた空気が校内を支配した。


   *   *   *


 惨殺された被害者は聖夜たちの高校に通う女生徒だった。

 前日にコンサートに行くと家を出たまま約束の場所に現われず、心配した友人や家族が朝になって警察に届けを出した直後だった。発見されたとき、彼女は帰らぬ人となっていた。遺体は、殺人事件を見慣れた捜査員ですら目をそむけるような惨状だった。

 事件現場で倒れていたのは、孝則の恋人である美奈子だった。同じ被害者でも、殺された少女とは対照的に、美奈子には危害を加えられた痕がまったくない。傷ひとつない状態で、なぜあの場所に倒れていたのか、警察も首を傾げている。

 そして真相を知る美奈子は、発見されて以来ずっと病院で眠り続けている。

 その日学校は臨時休校となった。対応に追われる教師たちを残して、生徒たちは皆家路を急いだ。

 聖夜たち三人は、美奈子の入院した病院に駆けつけた。

「すみません、おれがいつも通り美奈子を送り届けてれば、こんなことには……」

 孝則は深々と頭を下げて恋人の母親に謝る。ショックのあまり憔悴(しょうすい)してはいたが、母親は理性的だった。命があったことに感謝し、孝則を責めることはしなかった。

 ベッドに横たわった美奈子の腕には、点滴の針が刺さっている。外傷もなく昏睡状態でもない。文字通り眠っているだけだという。

 聖夜と葉月は、美奈子が無事に見つかったことに安心して、静かに病院をあとにした。

 聖夜は遠慮する葉月を、無理矢理自宅まで送り届けた。美奈子の身に起きたことを考えたら、ひとりで帰らせることがどうしてもできない。

「途中下車させちゃったね。わざわざありがとう」

「気にしなくていいよ。いっしょにいられる時間が伸びたって喜んでるんだから」

「そうなんだ」

 葉月はくすっと笑うと、不意に聖夜の肩に手をおき、背伸びして頬にキスをしてきた。

「ちょ、ちょっと、家の人に見られたらどうするんだ?」

「心配しなくていいよ。みんなまだ帰ってないもの」

 慌てふためく聖夜は、真っ赤になってあたりを見回す。

「でも、近所の人はいるだろうに……」

「日が落ちて暗いのに、わかんないって。それに見られても平気だよ。あたしの彼氏はこんなにかっこいいんだって、みんなに見せびらかしたい気分なんだもん」

 聖夜はますます赤くなるのを感じた。

「じゃあ、また明日。勉強、がんばってね」

 葉月が家の中に入ったところまで見届けて、聖夜は家路についた。唇がふれた頬に、手の甲を当てる。孝則と美奈子には悪いと思ったが、口元が緩むのをどうしても抑えられない。

 帰宅した聖夜はリビングに入り、何気なくテレビをつけた。師走ともなれば、午後六時を迎える前にすっかり日が落ちる。部屋の暖房を入れ、ファンヒーターの前に立ち、冷えた身体を温める。

 夕方のニュースでは今朝の事件がセンセーショナルに報道されていた。下校時には早くもマスコミが学校に大挙して押しかけていたことを、聖夜は思い出す。ほかに何か大きな事件が起きるまでは、テレビや週刊誌をにぎわせるだろう。

 脱いだダッフルコートをハンガーにかけながら、聖夜はぼんやりとテレビの画面をながめていた。

 生前の少女の写真が画面に映る。聖夜の見慣れた制服を着ている元気な姿が、事件の悲惨さと悲しさを伝える。同じ高校の生徒が被害者になったかと思うと、胸に鋭い痛みが走った。一年生だから面識はなかったが、殺されたのが仲間のひとりだという事実は、予想以上に怒りと不安をかき立てる。

 続いて先ほどとは別の写真が画面に映った。今度のものはアップだったので、顔立ちがよく解る。

「あれ?」

 少女の顔写真が聖夜の記憶を刺激した。つい最近会ったことがあるような気がする。同時に甘美な感覚が聖夜を包んだ。

「えっ、もしかして……今朝の夢の?」

 それは悪夢に出てきた少女に似ているような気がした。考えれば考えるほど、同じ人物ではないかという思いが強くなる。

「正夢だった?」

 もしそうなら少女は吸血鬼に襲われたことになる。夢の中の吸血鬼は、ほかでもない聖夜自身だった。つまり犯人は――。

「まさかね」

 ここまで連想したところで急にばかばかしくなり、聖夜は肩をすくめた。

 夢の少女と事件の被害者が同一人物など、荒唐無稽すぎる。夢というあいまいな記憶が、たまたま目にした映像と結びついただけだろう。

 そうでなくとも同じ学校に通っていた仲間だ。はっきりと覚えていないだけで、文化祭や体育祭などの行事で一緒に活動していた可能性もある。

「第一、吸血鬼なんているわけないし」

 ただでさえ気分の悪くなった夢に、これ以上に思い煩わされたくはなかった。

 テレビと暖房のスイッチを消して自分の部屋に入る。母の写真に「ただいま」と挨拶をしたあとで、聖夜は机に向かって受験勉強を始めた。




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