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五(その二)

 ときを刻む音が、静かな夜の部屋に響く。聖夜と月島は口を開くこともなく、ソファーに身を沈めていた。

 聖夜は胸の奥深くに、言いたいことや訊ねたいことをたくさん持っている。なのに切りだすタイミングがつかめない。父の厳しい表情は、外部との接触を全て拒否しているようにも見えて、どうしても声がかけられない。

 聖夜の焦りをよそに、時間だけが静かにすぎていく。

 やがて東の空が白くなり、小鳥のさえずりが聞こえ始める。聖夜はソファーを立ち、リビングのカーテンを開けた。庭に植えたハーブにうっすらと降りた霜が、今朝も冷え込んでいることを告げていた。

「コーヒー淹れようか?」

 聖夜はやっとの思いで月島に声をかけた。いつもと同じように振舞うことで日常を取り戻したかった。

 父がうなずいたことにひどく安堵感を覚え、聖夜はチューナーのスイッチを入れて、キッチンに入った。インターネットラジオから、クリスマスの風景を描写した優しい歌声が響いてくる。

 コーヒー豆を挽きながら、聖夜は昨夜のことに思いを馳せていた。

 一連の事件を起こしたのがドルーという吸血鬼なら、なぜ聖夜がそれを夢に見たのだろう。父はなぜ彼を知っているのか。死んだはずの母が、なぜ吸血鬼になって生きているのか。自分はだれに似ているというのか。

 そしてあの吸血鬼が言った『我らの血を引く者』の意味は。

 頭の中に、絶え間なく疑問が浮かんでは消えていった。

 いくつかの答えは、父が知っているにちがいない。だが質問したところで、素直に答えてくれるとは思えなかった。

 それでもここまで至った今となっては、なにもなかったふりはできない。すべての出来事に目を閉じてこれまでの生活に戻るには、多くのことが起きすぎた。いくつもの命が犠牲になり、聖夜はすべてのことに否応なく、深く関わってしまった。

 たったひとりで立ち向かわなくてはならないと思っていた。だが身近にいる父がこのことに関わっていたのはうれしい誤算だ。

 互いに協力すれば、すべてがいい方向に解決するかもしれない。八方塞がりの闇の中、わずかな希望が生まれる。

 聖夜はサイフォンに火を灯し、青白く揺れる炎をじっと見つめた。

 母に似た少女を犠牲にし、邪悪な笑みを浮かべ、勝ち誇ったような顔をした吸血鬼。その姿が炎に重なって浮かぶ。

 自分の進むべき一筋の道が、はっきりと見える。

 聖夜は覚悟を決めた。

 孝則の身に起こったこと。自分を悩ましてきた夢のこと。それらすべてを父に語ろう。そしてふたりで力を合わせて、吸血鬼を倒そうと。

 聖夜がコーヒーカップを手にリビングに戻ると、そこには、目を閉じ腕組みしている父の姿があった。

「コーヒー、入ったよ」

 いつもと変わらぬ調子で声をかけると、月島は目を開け、組んだ腕をほどいた。カップとミルクをテーブルにおき、聖夜は父の正面に座る。月島は出されたコーヒーを一口飲み、背もたれに身体をあずけると目を閉じて息を吐いた。

 その姿に聖夜は初めて、父の疲労に気がついた。

 よく見ると、目の下に少し隈ができている。ここ数日ろくに眠っていないのだろう。父の何気ないしぐさと顔にきざまれた苦労の跡が、聖夜の胸に罪悪感をもたらす。

 そんな父を見ると、聖夜は無神経に質問をぶつけられなくなった。少なくとも今は避けるべきだ。これ以上父に負担をかけてはならない。休養が必要なのは聖夜ではなく、月島のほうだ。

