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七(その一)

     七


 冷たい雨が降り続いている。

 夜更けすぎに降り始めた雨は、街をしっとりと濡らす。霧のような雨で霞んだ公園を街灯がほんのりと照らしていた。ひとり屋根の下でベンチに座り雨宿りをしている人影にも、淡い光が届く。

 凍える手に吹きかける息が白く凍った。マフラーとコートに包まれていても、寒さが身体の芯まで凍えさせる。夜明け前に、雨は雪に変わるかもしれない。それでも聖夜は、父のいる家に帰りたくなかった。

 こんな事件の渦中にいて、受験勉強に専念しろと言う父が理解できない。不自然な形をとってまで言いたくない内容とは、いったいなんなのか。

 父親が話せない、隠し通したい事実。やはり自分は――。

 最悪の結論に達しかけたとき、聖夜の足首になにかがふれ、考えをさえぎった。驚いて視線を落とすと、足元に子猫がいた。こちらを見上げてにゃあと鳴く。聖夜の顔がふっとほころぶ。

 聖夜は子猫を抱き上げ、ベンチに座らせた。ハンカチを取り出し雨に濡れた身体を拭いてやると、子猫は毛づくろいを始めた。

 生まれて半年にもならないアメリカンショートヘアだ。よく人に懐いている。迷子の飼い猫かと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。首輪が外された跡が残っているし、飼われているにしては汚れがひどい。どんな理由か定かではないが、飼い主に捨てられたのだろう。

