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番外編   鋼の男、苦悩する

 ※ 本編終了後のお話になります。ご注意ください。


 常に五分前行動を心掛けている城澤隆俊しろさわ たかとしであるが、気づけば今日は約束の三十分前に待ち合わせ場所に着いてしまっていた。

 平日の昼日中とはいえ、駅前は夏休みを迎えた学生たちであふれかえっている。これでは目印としていた駅前広場のモニュメント前でうまく落ち合えるか心配だ。

 友人と出かけるのは初めてだと言っていたあの子は大丈夫なのだろうか。

 落ち着きなく腕時計を確認するが針が早く進むわけもなく、隆俊はそんな自分に呆れてため息をついた。

 照りつける熱光線にとろけそうだ。せめてあと十分ほどはコンビニかどこかで涼を取ろう。そう思い適当な場所はないかとあたりを見回すと、周囲から頭一つとびぬけた身長を持つ彼の目に思わぬものが飛び込んできた。

「……明くん?」

 駅の改札付近で隆俊以上にきょろきょろと落ち着かない様子の少女。

 白いブラウスと青地に白い格子模様の膝丈スカート姿は、着崩した制服を見慣れた隆俊には非常に新鮮で、日差しよりよほどまぶしいものに映った。


「明くん」

「あっ」

 人ごみをかきわけて彼女の肩をたたくと、少女はパッとこちらを振り向いた。

「よかった、会えるか不安だったんです」

「早かったんだな」

「楽しみで、つい」

 少女 ―――――――― 白河明しらかわ あきらは、恥ずかしそうにはにかんだ。

「城澤先輩と会えてよかった」

 彼女がこうしてなんのてらいもなく微笑むようになったのは、ごく最近だ。




 隆俊にとって、明は実に不可解な存在だった。

 だらしない格好を平気でさらし、恥ずかしげもなく無礼を働くその姿は、良家の人間が集う鳳雛学園ではとびぬけて浮いていた。さかのぼれば平安までたどれるほどの名家の血をひく娘だというのに、そのふるまいは一般市民にも劣るものだった。また明の場合は優秀な姉がいたことが災いし、入学当初から『名家白河の搾りかす』と陰口を叩かれ、一か月もすれば『学園の悪魔』と呼ばれるまでになってしまった。

 風紀委員長として黙っていられるはずもない。


 だが実際に対峙してみると、隆俊はどうしても違和感を覚えてならなかった。

 明は決して愚鈍で不出来な不良生徒ではない。むしろ頭の回転がはやく、周囲の状況や自分への評価を正確に把握しているような節があった。

 彼女は何もかも知った上で、あえて『学園の悪魔』の汚名を受け入れている。

 どれだけ侮辱されようと、どれだけ嫌われようと、まったくブレることなく意志を貫く背筋の伸びた後ろ姿は、決して卑屈なものではなかった。

 それに気づいてしまえば、隆俊は明を目で追うのをやめられなかった。嫌がられるとわかっていながら生活指導の名目で声をかけ、接触せずにはいられない。そんな隆俊を周囲は「さすが城澤風紀委員長」と高く評価したが、実のところそんなまっとうな理由はない。

 ただ、なんとなく放っておけなかっただけだ。




「それにしてもさすがに早かったですね。混んでいますし、みなさんは大丈夫でしょうか」

 そう言って腕時計に目を落とす明を見ていたら、隆俊の口は意識しないまま勝手に動いていた。

「敬語はいらない」

「え?」

 しまった。そう思っても、一度出た言葉は取り消せない。隆俊は眉間にしわを寄せ、早口に弁明した。

「いや、ここは学外で、しかも休日に遊びにいくところだ。かしこまる必要はないだろう」

「前はきちんと敬称をつけろ、と……」

「呼び捨てはやめなさいと言ったんだ。以前の明くんの話し方からすれば、それだけで十分な進歩だ。あとは好きに話せばいい」

 

