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番外編   歪んだ真珠とその親友

※ 本編終了後のお話になります。

  本編の雰囲気が壊れた! と思う方もいらっしゃるかもしれません。

  でももったいない精神から投稿してしまいます。ご注意ください。



 上都賀綾乃かみつが あやのは大きな門扉を前に、本当にここに来てよかったのかと何度目になるかわからない自問を繰り返した。

 表札には厳めしく『白河しらかわ』と刻まれており、西洋風の重々しい玄関とあいまって綾乃の足を重くさせた。

 しかし、ここまできて帰るわけにはいかない。今日は覚悟を決めてやってきたはずだ。

 わたしは今日、親友を救いにやってきたのだ。

綾乃は大きく息を吸い、呼び鈴にゆっくり手を伸ばす。


「どちらさまでしょう」

「ひゃっ!」


 突然かけられた声に驚き、綾乃は奇妙な声をあげて後ろを振り返った。そこには線の細い喪服のような黒いスーツ姿の男性が立っていた。ノンフレームの眼鏡の奥からこちらをうかがう目は、まるで氷のように冷たい。

「し、失礼しました。あの、わたくし、美月みつきさんの同級生の上都賀と申します。もう一週間もお休みだったので、心配で、お見舞いに」

 用意してきた果物かごを掲げてしどろもどろに言うと、男は納得したようにうなずいた。

「ようこそいらっしゃいました。どうぞお入りください」

「恐れ入ります」

 うながされてようやく白河邸の敷地に足を踏み入れた綾乃は、ドキドキする胸をおさえながら男のあとに続いた。

 一度来たことはあったが、その時は隣に美月がいた。彼女がいない今は、ステキだと感じた吹き抜けの天井からのびる階段も寒々しく見える。

 男は綾乃を女性の使用人に引き渡すとさっと一礼して去っていった。彼の目から逃れたことにこっそりと息をつく。

 きっとあれが例の「岩土さん」に違いない。美月は何か失敗したり困ったりしたことがあるたびに「こんなことでは岩土さんに叱られちゃう」と口にしていた。きっと主の娘を前にしてもあの目は温度を持たないのだろう。


 急に別要素の緊張を与えられたことで、逆に綾乃の心は落ち着いた。よし行くぞ、と意気込んでいると、前を行くお仕着せ姿の女性が小さく言った。

「上都賀綾乃様、ですね」

「えっ、あ、はいっ」

 間抜けな返事に綾乃の頬が赤くなるが、彼女はまったく気にした様子なく続けた。

「美月様からたびたびお話をうかがっております。とても頭のいい頼れる親友だと」

「美月ちゃんが?」

 疑っていたわけではないが、親友と思っていたのが自分だけではないことに綾乃の胸はぽっと熱くなる。

「今、美月様は少々心が乱れております。力になってあげてくださいませ」

「もちろんです」

「ですが、失礼を承知で申し上げます」

 背の高い彼女は身を少しかがめて綾乃の耳元にささやいた。

「どうぞ、公正な目で、上都賀様が判断したようにお言葉をかけてください。甘い言葉で慰めるのは美月様のためになりません」

 きっと彼女は心底美月を好いているのだろう。厳しい言葉とは裏腹に、声音からは美月を案じる優しさが感じられた。

「……もちろんです。わたしは美月ちゃんの親友ですから」

 繰り返し綾乃がうなずくと、彼女は張りつめていた顔をふわりとゆるめさせた。

「ああ、明様の言った通りのお方です」

「え?」

 そこでなぜ美月ではなく妹のアキラの名前が出てくるのか。

 しかしそれを問う前に、二人は美月の部屋の前に到着していた。




「美月様」

三舟みふねさん、ごめんなさい。もうちょっと一人でいたい……」

 部屋の中から聞こえるくぐもった声に、綾乃はいてもたってもいられなくなり、三舟にかわって扉を叩いた。

「美月ちゃん、わたしよ。綾乃」

「綾乃ちゃん?」

「入っていい?」

 返事はなかったが、三舟が目でしっかり了承したことを確認してドアノブに手をかける。

「失礼します」

 レースの天蓋付ベッドに入る美月は、まるでお人形のようだった。パジャマ姿の可愛らしさと、青白い生気をなくした顔色と相まっての感想だ。ゴミ箱にたまったティッシュの山が、美月が血の通った人間であることの証明だった。

