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存在理由


 それからの話をする。

 時間はちゃくちゃくと進む。

 わたしは別れの準備を進めていた。




「これからマンション生活になりますが、俺がついていますのでご安心くださいね」

「頼りにしています、辰巳」

 離れを掃除しながら、辰巳は優しく笑った。

「その言葉使い、お小さいころを思い出します」

 その指摘に、わたしはうーんと首をかしげる。

「では、少し砕けようか。『あたし』でいたときとの切り替えがうまくいかなくて、どう話せばいいのかわからないんだ」

 自分確立のための第一歩とわたしが決めたのは口調。とりあえず一人称を『わたし』に設定し直し、相手に不快感を与えないよう頭の悪そうな話し方を改める。

 しかし、『ふつうのわたしの話し方』をわたしはすっかり忘れてしまっていた。おかげで辰巳と話すのにも苦労する始末だ。

「明様の話しやすいようにすればいいんですよ」

「そうだな……。難しいな……」

「何事も慣れです」

「うん」

「大丈夫です。俺を相手に練習していきましょう。俺がずっと、ずっとお側におりますから」

「うんっ」




 じろじろと見られることにも、ざわざわと噂されるのも慣れていたはずだ。それなのに、学園の悪魔という鎧がなくなった途端心細くなるのはなぜだろう。

 しかし仕方のないことだ。わたしはそういう存在だったのだから。

 学生手帳に記された通りの服装で、背筋を伸ばし、両足をそろえて教室の椅子にすわるわたしの姿に、クラスメートたちは遠巻きに何が起こったのかと騒ぎ立てた。

 朝のホームルームのために入ってきた担任教師に一瞬ざわめきがおさまる。

「えー、ホームルームの前に……。白河明さん」

「はい」

 語尾を伸ばすでもない、あくびまじりでもない、歯切れの良いまともな返事をしたわたしに教師のほうがびくっと体をはねさせる。

 気にしないように、と自分に言い聞かせながら、わたしは教室の前の教壇側に立った。

「急なことですが、白河明さんは来学期から我が校の代表として隣県の姉妹校に短期国内留学を行うことになりました」

 

 えええっ、どういうことなんだ。

 頭がおかしくなったのかな。

 あの悪魔がいなくなるのか!?

 やった、ついに追い出されるの!? 

 でも鳳雛の代表だって……


 どよめきが教室中に広がる。

「先生のご紹介の通り、わたしは二学期からこの学園を離れます。とはいえ二年生進級時にはまたお会いすることになると思いますので、その時はどうぞよろしくお願いいたします。短い間でしたが、ありがとうございました」