「おまえもひとりなんだね」

 聖夜が頭をなでてやると、子猫は額を手のひらにすりよせ、喉をごろごろ鳴らして喜んだ。

「おいで」

 聖夜は子猫を抱え、膝に乗せてマフラーでくるむ。

「あったかいね、おまえは」

 マフラーの中で子猫は体勢を整え直し、やがて落ち着くと、小さな目を閉じて安心したように眠りについた。

 不意に街灯の明かりがさえぎられ、足元に人影が伸びる。見上げるとそこに黒ずくめの青年が立っていた。歳のころは二十代なかばだろう。知的な雰囲気をもった人物だ。

「月島聖夜くん、だね」

「あなたは?」

「わたしは柴崎レン。ドルーに、きみをつれてくるようにと言われました。あちらに車を用意しています」

「ではあなたも吸血鬼?」

 聖夜は警戒する。だがレンは息を吐くようにふっと笑って答えた。

「わたしは人間ですよ」

「まさか」

 昼の世界と夜の世界の住人が協力するなど、聖夜は思いもしなかった。しかも相手は女性を次々と手にかけている殺人鬼だ。

「夜ですからね。太陽が出ていないから、信じていただけませんか」

「いえ、そんなわけでは」

 とまどう聖夜の手をとり、レンは自分の手首に当てる。

「脈があるのは解りますか?」

 そこにはたしかな鼓動があった。そしてレンの身体には、人間らしい温もりがある。

「ならどうして、ドルーの手下に?」

「質問攻めですか。今は勘弁していただきたいですね。話せることばかりではありません。それにあなたのその態度は紳士的ではないですよ」

 苦笑混じりのレンにたしなめられて、聖夜は自分に配慮が足りなかったことを恥じた。

「気にしなくてもいいですよ。この状況で質問するなという方が無理です」

 穏やかな口調と配慮ある態度、そして吸血鬼ではないという事実に、聖夜の警戒心が消えた。

「どうなさいますか? わたしとしては、ついてきていただけたら助かるのですが」

「でも……」

 敵の懐に飛び込む決心がつかない。

「いろいろと知りたいことがあるのでしょう。きみのお父さんが答えてくれないことも、ドルーなら答えられる。それに葉月さんのことも気になるでしょう」

 聖夜はハッとして、レンを見た。

「葉月は、彼女は今どこに?」

「心配いりません。わたしが保護しています。落ち着いたら会うこともできますが、しばらくは我慢してください。彼女の身の安全のためにも」

 会いたい気持ちは強い。だが今の自分に、葉月を守り抜くことはできそうにない。

「……そう、ですか」

 悔しいが、保護されているという言葉を信じるしかないだろう。

「で、ついてきていただけますか?」

 穏やかな笑みには裏があるようには思えない。それでも迷いが断ち切れないでいると、

「彼とて今すぐきみをどうこうするという意志はありません。ただ会って話をしたいと言うのでお迎えにきたのですよ」

 と重ねて懇願された。父への信頼をなくした今、こちら側に残る意味もない。

「……わかりました」

 聖夜は膝に抱えた子猫を、マフラーごとベンチに下ろした。レンについて歩きだそうとすると、子猫は物悲しそうに鳴く。聖夜はふりかえり、

「心配しないで、朝には戻ってくるよ」

 と頭を優しくなでた。



 車に乗せられて着いたところは、街はずれにある古い洋館だった。映画に出てくるような人里離れたところで、あたりに人家はない。ここだけが別世界のような印象を残す館だ。

「どうぞ。ここはわたしの別荘です。彼らのために用意しました」

 レンは扉を開け、聖夜を中に招き入れた。

「用意ってそんな簡単に……」

「わたしにはそれなりの財力がありますからね」

 うしろをついていく聖夜にふりむきもせずに説明する。

「こちらです」

 聖夜が通された客間は、欧米の映画に出てきそうな造りだった。広い部屋の中央にはテーブルとソファーがおかれ、部屋の一角には大きな暖炉が備えつけられている。建物全体が冷え切っている中で、そこだけが暖かく、人の命を感じる。聖夜は炎の前に立ち、冷え切った身体を温めた。

 霧のような雨はずっと降り続いている。窓の外、門柱の明りだけが遠く宙に浮いて見えた。

「聖夜、やっとわたしの元にきてくれたか」

 唐突に声をかけられてふりむくと、昨夜出会った銀髪の青年ドルーが扉のそばに立っている。聖夜と目があうと、影のように音もなく室内に入ってきた。反射的に緊張して身構える聖夜にソファーを勧め、自分も正面に腰掛ける。

昨夜のような邪気は感じられない。本当に彼は吸血鬼なのかと、疑問に感じるほどだ。

「お待たせしました」

 ひとりの女性が赤ワインを持ってきた。二十代前半で、派手な顔立ちと整ったスタイルが、ファッションモデルを連想させる。自分でもそれを意識しているのか、スタイルのよさを強調するような服に身を包んでいる。

 女性がワインをそそぐ。暖炉の炎がグラスに反射し、ゆらゆらと不安定に揺れた。ドルーが女性を下がらせ、客間はふたりになった。

「麗を、今の女性をどう思う?」

「え、ええ。きれいな人ですね……」

 ドルーの唐突な質問に、聖夜はとまどう。相手の真意をはかりきれずに、無難な返事しかできない。

「麗は自分の美に貪欲な女だ」

 ドルーはワイングラスを手にした。優雅な身のこなしとあの残虐性がどうしてもつながらない。

「今の美しさを永遠にするために、わたしのもとにきた。家族を犠牲にして」

 聖夜は眉をひそめた。犠牲という言葉から、どうしても残酷で血生臭いものを連想してしまう。

「女としてもっとも美しいうちに、永遠の命を手に入れようとしている。未来など必要ない。今にすがりつくことだけを考えている」

 ――今が幸せだから、今のままでいたい。

 美奈子の言葉を思い出し、聖夜の胸に鈍い痛みが走った。

「それであなたは、永遠の命を与えたのですか?」

「首筋に小さな傷が残っていただろう。麗は人間のままだ」

 ドルーの口元が妖しくゆがむ。

「毎夜わたしのもとを訪れて、その身を差し出す。今宵こそ永遠の美と命を手にしようとしてな。太陽の下で自由に生きる一生より、スレーブとして夜の世界に生きることを望んでいる」

 永遠の命を餌にして人間を食い物にする。やはり目の前にいるのは人間とは異なる生き物だ。

「美の規準ほどいいかげんなものはないということが、麗には解っていない。時代や文化に左右され、絶対というものはないのだからな。今の自分の美しさが、いつまでも受け入れられるなど、ただの幻想にすぎない」