 数日ぶりに会う親友はわずかに痩せたようだ。

「美月ちゃん……! 大丈夫?」

「綾乃ちゃん!」

 美月はぱっと体をおこし、はだしで綾乃に駆け寄った。

「どうしてここに?」

「寂しくて来ちゃったの。はい、これでも食べて元気出しましょう」

 肩をすくめておどけて言うと、美月はぽかんと口を開けて果物かごと綾乃を交互に見た。

「ねぇ、先週のお休みを含めてもう一週間も会っていないのよ。話したいことが溜まりすぎてしまったわ。わたしの分は週明けにまとめて話すとして、今日は美月ちゃんのことが聞きたいの。どう?」

 綾乃がかごの中から桃を手に取って手渡す。すると美月は見開いた目にじわじわと涙をにじませた。

「あ、あやのちゃん……」

「うん」

「わたし、最低なの……」

 思っても見ない言葉に、綾乃は思わず聞き返す。

「最低? 美月ちゃんが?」

「そう」

 とうとうたえられなかった涙が、珠になってころんと美月の頬を伝った。


「わたし、明にひどいこと言っちゃった……!!」




 二つ目のゴミ箱まで満杯にした美月は、腫れた目に冷たいタオルを当てて鼻をすすった。

「明はね、三歳のときにうちに来たの。本当のご両親の都合で、うち預かりになったの」


 ふかふかのベッドに並んで腰掛け、綾乃は静かに美月の手を握っていた。てっきり鷹津たかつ会長への失恋話だと思っていたのだが、美月の話はなぜか妹のことから始まった。

 明に関するその事実ならいまや学校で知らないものはいない。明の国内短期留学に際し経歴を明らかにしている最中で、どういう経緯か話が漏れてしまったのだ。

 おかげで「どおりで白河の悪魔は天使と似ていないはずだ」「あの勝手気ままさも性格の悪さもうなずける」と納得する声が多数あがっている。


 ついでに、あの鷹津篤仁たかつ あつひと会長がどういうわけか明に求婚した、という噂も実しやかに広まっている。真実はごく一部の人間しか知らない。綾乃はそのごく一部の内の一人だった。だからこそ、どう美月を慰めようかといろいろ考えていたのだけれど……。


「そのころからずっと明はわたしのそばにいてくれた。……最初は『美月様』って呼んでいたんだよ」

 ふふっと美月は昔を思い出すように笑った。

「わたし、それがいやだった。妹になったんだから、お姉ちゃんって呼んでほしかった。そうお願いしたら、わかりました、姉さんって。それ以来ずっとそう。わたしの前では姉さん、それ以外では美月様って呼ぶようになったみたい」


 綾乃はぎくりとした。

 綾乃の知る白河明とは、ひどく馴れ馴れしく礼儀を知らず、そのうえ粗暴で粗雑で品がない人間だ。よくも姉妹でこれほど異なる人間になるものだ、と感心すらしていた。これで明が姉思いの妹でなければ、綾乃は美月に縁切りを勧めていただろう。

 しかし実際のところ明は美月の妹ではなかった。それどころか『美月様』と敬称をつけて呼んでいたとは。

明が美月を姉と慕う様はうっとうしいほどだったが、そこに疑念がわいた。美月の命令に従い、場合によって呼び方を変える。さきほどの三舟という使用人となんの違いがあるのだろうか。

美月は、それを自覚しているのだろうか。


「じゃあ、あの子は白河の使用人なの?」

「お母様は使用人と主筋はハッキリさせなくちゃいけないって言っていたけど、わたしには明は使用人じゃない。妹なの」

 きっぱりと言い切った美月の横顔に曇りはない。

「最初に会ったときのあの表情が忘れられない。明ね、わたしと目が合ってにっこり笑ったの。心の底から嬉しそうに、幸せそうに笑ったの。なんでかな、ありがとうって言って、ぎゅっと手を握っていた」

 ありがとう、か。

 そのときの明の気持ちが、なんとなく綾乃にはわかるような気がした。

 きっと美月は、明と同じくらいの満面の笑みを浮かべていたに違いない。入学式で隣り合って座ったときに、綾乃に向けられたのと同じ、慈愛に満ちたあたたかい笑顔。緊張と不安で凝り固まっていた綾乃の心を一瞬で溶かしたものだ。


「だからお気に入りの絵本も大好きだったクレヨンも明にプレゼントしたの。そうでなきゃ、いくらお父様が新しいのを買ってくれるっていってもあげたりしなかった。明は妹なの。姉さん姉さんって後をついてまわってきて、全身で大好きって言ってもらえてすごくうれしかった」

