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悪魔と天使、それに大鷹の笑い話


 

「姉さん、日傘をさしたほうがよろしいのでは」

「いらない。大丈夫だよ、ちゃんと日焼け止めぬったから」

 控えていた鷹津の使用人が差し出してくれた日傘に首を振り、美月様は鷹津とそのまま庭園に出てしまった。

 あたしは閉じたままの傘を一つ拝借し、二人並んで歩く後ろ姿を少し遅れておいかける。

 夜の庭園は月光を浴びて神秘的な静けさがあったが、今はセミの声が聞こえて木々も生き生きしてみえた。


 この庭園のメインは中央の噴水だ。水瓶を捧げた女性の像は時緒様によく似ていた。

「篤仁先輩、この像のモデルって……」

「祖父の道楽だ。父と二人して母の虜になっていたらしい、バカな話だ」

「そんなことないです! ロマンチックで素敵です」

 うっとりする美月様に、鷹津は真摯に謝った。

「先ほどは母が失礼した。あれは何年たっても治らない」

「いえ、私こそおしつけがましいこと言って恥ずかしいです」

 美月様は恐縮したように身を縮めた。

「そんなことはありませんよ。アキラも、母の相手をさせて悪いな」

「いいえ」

「あの人は外見と口調で損をしているが、気難しい人ではない。好きに振る舞ってくれて大丈夫だ。どうもお前が気に入ったらしい」

 時緒様はちょっと怖いけれど、不快な方ではない。

「初めてお会いしましたが、あのご気性を含めてとても魅力的な方だと思います」

「……ありがとう」

 正直に言うと、鷹津はやわらかく微笑んだ。

「あの、お庭、本当に広いですね! どこまでも続いているみたい」

 美月様はぐるっと噴水を周りながら鷹津によびかける。

 いじらしいな、とまた思った。


 標高の高いここからの景色は遠くの山まで見渡せて、庭の境界があいまいになっている。

 きょろきょろと頭をめぐらせながら、美月様たちはしばらく散歩を楽しんだ。ひらひらと舞う蝶を見つけた美月様が道を外れて追いかけていると、不意に振り返った。

「篤仁先輩、あれは?」

 何かに気づいた美月様が指で何かを指し示す。ここからでは何も見えないが、鷹津にはそこにあるものがわかっていたようだ。

「……あれはただの東屋です」

「あちらに行ってみませんか?」

「おもしろいものはありませんよ」

「ダメですか?」

 美月様のおねだりに鷹津は束の間逡巡したが、「そういうのなら」と美月様をエスコートした。

 白い煉瓦つくりの小さな三角屋根は西洋風の庭園に溶け込んでいたが、舗装された道から隠されていたことを考えると、景観をふまえた設計からは外れているように思えた。

「かわいい!」

 美月様は歓声をあげて中に入り、日陰の涼しさにほっと息をついている。

「素敵ですね、こんなお庭があるなんて」

「小さいときはここを駆け回って遊んでいました」

「ふふっ」

 笑う美月様の額にうっすら汗がにじんでいるのをみとめ、あたしはバッグから出したハンカチを差し出した。

「姉さん、これを」

「ありがとう、アキラ」


 鷹津は欄干にもたれて風を受けながらあたしたちを眺めている。時緒様とまったく同じ、観察する目。

「いつまでそうしているつもりだ」

「え? なにがですか?」

 美月様が問いかけるが、鷹津は答えにならないことを言った。

「美月さん、アキラはなぜ今日はおとなしいんでしょうね」

「あは、恥ずかしい。アキラったら本当はキッチリ振る舞えるのに、普段はあんなに気の抜けた態度でいるから」

 おかしい、と美月様は笑う。

