悪魔と謎の生活委員会
穏やかに過ごせた週末が明けた。大道芸フェスティバルも無事に楽しめ、あたしとしては満足だ。しかし、楽しみの後は辛いことが待っている。隣を歩く美月様のほっぺたは見事に膨れていた。
月曜日の朝というのは憂鬱になりがちなのは仕方がないが、原因は別にある。
今週末に行われる鷹津主催のパーティに出ることが、美月様には億劫で仕方ないらしい。あくまで私的なパーティだが、美月様のプレ社交界デビューともいえる舞台だ。当主様も三舟さんも気合いをいれてドレスを見つくろっている。それもまたうんざりの種なのだろう。
「どうせ一着しか着れないんだから、あんなに何着も用意しなくていいのに!」
美月様がそう言っても、使用人含めた白河家一同が美月様を飾ることを楽しんでいるのだから無駄だろう。あたしはまあまあ、と傍からなだめるだけだ。
「やっとドレスが決まったと思ったら、今日は髪飾りとお化粧合わせだって。もうやだ!」
「それだけ張り切っちゃうくらい、みんな姉さん大好きなんだよ」
「アキラは? ずるいよ、一人でぽうっとしてぇ。わたしばっかり振り回されてる」
「ま、あたしは行かないからね」
「ずるーい! こういうときお姉ちゃんだと損だなぁ。アキラがうらやましいよ」
パーティへ出席するのは当主様と美月様のお二人だけだ。だが、もし仮にあたしがパーティへ行くことになっても、衣装合わせなんてことはないだろう。与えられた衣装を着て、必要な役割をこなすだけだ。
「美月ちゃんのドレス姿楽しみ! きっと可愛いよ」
「ありがとう。綾乃ちゃんも行くんだよね、わたしも楽しみだよ」
上都賀さんに励まされ、美月様はようやく頬から空気を抜いた。あたしもほっと気が抜ける。
そんなあたしを咎めるように、不意にポケットのスマートフォンが震えた。画面を見ると、登録したばかりの松島の名前が表示されている。
何事か、とあたしはさりげなく速度を落として美月様から離れて歩く。
「もしもし? もう校門前なんだけど、今更服装検査とか言ったら怒るからね?」
あたしの喧嘩腰の応答に、松島は早口で言った。
『違うよ! でもそっちのほうが良かったかもね』
「は?」
『昇降口で生活委員が白河美月さんと君を待ちうけてる。気をつけて。アレは僕らも手出しできないからさ』
「生活委員?」
『そういうことだから、がんばって!』
「え、ちょっと」
それだけで切れてしまった電話に、あたしはスマートフォンを片手に立ちつくす。何だったんだ。
生活委員?
あたしは記憶している委員会名を頭でなぞるが、そんな名前の委員会は存在しなかったはずだ。
得体のしれない委員会が、美月様を?
美月様はもう校門をくぐってしまった。昇降口はすぐそこだ。
気味の悪さを感じ、あたしは急ぎ美月様の元へ向かった。
「白河美月さんよね。それに上都賀綾乃さん。ああ、今走ってきたのが白河アキラさんで間違いないかしら? 三人は残って、あとの生徒はどうぞお入りになって」
前に立ちふさがっているのは二年生と三年生から成る女子連合五人、皆一様に美しいが、今はその麗しの顔を険しくさせて美月様を見据えている。
昇降口前は普段はごった返しているというのに、生徒たちはこちらをうかがいつつも関わりあいになるのを避けてこそこそと通りすぎていく。
「最近のあなた方の行動について、ちょっとお話があって来たの」
「なんでしょうか」
きょとん、と首をかしげる美月様は愛らしいが、相対する彼女たちはその仕草を愛でる余裕もないようだ。上都賀さんは唇を引き結んだままだ。
「はっきり言わせてもらえば、あなた方は先輩に対する礼儀ってものがわかっていない」
お団子頭のリーダー格らしい女生徒はびしっと美月様の鼻先に指を突きつけた。
「なんでも、生徒会の方々と土曜日にお出かけしたらしいわね」
「あ、はい。大道芸フェスティバルに……」
美月様は真っ向から向けられる敵意にどう反応したらいいのかわからない。というか、そもそも敵意というものがわかっているのかどうか怪しい。
「なぜ、軽々しく御一緒したりしたの?」
「え?」
「いい? 生徒会役員といえば、この学園内では頂点に立つ方々なのよ。まだ入学したての一年生がお声をかけていい相手じゃないの。迷惑をかけるようなマネしてはだめ。秩序が乱れるわ」
「そんな、秩序って……」
「学園の天使とか呼ばれているみたいだけど、それはあの出来そこないと比べての話でしょう。自分が生徒会役員と同じ立場にいると勘違いしているのではなくて?」
「え? え?」
だめだ、美月様、やっぱり理解できてない。
あたしはぐいっと美月様と勘違いお団子頭の間に入りこみ、にっこりほほ笑んだ。
「どーもどーも、出来そこないのほうだけど。あのさ、姉さんに文句言うのって筋が違うんじゃない?」
「あっ、悪魔のほう!」