「美月ちゃん……」

 綾乃はともすれば停止してしまいそうな頭を必死に回転させた。表面をみれば明は間違いなく白河の使用人だ。美月の母もそう認識しているらしい。だが実際のところ明は迷惑ばかりかけて美月に甘えていたし、美月も明を甘やかしていた。それこそ本当の姉妹のように。

 この齟齬はいったいなんなのか。


 いったい美月は明をどう思っているのか。もっと掘り下げる必要がありそうだ。

「……あの問題児をそこまで大事にしているなんて。恩知らずね、あの子も」

「明は問題児なんかじゃないよ」

 ちゃかしながら水を向けると、うまく美月は食いついた。

「おとなしくて隅っこでじっとしていることが多い子だった。お勉強もできて運動もできて優しくて、いつもわたしを助けてくれた。忘れ物したときとか、転んだときとか、叱られたときとか……」

「ええっ!? ウソォ!」

 そんな姿想像できない!

 はしたないほど大きな声を出した綾乃に、美月はくすっと笑って見せた。

「ホント。明ね、高校生になる前の春休みに、高校デビューだって言ってガラッと変わったの」

「どうして?」

「わからないけど……。それまでおとなしかった反動かなァ? わたしは気にならなかった。だって明は明だもん」

 似合っていたしね、と美月はまた笑う。

「明がそうしたいのなら、そうさせてあげたかった。文句をいう人も多かったけど、そういうの全部から守ってあげたかった。姉としてそうしなきゃいけないって思ってたの」

 

 守る。

 このワードに綾乃は引っかかりを覚えた。

 美月は確かに明を守っていた。

 学園の悪魔と呼ばれた明が、完全に学園から排斥されなかった理由は白河という家柄と美月の人柄によるものが大きい。

 ではその見返りに、明は美月に何をしたのか。そう考えた時ふっと浮かんだのは、しつこい生徒会補佐の勧誘に戸惑う美月の前に立つ、高笑いする下品な少女の姿だった。

 綾乃は美月を通して生徒会と関わることだけは避けようと思っていた。周囲の生徒からねたみ嫉みをかう危険があったからだ。しかし美月は無事だった。それはやはり学園の天使だからだろうし、実力も人望もあったからだし……。そしてまたもやフラッシュバックする細い背中。綾乃は美月とともにその背にかばわれ、生活委員会の目から逃れることができたのだ。


 この二人の関係性が、少しだけ見えた気がした。


「美月ちゃんがどれだけあの『妹』を大切にしているかはわかったよ。でもそれなら、どうしてひどいことなんて言っちゃったの?」

「それは……」

 美月はちらりと学習机のほうを見た。そこには一冊の薄手のアルバムが置いてあった。

「……あのね。わたし、失恋したの。篤仁先輩のことが好きだった。わたし、あの人と結婚するんだって思い込んでた」

「うん」

「でもね、篤仁先輩は明を好きになったの。そうだよね、明はあんなにきれいで優しいんだもん。実は初恋の人も明にとられちゃって」

 きっと本人は笑っているつもりなのだろう。だが美月の表情はこわばり、今にもまた泣き出しそうだった。

 美月は天使にふさわしい愛らしさの塊のような容貌だが、外見だけなら悪魔の明も負けていなかった。すらりとしたしなやかな体つきと挑発的な猫目にきらめく美しさがある。日ごろさげすまれている彼女だが、実は密かに人気があるとの噂もある。

「それで、明についひどいことを……。もういらないって、わたしのほしいもの全部取っていく明なんていらないって……」


「明、わたしのこと嫌いになったよね。だからいなくなっちゃうんだよね」




 美月はまた顔をふせて泣き出した。

 綾乃はゆっくりとその背中をなでるだけだ。

 美月が泣いている理由は単純な失恋騒ぎではなかった。

 絵本、クレヨン、両親の愛情、初恋の人、結ばれたかった人。今まで積み重なってきたものが、急に美月に倒れこんできたみたいだ。

 その根底にあるのは、美月が心から愛している歪んだ真珠みたいな『妹』。




「謝りにいかないの?」

「いけない。わたしが悪いのはわかっているの。明は何もわたしからとってなんか、盗んでなんかいない。でも気持ちの整理がつかないの。顔を合わせたときに何を言ってしまうかわからない」


