森と遺跡と長い手紙と その1
ここから長いです。書簡体とはいったい……
拝啓。
いよいよ卒業と魔法大学の入学試験の日が近づいてきました。差し迫った状況だというのに、私はこうして勉強の合間に魔王さまへのお手紙を執筆しています。
やらねばいけないことがあるのに、別の何かに夢中になってしまうこの現象は何なのでしょうか。
勉強へと捧げられるはずの集中力の供物が、まるで水が低いところに流れるように、別の何でもないことに注がれてしまう。勉強という、いわば自分の能力の限界を超えた行為は、自我の上位に位置するため、それに意識を向けるためには自我を凌駕する力が必要になります。人はそれを意志と呼ぶのかもしれません。では意志はどこから生まれるのか……意志は、きっと生活していく中で自我が自ずと生じさせるのでしょう。
つまり自我を凌駕する優れた意志は、環境に拠って育まれる。だから私に大した意志がないのは、私の周りが悪いのです。
私は環境の被害者であります。
そんなことを取り留めもなく考えては集中を切らしております。魔王さまはこんな経験はありますか?
そんなこんなで、今回は色々なことがあり、お手紙がだいぶ長くなってしまいました。これを書きながら、何度も「これ程長い恋文ならば全ての女を意中に出来るものを」と考えずにはいられませんでした。
この間の話の続きです。混乱した場に現れた愚妹が「卒業間際の美女争奪戦」なるものを開催することを勝手に決め、さらに混乱をもたらした、あの後から話は再開します。
進めば進むほど、森は密度を増し、枝や草が肌に触れる度、森が私達の体力を奪っているようだった。
額から汗が絶え間なく流れだし、私はそれをひっきりなしに袖で拭わねばならなかった。傾斜は緩やかと言えど、ところどころに木の根や岩の軽い段差などがあるため、注意して歩かねば躓いてしまうため、気を抜くことができなかった。
濃密に生い茂る木々や背の高い草が熱を放っているのかと思うほど蒸し暑く、また森全体が放つ強烈な草木の香りが、私を息苦しくさせた。私達が辛うじて歩いているのは、山に住まう動物が行き来する中で踏み鳴らされた獣道に他ならない。
春の陽光が、頭上高くまで伸びる木々に遮られ視界は薄暗く、私達はいつ終わるともしれない、到着地の依然として判然としない道程を黙々と歩いた。
それは私に、ある出来事を想起させた。それはある夏の暑い夜のことだった。私は熱湯で満たした樽の中に閉じ込められ、蓋をされ、その上で妹が人々に林檎の木に梨の実がなるのを見たと力説するという理不尽かつ屈辱的な悪夢を見ていた。耐えかねて飛び起きると何故か私の寝床に潜り込んで熟睡する妹と、妹の愛玩動物であるところの森林魔爪熊が私に覆いかぶさっていたのだった。
私は、疲労感に苛まれながら、何故このような憂き目に遭っているのかを思い出す。
「卒業間際の美女争奪戦! これで行きましょう!」
と妹は言った。
「はあ!?」
その場にいる全てのものが、何を言っているんだこいつは、という顔で妹を見つめる。
「美女ってイリスさんはともかく、お前はおこがましくないか?」
私がそう言うと、妹は私に冷たい目線を向ける。
「おこがましくないわ。美女じゃないの。十分以上に美少女じゃないの。育ちが悪いから目が腐ってるのね」
「育ちは同じだろうが!」
「っていうか、あんたはここで何をしているわけ?」
一瞬言葉に詰まった。私はどう弁解するか逡巡した。知らず、冷や汗がこめかみを伝う。まさか私がイリス嬢に懸想していることを察知されることはないだろうが、下手に誤魔化せば怪しまれる。下手に怪しまれて探られれば、鈍感な妹といえども感づくこともあるかもしれない。いや、考え過ぎだろうか。とにかく兄の沽券にかけて、弱みを見せることは何としてでも避けたい。
「あ・や・し・い」
ところがローザはこれ以上ないくらい怪しんでいる。これはもう駄目かもしれないと私は思った。