悪魔と不良と天使
学園内の有名人といえば、生徒会役員や委員長クラスの役職持ち、美月様のような特殊な家柄の人間が挙げられる。才能、血筋、社会的地位、そういったものが生徒のステータスとして評価されているのだ。
だが、二年D組・東条彰彦は違う。
名門・鳳雛学園でも腐った生徒はすこ~しばかりいる。あたしもその一人として振舞っているのだが、あっちは本物だ。しかも、学園内の腐れた連中のトップ。
極道の組長の息子だとか中国系マフィアの妾の子だとか言われているが、れっきとした大会社の息子である。しかし歴史は浅く、金融会社界隈で一躍名乗りを上げた彼の父親が一代で築いたともいえる家だ。
家への反発か若気の至りかは知らないが、喧嘩に酒に煙草に女、とにかく素行が悪いの一言に尽きる、らしい。少なくとも白河家の事前調査ではそうだった。
あたしみたいに見せるための不真面目さなどかわいいものだ。
とにかく、美月様の婿候補どころかブラックリスト入りしている要注意人物なのだ。
絶対に近づかせないようにしてたのに!!
最短距離で廊下を駆け抜ける。
放課後は人気のなくなる実験棟の裏側、普段なら静まり返っているはずなのに、今日に限っては怒鳴り声が響いていた。
「だから、黙れって言ってんだろうが!」
それに負けじと響く美月様の声。
「黙ってられないから言ってるんじゃない! 煙草って害があるし、周りの人にも良くないの! やめた方が絶対に良い!」
「キャンキャンうるせーなぁ……」
東条は三白眼を不機嫌そうに細めて美月様を見下ろしているが、美月様はおびえた様子もなく真正面から睨みつけている。身長差はおよそ三十センチ、ばくっと頭から食べられてしまいそうだ。
「ちょおっと待った!」
あたしは勢いを殺さずに開いていた窓からひらりと飛び降りた。もちろん上履きのままだ。
美月様の側にあるパンパンのゴミ袋、東条の足元にある飽き缶、そして煙草の吸殻。状況はすべて読めた。
美月様と東条の間にすべりこむと、あたしは美月様の肩をがくがくとゆさぶった。
「姉さ~ん、なんでこんなトコいるの! 探したじゃん! 風紀から逃げるの手伝ってもらおうと思ってたのにィ~!!」
「あ、あきら、ちょっと、苦しい」
「ごめんごめん! じゃ、いこ!」
「オイ、こら待て」
「失礼しま~す」
「こら!」
東条は低く唸る。赤茶色のベリーショートのこめかみには青筋が立っている。
「いきなり割り込んで何言ってんだ、お前」
「いやー、すみませんすみません」
「そうよ、お姉ちゃんは今この人と大事な……」
「姉さんはちょっと、しー、ね」
「俺はそのねーさんと話してんだよ、どいてろ」
ぱん!
あたしの肩越しに美月の腕をつかもうとした手を、音高く鋭く払いのけた。
驚きで目を丸くする東条に、あたしはふり返って静かに言った。
「姉さんに触るな」
「………お前」
東条は払われた手をそのままに、あたしと美月様を交互に見る。
「こら、アキラ!」
「あっ、やだ! あたしったら! ごめんなさい、東条先輩! 当たってしまいました、悪気はないんです!」
あたしは素直にがばっと頭を下げた。そしてくるりと回って姉さんに向き直りすうっと息を吸う。
「もー、姉さんったら、東条先輩に何言ったのォ? 相手は先輩、人生の先駆者! そんな相手にタメ口で、しかもヒトの趣味嗜好に口出しするのはどうかと思うなァ」
「だって、煙草は体に……」
「うん、良くないよね? っていうことは姉さんも煙吸っちゃ大変だよ! 近寄らないが吉! それを止めようとした姉さんはホント優しいよね。そうだよね、煙草なんて税金の塊で高いばっかりで体に悪くていいことなんてないよね! ましてや未成年だもん! でもね、そのリスクを自ら背負おうとしているヒトもいるんだよ、東条先輩はその筆頭なんだよ、でなきゃあんなでっかく『害があります』って書いてあるパッケージのブツに手を伸ばすワケないじゃん! こんな人気のない場所にひっそりいるのも、周りに気を遣ってのことなんだよ、今や喫煙家には肩身がせまい世の中だからね、こうして隅っこに追いやられてる姿はむしろ哀れ!? なのにわざわざ吸ってるんだもん、きっと辛い事情があるんだよ、そうだよ、そうに違いない。だからあたしたちにできることは、ああやって自分をいじめ抜いているんだね、修験者なんだね、チャレンジャーなんだねって見て見ないフリすることだけなの! オーケー?」
「……そうなの?」
「そうなの!」
「……そう、かァ」
自分でやっておきながら、こうも素直な美月様にあたしは一抹の不安を覚えている。
それは東条も同じ気持ちのようで、「おい、マジかよ……」のつぶやきはあたしの心の中だけに閉まっておくことにする。
「アキラくん!!」
遅い!!