 なにを言っているんだ、俺は。言い訳にもなっていない。


 あまりの情けなさに落ち込みそうになるが、驚いたことに明はホっと肩から力を抜いていた。

「そう言ってもらえると助かる。フランクな話し方と丁寧語のうまい境界線を計りかねているところで、ぜひ実験台になってもらいたいんだ。不快に思ったら言ってほしい。よろしく、城澤先輩」

「ああ」

 さくさくと歯切れの良い口調で言われて、隆俊は自分こそホッとしていることに気が付いた。かねてより注意してきた言葉遣いだったが、いざ丁寧な口調になると他人行儀な距離感が生まれてしまう。それがいやだったのだ。

「緊張してきた。ちゃんとお話しできるかな。わたしは変じゃない?」

「大丈夫だ。伊知郎の恋人は穏やかな子だし、きっと気が合う」

 また時計を見てソワソワし始めた明に、鉄仮面と呼ばれていたはずの隆俊の口元は自然とゆるんでしまう。こんな様子の彼女なら、ずっと見ていても飽きそうにない。

 だからだろうか。

「お待たせしましたーっ、隆俊さーんっ、白河さーんっ!」

 幼馴染が自分を呼ぶ声が、今日に限ってはひどくうっとうしいものに感じた。




「このボタンを押すの?」

「そうそう、それでクレーンを動かすのよ」

「アームがぱかって開くから、それで景品をひっかけるんだ」

 隆俊の幼馴染である松島伊知郎まつしま いちろう恋人静香しずか、彼女の友人である奈緒なおは近隣の私立女子高に通っている。歴史も格式もある名門校である。しかし通う本人たちいわく、この一帯の本当のお嬢様はみな鳳雛学園へ行くため、一般家庭の女の子ばかりが集まった気楽な学校という話だ。実際二人は富裕層には入るものの、特別な肩書きは持ち合わせていない家の出だ。


 悪魔だの白河だのという先入観がないことも幸いしてか、二人はガチガチになっている明をやさしく受け入れ、『お嬢様に庶民の遊びを教えよう!』と息巻いていた。おそらくは要領のいい伊知郎が、彼女たちに何か言い含めておいたのだろう。

 今も明をはさんだ二人はUFOキャッチャーの前に陣取り、初めてだという彼女に熱心な指導を行っている。


「テレビで見たことあるけど、難しいの?」

「そうねぇ……。イチくん、お手本みせて」

 素朴な疑問を浮かべた明に、静香はドングリ眼をいたずらっぽく染めて恋人を振り返った。

「えぇ、ぼく? あんまりうまくないんだよなァ。それより白河さん、あっちのカーレースやらない? あれは得意なんだけど」

「だァめ、まずはこっち! あの猫のぬいぐるみカワイイ!」

 小柄な伊知郎と静香はよくつり合いがとれていて、並ぶとひな人形のように微笑ましい。奈緒と明もそう思ったようで、

「伊知郎くん、静香と明ちゃんにカッコいいとこ見せてあげな」

「松島、がんばれ」

と冷やかしまじりの応援を投げかける。


 華やかな声援に、伊知郎は覚悟を決めたとばかりにコインを高く掲げた。

「……よし、わかった。やるよ!」

「がんばれイチくん!」

「まず様子見で百円ね」

「最初っから弱気じゃない!」

 夫婦漫才のようなやり取りに苦笑しつつ、奈緒はショートカットの髪をゆらして言った。

「この二人、いっつもこんななんだよ。でも害はないから。いざとなったらあたしがあのぬいぐるみとってあげる」

「頼りにしてる。ありがとう」

「まかせて!」

 胸をはってみせる奈緒に、明はにっこりと笑顔をみせていた。

 