 ぐちゃぐちゃなのだと美月は言った。

 まだ鷹津会長のことが好き。

 明を妬ましく思う気持ちもある。

 だが同時にとても愛しいから、ひどい感情をぶつけて嫌われたくない。


 これ以上言えない、聞きたくない、と美月は丸くなって頭を抱えた。

 美月は本当に穢れを知らない子だ。今まで明確な嫉妬や恨みといった醜い感情を抱いたことがなかったのだろう。

 しかし、美月は人だ。天使ではない。三舟の言っていた「美月のため」とはこういうことか、と綾乃は心の中で納得していた。

 ならば、時間をかけて折り合いをつけることを、醜い感情を受け止めることを美月は知らなければならない。


「美月ちゃん。わたしは美月ちゃんを責めたり、怒ったりしないよ。でもこれだけ言うね。聞きたくないかもしれないけど聞いて。あの子ね、一昨日わたしのところにあいさつに来たの。なんていったと思う」

 耳をふさぐ手を優しく包むと、綾乃はゆっくりとささやいた。


「姉をよろしくって言ったのよ」


 ぴくりともしないが、美月がじっと綾乃の声に耳を傾けていることは分かった。

 綾乃はすっかり冷めたお茶でカラカラの喉をうるおす。

「わたし、あの子すっごく苦手。生理的嫌悪感催すレベルよ。あの傲慢さ、品のなさ、図々しさ、大っ嫌い。……でもね、認めている点もなくはないの」

 ティッシュの箱を引き寄せてまとめて五枚ほど抜き取ると、それを美月の鼻先に強引に突っ込んだ。

「それはね、美月ちゃんに関わるときだけよ。わたしが美月ちゃんを大事にするのと同じくらい、いえそれ以上に、あの子は美月ちゃんを想っている」

 こういうとき自分の短い腕がもどかしい。綾乃はぎゅっと美月の肩を包むように抱きしめた。

「あの子は美月ちゃんのこと今でもお姉さんだって思っているのよ。もし美月ちゃんもあの子を妹だっていうなら、あきらめちゃダメ」

「……ウソォ」

「ホント!」

「……綾乃ちゃん……」

「大丈夫よ、あれほどお姉ちゃんにベッタリだった妹でしょ? そう簡単に姉離れできるもんですか。それにさんざん迷惑かけてきたんだもの、気持ちが落ち着くまでちょっと待たせるくらいなんでもないわ」


 美月と明。

 名家と呼ばれる上都賀の娘だから理解できないわけではないが、白河のこの姉妹は複雑怪奇でひどくいびつだ。

 主従の関係にありながら姉妹と名乗り、互いに守り守られ生きてきた。きっと最初から不安定だったのだ。 

 そして今、あまりに近くにありすぎて、美月は明をよく見えなくなっている。きっとそれは明のほうも同じなのだろう。

 そう、待たせるくらいなんでもない。


「わたしが中継ぎ役になる。この前どうしてもって言われて明ちゃんと連絡先交換したの」

「そうなの?」

「そう。だから、むこうがどうしているかとか、美月ちゃんに会いたがってるとか、いろいろ教えるわ。かわりに美月ちゃんがどうしているかも伝えてあげる。そのうち三人でお茶でもしましょ」

 そういえば行ってみたいかわいいカフェがあるの、とついでのように付け加えれば、美月はのろのろと起き上がって綾乃に抱きついた。

「綾乃ちゃん……! ありがとう。大好き」

「わたしも大好き。よしよし、いい子いい子」




 層の巻きが厚くなりすぎて新円が崩れ、偶然によって生み出されたこの世に二つとないバロック。

 この変わった宝石の行く末を、九十五パーセントの友情と五パーセントの好奇心から見守りたくなった綾乃であった。




 怪しい前書きにも関わらず読んでくださった方へ


 番外編第二弾は美月の親友、上都賀綾乃主人公でした。

 美月はそんなに悪い子ではない、という主張をしたいがための話になってしまいましたが、これ大丈夫でしょうか。だいぶドキドキしています。


 とりあえず書いておきたかったところだけは出せました。

 ですが書いている最中にどんどん説明したい要素が増えてきそうで……。

 そこで、番外編含めいったんこのお話に区切りをつけたいと思います。

 応援してくださった方々、本当にありがとうございました!


 ただひたすら明るい話とか、バカをやる話とかも書きたいところなんですが、それはまた別の機会にまわすとして。(完結マークをつけていても編集からお話を追加できることがわかったので……)

 唐突に番外編第三弾とかやりだすかもしれません。その時はどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 



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