「孝則くんの事件を話してくれないか」

 唐突に月島が聖夜に問いかけた。

「父さん、気づいてたの?」

「話してくれ」

 月島はもう一度問いかけた。とまどう聖夜に、厳しいまなざしが向けられる。興味本位の質問ではなく、真剣そのものだ。

 父の体調を心配して一度は話すことをあきらめた聖夜だった。だがその父から逆に促された。

 聖夜は腹をくくり、すべてをあますことなく語った。

 ひと通り話し終えると、カップに残ったコーヒーを飲み干す。温かかったそれは、すっかり冷めていた。

「それで流香の十字架を外したのか」

「母さんには悪いと思った。でも、それしか思いつかなくて」

 あの十字架が孝則を守ってくれるだろうか。二日前のSOSのあと、なんの連絡も入っていないことが、聖夜の心に暗い影を落としている。

 月島は自分の首にかけた十字架を外し、聖夜にかけさせた。

「父さん?」

「聖夜。今すぐこの件から手を引け」

「……え?」

 聖夜は一瞬耳を疑った。

「父さん、今、なんて……?」

「この件から手を引けと言ったんだ」

 いつも穏やかな月島が、めずらしく厳しい口調で聖夜に命令した。

「手を引けって、そんなことできないよ。孝則は今も苦しんでるんだ。いや、孝則だけの問題じゃない。これはぼくの問題でもあるんだ」

 月島はなにも言わず、厳しい顔で聖夜を見ている。

「あの人たちはぼくを捜しにきたんでしょ。もしかしたら、孝則も美奈ちゃんも……それだけじゃない、殺された人たちみんな、ぼくのまきぞえになったのかもしれないのに」

 認めたくない事実だ。それを思うと自分ひとりが安全な場所にいてはいけないと感じる。

「では聖夜、おまえになにができる?」

「なにがって……」

 興奮気味の聖夜とは対照的に、月島はあくまでも冷静だ。

 吸血鬼となった美奈子と対峙したときに、彼らの恐ろしさは体験した。逃げるのが精一杯の自分が、どうやったら孝則を助けられるのか。

 だが普通の人間である聖夜が手出しできないのと同じく、月島のできることも大差ないはずだ。

「父さんなら、なんとかできるっていうの?」

 月島はなにも答えない。

「どうなの? なにか言ってよ」

 聖夜は声を荒げてしつこく問いつめるが、月島は無視して黙り込み、落ち着いた態度でコーヒーを飲み干した。そしておもむろに立ち上がり、リビングを出ていこうとした。

「知ってることがあるなら、どうして話してくれないの。孝則のことも気づいてたんなら、なぜ協力してくれなかったんだ。ぼくにだけ話させて、自分はなにも教える気がないなんて。父さんは卑怯だよ」

 聖夜は父の背中に向かって叫んだ。それでも月島はふりかえろうとせず、静かにリビングのドアに手をかける。

「父さん、ぼくを疑ってたの? ぼくが吸血鬼だって思ってた? だからなにも教えてくれなかった。そうなんだろ」

 月島の動きが止まった。ゆっくりとふりかえり、肩越しに聖夜を見る。鋭い中にもどこか物悲しげな視線だった。

「そうだ、そうなんだ。母親が吸血鬼なんだ。だったらぼくが吸血鬼でも、不思議じゃないよな」

 月島の眉が、わずかに動く。

「それですべての説明がつく。ぼくが吸血鬼の血を引いてるなら」

 二日前の夜、月島がひそかに尾行したこと。あれは、吸血鬼となった聖夜が事件を起こす現場を抑えるつもりだったにちがいない。父親が人間でも母親が吸血鬼なら、聖夜にその本能が目覚めるのも当然だ。

「ばかなことを言うな」

 ビシャリという音をたて、声とともに月島の手が聖夜を平手打ちした。

 突然のことに聖夜は、打たれた頬に触れることもできなかった。

 温厚な月島は、学校でも生徒たちをひとりの大人として尊重し、決して子供扱いしない。注意するときも声を荒げす、冷静に指導を行う。

 幼いころはいざ知らず、中学生になってからは聖夜のことを大人として尊重し、決して手をあげようとはしなかった。

 そんな父が今、息子の頬をなぐった。

「父さん……」

 自分の取った行動に驚き、とまどうように、月島は聖夜に背を向けた。

「おまえは人間だ。あんなやつらの仲間ではない。吸血鬼の血なんて引いてない。絶対に……」

 しぼりだすような声で、わずかに肩を震わせながら月島がつぶやく。

 とぎれた会話の隙間をうめるように、優しく慈悲深い歌声が、リビングを穏やかに満たした。

 聖夜はゆっくりと自分の頬に手を当てた。なぜだろう。たたかれたところが持つ熱は、父の熱い思いが伝わったもののように感じられた。

 そのとき。さらなる厳しい現実に直面させるように、ぶしつけな音が鳴り響いた。リビングにおいてある電話だ。受話器を取るべきか迷う一方で、吐き気を伴うようないやな予感がする。

 聖夜は恐る恐る電話に出た。

 受話器の向こうから伝えられた事実が、聖夜に衝撃を与える。青ざめた表情で電話を切り、聖夜は声を震わせながら月島に伝えた。

「葉月が、今朝起き上がれないって。極度の貧血だっていうんだ。まさか葉月まで?」

 聖夜の膝が震える。まともに立っていられるのが自分でも不思議なくらいだ。

「わかった。渡瀬さんも孝則くんも、わたしがなんとかする」

「父さん」

「おまえは普段と同じように登校しろ。いいか、これは父親として、そして教師としての命令だ」

「いやだ」

「聖夜っ」

「葉月までまき込まれようとしてるんだ。黙って見てるなんて、ぼくにはできない。力不足でもいい。葉月を守りたいんだっ」

 聖夜は父のそばを走り抜け、リビングを飛び出した。背後で月島の静止する声がする。それを無視して聖夜は病院に向かった。

「ぼくは自分の意志で行動する。だれの指図も受けない」

 葉月を失いたくない。父と決別しても、葉月が無事でいてくれればいい。

「そのためにも、絶対に吸血鬼にはさせない」

 聖夜はそう心に誓いながら、冬の凍える朝の中、自転車を走らせた。





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