 すっと丁寧な仕草で腰をおってみせれば、教室の動揺は最高潮に達した。ゆっくりと顔をあげてから、わたしはクラスメイト一人ひとりを睨み付けた。

「……あのねぇ、あたしだってこれくらいできるの! あとさっき喜んだヤツ、しっかりチェックしてるから覚えておけよ」

 おもしろいほどピタッと静まり返る一年B組。 


 わたしは鳳雛学園のシステムにのっとり、二学期から鳳雛学園姉妹校に短期国内留学をすることになった。

 白河にも鳳雛学園にも居づらいだろうから、と勧めてくれたのは、なんと鷹津ではなく当主様と敬吾さんだ。

 その話を切り出されたのは、鷹津別邸からの帰りの車中のことだった。




 手を引かれて庭園から戻ると、屋敷の中を通らずに鷹津はそのままわたしを玄関そばの車寄せまで連れて行った。

 すでに車が用意されており、開いたままの後部座席のドア近くには、当主様が立っている。

「当主様、美月様は……」

「水音と先に別の車で帰ったよ。ご挨拶は済ませたから、このまま我々もお暇しよう。篤仁くん、本当にありがとう」

「またぜひいらしてください。お待ちしております。明、またな」

 そう言ってするりと離れた鷹津の手に、わたしは急に不安になった。きっと美月様から事の次第は聞いているはずだ。当主様がどれほどお嘆きか……。

「明、大丈夫だよ」

 はっと顔をあげると、当主様は優しく微笑んでいた。何の心配もいらない、とばかりに。

 促されるままにわたしは後部座席に乗せられ、ゆったりとしてはいても車内の狭い空間に当主様と向き合う形になった。

 すべるように走り出した車の中で、わたしが目をきょろきょろとさせていると、当主様は深く息をついてから言った。

「明。今までお前にはなにもしてあげられなかったね」

「え……」

「本当に悪かった。辛かっただろう」

「と、当主様? 怒っていらっしゃらないのですか?」

「怒る? 何をだい」

「でも、美月様や水音様は……」

 当主様は横に首を振った。

「美月はちょっとショックが大きかったかもしれないが、仕方のないことだ。これがあの子の成長の糧になってくれればいいんだが」

 当主様は落ち着いた態度を崩すことなくたんたんと言った。

「いったいどういう意味ですか?」

 混乱するわたしをよそに、運転席の敬吾さんが衝撃的な発言をした。

「明さん。当主様はすべて知っておいでです。それどころか今日の食事会は鷹津家もまきこんだ当主様のたくらみです」

「え?」

 すべて、とは?

「安心おし。私は篤仁くんがお前を好きだということを知っている。はじめからね」

「ええ?」

「まったく、当主様も人が悪い……」

 ぶわあっと吹いた氷交じりの敬吾さんの嫌味を、当主様はにっこりと笑って受け流した。

「パーティに明も連れてきてほしいと頼まれた時から、こうなるんじゃないかと思っていたんだ。そして、私は篤仁くんがお前に向ける好意を利用させてもらおうと考えた」

「利用?」

「ああ。明を白河から救ってくれるんじゃないかとね」


「白河につくすあまり、懸命になりすぎる明が昔から心配でならなかったよ。でも、止められなかった。覚えているかな、一度言ったことがあるんだよ、そんなにがんばらなくていい、と。そうしたらお前はかつてないほど大泣きした。もうわたしはいらなくなってしまったのか、ごめんなさい、もっとがんばりますからと謝りながら泣いたんだ」

 当主様は当時を思い出すように苦笑した。

「わたしが大泣き……」

 まったく記憶にない。

「胸が痛くて痛くて、もう何も言えなくなってしまった。特にあわてたのは敬吾だったよ。まだ小さいお前を抱きかかえながら、すみませんでした、二度と言いませんから、と大騒ぎしながら頭を下げていたものさ」

「当主様」

「いいじゃないか。泣かれるくらいならいっそ徹底的に鍛えてしまおうとお前が明に厳しくなったのはそれからだろう」

「当主様!」

 珍しく敬吾さんがあわてている様子を楽しむことなどできるはずもなく、わたしは幼いころの失態を悔やんだ。

 もしかして敬吾さんがすっごく厳しいのって、わたし自身のせいだったのか?

「だがきちんと向き合うべきだったと後悔しているよ。がんばらなくてもいいんだと、白河の一員なんだともっと伝えるべきだった。その結果、イヤな役をすべて篤仁くんに押し付けてしまった」

 当主様に頭を下げられると困ってしまう。わたしは謝られるようなことをされた覚えはまったくないのだから。


「……やっぱり、わたし、白河の役に立てなかったんでしょうか。ご迷惑でしたでしょうか」

 うるっと目がぼやけてしまう。すると涙声に気づいたらしい敬吾さんが早口で言った。

「勘違いしないでください。今の美月様があるのは明さんのおかげです。そうでなければ今までいじめや誘拐や非行といった被害を受けていたでしょう。ただ、雛鳥も成長するときがきたということです。それはあなたも同じです」

