死後の世界
彼が死んでしまったかどうかは定かではない。
そもそも彼は死んだことを自覚できるはずもなく、死そのものが自覚とは程遠い場所に存在するので、生きていた世界とはまた違う世界にやってきたというほうが正しいかもしれない。
生前の記憶がないことで、混乱はなかった。
混乱はなかったけれど、一体ここがどういう場所なのかという漠然とした不安だけが大きかったのは事実だ。
だから最初に言われた一言がずっと頭から抜けないでいる。
「貴方は死にましたよ。でもまぁ特に地獄とか天国とかそういうのないので、ここで自由にしてください」
まったく意味がわからなかった。
正確には意味はわからなったが、どうしようもないことはわかった。
周りを見渡してみても特に大きな騒ぎもなく、ただひたすらぼうっとしている人たちばかりだった。
彼がまず最初に行ったのはとりあえず誰かに話しかけることだった。
自分に最初に話しかけてきた人がもはや誰かなんてわかるはずもなく、ただ近くにいた人に話しかけてみた。
「貴方も死んだのですか?」
「あぁ、結構前にな」
わりとフランクな人だったので少し安心する。
「なんだお前、死ぬのはじめてか?」
「はじめてもなにも人は一回しか死ねないのでは?」
「まーそうだな。でも俺はたぶん三十回ぐらいは死んでる」
なんでそんなことわかるんですかという質問は無意味だった。
この場所で何を言おうが何を聞こうがはっきりした答えなんてない。
ただひたすら自由という終わりも始まりもないルールが存在するだけなのだ。
「お前まだ死んだばかりだろ。だったらまず生前の自分を見にいったらどうだ?」
「え? そんなことできるんですか?」
彼のその質問自体おかしかったのか、フランクな人は笑ってどこかへ消えていった。
文字通り消えた。彼は何度も目をぱちくりさせるが、もはやフランクな人は見つからない。
適当に歩いてると、大きな画面の前であたふたとしている人たちを数人みかけた。
彼はすぐさまその輪へ近づいていく。
画面には自分が映っていた。
「これは……」
ある人は大声で泣き叫び、またある人は盛大に笑いこけていた。
彼はただ自分の人生が平凡だったことを知って途方に暮れていた。
画面に映っているのが自分だとわかるのに、なぜか自分とは違う別の人生をみせられているような気分だった。
映画をみる感覚に近い。
特に感動するでも落胆するでもなく淡々と見終えてしまったことが辛いのか悲しいのかそれすらわからなかったけれど、自分が死んだことをやっと自覚できた気はする。
「あーまた人を殺したいなー」
すぐ近くで物騒な声が聞こえてきたので振り返ると、腰に刀を携えた時代錯誤な人が自分と同じように大きな画面を見て嘆息している。
彼は思い切ってその刀の人に話しかけてみることにした。
「貴方は人を殺したことがあるんですか?」
「あるもなにもそれが仕事だったしなぁ……」
「罪悪感とか、死んだら地獄に行くとかそういうのはなかったんですか?」
「生きてる時はあったかもしれねぇけどもう死んでるしな。地獄もなかったし天国もなかった。あるのはただの自由だ。これがなかなかどうして不自由なんだなぁ」
刀の人が何を言っているのかサッパリ理解できなかったが、もう人殺しはできないという悩みはなんとなくわかってしまった。
ここにいるのは死んだ者たちだけ。その者たちを殺すには一体どうしたらいいのか。
そんなの考えたってわかるわけがない。死んだ人をもう一度殺すなんて無意味すぎて何が何だかわからないのだ。
またしばらくすると、彼は空を飛んでる人に出くわした。
「貴方はなんで飛んでるんですか?」
彼は飛んでる人にも話しかけてみることにした。
「飛びたいから」
返ってきた答えはいかにもシンプルなものだった。
たったそれだけの理由で飛べるのだから、ここがいかに自由な場所なのか語らずとも伝わっているだろう。
人が飛べるのだから人を殺すことも、もしかしたらできるのかもしれない。
さっきの刀の人にこの事実を教えてあげたいなんて思ったことを少し後悔したけれど、もう一度刀の人に会う方法がわからなかったので、すぐに諦めた。
そもそもなぜ自分が人を人として認識できているのか、そこに疑問を抱き始めた頃、その疑問の答えを持っていそうな人が目の前に現れた。
「なんや。もしかして自分。ここが主観で成り立ってる世界やってこと気づいてないんか」
「主観?」
「そうや。自分はただ自分のみたい世界を見てるだけやで。ワテかて自分の世界しかみえてないしな」
「貴方の世界とは」
「みんな可愛い女の子になってる世界や」
「それはまた何というか……」
自由すぎると彼は思った。
けれど口には出さない。出したところでどうしようもないからだ。
「死ぬってどういうことなんでしょうか」
結局はそこだった。
今見ている世界がすべて主観で出来ているとしたら死ぬことに意味はあるのか。
死んだら全員同じ場所へ行くと思っていた。意識もなにもかもがなくなるとさえ思っていたのに、かなり自由に今までのことも映像で見れるし、自由な価値観を持った人たちにも出会える。
ここはほんとに死後の世界なのか。
「せやなぁ。難しい問題や。生きてた頃はそういったことで一生悩めたかもしれん。でも死んでもうたら悩みもくそもない。ただあるのは本当の自由だけなんや。これが一体どれほどの絶望でどれほどの希望なんかって聞かれたら、ワテはもうどうしようもないから好きにしたらええとしか言えんわな」
何をしても自由。何を考えても自由。考えないのも自由。何もしないのも自由。
つまりそれは生き返るのも自由ということに他ならない。
「あーだから何回でも死ねるのか」
最初には話しかけた人のことを今更思い出す。
疑問が生まれては解決されていくので、ここはそんなに悪くない場所なのではないかとさえ思い始めた。
彼はただ死んだことを受け入れ、死後の世界で自由と言い渡されて本当に自由にしている。
突き詰めれば誰が最初にこんな場所を用意したのか、本当に何をしても自由なのか。そんなのはやってみないことにわからないし、突き止めたところで、何の解決にもならない。
本当にどうしようもないぐらい自由だった。
彼はまた歩き始める。自由にしていい。
それだけのルールがある世界。
それが死ぬということ。
そんな世界がほんとに存在するのかどうか、それさえわからないけれど、とにかく自由にすることしかできなかった。
彼にはそれがすごくおかしく思えた。