「あたしはその場にあった態度をとってるだけだよ。臨機応変っていってもらいたいね」

「減らず口~」

「ごめんなさい」

 美月様のからかいに、あたしの口元もほころんだ。

「姉さん、そろそろ戻らない? 喉が渇いたでしょう。帰りは日傘をさしてって」

「あっ……。でも、あとちょっとだけ」

 美月様はとたんに挙動不審になり、深呼吸を繰り返した。

「姉さん?」

「あの、アキラ。お願い、先に戻っていてくれないかな。すぐ行くから」

 じっと熱をはらんだ目を向けられて、あたしは美月様がしようとしていることを理解した。


 敬吾さんは、知らぬ存ぜぬを通せと教えた。

 あたしは知らない。

 美月様のお気持ちも、鷹津の望みも。

 だけど本当にそれでいいのだろうか。

 ためらうわずかの間に鷹津があたしを制した。

「アキラ、ここにいろ」

「会長……」

「篤仁先輩っ。ごめんなさい、お話しがあるんです。聞いていただけませんか」


「それは今日兄たちが話し合っている内容についてですか」

 鷹津は冷ややかに言った。

「今日の、話し合い?」

「俺の縁談についてです」

 いよいよぶわっと顔を真っ赤にした美月様は、甘さをかけらも含まない鷹津の声に気づいていない。

 黙っていればいいものを、あたしは美月様が傷つくのが怖くて口をはさんでしまった。

「会長、それは今ここで話すべきことでしょうか。なんのために当主様たちが話し合っているのです」

「今ここでわかるか、後で知るかの違いはそんなに重要か? 俺の口から直接伝えた方が美月さんも納得するだろう」

「教えて下さい。先輩から聞きたいんです」

 勢い込んで聞く美月様に、あたしは不安しか感じなかった。

「姉さん、いったん戻りましょう。当主様たちを交えてお話ししましょう」

「お願い、篤仁先輩!」

 もうあたしのことなどすっかり意識の外においやってしまったようで、美月様は祈るような面持ちで鷹津を見つめていた。

 やめてくれ。


「美月さん。今日わざわざ白河様をお呼びだてしたのには、理由があります」

 やめて、お願い。


「俺はこの場で、結婚を前提に交際を申し込もうと思っていました。その許可をいただきたかった」

「篤仁先輩……っ!!」

 今すぐ黙って。口を閉じて。


「先輩、私も、先輩のことが、」

「俺は、アキラを、明を妻に迎えたい」

 ―――――――― ああ。




 美月様の笑顔が一瞬のうちに砕け散る。

「……え? どう、いう意味」

「そのままだ。姉であるあなたにも、それを認めてほしい」

「アキラ? アキラって?」

「そうです。そこにいるあなたの妹、白河明だ」

 あまりのことに情報処理が追いついていない美月様に、鷹津は一音一音はっきりと伝えた。それは死刑宣告と同じだ。

 美月様にとっても、あたしにとっても。

「どうして? なんで、アキラ?」

「明がいいんだ」

「なぜ? 篤仁先輩は、白河と、私と。先輩だって、私を生徒会に入れてくれた」

 カタカタと震えだした美月様は、今にも倒れそうになりながら言い募る。

「あなたが優秀だったからだ」

「私のためにお菓子やジュースを用意してくれた」

「あれは生徒会役員全員にだ」

「パーティのときだって、いっしょにお散歩をした」

「あなたがそこにいたからだ」

「でも、でも、お母様は、私に縁談があるって言った」

 美月様はひとつひとつの可能性を探っていく。

 すこしでも自分を想ってくれていたんじゃないのか。好きでいてくれたんじゃないのか、と。

 しかし鷹津はすべてを否定した。