「なんだっていいけど。アレは生徒会の方々が一緒に行きたいって言いだしてんの。それを快くオーケーした姉さんに、何文句言ってんの?」
「それを断るのが礼儀なのよ。わからないのは仕方ないわ、まだ一年生だもの。だからこうして今の段階で教えて差し上げているの」
「ふうん。姉さんが『白河』だってわかってて言ってるんだ?」
「『白河』だからこそ、こうして注意で済んでいるのよ」
澄まして答えるお団子頭に、残りの女生徒たちはうんうんと頷いて同意を示している。
「あっは、教えるとかウケる。生徒会からお声掛けがないからってヒガまないでよ、バカらしい。正直に言えば? あたしたちがうらやましいって。あー、楽しかったなあ、雨宮様と初瀬様と池ノ内様とのデートォ!」
あたしは両手を合わせてうっとりと眼をつむる。
お団子頭たちはぎりっと歯を食いしばり、きんきんと高い声で叫んだ。
「わたしたちは生活委員よ、バカにしないで! そんな不純な思いは持っていないわ!」
お、出た。謎の生活委員。
「そもそも生活委員って何? そんなのあったっけ?」
問いかけたあたしに、お団子頭はふんっと下品に鼻をならした。
「生活委員を知らないからそういう暴挙ができたのね。納得したわ。生活委員とは、風紀とは別に、デリケートな面の素行について意識向上を呼び掛けている、勇士によって私的に発足した委員会よ」
「なにそれ!? 私的って、ソレ正式に認められてるんですかァ?」
「陰ながら活動してるの! 特に生徒会や役職持ちの方々の学園生活を守るために!」
物はいいようだ。
察するに、無頼から美月様を守るあたしと似たような役目をもっているのだろう。下心をもって近づこうとする輩から役職持ちの生徒を守る委員会。だが、守る相手が多すぎるためかお粗末な活動だ。あたしだったら生徒会自ら美月様を勧誘しに来た時点で動いている。
「余計意味わかんない。行こうよ姉さん、綾乃たん。つまりは生徒会に近づくなって言いたいんでしょー。あーめんどくさ。ハイハイ、すみませんでしたァ」
「……わたしは白河美月さんと出かけたつもりでしたが、結果的に生徒会の方々とご一緒することになりました。今思えばあの場で別れるべきでした、分不相応な振舞いを反省しています」
イエス、綾乃ちゃん模範解答ありがとう。
あたしはバチっとウインクをしてみせたが、完全に無視された。
さ、あとは状況がよくわかっていないであろう美月様を引っ張って逃げてしまえばあとはもう大丈夫……。
「納得できません!」
ああああ、美月様ァ!!
あたしはのけぞって声にならない悲鳴をあげる。そんな奇行に気付かず、美月様は大きな瞳を輝かせている。
「どうして生徒会の先輩たちに近づいてはいけないのですか」
「あ、あなた、さっき伝えたことが理解できていないの!?」
「わたしは先輩たちと普通に遊びに行っただけです、悪いことなんてしていません。これからだって一緒に遊びたいし、お友達として仲よくしていきたいと思っています。それを決めるのはあなた方ではないと思います!」
そうだよねぇ。お友達は自分で決めるもんねぇ。人に指図されてどうこうっていうんじゃないよねぇ。
うん、さすが美月様!
「正直言って先輩方が何を言っているのかよくわからなかったんですけど、アキラがあなた方は生徒会の人とお話したことないって言ってましたよね! ということは、生徒会の人が迷惑だと思っているかなんてわからないはずです! わたしは直にお話して、仲良くしているんですよ!」
お団子もその配下も、顔を真っ赤にして震えている。それはそうだろう、美月様の言葉はつまるところ「わたしとあんたらは違うのよ!」だ。
あちゃー、どうするかな。あたしはのけぞりつつもこの場を回避する方法を探すため必死に頭を回す。しかし、思いつかない。上都賀さんはおろおろと美月様をとめようとするが、ノッてきてしまった美月様は止まらない。
そうだ、と美月様はびしっと指をつきつけて言った。
「なんだったら、生徒会の人たちに直接聞いてみてください! そうすればきっとわかってもらえます」
「ええっ、あなた、そんな畏れ多いことを!」
「きちんとお話をしていないから誤解が生まれるんです。わたし、この前それで失敗してしまいました。東条先輩にひどいことを……」
ぽつりと出た名前に、お団子頭の顔が引きつる。
「と、東条? 東条彰彦のこと?」
「あ、そうです! 東条先輩って一見怖いけど、とってもまっすぐで優しい先輩で……」
「あなたそれ本気で言っているの!?」
「え? どういう意味ですか?」
美月様の発言に、遠巻きにしていた生徒たちも一斉にざわめきたった。
「おい、嘘だろ、あの東条を優しいって」
「マジで天使だな、白河美月さん」
「まっすぐ? あり得ない。学園の天使って本当に何者なんだ? もう天使通り越して慈愛の女神じゃないのか」
「それなら生徒会の方々が気に入るのも無理ないような……」
風向きが変わった。