 ドルーは麗を哀れむ。

「永遠に変わらないものなどこの世にありはしない。我らとて不死身ではないのだから」

「それでもぼくたち人間とはちがい、老いることも死ぬこともありません」

「ヴァンパイアを滅ぼそうと、我らの命を狙う者はいつの時代にも存在するからな」

「でもあなたたちは、自分の意志で簡単に仲間をふやせます。それに人間が倒すには、力の差が大きすぎる。刺客がきても、殺すか仲間に入れれば、ほぼ無敵じゃないですか。そんなに簡単に滅びるとは思えません」

 聖夜にはドルーの言葉の意味が理解できなかった。

「血を与えることで仲間になったものたちは、わたしとは根本的にちがう。彼らはブラッディ・マスターのもとでスレーブになるだけだ」

「ブラッディ……マスター?」

 その言葉を耳にするのは二度目だった。

「なんですか、ブラッディ・マスターというのは」

 聖夜は身をのりだした。

「ヴァンパイアにはふたつの種族に分けられる。ひとつはスレーブと呼ばれる、元は人間だった者たち。もうひとつは生まれながらのヴァンパイア。それがブラッディ・マスターだ」

 ドルーはワインを飲み干し、言葉を続ける。

「ブラッディ・マスターとスレーブ。そこには主従関係が存在する。血を与えられてヴァンパイアになったものは、意志や行動、さらに生死にいたるまでマスターの手ににぎられている」

 ――あたしには、自分の意志で動くことは許されない。

 美奈子のあの言葉は、こういう意味だったのか。

「血の交換でスレーブはふえても、ブラッディ・マスターは生まれない。だが不幸なことに、ヴァンパイアの女性に生殖能力はない。純血種をふやす唯一の方法、それは人間の女性とのあいだに子供をもうけることだ。産まれてくる子供は、人間でありながらヴァンパイアの血をもっとも濃く受け継いでいる。その子供がブラッディ・マスターになるためには、血の覚醒が必要だ。タイムリミットは十八歳の誕生日。その日までにヴァンパイアの血が覚醒しなくてはならない」

 ――まさかブラッディ・マスターだったなんてね。

 吸血鬼の母と人間の父。そのハーフ――いや、ちがう。吸血鬼の女性には生殖能力がない。ではどうして美奈子は聖夜をブラッディ・マスターと呼んだのか。

 導かれつつある結論を、聖夜は直視できない。重すぎる事実に全身が震えそうになる。

 ドルーが聖夜のそばに移動した。冷たい手のひらが、慈しむように頬を包む。細くしなやかな指が首筋をすべり、爪が皮膚を切り裂いた。痛みを感じながらも、聖夜は声を上げることができない。ドルーは首筋の傷に口づけ、流れる血を受け止めた。

「甘い……酔いしれる……おまえの身体を流れる血は、極上のワインよりもすばらしい」

 吐息が頬にかかる。

「わたしが愛した者の血が、おまえの身体の半分を占めている」

 耳元で囁く。

「まさか、あなたは――?」

「おまえはわたしと流香のあいだに産まれた子供。数少ない貴重な、そして新たなブラッディ・マスターとなる者だ」

 ドルーの言葉が聖夜の全身をつらぬいた。

「うそだっ。そんなこと信じられない。ぼくは――」

「真実から目をそらすな!」

 ドルーの声に震えが止まる。聖夜はゆっくりと顔を動かし、耳元のドルーを見た。エメラルド色の瞳が聖夜を射抜く。

「わたしの送るビジョンをおまえは受け、憧れを抱き、同じことをやりたいと思ったはずだ。女の喉に食らいつき、牙を立てようとした。血の匂いを香しく感じただろう。身体の動きが少しずつ機敏になり、ヴァンパイアを見つける能力も芽生えた。すべて覚醒の前兆だ。ヴァンパイアの血が、目覚めのときを迎えている」

「ちがうっ」

 聖夜はドルーの腕をふりはらった。

「あなたの言葉が真実なら、なぜぼくは父の元で育てられたんですか? あなたたちが両親だっていうなら、なぜぼくを手放したんですか?」

「その質問には、わたしが答えます」

 声が背後で響いた。ふりかえると聖夜の母、流香が扉のそばに立っていた。



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