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黄昏に立つ少年  作者: 須賀マサキ


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20/32

八(その二)

 朝になった。

 目覚めた流香に、月島は昨日のできごとを尋ねた。だが流香は、警察に話した以上の内容は語らない。態度のよそよそしさに、なにか大切なことを隠されているような気がしてならなかった。

 月島が出勤しているあいだに、流香はひとりで退院し、聖夜も引き取っていた。夕刻になって帰宅したとき、月島がすべきことはなにも残っていないくらいに、流香はすべてをこなしていた。じっとしているより行動していたほうが、余計なことを考えて不安に襲われないのだろう。昨日の今日では無理もない。だからこそ今日は、授業を終えたらすぐに帰宅した。月島は昨夜の決意を忘れてはいなかった。

 日が沈み、夜が訪れようとしていた。流香は神経質になっているのか、日暮れとともに戸締まりを何度も何度も確認し、窓のシャッターを下ろした。

「同じ家に二日続けてくる強盗なんていないよ。それに今夜はおれもいるんだ。そう心配しなくてもいいさ」

 月島は安心させようと、ココアを淹れたカップを手渡した。受け取って一口飲んだ流香は、息とともに不安も吐き出したのか、少しおだやかな顔つきを見せ、聖夜の寝ているベビーベッドのそばに立った。

「お隣の奥さんがさ、聖夜のことを大物だって言ってたよ。あんな大変なことがあったのに、すやすやと眠ってるってさ。将来が楽しみだね」

 流香は月島の言葉で笑顔を取り戻した。そして眠っている聖夜の頭をそっとなでる。

「将来か。この子は大きくなったらどんな人になるのかな。秀貴さんに似たら、学校の成績は抜群。リーダーシップのある、積極的な子になるわね」

「おれに似る?」

「秀貴さんと血のつながりはないかもしれない。でも聖夜はまちがいなくあなた似よ。絶対、無事に育ってくれる。平凡でもいいから、普通の人間になってくれる、そうよね」

 すがりつくような目で、流香はこちらをじっと見つめる。こんなときになにを言いだすのだろう。月島は流香の意図が解らない。

「平凡な普通の人間も悪くないけど、どうせならでっかい夢をかなえるような人になってほしいな。自分の信念をもって、これと決めたらあきらめることなく、積極的に挑戦するような子になってほしいよ」

 流香はこんな言葉を聞きたくて話し始めたのだろうか。いや、そうでないことは直感的に解る。だが真意はつかめない。

 流香はベッドの中の聖夜を見て、寂しげな笑みを口元に浮かべた。

「普通の人間だったら、そんな生き方もできるのね」

 だれに聞かせるでもないつぶやきが、流香の口からもれる。その言葉が月島の胸にひっかかった。

 瞳に浮かぶ悲しげな色よりも、聖夜が実の子ではないという事実よりも重いなにかがそこにある。

 ――普通の人間だったら。

 言葉の裏に隠されたものを、月島は想像ができない。が唐突にある考えが浮かぶ。

 昨夜の事件は強盗騒ぎではなく、聖夜の実の父が関係しているのではないか。

 月島は、聖夜の父親のことをなにも知らない。流香にプロポーズしたときに、そのことにはふれまいと決意した。流香が話したくなったらいつでも聞くだけの心の準備はしてある。だが自分からその話題を絶対に出さない。流香が一生語らないつもりなら、それでもいいと思っていた。

 だが今の会話で、決心が崩れかかった。そのとき。

 流香が目を見開いて息を飲んだ。かと思うと急いで眠っている聖夜を腕に抱きあげる。眠りから起こされた聖夜は、あたりを見まわしながらも泣きはしなかった。

「どうしたんだよ、そんなにあわて――」

 流香にかけようとした月島の言葉は、けたたましい破壊音で中断された。ふりかえるとリビングのシャッターと窓ガラスが壊され、そこに青年が立っている。

 年のころは二十歳前後。月光を思わせるような冷たい輝きを持つストレートの銀髪が人の目を惹く。透けるような白い肌と鋭いまなざしを持ったエメラルドの瞳が、西洋系の高貴な血筋を連想させた。そんな人物がリビングの窓ガラスとシャッターを破壊し、侵入してきた。紳士的というにはほど遠い行動だ。だがどうやって破壊したのだろう。

 床に散らばるガラスの破片を踏み、青年は土足で家に上がり込んだ。

「だれだ、きみは。他人の家を訪問するマナーを知らないようだな」

 月島は流香と聖夜をかばうようにして、相手を威嚇(いかく)しながら踏み出す。だが青年は月島を見向きもしないで流香の横に立った。

「それが例の子か。泣き声ひとつ上げないとは、さすがだ」

「昨日も言ったでしょ。聖夜はわたしとそこにいるあの人との子供よ。あのときの子は流産した。この子は人間よ。あなたたちの血なんて引いてない、普通の子供よ」

「そんな嘘が通じるとでも思ったか。そこにいるのは我らの血を引くもの。同胞なら一目でわかる。そして――」

 青年は月島を無視し、聖夜のか弱い喉に手を当てた。

「仲間でもあり、もっとも忌むべき存在だ」

 聖夜が火のついたように泣き始めた。流香は青年の手を払いのけ、聖夜をかばうように背を向ける。月島は青年と流香のあいだに立った。

「言いがかりはよしてくれ。この子はおれたちふたりの子だ。なにが目的か知らないが、あまり妙なことをするようだったら警察に……」

 月島の言葉が途切れた。青年のエメラルドの瞳に射抜かれたとたん、金縛りにあったように身体の自由がきかなくなった。そして立っていることもできず、力なく床に崩れ落ちる。倒れたまま身動きもできず、青年と流香のようすを見るしかできない。