「成長……」

「今までの明さんだったら絶対にこんな話をしませんでした」

 美月様のお側にいること。

 美月様をあらゆる害から守ること。

 美月様を盛り立てるための踏み台となること。

 たしかに、わたしは美月様に自分の存在理由を見出し、それにすがって生きてきた。鷹津に否定されただけで恐慌状態に陥ったわたしだ、もし敬吾さんから「やりすぎだ、もう白河に仕えなくていい」なんて言われたら卒倒していただろう。

「けれどあなたは鷹津様によって、白河へはじめて疑いの目を向けることができた。これは大きな変化です。正直、今まで何の疑問ももたなかったことのほうが恐ろしいですが。ある意味美月様より素直な子です」

「そう教えてきたのは敬吾さんのくせにィ……」

 とりなすように当主様は言った。

「敬吾は敬吾なりに明を大事に思っていたよ。篤仁くんは、情けない私たちに変わって明に白河以外の世界を見せようとしてくれたんだ」

「でも、その結果美月様を深く傷つけてしまいました。水音様もご不快でしたでしょうし」


「美月はね……。あの子が篤仁くんに魅かれてしまうのは仕方のないことだ。私だって最初は美月の相手にふさわしいと考えていたんだから。だが彼の気持ちはハッキリしていた」

 聞けば当主様は、美月様に鷹津との縁談が進んでいないことを説明していたという。だが水音様が聞こうとせず、美月様もそれを鵜呑みにした。

「美月は自分に都合のいいことしか信じようとしなかった。わたしが甘やかしすぎたせいで、あの子は何かを欲しがるという経験はほとんどないんだ。そのせいか、本当に欲しいものが手に入らなかったとき、まるで明が奪ってしまったように感じたんだろう。それは最初から美月のものなんかじゃなかったのに」

 父親の顔になった当主様は、恥じ入っているようだった。

「水音は、もうどうしようもない。明が憎くてたまらないんだろう」

「当然です。わたしがどれだけご迷惑をかけたか」

 仲睦まじいお二人にとって、わたしの存在は目障りでしかなかったはずだ。

「いいや、違うよ明。水音が明を憎むことはね、わたしの愛を信じていない、ということに他ならないんだよ」

 当主様の愛を、信じていない?

 その言い方に、わたしは自分の出生の恐ろしい秘密を知ってしまった気がした。

「当主様、わたしは……!!」

「事実はどうあれ、お前はもう白河の子だよ。それは変わらない。あんなかたくなな女ですまないね。だが、私は水音も美月も愛しているんだよ。そして明、お前にも幸せになってほしい。そこで本当は篤仁くんが明をさらってくれないか、と期待していたんだが……」

「ごほん!」

 わざとらしい咳払いが当主様の言葉をさえぎる。当主様は表情を崩して肩をすくめた。

「この通り、敬吾に怒られてしまった」

「当たり前です。明さんにはまだ早すぎます。こんな未熟な女の子にいきなり男を添わせようとしないでください」

「とはいえ、篤仁くんはいくらでも待つとのことだったよ。今日の食事会は鷹津家を巻き込んだわたしと篤仁くんの計画だ。いきなりで悪いことをしたが、こうでもしないとお前の鉄壁の忠誠心は崩せないと彼に断言されてね。これは、甘やかし放題だった美月のためでもある」


 当主様の後をついで、敬吾さんが動揺するわたしに追い打ちをかけるようなことを言い出した。

「そこで明さん、提案があります。しばらく白河を離れてはいかがでしょう」

「……出ていけとおっしゃるなら、その通りにします」

 こう言われるとは思っていた。しかし、覚悟ができていたわけではない。わたしは震える声をなんとか抑えながら答えた。

 しかし、敬吾さんは間髪入れずに説明を続けた。

「違います。鳳雛学園の正規システムである、姉妹校への短期留学を申し込むのです。今のまま白河にいては水音様と美月様の目が痛いでしょう。鳳雛でも、あなたの悪名は知れ渡りすぎている。一時離れることがあなたにとっても、美月様にとっても最良かと思われます」