 隆俊の知る学園の中での明は、いつも不遜な笑みを浮かべていた。小馬鹿にするように形の良い唇の端を上げ、そのくせ大きな目は常に対峙する相手を観察している。

 その理由を知ったのは明の留学が決定した後のこと、情報通の伊知郎が白河の複雑な事情を少しだけ教えてくれた。彼女は姉のため、家のために、愚直なほど一途に己の役割を果たそうとしていたのだ。


 自分を殺して主君に尽くす姿勢は、忠義の武士であったという城澤家の祖と通ずるものがある。だがそれが褒められたことなのかは隆俊にはわからなかった。

 年端のいかない女の子が、あんなふうにしか笑えない環境に置かれていたなんて。そんなことが許されていいのか。

 隆俊がそう思ったところですべては遅かった。

 今、明はあんなふうにきれいに微笑んでいる。


「おい、見すぎだろ」

「見ていない」

 不意に後ろから声をかけられ、隆俊は驚く前に意味のない否定をしていた。自分の行動を見られていた羞恥をみじんも外に出さずに、遅刻してきた相手をじろりと睨み付ける。

「東条くんか。遅いぞ、何をしていた」

「寝てた」

 だぼっとしたカーゴパンツにサンダル履きという気の抜けた格好ながら、東条彰彦とうじょう あきひこは独特の雰囲気をもって周囲を威圧していた。おかげで騒がしく込み合うゲームセンター内であっても、二人の周りにはわずかに空間が生まれている。

「で、なんでお前はあっち行かねぇの」

 東条はあごでUFOキャッチャーのほうを指す。伊知郎が奮闘しているが、結果は芳しいものではない様子だ。だが、やはり気になるのは明だ。

「いや、ちょっと」

「ちょっとじゃねーよ、ハッキリ言え」

 はたからは不良が難癖をつけているようにしか見えない状況だが、当の本人はいたって真面目で、しかも隆俊は彼に対して恐れや嫌悪感を持っていない。むしろ、どういうわけか話しやすい相手だとさえ思っていた。気づけば本音をぽつりと漏らしてしまうくらいに。


「……あの笑顔を引き出したのは、俺じゃないんだと痛感していた」

「あ?」

「明くんは強いな。俺は彼女の力になりたかった。守ってやりたいと言ったのに、結局なにもできないまま彼女は一人で進んで行って、何か答えをみつけたようだ。俺は何もできなかった。……何も」

 そんな告白を、彰彦はチッと大きく舌うちすることで一蹴した。

「ばかかよ」

「なんだと」

「お前守ってやりたいって言ったんだろ。なら投げてんじゃねーよ」

「投げるだと?」

 その言いぐさが気に入らなかった。隆俊は有言実行を心掛けていたし、だからこそ明の力になれなかったことを悔いているのだ。

 睨む目により力を込めたが、彰彦は負けないくらい凄みをきかせた目で迎え撃ってきた。


「あいつが笑ってるだァ? それで終わりかよ。あいつはな、周りの機微には敏感なくせに肝心の自分のことは二の次三の次にしてやがる。鈍すぎるんだよ。……いや、あえてそうしてんのかもわかんねーけど」

 あー、とうめき声をあげながら、彰彦は言葉を探す。

「だから、なんもできなかった、じゃねーよ。あいつが正面から甘えてくるわけねーだろ、甘えられるよう仕向けてやれよ。あいつだって腹は決まったのかもしんねーけど、それで全部おわったわけじゃねーだろ。これから先どーすんだよ」

