表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏に立つ少年  作者: 須賀マサキ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/32

十二(その一)

    十二


 冬の短い昼が終わり、夜が訪れた。昼すぎから降り始めた雪は、夜になってもやむ気配がない。このままだと朝になるころには、街は白く覆われるだろう。

 聖夜は街外れの洋館の前に立っていた。

 この中に、血に飢えた悪魔が潜んでいる。彼を倒し、母を解放すること。これ以上犠牲者をふやさないこと。ふたつの目的を果たすために、聖夜はここを訪れた。

 聖夜が近づくと、門が自動的に開いた。訪問者は監視されているということか。それならば正面から堂々と行くだけだ。

 階段を上り、玄関の扉に手をかける。先走る気持ちが危険を招くかもしれない。目を閉じて呼吸を整え、扉を軽く押すと、聖夜を歓迎するように簡単に開いた。

 正面のフロアには、レンが腕を組んで立っていた。

「まさか本当にくるとはな。ドルーの言った通りだった」

 聖夜はなにも答えずに、レンを一瞥(いちべつ)した。

「ヴァンパイアとダンピールは、互いに呼びあうのか。おまえに逃げられたと聞いても、彼は平然としていた」

「ドルーはどこだ?」

「さあな。会いたければ自分で探せ」

 そうだなと頷いて聖夜はレンの横を通りすぎた。正面の階段前に立ち、ドルーの気を探ろうと二階を見上げたときだ。

「無事で、帰ってこいよ」

「――え?」

 意外な言葉に、聖夜は耳を疑う。ヴァンパイアを捜すのをやめて、レンをふりかえる。

「おまえは我々の希望だからな」

「希望? ぼくが」

「そこいらの人間が束になっても倒すのが難しいヴァンパイアを、いとも簡単に倒してしまうのさ。おまえらダンピールは」

「そうなんだ」

「ただおまえの場合は、自分の能力を知らずに育った。おかげで基本的な知識もなければ、訓練もしていない。そんな状態でブラッディ・マスターと対峙したがるとは、まったく無謀なやつだ。せめて基本くらいは教えてやりたかったが」

 それを指摘されると答えようがない。

「いいか。ダンピールの最大の弱点は、ブラッディ・マスターになってしまうことだ。ドルーに取り込まれないよう、せいぜい気をつけることだ」

 レンは聖夜になにかを投げてよこした。受け取って見ると、水の入った小瓶だった。

「聖水だ。それからあれも」

 レンは階段のふもとを指差した。見るとアタッシュケースがおいてある。開けて中を確認したら、白木の杭が一本入っていた。

「手になじみやすい大きさにしておいた。うまく使えよ」

 レンはそれをおき土産にして屋敷を出ようとした。

「待って。あなたはいったい何者なんですか」

 人間だと聞かされていたが、吸血鬼についてやたらと詳しい。

「もしかしてぼくと同じ、ダ……」

「そうだな。おまえが無事に帰ってきたら教えてやるさ。ドルーには正体を知られたくないんでね。万が一ブラッディ・マスターになられたら、いらぬ情報をあたえることになるからな」

「なら、帰ってきたら話してくれるんですね」

「ああ、約束する」

 レンは聖夜を残して屋敷を出た。

 言われるまでもなく、無事に帰るつもりでいる。聖夜はふたたびドルーの気を探ろうとしたそのとき、奥の部屋の扉が開き、見覚えのある女性が出てきた。

 吸血鬼になるためにドルーに協力している人間、麗だった。聖夜は素早く階段の影に身を隠し、ポケットにしたためていたサバイバルナイフを取り出す。麗は聖夜に気がつかず、こちらに歩いてくる。通りすぎたところで、