なぜか影響力が強いらしい生活委員会とやらが、天然天使の美月様を前にたじろいでいる。それを後押しするのが今まで無関心を装っていた生徒たちだ。
正直、東条の名前を出すのは後が怖いがここは仕方ない。
あたしは体をゆっくりと起こした。
「相互理解って重要だよねぇ。姉さんはそれを実行してるワケ。生徒会の方々はそれを評価して下さってんじゃないかしらー。あの東条彰彦に真っ向勝負しかけられる生徒がこの学園に何人いるやら」
「うっ……」
あたしは後ろ手にそっと上都賀さんの肩を押した。映画によくある、ここは俺に任せて先に行け、というアレだ。賢い彼女は美月様の手をひき、こそっとあたしの影に隠れて後ずさり。
あたしはそれを確認してから、満面の笑みを浮かべて言ってやった。
「そーんな姉さんがいてくれて良かった! おかげであたしは何の苦労もせずに生徒会の方々とお近づきになれるモンっ!」
「あなたみたいな生徒がいるから困るのよっ!!」
勢いを失いかけていた生活委員会は、ようやく明確な敵を見つけていきり立った。
「いい!? し、白河美月さんはいざ知らず、あなたこそ本当に生徒会の方々に近づいてはいけない人間よ!」
「えー? もお、マジ言ってる意味わかんなーい。嘘っぱち委員会に関わってたら遅刻して風紀に怒られちゃーう」
「あなたはそうやって風紀委員長の城澤様にまで接触する気ね!? 待ちなさいっ、白河アキラっ!」
お団子頭の手をかわしたところでタイミング良くなったチャイムに、あたしはにんまりした。
「きゃー、遅刻ちこくぅ!」
あたしはさっと身をひるがえし、下駄箱へ直行した。そのまま教室にダッシュであたしの勝ちだ。
「覚えていなさい、あなたには必ず生活委員の怖さを思い知らせてあげるわ!」
負け犬の遠吠えはむなしいだけだ。
これで矛先はあたしに向いた。敬吾さんには怒られないで済むかもしれない。
「で、なんなのアレ」
「何って?」
「生活委員!」
あたしはホームルームが終わってすぐにD組に向かい、人気のない階段の踊り場まで松島をひきずってきた。
「なんであんなのに文句言われなきゃなんないの? 生徒の素行指導って、風紀の管轄じゃないワケ?」
「ああ、それなんだよねぇ」
松島は困ったように笑うと、制服の内ポケットから生徒手帳を取り出した。そして学園内の組織図が載っている見開きページを示す。
「御覧の通り、生活委員なんて名称はここに記載されていない。正式な委員でもなければ風紀の仲間でもない」
「そんなのわかってる。だからおかしいって言ってるの」
不機嫌にかみつくが、松島はさらっとその怒りをかわしてしまう。
「待ってよ、問題は次のページ。部活動のところ」
ぺら、と手帳をめくった松島は、トントンと文化部欄の隅を指さした。そこには小さな文字で『学生生活安全部』と書かれている。
「これが彼女たちの正体だよ。つまりは部活動なんだ」
「部活動!?」
「目的は学生の理想的な学園生活の推進。はっきり言っちゃうと、不純異性交遊の取締なんだ。親同士のパワーバランスを考えない自由恋愛は、良家のお坊ちゃんとお嬢様にはあまり歓迎されることじゃない。そういったことが起こらないようにできたのがこの部活。通称『生活委員会』」
松島によると、生活委員会は学園設立当初からある伝統ある部活らしい。保護者からすれば自分の子どもにおかしな虫がつくのを取り締まってくれるということで、信頼は厚い。おかげで風紀としても口を出せないのだ。
「委員会じゃないから決められた活動もないし、報告義務もない。でも人の恋愛事情に口をはさむんだから、馬に蹴られそうになっても蹴り返すことくらいしてきたんだろうね。こわーい集団だよ」
「さっきのヤツらの口ぶりだと、どうも対象は生徒会とかの役職持ちに限定されているみたいだったけど?」
「うん、もともとの活動目的に『家柄目当ての友情、恋情を禁ずる』っていうのもあるんだけど、最近ではそれが『抜け駆け厳禁』に変わっているみたいだね。部活設立時はきっと明確な保護対象がいて、その人を保護する口実に過ぎなかったんだろう。それが今では『学内の人気者を守る』っていうおかしな目的に成り変わっている。アイドルのファンクラブと同じなんだよ。まあ実際、彼女たちの活動が悪質なストーカー行為とかの抑止力になっているっていう評価はあるんだけど……」
「おー、なるほど。やるじゃん、松島」
「委員長の受け売り~」
松島の照れ笑いは雑種犬の愛きょうに近い。
「ううん、生活委員ね……。バカらしいけど、利用価値もあるからそのままにしてるのか」
もう少し頭のいい連中なら、あたしも有効利用できたものを。
「とにかく気をつけてね! 睨まれたりしたら面倒だと思うよ」
「………そういうの、もっと早く言ってほしかったわ………」
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