「いいや、あなたとの話は何も進んでいない。俺は、父にも兄にもアキラとの縁談を進めてくれるよう頼んでいる」


「うそ……。いや。やだ、やだやだやだ。そんなのやだ」

 美月様はぎこちない動きであたしを見た。その瞳のあまりの絶望の深さに胸がえぐられる。ハンカチは、美月様の手の中でぐしゃぐしゃになっていた。

「アキラ、そうなの?」

「違う」

 乾ききった舌をなんとか動かし、あたしは言った。

「だって、先輩が」

「違う! 姉さん聞いてください! わたしは鷹津と婚約は絶対にしません! そんな話根も葉もないウソだ!」

「これから根も葉もつける。俺は今、ここでお前に求婚しよう」

 鷹津はもう猫をかぶるのはやめたようだ。

 己の決定を貫こうと、あたしという雑草をふみにじる暴君だ。八つ裂きにしてやりたい衝動にかられる。

「いいえ、受けません! わたしには関係がないことです」

「アキラ」

「わたしを信じてください。わたしは絶対にあなたを裏切らない! 信じてください、美月様!」

 あたしは美月様の細い肩に触れようとした。


「ウソつき」

 ぱん、と軽い音をたててはじかれる。

「アキラ、またとるんでしょう」

 美月様の震えはとまっていた。

 だが天使のような笑みは消え、幽鬼のように色をなくしてゆらりと佇んでいる。

 また、とる?

 盗る?

 行き場をなくしたあたしの手。

「アキラには、お父様もお母様もわけてあげたのに」

「美月様」

「おもちゃも、おかしも、わけてあげたのに」

「美月様」

「辰巳さんも、最初は私のだったのに」

「美月様っ」

「ぜんぶぜんぶ私のだったのに!!」

 ガチガチと耳障りな音がする。セミの声じゃない。あたしの歯の根がぶつかる音だ。

「篤仁先輩まで盗んでいくんだ。そうやって、ずっと私から盗っていくんだ。私、好きだったのに。応援してくれるっていったのに」

「違う、違います」

「違わないよ、ウソつき、アキラのウソつき」

 美月様が怒りと憎しみに歪んでいく。嘆きと痛みで崩れていく。

「ウソつきの妹なんていらない。私のものを盗っちゃう妹なんていらない」

「美月様」


「アキラなんて、いらない」




 走り去るレモンイエローが遠ざかっていく。あっという間に小さくなって、まばたきの間にはもう消えていた。

 笑いかけてくれなかった。

 振り向いてもくれなかった。

 アキラ、と呼んでくれなかった。

 全身の血がどこかへ消えてしまったあたしは、支えをなくした人形のようにその場に座り込んだ。

「明」

 あたしの名前を呼ぶ人がいる。でも、それはあたしの望む人ではない。

「……お前のせいだ」

「明、しっかりしろ」

「………お前のせいだ!!」

 あたしは傍らにしゃがみこんでこちらをのぞきこんだ相手の襟を、思い切り力をこめてつかみあげた。

「お前が美月様にあんなことを言うから! お前があんなひどいことをするから! だから姉さんは、美月様は、あたしを、わたしを、ウソつきだって、いらないって……!!」

 ぼろっと目から熱い滴が落ちたかと思うと、あとは滝のように滂沱と涙が流れ出る。

 あたしは捨てられた。

 白河アキラはもういらない。




 河添明が白河明になった日、連れてこられた見知らぬ大きなお家は、なんとはなしに怖かった。

 そろいのお仕着せを着た人たちは、物腰は丁寧だがこちらを見てはごしょごしょと言い合っている。手を引いてくれた男の人は氷みたいに冷たい。新しいお父さんとお母さんとはろくに会話をしなかったし、これからも会うことはないという。そして一番偉い人だという男の人と女の人は、ひどく難しい顔をしていた。