 わたしの学力ならまず問題なく試験にはパスするだろう、と敬吾さんは言う。

「美月は明にひどいことを言って突き放したそうだね。明と離れることで、どれほど自分が守られていたのかを美月は知らなければならない。明も白河の束縛から離れたところで、一度のびのびと過ごしてみてはどうだろう。もちろん全力で援助させてもらうよ。期間は三か月から半年程度。鳳雛に戻ってくることを前提とした留学だ。明には、自分と言う存在を白河抜きに考え直してみてもらいたい」

「でも、戻ったところで美月様は……」

「明、激情をコントロールできない未熟者の娘のことはすまないと思う。ただね、これはわかってほしい。美月はウソがへたで、偽ることができない子だ。お前を妹と呼んだことも、お前を愛していることも、間違いなく本心のはずだよ」

 真摯なまなざしを向けられて、わたしは鷹津の言葉を思い出した。

 

 自己の確立ができていない。

 自分も白河も美月様も、客観的に見るべきだ。


 もう一度美月様にちゃんと向き合いたい。

 わたしを救ってくれたあの方に報いたい。

 これは、そのために必要なことなのかもしれない。

「……急にわたしが留学することになって白河に妙な噂はたたないでしょうか」

「それは安心してください。あなたは学園の悪魔と呼ばれた女の子でしょう」

 はた、と言われて気が付いた。

 わたしに不良少女を演じろと言ったのは敬吾さんだ。

 美月様とのわかりやすい比較対象物をつくるためだと説明されていたが、これってもしかして……。

「白河も手に余すじゃじゃ馬娘がまた好き勝手やりだした。もしあなたがこれからどう自由に生きようが、そう思われるだけですよ。白河から離れても、学園を出て行っても、誰かと恋に落ちても」

 これは、鷹津がやった『放蕩息子作戦』と同じではないか。

「敬吾はね、ずっと明を白河から飛び立たせる機会をうかがっていたんだよ」

「どうして? いつから?」

 いったいどこからどこまでが計算だったのだろうか。さっき、当主様の計画は知らなかったって言ったのに!

「それがわかれば一人前です。本当は高校卒業までに少しずつ美月様と距離を置かせて、独り立ちさせるつもりでしたが……」

 白河で逆らってはいけない怖い人で、常にわたしの行く道を照らしてくれる絶対の指導者。敬吾さんはいつもこうしてわたしを助けてくれる。


 そこでふと思った。

 白河から離れる。つまり、それは敬吾さんとも。

「わたし、敬吾さんの指示なしじゃ動けません」

 ぽろりとこぼれてしまったのは本心だ。わたしの精神的な拠り所は美月様だが、実際に支えてくれていたのは辰巳と敬吾さんだ。

「怖いです」

 そんなわたしの訴えを敬吾さんは鼻で笑った。

「バカなこと言わないでください。そういう面も含めてあなたは成長する必要があります。ただし、むこうへ行っても毎日定期連絡をしてもらいますよ。未成年のあなたの保護者は白河なんですから」