あたしは駆け寄ってくる城澤と先ほどの風紀委員を睨みつけた。城澤はあたしと美月様の無事を確認すると、荒げていた息をすぐに整えて東条に向き直る。
「二年の東条彰彦くんだな? 喫煙していたというのは本当か」
「ちっ、風紀かよ。吸ってねーよ。吸殻拾ったから捨てようと思っただけだ」
「ええっ!? わ、わたし、見間違えちゃったの!?」
ショックで青ざめている美月様だが、大丈夫、見間違えではない。あたしたちに背を向けた東条のスラックスの後ろのポケットに、ライターと煙草らしきシルエットがしっかり浮かんでいる。
美月様はまだしも、城澤が信じると思うのか。
あたしが呆れた視線をこっそり送っていると、不意に東条が首だけ振り向いてあたしを見た。
そしてあろうことか口の片端だけを器用に上げると、「これも拾った」と煙草とライターを堂々と取り出したのだ。
「誰かこっそり吸ってたんだろ。俺が回収しといた」
「何?」
城澤はあからさまに不審気な顔をした。しかし辺りに煙草の匂いは残っているが、現行犯ではない。証言者のはずの美月様は自信を失っている。
そこで、あたしは東条の笑みの意味に気付いた。
「あー、風紀委員長」
「なんだ、アキラくん」
「姉さんが絡まれてたっていうのも、誤解みたい」
「誤解だと?」
「ええっ!? 通りかかった一般生徒から、確かに聞いたのに!」
城澤の影に隠れていた風紀委員に向かい、あたしは肩をすくめてみせた。
「そう見えただけでしょ。煙草を拾った東条先輩、喫煙を止めようとした姉さん、互いの正義感がすれ違ったんですね。 悲劇!」
「そうだったんだ……。失礼なこと言ってしまってごめんなさい!」
「おう、気にすんなよ。お前度胸あるな。俺に突っかかって来るヤツなんてなかなかいねェよ」
美月様が深く頭を下げると、東条は鷹揚に笑った。そうすると妙な愛嬌が出て、もともとの悪人面に少しばかり親しみが出る。美月様もそれを感じたのか、ぱあっと笑顔を浮かべた。
「いやー、これで解決。よかったよかった」
「……アキラくん?」
せっかくめでたしめでたしで終わろうとしているのに、俺は騙されないぞ、と疑わしげな目を向ける城澤。
ここで東条を悪者にすれば、美月様が恨まれる。
美月様の正義感はまっすぐで好ましいが、それはいいことばかりではないのだ。
わだかまりなく終わらせるにはこれしかない。
そこであたしは、ほの暗い取引の中に風紀も巻き込むことにした。
「っていうかァ、怒鳴りあっちゃうまで誤解がひどくなってたのに、なぁんで風紀はすぐに助けてくれなかったのかなァ。少なくともソコの人は報告受けて知ってたんでしょ?」
あたしが指を指すと、風紀委員はぐっと言葉を詰まらせる。
「まさか東条先輩一人が怖かったから親玉の風紀委員長呼びに行ってた、なんてないですよねェ。ついでにぃ、その頼みの親玉も、一般生徒のあたしより来るのが遅いとかァ、それってどうなのかな~」
この嫌みには城澤も黙った。
「そういうワケだからァ」
あたしはすすすっと城澤に近寄り、トドメをさす。
「ここで双方の意見を聞いて、場を治めてもらいたいんですよね。風紀委員長として」
東条の無理な主張を通せ。お前らが今できる最善のことは、それだけだ。
「……白河美月くん、アキラくん。そして東条彰彦くん。来るのが遅れてすまなかった。煙草を預かろう」
風紀委員長の敗北宣言。苦々しく歪んだ口元、眉間のシワはぐっきりと深い。
差し出した手に煙草とライターを乗せた東条は、美月様に
「これからは修験者も大切にしろよ」
と言いながらあたしの頭をぐしゃりとかきまわして去っていった。
「御迷惑おかけして、すみませんでした」
ほっと息をつくと、美月様は風紀相手にも深く腰を折る。そんな必要ないのに。
「東条先輩、怖い顔して制服の前全開でお外でしゃがみこんでたでしょ? それに怖い人だって、不良だって聞いてたからあんな勘違いしちゃった……。わたし、自分が恥ずかしいよ。見た目で判断するなんて」
「まあまあ。東条先輩だって怒ってなかったじゃん」
「とってもいい人だったね! 今度お詫びに行かなきゃ」
「いや、そういうのしなくていいから! さ、あたしたちも帰ろう?」
さっさと退散、と歩き出したところで、城澤はせめてもの逆襲にかかった。
「アキラくん」
「はい?」
「今日は帰っていい。また明日、反省文の続きを書きに風紀室に来るように」
「……マジで……?」
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