 幼いからこその鋭敏な感覚が、自分は望まれざる人間なのだと悟らせた。

 今までのせまいマンションに戻りたかった。

「おとうさまーっ!」

 たたたっと駆けてきた女の子は、自分と同じくらいの年の子だった。勢いよく男の人に抱きつくと、ようやくこちらに気づいてきょとりと大きな目を瞬かせる。

「この子だァれ?」

「美月。この子はね、今日からお前のお友達になるんだよ」

「おともだち?」

「そう。いっしょに暮らすんだ。明という子だよ。仲良くできるね?」

「いっしょに暮らすの? じゃあ、イモウト!? わたし、イモウトできたの!?」

「そうだね、妹みたいになかよく、かわいがってあげるんだ」

「やったァ! イモウトだァ! うれしい!!」

 女の子は両手をあげて飛び回ると、にっこり笑ってこちらの手を握りしめた。

「来てくれてありがとう! アキラ!」




「美月様だけがわたしに居場所をくれたのに。白河アキラの存在理由をくれた人だったのに! もう、いらないって……。わたしは、美月様のものを奪い続けていたのか……?」

 あんなふうに思っていたなんて、ちっとも知らなかった。

 わたしが美月様を苦しめていたなんて。

 では、今まで妹と呼んで慈しんでくれたのも偽りだったのか。あの天使の微笑みも、偽りだったのか?

 美月様を疑いたくなくて、わたしは感情をすべて憎しみに変えようとした。そう、悪いのはすべてこの男。

 鷹津篤仁だ。

「お前のせいだ。お前のせいだ。お前のせいだ!」

 拳で目の前の厚い胸を叩く。それなのに、相手はびくともしなかった。

「お前なんか、大っ嫌いだ……」

 頭がガンガンと痛む。泣きすぎて酸素がまわっていない。もう顔は涙でぐちゃぐちゃで、暴れたせいで髪もほつれている。あまりにもみじめな気分だった。


 本当はわかっている。

 鷹津は悪くない。

 人を好きになるという感情は、損得だけでは動かない。

 たまたま美月様が鷹津を好きになり、鷹津が美月様を好きにならなかっただけ。

 わたしの涙の理由はただのエゴ。

 美月様から嫌われたことによる、自分の価値の喪失。


 もう気力も尽きて、うなだれたまま鷹津の上質なシャツに爪をたてることしかできなくなった時だ。


「く、ふふ……」


 頭上から漏れた笑い声に、わたしは茫然とする。

 この男はどこまでわたしをバカにするのか。

 美月様を苦しめ、白河をひっかきまわすだけで飽き足らず、今もこうして貶めようとする。

 生まれて初めて感じる明確な殺意という感情。それが暴発する寸前、鷹津はぎゅうっと力いっぱいあたしを抱きしめた。


「お前はなんてかわいいんだ!」

「………は?」

「いつも取り澄ましている分、そうやって感情がむき出しになるともっとかわいくなる。その原因が俺だというのか。かわいい、かわいい!」

 ぐりぐりと頬ずりまでしてくるからたまらない。

 わたしは目をぱちくりとさせて頭の回路を働かせようとした。

「は、離せ」

「イヤだ。泣くなら泣いていいぞ、ほら」

 鷹津はとんとん、と子どもをあやすように背中をたたいてくる。

「お前の存在理由なんて俺がすぐに決めてやる。俺のそばにいて、ずっと愛される。ほら、もう決まった」

「気味の悪いことを言うなっ!」

「お前は口が悪いな。それはどうも素のようだ」

 ふふふ、となおも楽しそうな鷹津に、わたしは泣くのも忘れて鼻をすすった。


「せっかくの二人きりだ、ちょっと話をしないか」

 鷹津は、ぼさぼさになってしまったあたしの髪からピンをひきぬき、ばさりと解いてしまった。すると引っ張られていた頭皮がもどって少し頭がすっきりする。さらにかいがいしく自分のハンカチでわたしの顔をぬぐってくれた。