 彰彦は低い声で威嚇するように唸り、これ以上の話はやめだと隆俊を突き離した。そしてその勢いのままUFOキャッチャーへと大股で歩み寄る。

「おいコラ松島ァ! お前ヘッタくそなんだよ!」

「うっわ、こわっ! なんだ東条先輩かァ、どこの不良かと思いましたよ」

「誰が不良だ!」




 明は胸に抱いた小ぶりなネズミのぬいぐるみを、飽きることなく撫で続けていた。

「大事にするよ。簡単だって豪語した東条先輩が二千円もはたいてとってくれたんだから」

「うるせぇよ! こういうのは金と手間かけねーととれねーようになってんだよ!」

「どうなのかなぁ、隣にいたお兄さんはヒョイヒョイとってたけど」

 デコピンの形に指をかまえる彰彦から逃げながら、明は憎まれ口をたたき続ける。そんな様子だから最初こそ彰彦の風体におびえていた静香も奈緒も、すっかり馴染んでしまったようだ。二人のじゃれあいをほほえましげに眺めている。

「原価計算したらとんでもない金づるだ」

「これはゲームなんだよ、金出して失敗して悔しがるっていうアホを含めて成功を楽しむもんなんだよ。お前だってとれたとき大はしゃぎしたじゃねーか」

「たしかに。これはその価値がある。なるほどなー」

 彰彦のざっくばらんな説明に、明は感心したようにうなずいた。

 それを静香がくすくすと笑う。おだやかな彼女はまとう空気さえやさしく、明の緊張をほぐしていた。

「こうして明ちゃんの価値観ができあがっていくのね。成長過程をみているみたいでおもしろいわ」

「ほんとほんと。明ちゃん、さっきまでハンバーガー食べたことなかったなんていうくらいのお嬢様だしね」


 昼時になり何を食べようか、と話し合いになったとき、伊知郎が提案したのがハンバーガーだった。彼の予想通りファストフードと縁のなかった明は目を輝かせ、一も二もなく賛成した。 

 顎の可動域を超えるサイズの厚みに戸惑いながら、彰彦の乱暴な食べ方を真似る明に一同は笑いをこらえることができなかった。


 奈緒のからかいに、明は肩をすくめて反論した。

「わたしはお嬢様でもないし上流階級みたいな育ち方もしていないよ。ただ食べる機会がなかっただけだ」

 そうはいっても、偽ることをやめた明の所作はやはり特別だった。口元をペーパーナプキンでぬぐうだけの動作がやけに美しく、隆俊はなぜか目のやり場に困ったものだ。

 からかいすぎも禁物とわかっているのか、奈緒はさらりと話題を変えた。

「ところでお味はどうだった?」

「おいしかった! 手も口も汚しながら、みんなで同じものを食べるっていうのがとてもおもしろかった」

「そりゃ結構! 次はフライドチキン食べに行こうね。ジャンクフードのおいしさとカロリー的な恐ろしさを教えてさしあげよう」

 自然と次の約束を取り付ける奈緒は実にスマートだ。伊知郎は静香から「とってもカッコイイ女の子を連れてくるからね」と聞かされていたらしいが、それも納得だ。

 楽しげに会話する彼女たちの背中を眺めながら、隆俊はゆっくりとそのあとを歩いていた。


 このメンバーで最初に明と出会ったのは自分であるはずなのに、なぜかこういう場では気おくれしてしまう。おかげで隆俊が明とまともに話せたのは、伊知郎たちを待つほんの数分の間だけだった。

「隆俊さん、いいんですか」

 さりげなく前を行く集団から抜けてきた伊知郎が問いかける。

「何がだ」

「さっきからずっと僕たちから離れて歩いてるでしょう」

「そんなことはない」

「また変な意地はっちゃって。そんなんじゃ鷹津会長や東条先輩にとられちゃいますよ。いいんですか」

 何を、とは聞かない。隆俊は眉間にシワを寄せることで伊知郎の問いかけを拒絶した。


「まったくもう」

 一つ年下である幼馴染は時折妙に老成した顔をする。今もまたその顔をのぞかせたことに、隆俊はぴくりと眉を跳ね上げた。

 こういうときは毎回何かと面倒なことをし始めるのだ。

「みなさーん、腹ごなしにちょっとそこの公園寄っていきませんかー?」




 汗をかいているのは買ったばかりのペットボトルだけではない。ちなみに隆俊の背中を流れているのは冷や汗だ。

 静香たちは伊知郎が売店で買ってきた餌を池の鯉に投げ、その勢いに歓声をあげているところだ。こんな真夏の日差しの下でやることではない。つまりそれは、少し離れた木陰のベンチで並んで座る隆俊と明を気遣っての行為であることに間違いなかった。