 げんきんなもので、わたしはそれを聞いて心底ほっとした。

「じゃあ、困った時は敬吾さんにどうすれば聞いていいんですか」

「まずは自分で考えてください。ですが、報告の際に考えながら話すのはかまいません」

 当然だが、前を向いて運転をしている敬吾さんの表情は見えない。冷気も幾分抑え気味だ。それをいいことに、わたしは調子のいいことを言わせてもらう。

「自分を見つめなおして、得るものがあったら。敬吾さんといっしょに、白河にまた仕えたいと思ったら、戻ってきてもいいんですか」

 ふ、と敬吾さんの発する冷気が止まる。

「……当たり前です」

 コホン、と咳払いした敬吾さんはそれきり黙って運転に集中してしまった。とたんにぶわっと吹き荒れたブリザードは、敬吾さんなりの照れ隠しなのかもしれない。

 当主様の含み笑いだけが車内にぬくもりを与えていた。




 クラスでのあいさつを済ませると、わたしは今までお世話になった人たちのもとへ足を運んだ。

 いわゆる謝罪行脚だ。




 学園の悪魔を見捨てず、わたしという本質を探ろうとしてくれた稀有な人。

 わたしのやり方がおもしろい、と興味をもってくれた人。

 なんだかんだと世話をやいてくれた人。

「うん、服装、態度、持ち物、何一つ問題ない」

「ありがとうございます。城澤先輩にはご迷惑をおかけしました」

 城澤の前では特に傍若無人の女の子を演じていた。今更こんな態度をとるのは気恥ずかしいが、よそよそしすぎない適度に礼儀正しい振る舞いがわからない。一番簡単なのは生徒手帳に書いてある通りにすることだった。

 満足そうな城澤と対照的に、風紀室のソファもすっかり慣れたとみえる東条はあきれてため息をついた。

「しっかし、化けるなァお前。模範生そのものだな」

「ありがと、東条センパイ。ほめたついでに飴ちょうだーい」

「そのカッコでそれやるなよ」

 わたしと東条のやり取りに微笑んでから、城澤はトレードマークである眉間のしわを浮かべた。

「しかしそうか……。留学か」

「はい」

「さみしくなるな」

 しんみりと言う城澤に、わたしも寂しさを覚えてしまう。そこへ、ぽんと明るい声が飛んだ。

「何言ってるんですか、隆俊さん。姉妹校ってあそこでしょ、車で小一時間の距離じゃない。いくらでも会いに行けますよ」

 松島はわたしの姿をしげしげと眺めて、ずいぶん変わるものだ、と感心していた。

「それにもうすぐ夏休みだよ。遊びに行きましょうよ」

「伊知郎……。そうだな、いい考えだ」

「あ、あそびに外へ……? わたし、そういうのやったことない」

 そわそわしだしたわたしに、松島はまかせてくれと薄い胸をはる。

「安心してよ、隆俊さんと二人っきりにはさせないからさ。女の子も誘うよ。えっと男は僕と隆俊さんと東条先輩で三人だからー、白河さんと僕の彼女と彼女の友達呼んでー……」

「ちょっと待て、彼女だと?」




 共犯的な意識で親しくなった人。

 一途な思いで自分の信念を貫こうとした人。

 美しい花を愛でようとした人。

 同じ境遇にあるわたしを見守ろうとしてくれた人。

「今まで通り電話するからね、無視しないでくれよ。君の話も聞くからね」

「はいはい、雀野先輩。わたしがいない間、少しは強くなってくださいね」

「わかっている。篤仁に対しては無敵だよ、君がいるからね」

 にやりと笑う雀野は実に楽しげだ。美月様を狙う強力なライバルが減ったことで心労が減ったのだろうか。

「だけど会長も趣味悪いよねー、こんなのがいいなんてさ! ま、オレはこのチャンスを逃さず美月ちゃん狙っていくけどね。ようやくトゲとりがすんで会長のおかげで一皮むけた。美月ちゃんはこれからもっときれいになるよ……」

 美月様をなんだと思っているのか。うっとりとする初瀬に制裁を与えてくれたのは、美しきナイトだった。

「その前に私を倒すことね、初瀬君」

「わっ」

 ずいっと顔の横に突き付けられた竹刀に、初瀬は情けない声をあげた。だが雨宮は意に介さず、わたしをジロっと睨み付けた。

「美月さんを泣かせるなって言ったばかりだというのに」

「申し訳ありません。対処できかねました」

 弁明のしようがなく謝ると、雨宮はぐっと言葉に詰まる。

「そんなふうに素直になられちゃ文句もいえないじゃない……。いいの、悪いのはぜーんぶ鷹津君だから。今度道場へひきずっていって、鍛えなおしてやるわ」

「雨宮、がんばれ」

 意気込む雨宮とちゃっかり応援する雀野に、わたしも思わず笑ってしまった。

「あーきら」

「はい、池ノ内先輩」

 つんつんと肩をつつかれて振り返ると、池ノ内が口元にクッキーを差し出してきた。ちょっと迷ってから、わたしはそれをぱくりとくわえる。

「がむしゃらにがんばるだけじゃなくてもいいよな。……俺はお前のこと追いつめちゃったかな」

 池ノ内は少しだけ切なそうに言った。わたしと似た立場にあった池ノ内は、わたしの決意に何を見たのだろう。

「いいえ。わたしは、先輩に『あたし』のことを認めてもらえてうれしかった。ただ『あたし』のやり方では美月様とうまくいかなかったというだけです。……もし先輩が疲れたら言ってください。力になりたい」