「話すことなんかない」

「いいや、たっぷりあるさ。まずはそうだな、お前の一人称は?」

「え?」

「明は、本当は自分を何と呼ぶ。『あたし』? 『わたし』? 『わたくし』?」

「え?」

「それと口調。あの品のない口調より、どうも今のぶっきらぼうな男言葉のほうがお前の本質のような気がする」

「え?」

「趣味は、好きな食べ物は、好きな遊びは?」

「ま、待ってください。なんのことかわからない。何がしたいんです」

「ん? そうか」

 鷹津ははちみつよりも甘ったるい調子で言って、熱をとろうと腫れたわたしの目元に手を当ててきた。

「俺の目的はな、お前の存在理由の破壊と再構築だよ」




「泣いているお前もかわいいが、やっぱり笑顔が見たいな。まずは笑い話を聞かせてやろう」

 東屋の影には水道がついていて、鷹津はそこで濡らしたハンカチを改めて差し出してきた。ベンチに座り、わたしはそれを目に押し当てる。

「美月さんを追いかけて行っても意味はないぞ。なに、白河様たちがなんとかしてくれるさ」

 そう言って鷹津はわたしをこの東屋に留めさせた。

 つい感情的になってしまったが、挽回のチャンスはあるはずだ。ここは冷静になる必要がある。

「俺はな、鷹津家に生まれる時を間違った男なんだそうだ」

「……時を間違った?」

「うん」

 にこにこと笑う鷹津自身に陰りはない。だが、どう聞いたって楽しい話題ではなかった。

「俺の兄は立派な人だ。あの人は、他者の言葉に耳を傾け、人の助けを借り、周囲のために尽くすことができる人だ。あんなによくできた人間はいないよ」

「尊敬、されてるんですね」

「ああ、この世で一番な。年が離れていることもあって、兄さんは俺に優しいんだ。俺が好き勝手できているのは、兄さんの庇護があるからだ。でも理由はそれだけじゃない」


「亡くなった祖父によく言われたよ。お前があと二代前に生まれていたら、自分を押しのけて鷹津の後継者になっていただろう、と」

「二代前……。鷹津の成長期、ということか」

「話が早くて助かる、その通りだ。鷹津は祖父の代で急激に事業を拡大し、今の地位を築く地盤を作った。しかし現在必要なのは拡大ではない、安定なんだ」

 革命家と呼ばれる人間は、一人でもその時代の奔流に負けない強さを持っている。しかし一歩間違えればただの謀反人にすぎず、より大きな力に潰される。

 鷹津は間違いなく強者たる革命家になれる男だ。


「今の鷹津に革命はいらない。必要なのは兄のような人格者による統合だ。俺は自分の才覚と、それののばし方を知っていた。だが、それが今の鷹津に望まれるものではないこともわかってしまった。むしろ俺の存在は兄さんの邪魔になる」

 兄弟の不和による内部分裂はよく聞く話だ。

 実仁氏をよく思わない連中が、弟を神輿にのせて兄を退陣させようと画策するかもしれない、ということだ。

「俺が兄に勝っているとは思わない、持っている能力の方向性がまるで逆だからな。でも火種はないに越したことはない。父は俺の成人前に兄に跡目を継がせることでそれを表明した。次の後継者は兄の子どもになるだろう」


 鷹津のカリスマ性は本物だ。一度舞台に立てば、周囲の人間を巻き込んで大きな波を起こす。しかし、わたしが再三思ってきたように彼の資質は暴君のもの、周りとの協調、足並み合わせとは無縁だ。そうなれば、鷹津家の懸念も考えすぎとは言い難い。

「俺は鷹津には不要な人間なんだ」

 きっぱりと言った鷹津は、背負う国を失った王様みたいだ。これだけの才覚を持ち合わせながら、それを活かす立場に立つことができないなんて。

「ははは、笑えるだろう! あれだけ俺は鷹津だ、と学園で振る舞っておきながら、実質誰より鷹津から遠い人間なんだ。お前も笑っていいぞ」

 だが、鷹津にはあたしのような卑屈さがない。


「俺は自分の立場に満足している。自由を得た」

「自由って……まさか、鷹津の放蕩息子っていうのは」

「そのまさかだ。俺は鷹津の継承権を放棄するかわりに、鷹津の絶対の庇護と俺の行動の容認を約束させた」

 鷹津の自信はここにあった。国こそ持たないが、彼は裸の王様ではない。豪奢な衣装を整えるだけの支援はしっかり受けていたのだ。

「俺のワガママはなんでも通る。特に兄が叶えてくれるよ。……たぶん、後ろめたさがあるんだろう」

 そう思っているのは弟も同じのようだ。初めて鷹津の表情に曇りが出た。

「縁談の話がでたときも、相手は絶対に俺自身で決めさせてもらおうとワガママを発動した。文句は言わせない。文句が出たところで放蕩息子のやることだから、で済ましてもらえるとは思っていたがな」