「邪魔しなければ、流香、おまえとここにいる者の命くらいは助けよう」

 青年は流香に歩み寄る。恐怖を感じて聖夜が泣き叫ぶ。流香の額から汗が流れた。だが決して青年の目を見ようとはしない。

「気丈だな。我らと対峙したときのことを知りつくしている。あの者に教えられたか」

「でもゆうべは油断した。まさかここまで追ってくるなんて、思いもしなかった」

 青年は流香のあごをつかみ、そむけた顔を正面に向けさせた。強く瞳を閉じて流香は抵抗する。胸元で十字架がきらめいた。

「まだ身につけているのか。昨夜、はずさせたのに」

「あなたたちと渡りあうには必要な護符よ」

「スレーブには効果があるだろう。だがマスターに効き目などない。無駄な抵抗、気休めにもならぬ」

 青年の手が再び聖夜の喉にふれる。聖夜の泣き声が止まった。小さな身体は、自分に向けられる殺意を感じ取り、恐怖で泣くことすらできなくなった。

「もう一度訊く。子供を差し出すか。それとも拒否し、親子ともども命を落とす道を選ぶか」

 エメラルドの瞳をした悪魔が、氷のような視線で流香をじっと見つめた。

 大切な家族に手を出させはしない。

 流香と聖夜を守れないで、なにが幸せにするだ。

「や、やめろ……せ、聖夜と……流香から、はな……れろ。ふた、りとも……渡さない……ぜっ、たいに……」

 月島は力をふりしぼり、侵入者に向けて言葉を発した。

「ほう、少しは動けるか」

 青年は意外そうに、あごに手を当てて月島を見下ろした。

「よほどふたりが気にかかるというのだな」

 青年は足元に横たわる月島を一瞥した。

「流香よ。この者に免じて、今宵はこのまま消えよう。明日もう一度くる。そのときまでに心を決め、別れをすませておくのだな」

 青年は夜の闇に同化するように姿を消した。

 同時に月島は、身体の自由がきき始めた。大きく息を吸い込み、呼吸を整える。少し落ち着いたところで流香に声をかけた。流香は青年が姿を消した方角を見つめたまま、立ちつくしている。

「今のはいったい」

 ベビーベッドで身体をささえながら月島はゆっくりと立ち上がった。入れ替わるように、流香の身体がぐらりと揺れる。

「危ないっ」

 床に崩れ落ちそうになる寸前に慌てて流香の身体をささえ、ゆっくりとソファーに横たえる。母親の腕で泣いている聖夜を抱きかかえ、月島は優しく背中をなでてやった。すると赤ん坊は泣きやみ、指をくわえたまま月島のシャツのボタンをいじり始めた。

 しばらくあやしているうちに聖夜は眠りについた。起こさないように注意しながら、月島はベビーベッドに寝かせる。ソファーで横になっている流香の意識はまだ戻っていない。あれからずっと瞳を閉じたままだ。

 荒れ放題のリビングでなにもできないまま、月島はまんじりともせず一夜を明かした。


 翌朝月島は、学校を休んでリビングの後始末を始めた。

 昨日の件で尋ねたいことは山のようにある。だが流香は月島が片づけで動きまわっている隙をついて、なにも告げずに出かけてしまった。仕方なくひとりで聖夜の世話をする一方で、業者を呼んでガラスを入れ替えてもらうなど、家の中を元通りにすることに専念した。下手の考え休むに似たり。ならば逆に身体を動かしているほうが余計なことに気を取られずにすむ。それが月島のモットーでもあった。

 リビングがほぼ元の姿に戻ったころ、流香が帰宅した。

 月島は、今度こそ昨日のことを説明してもらうつもりだった。しかし次々と投げかけられる疑問に、流香は口をつぐんでなにも答えない。そればかりか夕刻になると、雨の降る中、月島と聖夜を無理やり教会につれ出した。

 そこは聖夜を産んだ産院のそばにある教会だった。聖夜が生まれて以来、流香がずっと通っていたことを、月島はこのとき初めて知った。

 壁に飾られたキリスト像に、慈悲深い表情をしたマリア像。神々しいものたちに囲まれてなお、流香の心は不安にさいなまれている。

 月島は聖夜を抱いたまま、改めて流香に問いかけた。

「どうしたんだ。昨日からおかしな行動ばかりとって。少しは説明してくれよ」

 流香は唇を噛んだまま一切答えようとしない。さすがの月島も苛立ちを抑えられなくなった。

「わかった。流香がどういうつもりか話してくれない以上、茶番につきあう気はない。おれは聖夜をつれて帰るよ」

 われ知らず声に(とげ)が含まれる。

「まって、秀貴さん」

 教会を出ていこうとする月島を流香が止めた。やっと事情を話す気になったかと期待してふりかえる。だがやはり、なにかを言いかけては止めることを繰り返すばかりだ。

 そばで見守っていた神父が月島の気持ちを察し、流香に話しかけた。

「命をかけるつもりでいるのなら、月島さんにすべてを話さなければなりませんよ」

「命をかけるだって? 冗談だろ。なに言ってるんだよ」

 稲妻が光り、雷鳴が教会の中まで(とどろ)く。外は梅雨明け直前の激しい雨に変わった。

流香は今にも泣きだしそうな目をして、月島の顔をじっと見つめる。かと思うと目をそらし、うつむいたまま、神父に語りかけた。

「でもわたしは、このふたりをまきこみたくない。すべてはわたしひとりの罪であって、秀貴さんも聖夜も関係のないことなのです」



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