 そう告げると、池ノ内はニカッと笑ってわたしの頭をぐしゃぐしゃになでた。

「ちゃんと戻ってこいよな。あとたまにこっちにも来いよ、おやつ用意して待ってるから。がんばってこい!」

「はいっ」




 美月様を親友と呼び、わたしがいない間美月様を支えてくれるであろう人。

「美月ちゃんはこれで三日も学校休んでるわ」

「うちの厳しいお目付け役が失恋休暇は今週いっぱいと定めましたから、来週には来ますよ」

「……あなた、だいぶ印象変ったわね」

「模索中なんですけどね」

 ふうん、と興味なさげにあいづちをうった上都賀さんは、空席の美月様の机に手を置いた。

「美月ちゃんの失恋、か。信じられないけどそうなのね。いいわ、そこは親友たる私が慰める場面だもの」

「頼りにしています。わたしはしばらくこの学園から離れるので……。姉をよろしくお願いいたします」

「任せて。……えっと、それで、たまにどんな様子か報告もしたいと思うのだけど」

 おもむろにスマートフォンを取り出した上都賀さんは、ちらちらとあたしを見ながら言った。

「え? あ、はい。よろしければ姉の世話役の連絡先をお教えしますが」

「違うわよ! あ、あなたに直接知らせてあげたいって言っているの! いいから電話番号とメールアドレス教えなさいよ!」

 上都賀さんはこけしみたいに可愛らしい顔を真っ赤に染める。だが、わたしの耳が一気に熱くなったことを考えると、たぶんわたしも負けずに真っ赤だ。

「本当に!? いいんですか、これからメールとか、お話しとか、してもいいんですかっ。あの、よかったらお外にお出かけしたりとか、お茶したりとか、ぜひ一緒にしていただきたいんですけど……!!」