 ワガママ、か。

 そこでふと、あたしは鷹津の経歴を思い起こしていた。

 もともと奔放なところのある鷹津だが、『放蕩息子』と呼ばれるようになったのは高校二年の時の突然の留学がきっかけだ。名誉ある生徒会に属しながら、その役目を放棄した。生徒会のOB・OG会で有力者の塊である鳳凰会から睨まれることは間違いない。

 しかし、鷹津は決行した。

 なおかつ絶妙なタイミングで学園に戻ると、会長職として生徒会に返り咲き、鳳凰会の印象をくつがえすほどの高い評価を受けている。

 これは単なるワガママ、気まぐれなのだろうか。


「鷹津様。あの留学もワガママのうちですか」

「ああ、そうだ」

「縁談の話が初めて出たのは、高校二年の進級時では」

「……そうだ」

 間を挟んだ返答に、わたしは鷹津篤仁の人間性を見た。

 ああ、やはり。

 この人も家に縛られている。いくら自由を手にしたとうそぶいてはみても、鷹津は家をないがしろにすることはできないのだ。

「あなたは無責任な留学を決行することで、『放蕩息子』と呼ばれるよう仕向けたんですね。そう印象付けたうえで、鷹津の評判を下げないギリギリのタイミングで戻ってきた」

 わたしの断定を鷹津は否定しなかった。

「ご結婚も、成人間近になったあなたを鷹津から遠ざけるために命じられたのではありませんか。あなたのワガママは、自分で相手を決めたいという一点のみ。それで受けるかもしれない非難を自分自身に向けさせるために、鷹津家も手を焼く『放蕩息子』を演じたんだ。そんな男なら、勝手に結婚して家を飛び出しても当然だって思うだろうから」


 鷹津は意外に長い睫を伏せ、おだやかな表情をしていた。いつもの不遜で傲岸な態度はなく、今までで一番無防備な姿だ。

「ではなぜ、あなたはわざわざわたしを選んだんです」

「俺のことがそこまでわかるのに、なぜわからない」

 鷹津は隣に座るわたしの手をとった。

「俺は鷹津に不要な人間。お前も白河に不要な人間」

 手をつないだまま指でリズムをとった鷹津は、ぽつぽつと言った。

「お前の言うとおり、結婚相手を探す必要が出て俺は海外へ飛んだ。ただ、鳳凰会なんぞ眼中にはなかった。ミツがいれば生徒会はなんとでもなると信じていたし、圧力は父がどうとでもねじふせられる。生徒会長になるつもりもなかった。ミツなら十分務められたものを……。まァ、そんなことはどうでもいいか」


「しばらく各国をうろついたが、実に楽しかった。誰も俺を鷹津だと知らない。ある程度の金とツテは頼らせてもらったが、あとは俺だけの才覚で生活をした。大道芸もその時覚えて、小銭を稼いだものさ。それからイギリスの学校に腰を落ち着けた俺は、適当な相手はいないか書面だけで探していた。鷹津が送ってよこした資料も含まれていて、白河の名もその中にあった。もちろんメインは美月さんの情報だ。その隙間から明を見つけたときは震えたよ。必要とされない、愚かと名高い良家の娘」

 くくっと鷹津は笑う。

「中学までは地味でおとなしかった性格も、高校卒業とともにいきなり派手に変化した。聞けば口調までガラリと変わったそうじゃないか。高校デビューを言い訳にするには無理があるぞ。調査を進めさせるとより興味がわいた。お前は俺と似ているのに全く違った。だれの庇護も受けられない、ただただ踏み台にされる存在。そう思ったら会いたくてたまらなくなった」

「そんなことで……?」

「会ってみて確信した。お前は自分というものを確立できていない。嗜好も、振る舞いも、言動も、感情も、すべてを白河に注いでいるからだ。俺にさえ許されていることが、お前には許されていない」