「動くな」

「だれ?」

 素早く相手の背後に立ち、うしろから首筋にナイフの刃をあてた。

 集中すれば他者の動きがスローモーションに見える。ダンピールの能力が聖夜の動きを機敏にしていた。一瞬のことに麗は、逃げることもできない。

「ドルーはどこだ?」

「だれかと思えば、この前の坊やじゃないの」

 刃物を突きつけられても平然としている。聖夜はもう一度問いかけた。

「ドルーはどこだ?」

「わざわざ探しにいかなくても、あの人の方からくるんじゃないの? あなたを仲間にするためにね」

 麗は口元に笑みを浮かべた。

 赤いルージュで彩られた唇は、それ自体が生き物のように妖しくゆがむ。かと思うと突然、両腕を聖夜の首に絡めて引き寄せた。

 動いた拍子に刃が麗の首筋を傷つけ、赤い血が滲む。唇が聖夜のそれにふれた。

 過激で濃厚な口づけだった。聖夜はナイフを持つ手を下ろし、麗に身を任せた。

 官能的なキスが聖夜の魔性を刺激する。目覚めたばかりの本能が、麗の身体を流れる血の道をはっきりと見せる。規則正しい心臓の鼓動が耳の中で大きく響く。

 痺れるような感覚に全身の力が抜け、聖夜はナイフを落とした。麗は唇を離した。

「いいのよ。わたしの血がほしければ、飲んだって」

 麗は、聖夜の顔を首筋に導いた。傷口から滲む血の香りが甘く誘惑する。聖夜の中のヴァンパイアが外に出ようとする。

「あなたは新しいブラッディ・マスターでしょ。だったらわたしをヴァンパイアにして。永遠の命をちょうだい」

「ぼくじゃ……なくて、ドルーに頼めば……いいじゃないか」

「待ちくたびれたの。もう五年よ。このまま年を取って醜くなるなんてごめんだわ」

 麗はドルーを見限って聖夜の側につこうとしている。自分の美を永遠にするために手段を選ばない。その浅ましさに嫌悪する一方で、聖夜は麗の誘惑をふり切る自信がなかった。

「ぐ……」

 牙が伸び、ヴァンパイアの血が鮮血を求めて暴れようとする。全力で(あらが)う。

「そこまでにしておくのだな」

 階段の上から、ドルーの声がした。聖夜は麗から身体を離した。

 ドルーは一段一段ゆっくりと降りてくる。麗は自分の首筋に手をあて、顔を恐怖にゆがめた。

「やめることはない。なぜこやつの喉に牙をたてないのだ?」

 ドルーは麗の正面に立ち、彼女のあごにふれた。麗の顔は恐怖の色がさらに強くなり、全身が小刻みに震える。

「そうか。もう五年も待たせたか」

「は、はい……」

「待ち切れないから、あのダンピールに(くら)替えか?」

「いえ……決してそんなつも……ぐっ」

 震える赤い唇に、ドルーが自分のそれを重ねる。聖夜は力なく壁にもたれたまま見ていた。

 ドルーの口づけは麗を狂わせる。

 巧みに快楽を引き出す吸血鬼のキスに、人間の女がひれ伏す。欲情を刺激され、身体を震わせる。唇の隙間からうめき声と、熱い吐息をはく。麗は、かつて夢の中で見た女たちと同じ姿で、快楽を逃すまいと必死だった。