「な、なんなのよ、性格変わりすぎなのよ! 別に美月ちゃんとの仲取り持ってあげようとか思っていないんだからね!」




 それから忘れてはいけないのが、『あたし』が傷つけてきたたくさんの人。

 きっと顔も見たくないと思っている人が大半なので、ここは得意の手紙による謝罪をさせてもらった。

 今なら想いが届かなかった人の切なさ、辛さが美月様を通してわかる。一人ひとり、自分の手で手紙を書いた。

 そのおかげかはわからないが、今まではすれ違うたびに嫌悪感をあらわにしていた男子生徒の一人の態度が少し変わった。不思議そうな、何かを考えるような目を向けてくる。

 彼は、いつか理科実験室で燃やした美月様宛てのラブレターの送り主だった。




 そして、美月様に深い傷を負わせ、わたしを崩壊させたひどい人。

 わたしに契機をくれた人。

「美月様はまだお部屋にこもって会ってくださらない。水音様は当主様に八つ当たり」

「そうか」

「全部あなたのせいです」

「お前にたいしてなら責任をとってやる。美月さんについては気にするな。白河様は穏やかな風体をしていてもなかなかのやり手だ」

 まったく、この不遜な物言いときたら。鷹津はふんぞり返って会長の椅子に座っていた。

 暮れていく夕日がまぶしい。すでに他の生徒会役員は帰宅の途につき、この部屋にはわたしたちしか残っていない。

 鷹津は少しばかり気まり悪そうにためらったあと、そっぽを向きながら言った。

「母が、お前に似合いそうな髪留めを用意したから本邸に遊びに来い言っている。今度こそ着せ替え遊びをしたいようなんだが、なんとか都合をつけてもらえないだろうか」

 案外母親想いのやさしい息子だ。

「さすがの鷹津様もお母様には弱いようですね。わたしでよければいつでも伺う、とお伝えください」

 時緒様は、ある意味わたしのあこがれの母親像となっている。ぜひともまたお会いしたい。社交辞令でなくそういうと、鷹津はほっとしたように息をついた。

「助かる。あの人はとことん人付き合いが苦手でろくに友人もいないんだ。適当でいいから相手をしてやってくれ」

「はい」

「それにしても留学か。白河様も考えるな……。お前さえ首を縦にふれば、いっしょに海外留学しようと思うんだが、どうだ」

「雀野副会長が怒りますよ」

 雀野の名前が出たとたん、鷹津はむうっと不満げにうなる。

「そうなんだ。ミツが、今度は絶対に逃がさないから、と息巻いている。やはり会長になるんじゃなかった……。おい明、向こうで浮気なんて考えるなよ」

 こちらを猛禽類の目で見据える鷹津に、わたしはにっこりと微笑んで反撃した。

「浮気なんて、そんな」

「当たり前だ」

「まだ本命もいないのに」

「なんだと?」

 顔色を変えた鷹津をせせら笑う。

「おっしゃいましたよね、まだ求婚に答える必要はない、と」

「おい、言うには言ったが……」

「おっしゃいましたよね、愛されることが存在理由になる、と。自分をかえりみて最近わかったことがあるんです」

 ちなみにそのときのわたしの笑顔は、学園の悪魔の衣装を脱ぎ捨ててから一番の出来栄えだったと自負している。

 傲岸不遜、唯我独尊の鷹津を赤面させ茫然と見惚れさせるくらいには。




「―――――わたし、実はけっこうモテるんです」




 自分が愛する人の側で、愛する人を守り、愛する人に愛される。

 それが、わたしの目指す存在理由だ。




以上をもちまして『偽り悪魔の存在理由』完結です。

長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。

たくさんのご意見、感想に励まされ、なんとか書き上げることができました。

皆様のご協力なしには完成しなかったろうな、としみじみ思います。


また、番外編を望んでくださる方がいらっしゃって嬉しいばかりです。入れられなかったエピソードや思い浮かんでいる小話もあるので、ちょこちょこと出していきたいと考えております。

その時はどうぞまた覗きに来てください。お待ちしております。


本当にありがとうございました!

ご意見、感想をお待ちしております。




完結に際し、ここでこっそり一人反省会を。読む方によってはいやな気持になるかもしれません。お気を付けください。





 いってしまえば主人公はまだ救われていません。むしろ前よりひどい目にあっているかも。留学だって白河が強引に勧めた感がありますし、ともすると体よく邪魔な主人公が追い出されただけに見えます。ハッピーエンドのような終わり方なのは、これが主人公の一人称で進んだお話だからです。白河を悪く思うはずがありません。なんだかんだいってもまだ主人公は熱烈な白河信者のままですから。

 ただ、主人公は白河を離れる決意をしたことで自分の心の問題と決着をつけました。

 この物語は、起承転結のうちの大きな「転」を描こうと決めていました。「結」はまだまだ先で、「わたしたちの冒険はまだ始まったばかり!」状態です。幸せめざして突っ走ってもらいたいところです。

 しかし書き上げてみると、これじゃ見方によれば白河悪役みたい、美月はこのままなのか、と心配な点が出てきてしまいました。

 そこは番外編でなんとか弁解したいと思っています……。本編で説明できてこそ、だとは思うのですが、作者の技量不足でした。

 言い訳がましいことをツラツラと失礼いたしました。

 番外編もおつきあいいただけたら幸いです。








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― 新着の感想 ―
すごく面白かったです。もしまた作者様が筆を取る機会がありましたら、あなたの作品をもっと読みたいと、そう思える作品でした
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