 間違っていはいない。

 わたしは、自分の一人称でさえ定まらない半端者だ。

 だが、しかし。

「わたしは不満に思っていません。憐れまれるのはごめんです」

 鷹津は首を横に振った。

「憐れみとは少し違う。俺は、お前を連れ出したい。お前にいろいろなものを見せたい、その時のお前の反応が見たい。全部俺の欲求だ。でも、このままじゃお前を連れ出せない。俺のワガママを通すためには、まずお前の凝り固まった白河信仰を打ち崩すしかなかった」

 いっそ優しいほどの話し方で、鷹津はゆっくりとわたしに言い聞かせた。

「明、お前はお前の役目に誇りをもっているだろう。だがどうだ。仕えるべき主人はお前を盗人扱いし、お前の存在を否定した」

「……あれは、美月様も動揺して……」

「それでも一度出た言葉は取り消せない。彼女はそんなルールもわかっていない。俺は、白河に明を置いていたくないよ。たとえ大っ嫌いと言われようと、俺はお前を否定する」


 わたしが鷹津を嫌う理由は、美月様に仕えるわたしの存在理由を否定したからだ。

 わたしが池ノ内や城澤の好意を気持ちよく受け入れられたのは、彼らがわたしを認めてくれたからだ。

 どうしたらいいのかわからない。

 どう動くべきか、困った時はいつも敬吾さんに聞いていた。白河のためにはどうするのが最善か。

 なのに、鷹津は根底を覆すようなことばかり言う。

 どうしたら、どうしたら。


「俺の行動のせいで、お前は白河にはいられなくなるだろう。これはお前にとっていい機会だと思う」

 そうだ。わたしはもう戻れない。

 美月様に会わす顔がない。

 また震えだした体を、鷹津が腕をまわして支えた。

「……白河にいられなくなることの、どこがいい機会なんだ」

「お前は客観的に自分を省みるべきだ。白河も、美月さんのことも」

「美月様のことを……?」

「そうだ。そうすれば、今日の言葉が彼女の本心かどうかもわかるだろう」

 わたしを引き寄せた鷹津は言った。

「今すぐ俺の求婚を受け入れろとはいわない。今は、ただ白河からお前を出したいんだ。安心しろ、俺と鷹津が明を守るよ。それからお前の大事な従僕も引き抜いて、ちゃんとお前の側につけてやる。まずはじっくり、自分がどういう人間なのかを知ることだ」

「鷹津様……」

 ぼんやりとする頭で、わたしはまた流れてきた涙をハンカチでおさえた。


「あまり泣くな。荒療治が過ぎた、俺も反省している。まさか美月さんがあそこまで俺のことを想ってくれているとは思わなかったんだ」

 珍しくもしおらしい鷹津の言葉に、わたしは小さく不満をもらした。

「知らなかったと? ……ひどい、あんなにわかりやすかったのに」

「そうか? まさか、それで雨宮は怒っていたのか? 乙女心をなんだと思っている、とかなんとか言っていた」

 まさか鷹津は美月様の好意に本気で気づいていなかったのだろうか。あの騎士道精神の女傑は、それで鷹津に敵意を燃やしていたのか。

「ふふっ」

 ハンカチの下から漏れ出た笑いに、鷹津は素早く反応した。

「笑ったか? いいぞ、もっと笑え。俺のことをバカにしてもあざけってもいいから、お前の本気の笑顔が見たい」

「どうして、そんなふうに思ってくださるんです。書面で知って、本物を見て、どうしようと思ったんです」

「さんざん言った。妻にしたい」

「どうして妻にしたいんですか?」

「どうしてって……」

 きょとんと戸惑う鷹津は、なんだか幼く見える。


 わたしは鷹津に問いかけながら、またもや時緒様と彼の共通点を見つけてしまった。


「俺が、明を愛しているからだ」


 彼もまた、説明が足りていない。





長々と続いたこのお話も、あと一話で完結を予定しております。

どうぞ最後までお付き合いください。


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