 これがヴァンパイアの口づけだった。刺激的で官能的だ。

 半分残された人間の本能は、魔性の行為に恐怖を覚える。残りの半分は、目の前で繰り広げられる行為に、胸の鼓動を高め、歓喜に身を震わせようとしていた。

 ドルーは麗の首筋まで唇をはわせた。目が妖しく光り、鋭い牙が伸びた。

「ああっ」

 ドルーの牙が皮膚を切り裂くと、麗が喜びの悲鳴を上げた。恍惚(こうこつ)とした表情をうかべ、ドルーのあたえる快楽に酔いしれる。

「あ……う……」

 麗の顔から血の気が引く。そのころになってようやくドルーは唇を離した。そして耳元で囁く。

「生死も意志も、マスターに支配される。それでもよいか?」

「……ええ」

「日の光と決別し、闇の世界で、生きることも死ぬことも自分では選べない。未来永劫それが続いてもよいか?」

「若くて輝ける時間なんて、まばたきほどの瞬間しかない。それを永遠にできるなら、すべてを捨てたっていい」

 身体をドルーにささえられながら、麗の弱々しい声がつぶやくように語った。

「そうか……」

 瞬間、ドルーがなにかを思い出すように、遠い目をする。過ぎ去ったときの彼方においてきたなにかが、とうに忘れたはずの感情を呼び覚ます。

「ならば、飲むがいい」

 ドルーは自分の胸元をはだけ、鋭い爪で皮膚を切り裂く。傷口からブラッディ・マスターの血がにじみ出た。

「闇の世界への、片道切符だ」

 麗の顔を傷口に近づけ、唇に流れる血を含ませる。赤子が乳を飲むように、麗はドルーの血をすすった。やがて飲み疲れたのか、麗は唇を離して、ドルーに身体をもたれかけた。

「始まったか」

 ドルーは麗を抱き上げて、すぐそばのゲストルームに入り、ベッドに横たえた。

「次に目覚めたときは、麗もヴァンパイアの仲間だ。おまえもこちらにこないか」

 ドルーは聖夜をふりかえった。

「おまえはブラッディ・マスターだ。わたしの血を飲んだとて、スレーブになるわけではない。自分の意志で行動できる。だれからも支配されない。数少ない、自由なヴァンバイアになれる」

 聖夜に手を差し出す。

「ともに、永遠の時間を生きようではないか」

「断る」

 聖夜はドルーの手を払いのけた。

「ぼくがここにきたのは、吸血鬼になるためじゃない。おまえの命を貰い、母さんを解放するためだ」

「命を貰う、だと?」

 ドルーはしばらく言葉をなくし、やがて大声で笑い始めた。

「ぼくはダンピールだ。吸血鬼を倒す能力を持った者だ。それを忘れたのか?」

「だれにそんな話を吹きこまれたのか知らないが、愚かな思いちがいをしているな。昨日までただの人間だったおまえに、その力が操れるか? 自分の能力を過信していることすら解らないのか」

 ドルーがいきなり聖夜の頬を殴った。吸血鬼の力は強く、その勢いでドアを破り、廊下に投げ出された。

「もう一度聞く。我らの世界にこないか? 一度知った血の味は、なにがあっても忘れられない。おまえはもう、人間社会では生きられないのだぞ。家畜の中で、家畜と対等に生きるなどできるわけがない」

 壁に打ちつけられて、全身が痺れている。目を開けると、そばにドルーが立ち、見下ろしていた。

 人間には戻れない。人間社会では生きていけない。

 夜に息づく魔物たちの世界。聖夜はその扉を開け、足を踏み入れてしまった。もう二度と引き返せない。

 ドルーは動けないでいる聖夜に手を伸ばした。

「父として、おまえをこちらの世界に導いてやろう。新たなるブラッディ・マスターの誕生だ」

 一度は命を奪おうとしながら、血のつながりで縛ろうとするのか。今になって父親面するつもりか。

「あなたは父じゃない。ぼくを育ててくれた父さんが、本当の父だ」

 ――心配しないで。今夜は無事に帰ってくるよ。

 月島と交わした約束は忘れていない。なにがあってもドルーの手は取りたくない。

 ――無事で帰ってこいよ。おまえは我々の希望だからな。

 不意にレンの言葉が脳裏をよぎる。

 夜の世界に半分身をおいた自分を、待っている人たちがいる。

「ぼくの生きる場所は、夜の世界じゃない」

 聖夜はドルーの手を取らず、自力で立ち上がった。全身の痛みと痺れは短時間で消え、なにごともなかったかのように、普通の状態に戻っている。これがダンピール、そして吸血鬼の回復能力なのか。

「交渉決裂か」

 抑揚のない声が響き、聖夜は首に手をかけられた。

「軽く力を入れるだけで、すべてが終わる。ダンピールといっても、あっけないものだな」

 力を入れようとしたそのとき、聖夜は胸元を飾る十字架のネックレスを引きちぎり、ドルーの手にあてる。ヴァンパイアの皮膚が焼け、聖夜の喉にかけられた手が引っ込められた。

 間入れず杭を手にし、胸に突き立てる。ドルーは一歩下がってかわし、聖夜をおいて走り去る。飛び込んだ部屋には、壁にかけられた剣があった。聖夜の頬を傷つけた刃だった。ドルーはそれを手にした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=353044794&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