 うまく話さねば。

 そう思えば思うほど口は重くなる。

 さきほど彰彦に言われた言葉がリフレインするが、それならば何をどう伝えればいいのかまで教えてほしかった。いや、これはただの八つ当たりだ。

 あの東条彰彦が鯉の餌やりとは、学園の生徒が見たら腰をぬかすな……と隆俊はつい現実逃避をはかってしまう。

 おとなしく座った明は、静香たちから離れた途端にふっと笑顔を消していた。それもまた隆俊の居心地を悪くしていた。自分と二人きりがそんなに嫌か。

 沈黙が続いたあと、口火を切ったのは明のほうだった。


「今日はすっごく楽しい。こんな体験初めてだ。誘ってくれてありがとう」

「いや」

 お礼を言われることなど何もしていない。計画をたてたのは伊知郎だし、当初の予定と違うとはいえ景品のぬいぐるみを取ったのは彰彦だ。初対面の静香と奈緒でさえ、うまく明をリードして彼女の笑顔を引き出している。

 改めて自分のふがいなさに頭を抱えたくなる隆俊だったが、その苦悩を知ってか知らずか明は不意にぼそっと言った。


「こんなに楽しくていいんだろうか」


「……明くん?」

 一見静香たちを眺めているようで、明の目はどこか違う、まったく別のものを映しているようだった。

「今までわたしは狭い価値観でしか人を見ていなかった。それで人を選別し、付き合うに値するかどうかを判断していた。特に東条なんて絶対に近寄らせたくない人間だったよ」

 近寄りたくない、ではなく近寄らせたくない。

 自分のためではない他人の選別。


「でもわたしの大事な人は、最初から東条はいい人だって言い張っていた。わたしはまったく信じていなかったけど……。やっぱりあの人はすごい、人のいいところを見抜く目を持っている」

 明は自嘲じみた笑いをこぼす。

「結局、わたしは東条とあの人の接触を絶たせた。今こうしてわたしが楽しんでいるのは、わたしがあの人から奪ってしまったものなのかもしれない。わたしが最初からいなければ、今ここで笑っているのはあの人なのかもしれない」

 明の持つペットボトルから滴が伝い、乾いた地面にポツリポツリと跡を残していく。

「そう思ったら、あの人に申し訳なくて……」


「なんて愚かなことを言うんだ」

 反射的に出てきた声は、怒気を伴って低く地を這った。

「俺が見た限りだが、白河美月しらかわ みつきくんは常に友人に囲まれて楽しそうに笑っていた。その交友関係は彼女の人柄、彼女の努力によって築き上げられたものだ。それを、お前は否定するのか」

 名前がはっきり挙がったことに対する戸惑いか、姉への侮辱行為を指摘されたことへの動揺か。明はハッとうつむいていた顔をあげた。

「わたしはそんなつもりじゃ……」

 言い訳しようとする明を許さず、隆俊はかぶせるように続けた。

「たしかにある程度仕組まれたものはあるだろう。だが、彼女の友情はそれだけで片付けられるほど稀薄ではないはずだ。ましてやお前の存在でどうこうなるようなものではない。東条君だって同じだ、今こうして明くんといっしょにいるのは、彼自身が選んだことだ。お前は今、お前と一緒に過ごそうと決めた伊知郎や静香くんや奈緒くんの気持ちも否定したんだ。バカにするのもいい加減にしろ」

「………」

 また下をむいて黙り込んだ明に、ようやく隆俊はハッと我に返った。


 しまった。

 違う、そんなことを言うつもりはなかった。

 さっきあれほど「甘えさせてやれ」と言われたのに、さっそくやったのがお説教とはどういうことだ。

 ここから挽回するにはどうしたらいい、ああ、あのよく回る舌を今だけ貸してくれ、伊知郎!


 夏の暑さも忘れ真っ青になった隆俊に、明は震える声で小さく呼びかけた。

「城澤先輩」

「あっ、なんだ、うん。その、言いすぎた。すまない」

「ありがとう。ごめんなさい」

「いや、謝る必要は……」

「わたしは、ここにいていいんだよね。みんなと楽しんでいいんだよね?」

「え?」

 まさか泣いていないだろうな、と隆俊が明の顔をのぞきこむと、彼女は痛みをこらえるようにきつく唇をかみしめていた。手が真っ白になるほど拳を強く握りしめている。

「ごめんなさい。またわたしはあなたを利用した」

「……どういう意味だ」

 こんな尋問じみた問いかけしかできない口下手さがいやになる。だが明は今、隆俊に何かを伝えようとしていた。それを受け止めてやりたかった。


「あの人を思うなら、まずは自分を確立しよう。そう納得したはずなのに、あの人から離れて楽しみを味わっている罪悪感が消えない。あの人からまた何かを奪っているんじゃないかと思うと怖いんだ。でも、以前わたしのことを守ると言ってくれた城澤先輩なら、間違ってないんだって、いいんだって認めてくれるんじゃないかって、慰めを……期待、してしまって……。ごめん、卑怯なことをした。わたしはずるい」


 懺悔するように告げた明に、隆俊は身の内が震えるのを感じた。

 彼女は隆俊に肯定されたかったという。その言葉を引き出すために、己の本心であるネガティブな思考をさらしたのだ。そうして慰められたかったと、安心したかったのだと。

 なんと不器用で卑屈で、愛おしいことか。

 芯の通った強い志を持つ明がそんな弱さを見せてくれた。その事実に隆俊は感謝すら覚えていた。




「ーーー今度、花火大会があるんだ。見たことはあるか」

 隆俊の唐突な問いかけに、明はうつろな目をようやく上げた。

「……遠くでやっているのを見たことなら、何度か」

「なら真下から見に行こう。壮観だ。その後は手持ち花火もやろう」

「……やりたい」

 明が食いついてきたのを確認し、隆俊はおだやかに言った。

「こうして新しい友人が一気に二人もできた。白河美月くんも明くんの知らないところで親交を広げたり深めたりするんだろう」

「美月様も」

 少しずつ明の目に生気が戻っていく。

「俺たちも、もっと楽しいことをしよう。おいしいものを食べて、おもしろいものを見よう。夏休みはまだ長い」

 うん、と幼気な子供のようにうなずく明がかわいかった。まわりくどいやり方でしか甘えられない不器用な女の子を、改めて素直だと、守ってやりたいと隆俊は思う。




「あっつーい! ジュースもぬるくなっちゃったわ。むこうの売店でアイス売ってるよ、明ちゃん食べに行こうよーっ!」

「行く!」

 パッと立ち上がって駆けだした明を追いかけながら、隆俊はニヤニヤと訳知り顔な笑みを浮かべる彰彦と伊知郎の視線から逃れた。

 アイスは全員分ごちそうすることにしよう、と決めた。せめてものお礼だ。




 今年の夏は最高に楽しくなりそうだ。





 番外編第一弾は風紀委員長城澤隆俊主人公で送らせていただきました。

 彼の情けないところばかりさらしてしまいましたが、いかがでしたでしょうか。


 番外編は、別の人間の目からは主人公はどのように映っていたのか、ということをテーマに書いていきたいと思っています。せっかく終わった本編を台無しにしないよう、蛇足にならないよう、がんばって書いていきたいと思います。

 よろしければ、ぜひお付き合いください。

 

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